41 / 87
41.エスコートのされ方
しおりを挟む
そのドレスは、鮮烈に目に飛びんでくるような色だった。
「上出来だ」
シャルルの瞳がきらきらと輝く。椅子に座って何度か頷いた美しい男は、自身の見立ての確からしさにどうやらご満悦のようだった。
「お前には赤が似合う」
あの日、マダム・ローランの店で一番最初に着せられたものだ。ただ、チュールの色合いが少し違う。絶妙なグラデーションになっていて、深みが出ている。意匠を加えて欲しいと言ったのはこういうことだったのか。
「あとは仕上げだな」
そう言って、彼は鏡の前に立つアネットの後ろに立った。
「なんですか」
振り返れば、ドレスの裾がふわりと踊る。長身の男と向かい合う。その手が、まるで抱き寄せるがごとく伸びてくる。身構えたら、低い声に止められた。
「じっとしていろ」
けれど、いつものような鋭さはない。揶揄うような甘さがあって、途端に動けなくなる。戸惑うアネットの首に、シャルルは手を回す。
「へっ」
気付けば、首元にネックレスがあった。雪の結晶を模して大小の真珠が多くあしらわれている。虹色の光沢がデコルテを華やかに彩ってくれる。ドレスに施された刺繍との相性も抜群で、一目で合わせて作らせたのだと分かった。
「きれい……」
にしてもこの人は、器用なものだ。こんなふうにネックレスを着けるだなんて、思ってもみなかった。
「よし、じゃあ行くか」
「え、どこか行くんですか?」
「なんだ。まだどこか体調が悪いのか?」
ぶんぶんとアネットは首を横に振る。そんなことはないすこぶる元気だ。ついでに言うと昨日から下働きにも復帰している。山ほど皿を洗って心も洗われるようだった。
「ならいいじゃないか」
今日は一体どこへ行くのだろう。そう思いながら、シャルルに連れられるがままに馬車に乗り込んだ。そういえば、この人はいつも行先をアネットには教えてくれないのだ。
*
広場の前でゆっくりと馬車が止まる。
扉が開いて、何も言わずにシャルルが降りる。
「ここは」
ずっと行ってみたかったところだった。ドーレブールの町の中心、壮大な造りの歌劇場の前。
本当に来られるとは、思ってもみなかった。
「おい」
ふわふわとした心地で馬車を降りようとしたら、鋭い声が飛んできた。その手が、アネットに向けられている。
「エスコートのされ方は習っただろう。忘れたのか?」
「ちゃんと、覚えています!」
しかしながら、果たして奴隷の分際でこの手を取ってもいいものだろうか。伸ばしかけた手が、引っ込めてしまう。
「ほら」
結局アネットの返事を待たずに、宙ぶらりんの手をきゅっと掴まれる。その手に引かれるままに、馬車を降りた。
華やかなドレスに、正しいエスコート。これではまるで、本物の貴族のご令嬢のようだ。
「あの、これはなんですか?」
シャルルの右腕の肘に手を添える。そのまま連れ立って歩く。
「お前が芝居が観たいと言ったんじゃないか」
言った。確かに言ったけれど。
開演が近いのだろう。同じように着飾った紳士淑女が吸い込まれるように劇場へ入っていく。エントランスに飾られたシャンデリアが眩い。本当に夢の世界の入り口のようだ。
「演目が気に入らないのか? これが一番今流行っているらしいんだが」
長い指が演目を指して示す。そこには『楽園の妖精姫』と書かれていた。古典ではなくて、おそらく新作だ。アネットは内容を全く知らない。
「そういうことではなくて」
「じゃあ、どういうことなんだ。分かるように説明してくれ」
そういう間もシャルルは足を止めない。ただ、普段の彼からすれば随分とゆっくり歩いてくれている、気がする。
劇場全体が赤と金の絢爛な雰囲気に彩られている。上質な天鵞絨の椅子は見るからに座り心地が良さそうだった。
シャルルに案内されたのは、舞台正面のバルコニー席だった。カーテンで仕切られたその奥に座席がある。
こんな立派な劇場で芝居を見たことなんてない。けれど、分かる。
「あの」
くいっ、と袖を引っ張る。
「なんだ、早くしないと始まるぞ」
「ものすごくいい席ですよね? ここ」
「せっかく観るんだ。わざわざ観にくい席に座る必要もないだろう」
さっきからずっと会話がかみ合わない。この男、わざとやっているのだろうか。
「その、ものすごく高い席ですよね……?」
アネットが囁くように言うと、シャルルは眉をひそめた。一瞬で纏う雰囲気に不機嫌が混じる。
あ、怒らせてしまった。
そう思ったのに、彼は一つ溜息を吐いただけだった。腰に手を回して引き寄せてきたかと思うと、そのままアネットを席に座らせる。
「それの何が悪い」
当然のようにシャルルも隣に座る。ぽこぽこと空いていた席に、喧騒とともに人々が座っていく。流行りだというのは嘘ではないらしい。ほぼ満員だった。
わたしはどうして、彼の隣の席に座って、芝居を見るのだろう。
その疑問は尽きない。けれど、気分が高揚していくのは確かである。
照明が落ちる。緞帳が開く。
そうすればもう、アネットはただただ眼前に繰り広げられる物語に夢中になってしまった。
「上出来だ」
シャルルの瞳がきらきらと輝く。椅子に座って何度か頷いた美しい男は、自身の見立ての確からしさにどうやらご満悦のようだった。
「お前には赤が似合う」
あの日、マダム・ローランの店で一番最初に着せられたものだ。ただ、チュールの色合いが少し違う。絶妙なグラデーションになっていて、深みが出ている。意匠を加えて欲しいと言ったのはこういうことだったのか。
「あとは仕上げだな」
そう言って、彼は鏡の前に立つアネットの後ろに立った。
「なんですか」
振り返れば、ドレスの裾がふわりと踊る。長身の男と向かい合う。その手が、まるで抱き寄せるがごとく伸びてくる。身構えたら、低い声に止められた。
「じっとしていろ」
けれど、いつものような鋭さはない。揶揄うような甘さがあって、途端に動けなくなる。戸惑うアネットの首に、シャルルは手を回す。
「へっ」
気付けば、首元にネックレスがあった。雪の結晶を模して大小の真珠が多くあしらわれている。虹色の光沢がデコルテを華やかに彩ってくれる。ドレスに施された刺繍との相性も抜群で、一目で合わせて作らせたのだと分かった。
「きれい……」
にしてもこの人は、器用なものだ。こんなふうにネックレスを着けるだなんて、思ってもみなかった。
「よし、じゃあ行くか」
「え、どこか行くんですか?」
「なんだ。まだどこか体調が悪いのか?」
ぶんぶんとアネットは首を横に振る。そんなことはないすこぶる元気だ。ついでに言うと昨日から下働きにも復帰している。山ほど皿を洗って心も洗われるようだった。
「ならいいじゃないか」
今日は一体どこへ行くのだろう。そう思いながら、シャルルに連れられるがままに馬車に乗り込んだ。そういえば、この人はいつも行先をアネットには教えてくれないのだ。
*
広場の前でゆっくりと馬車が止まる。
扉が開いて、何も言わずにシャルルが降りる。
「ここは」
ずっと行ってみたかったところだった。ドーレブールの町の中心、壮大な造りの歌劇場の前。
本当に来られるとは、思ってもみなかった。
「おい」
ふわふわとした心地で馬車を降りようとしたら、鋭い声が飛んできた。その手が、アネットに向けられている。
「エスコートのされ方は習っただろう。忘れたのか?」
「ちゃんと、覚えています!」
しかしながら、果たして奴隷の分際でこの手を取ってもいいものだろうか。伸ばしかけた手が、引っ込めてしまう。
「ほら」
結局アネットの返事を待たずに、宙ぶらりんの手をきゅっと掴まれる。その手に引かれるままに、馬車を降りた。
華やかなドレスに、正しいエスコート。これではまるで、本物の貴族のご令嬢のようだ。
「あの、これはなんですか?」
シャルルの右腕の肘に手を添える。そのまま連れ立って歩く。
「お前が芝居が観たいと言ったんじゃないか」
言った。確かに言ったけれど。
開演が近いのだろう。同じように着飾った紳士淑女が吸い込まれるように劇場へ入っていく。エントランスに飾られたシャンデリアが眩い。本当に夢の世界の入り口のようだ。
「演目が気に入らないのか? これが一番今流行っているらしいんだが」
長い指が演目を指して示す。そこには『楽園の妖精姫』と書かれていた。古典ではなくて、おそらく新作だ。アネットは内容を全く知らない。
「そういうことではなくて」
「じゃあ、どういうことなんだ。分かるように説明してくれ」
そういう間もシャルルは足を止めない。ただ、普段の彼からすれば随分とゆっくり歩いてくれている、気がする。
劇場全体が赤と金の絢爛な雰囲気に彩られている。上質な天鵞絨の椅子は見るからに座り心地が良さそうだった。
シャルルに案内されたのは、舞台正面のバルコニー席だった。カーテンで仕切られたその奥に座席がある。
こんな立派な劇場で芝居を見たことなんてない。けれど、分かる。
「あの」
くいっ、と袖を引っ張る。
「なんだ、早くしないと始まるぞ」
「ものすごくいい席ですよね? ここ」
「せっかく観るんだ。わざわざ観にくい席に座る必要もないだろう」
さっきからずっと会話がかみ合わない。この男、わざとやっているのだろうか。
「その、ものすごく高い席ですよね……?」
アネットが囁くように言うと、シャルルは眉をひそめた。一瞬で纏う雰囲気に不機嫌が混じる。
あ、怒らせてしまった。
そう思ったのに、彼は一つ溜息を吐いただけだった。腰に手を回して引き寄せてきたかと思うと、そのままアネットを席に座らせる。
「それの何が悪い」
当然のようにシャルルも隣に座る。ぽこぽこと空いていた席に、喧騒とともに人々が座っていく。流行りだというのは嘘ではないらしい。ほぼ満員だった。
わたしはどうして、彼の隣の席に座って、芝居を見るのだろう。
その疑問は尽きない。けれど、気分が高揚していくのは確かである。
照明が落ちる。緞帳が開く。
そうすればもう、アネットはただただ眼前に繰り広げられる物語に夢中になってしまった。
2
お気に入りに追加
92
あなたにおすすめの小説
ドS騎士団長のご奉仕メイドに任命されましたが、私××なんですけど!?
yori
恋愛
*ノーチェブックスさまより書籍化&コミカライズ連載7/5~startしました*
コミカライズは最新話無料ですのでぜひ!
読み終わったらいいね♥もよろしくお願いします!
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
ふりふりのエプロンをつけたメイドになるのが夢だった男爵令嬢エミリア。
王城のメイド試験に受かったはいいけど、処女なのに、性のお世話をする、ご奉仕メイドになってしまった!?
担当する騎士団長は、ある事情があって、専任のご奉仕メイドがついていないらしい……。
だけど普通のメイドよりも、お給金が倍だったので、貧乏な実家のために、いっぱい稼ぎます!!
【R18】騎士たちの監視対象になりました
ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。
*R18は告知無しです。
*複数プレイ有り。
*逆ハー
*倫理感緩めです。
*作者の都合の良いように作っています。
【完結】お義父様と義弟の溺愛が凄すぎる件
百合蝶
恋愛
お母様の再婚でロバーニ・サクチュアリ伯爵の義娘になったアリサ(8歳)。
そこには2歳年下のアレク(6歳)がいた。
いつもツンツンしていて、愛想が悪いが(実話・・・アリサをーーー。)
それに引き替え、ロバーニ義父様はとても、いや異常にアリサに構いたがる!
いいんだけど触りすぎ。
お母様も呆れからの憎しみも・・・
溺愛義父様とツンツンアレクに愛されるアリサ。
デビュタントからアリサを気になる、アイザック殿下が現れーーーーー。
アリサはの気持ちは・・・。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【※R-18】私のイケメン夫たちが、毎晩寝かせてくれません。
aika
恋愛
人類のほとんどが死滅し、女が数人しか生き残っていない世界。
生き残った繭(まゆ)は政府が運営する特別施設に迎えられ、たくさんの男性たちとひとつ屋根の下で暮らすことになる。
優秀な男性たちを集めて集団生活をさせているその施設では、一妻多夫制が取られ子孫を残すための営みが日々繰り広げられていた。
男性と比較して女性の数が圧倒的に少ないこの世界では、男性が妊娠できるように特殊な研究がなされ、彼らとの交わりで繭は多くの子を成すことになるらしい。
自分が担当する屋敷に案内された繭は、遺伝子的に優秀だと選ばれたイケメンたち数十人と共同生活を送ることになる。
【閲覧注意】※男性妊娠、悪阻などによる体調不良、治療シーン、出産シーン、複数プレイ、などマニアックな(あまりグロくはないと思いますが)描写が出てくる可能性があります。
たくさんのイケメン夫に囲まれて、逆ハーレムな生活を送りたいという女性の願望を描いています。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
【R18】いくらチートな魔法騎士様だからって、時間停止中に××するのは反則です!
おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
寡黙で無愛想だと思いきや実はヤンデレな幼馴染?帝国魔法騎士団団長オズワルドに、女上司から嫌がらせを受けていた落ちこぼれ魔術師文官エリーが秘書官に抜擢されたかと思いきや、時間停止の魔法をかけられて、タイムストップ中にエッチなことをされたりする話。
※ムーンライトノベルズで1万字数で完結の作品。
※ヒーローについて、時間停止中の自慰行為があったり、本人の合意なく暴走するので、無理な人はブラウザバック推奨。
【R18】××××で魔力供給をする世界に聖女として転移して、イケメン魔法使いに甘やかされ抱かれる話
もなか
恋愛
目を覚ますと、金髪碧眼のイケメン──アースに抱かれていた。
詳しく話を聞くに、どうやら、私は魔法がある異世界に聖女として転移をしてきたようだ。
え? この世界、魔法を使うためには、魔力供給をしなきゃいけないんですか?
え? 魔力供給って、××××しなきゃいけないんですか?
え? 私、アースさん専用の聖女なんですか?
魔力供給(性行為)をしなきゃいけない聖女が、イケメン魔法使いに甘やかされ、快楽の日々に溺れる物語──。
※n番煎じの魔力供給もの。18禁シーンばかりの変態度高めな物語です。
※ムーンライトノベルズにも載せております。ムーンライトノベルズさんの方は、題名が少し変わっております。
※ヒーローが変態です。ヒロインはちょろいです。
R18作品です。18歳未満の方(高校生も含む)の閲覧は、御遠慮ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる