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37.膝枕

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「……お前、私に何をされたか忘れたのか?」
「ずっとそばにいてくれたじゃないですか」

 自分が倒れた時、シャルルはずっと隣にいてくれた。同じように、何か彼の役に立ちたかった。それだけだ。

「はあ」
 シャルルが額に手を当てて首を横に振った。すこぶる呆れている。

「いいか。私が倒錯的嗜好の持ち主だったら、お前はこの時点でもう大変な目に遭っているぞ。自覚しろ」

「倒錯的嗜好って、なんですか?」
 一体何の話をされているのか分からなかった。アネットはきょとんと首を傾げる。

「それぐらい察しろ。馬鹿なのか」
 美しき不機嫌の権化と化した男がそう吐き捨てる。

「分からないことを自覚なんてできません!」

 答えると、今度はシャルルが押し黙った。何かを振り切るように金色の前髪をわしゃわしゃと掻き上げる。そのまま彼は天井を仰いで動かなくなった。

「私が『今からそこで服を脱いで四つん這いなれ』と言ったら、お前はそうするのか?」

 平坦になった紫の目がちらりとアネットを見遣る。まるで自分自身に失望しているような、そんな目だった。

「多分ですけど」

 言われたことの意味を考える。結局シャルルは仄めかしただけで、決定的なことは口にしなかった。
 さすがのアネットも、そこから何が起こるかは、分かるけれど。

「旦那様は、そういうことは仰らないと思います」
「何の根拠があってそう言える」

 根拠と言えるほどのことはない。ただ、
「なんとなく」
 思っただけだ。

 この人はおそらく、アネットが本気で嫌がるようなことはしないし、もっと言えばできないだろう。近くで過ごしていれば、それぐらいは分かる。分かってしまった。

「……お前はやっぱり、頭が悪いんだな」
「いい加減、諦めたらどうですか? わたしが馬鹿なのなんて、最初から分かっていたじゃないですか」

「それも、そうか」
 シャルルは大きく一つ溜息を吐いたかと思うと、アネットから少し距離を空けて寝台の上に座った。

 とりあえず悪魔を引き留めるのには成功した。
 ここから自分に何ができるかは、別として。

「で、なんだこれは」
「旦那様、ご存じないんですか?」

 どうやらこの悪魔にも知らないことがあったようである。いい気分だ。

「“膝枕”って言うんですよ」
 得意げにアネットが胸を張ると、シャルルは苦々しい声で返した。

「そういうことを聞いているんじゃない」
 膝の上に、ふわふわとした金色の頭がある。そうは言うが、彼は大人しくされるがままになっている。

「わたしが元気がない時に、母がこうしてくれたんです。だから」
 膝の上に乗せて抱き締めるには大きくなってからは、よく膝枕をしてくれた。こうして頭を撫でられていると無性に安心したものである。

「母親の話をするのは、つらくないのか?」
「え、別に。なんでですか?」

 どうしてシャルルはそんなことを聞くのだろう。

「楽しいこと、沢山ありましたよ」
 二人での暮らしは確かに楽ではなかった。それでも、悲しいことばかりではなかった。だから、それを話すのはつらくはない。

「いや。お前がいいなら、それでいい」 
 しばらくの間、シャルルは何も言わなかった。彼は窓の方を向いているから、どんな顔をしているかは分からない。

 頭を撫でたら怒られるだろうか。そう思った時だった。

「いくつか聞きたいことがある。答えないことは答えなくていい」
「はい、どうぞ」

 聞かれて困るようなことがあるようには思えなかった。もっとも、彼が満足するような回答ができるかは定かではないが。
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