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35.地獄の門
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「お会いできて光栄です、オリアンヌ様」
シャルルはそう言って膝を突き、頭を下げた。
目の前でゆったりと椅子に腰かけているのは、オリアンヌ=プランタン、その人だ。
「驚いたわ」
ぱたりと、扇を閉じてシャルルの顎に宛がう。
「悪魔というからにはどんな顔をしているのかと思っていたけれど。なかなかのものね。もっとよく見せて頂戴」
くいっと、顔を上げさせられて、青い空のような瞳と見つめ合った。言葉とは裏腹に、その目に浮かぶのは混じりけのない侮蔑。
「オリアンヌ様のお望みとあれば、この首の一つや二つ、喜んで差し出させて頂きます」
そんなことは、ここに来る前から容易に想像がついていた。
四大公爵家。この国で王家に次ぐ地位を持つ大貴族、プランタン家。
オリアンヌは、先々代の国王、セドリック三世の娘を母に持つ、大変に高貴な生まれだ。夫人方の間で隠然たる権力を持っている。それこそ、現国王夫妻を凌ぐほどに。
彼女からすればシャルルなど、その辺の有象無象でしかない。
「顔もよければ弁も立つ。余程うまくやったのでしょうね」
首に百合を象ったネックレスが掛かっている。プランタン家の紋章は多種多様な花を集めた花束を模したもので、各人には生まれた季節の花の意匠の品が与えられるという。おそらくオリアンヌのそれは百合で、初夏の生まれなのだろう。
「カヴェニャック殿」
本来であれば、自分がこうして相まみえるような相手ではない。
「どうぞシャルルとお呼びください」
「そう。では、シャルル」
わざわざ呼び出されたのだとしたら、それ相応の理由があると考える方が普通だ。
「卑しくも金勘定にその身を窶す成金風情を呼んだのには理由があるの」
「もしも、この悪魔の知恵が何かのお役に立てるとしましたら。これほどの誉れはございません」
だからここから先は、見切らなければならない。
「あなたは、なんだって手に入れてくださるのでしょう?」
「ええ。それ相応の報酬は、頂きますが」
自分が何を望まれていて、相手が何を求めているのかを。それが商売の基本だ。
「わたくしには娘がいたの」
オリアンヌが遠くを見遣る。まるで流れた年月を思い出すように。その目には一体、どんな景色が見えているのだろう。
あからさまな蔑みの色が引っ込めば、その顔は穏やかな美しさを宿している。かつて社交界で“白銀の妖精”の名を欲しいままにした容色は、未だ衰えてはいない。
「そうね、一千万。一千万クレール差し上げましょう」
静かに、しかしはっきりと、オリアンヌはそう言った。
「だから、死んだわたくしの娘、アンヌ=マリーを見つけて欲しいの」
どうしてだろう。再びこちらを見つめるその青に、ふと既視感を覚えた。彼女と会うのは、今日がはじめてだというのに。
「どうかしら。それとも、願うならこの魂を懸けなければいけない?」
試されていると肌に感じる。これは一体何の比喩だろうか。
死んだ人間を生き返らせるなんて、そんなことができるわけがない。けれど、オリアンヌはそれを確かに望んでいる。公表されている限りでは、プランタン家には二人の息子がいるだけで娘はいなかったはずだ。
さて、失敗すればどんな扱いを受けるか分かったものではないが、どうせ今ここで断ったって叩かれることは必至だ。それに、もし首尾よくいけば、四大公爵家の一角と良好な関係を築くことができる。後のことを考えれば、これは得難い足がかりになる。
正解はこちらだ。
一通りそこまで考えて、頭の中で自分で自分に嫌気が差した。あんなに嫌っていたのに、こういう損得計算に明るいところはあの父親そっくりだ。
そして、この中途半端なずる賢さだけが、今日まで我が身を守ってくれていることもまた、事実である。
「承知仕りました」
真っ直ぐにその目と見つめ合った。自覚している限り一番いい角度で、微笑んで見せる。
「このシャルル、あなた様に地獄の門を開けてご覧にいれましょう」
まずは、オリアンヌの信用を得るのが先決だ。己の顔に対して思い入れはないが、こういう時は少々役に立つ。こうして見つめれば、女がどういう顔をするのが、シャルルはよく知っている。
そして、そこに身分の高い低いは関係ない。
「気に入ったわ、シャルル」
結い上げられた見事な銀髪を揺らして、彼女は妖艶に応じた。
すっと、その手が伸ばされる。
シャルルは、まるで女王に傅くがごとく恭しくその手を取った。
「それでは、契約成立ということで」
作法通り手の甲に口づけを落とすと、美しき金髪の悪魔はまた凄絶な笑みを浮かべた。
シャルルはそう言って膝を突き、頭を下げた。
目の前でゆったりと椅子に腰かけているのは、オリアンヌ=プランタン、その人だ。
「驚いたわ」
ぱたりと、扇を閉じてシャルルの顎に宛がう。
「悪魔というからにはどんな顔をしているのかと思っていたけれど。なかなかのものね。もっとよく見せて頂戴」
くいっと、顔を上げさせられて、青い空のような瞳と見つめ合った。言葉とは裏腹に、その目に浮かぶのは混じりけのない侮蔑。
「オリアンヌ様のお望みとあれば、この首の一つや二つ、喜んで差し出させて頂きます」
そんなことは、ここに来る前から容易に想像がついていた。
四大公爵家。この国で王家に次ぐ地位を持つ大貴族、プランタン家。
オリアンヌは、先々代の国王、セドリック三世の娘を母に持つ、大変に高貴な生まれだ。夫人方の間で隠然たる権力を持っている。それこそ、現国王夫妻を凌ぐほどに。
彼女からすればシャルルなど、その辺の有象無象でしかない。
「顔もよければ弁も立つ。余程うまくやったのでしょうね」
首に百合を象ったネックレスが掛かっている。プランタン家の紋章は多種多様な花を集めた花束を模したもので、各人には生まれた季節の花の意匠の品が与えられるという。おそらくオリアンヌのそれは百合で、初夏の生まれなのだろう。
「カヴェニャック殿」
本来であれば、自分がこうして相まみえるような相手ではない。
「どうぞシャルルとお呼びください」
「そう。では、シャルル」
わざわざ呼び出されたのだとしたら、それ相応の理由があると考える方が普通だ。
「卑しくも金勘定にその身を窶す成金風情を呼んだのには理由があるの」
「もしも、この悪魔の知恵が何かのお役に立てるとしましたら。これほどの誉れはございません」
だからここから先は、見切らなければならない。
「あなたは、なんだって手に入れてくださるのでしょう?」
「ええ。それ相応の報酬は、頂きますが」
自分が何を望まれていて、相手が何を求めているのかを。それが商売の基本だ。
「わたくしには娘がいたの」
オリアンヌが遠くを見遣る。まるで流れた年月を思い出すように。その目には一体、どんな景色が見えているのだろう。
あからさまな蔑みの色が引っ込めば、その顔は穏やかな美しさを宿している。かつて社交界で“白銀の妖精”の名を欲しいままにした容色は、未だ衰えてはいない。
「そうね、一千万。一千万クレール差し上げましょう」
静かに、しかしはっきりと、オリアンヌはそう言った。
「だから、死んだわたくしの娘、アンヌ=マリーを見つけて欲しいの」
どうしてだろう。再びこちらを見つめるその青に、ふと既視感を覚えた。彼女と会うのは、今日がはじめてだというのに。
「どうかしら。それとも、願うならこの魂を懸けなければいけない?」
試されていると肌に感じる。これは一体何の比喩だろうか。
死んだ人間を生き返らせるなんて、そんなことができるわけがない。けれど、オリアンヌはそれを確かに望んでいる。公表されている限りでは、プランタン家には二人の息子がいるだけで娘はいなかったはずだ。
さて、失敗すればどんな扱いを受けるか分かったものではないが、どうせ今ここで断ったって叩かれることは必至だ。それに、もし首尾よくいけば、四大公爵家の一角と良好な関係を築くことができる。後のことを考えれば、これは得難い足がかりになる。
正解はこちらだ。
一通りそこまで考えて、頭の中で自分で自分に嫌気が差した。あんなに嫌っていたのに、こういう損得計算に明るいところはあの父親そっくりだ。
そして、この中途半端なずる賢さだけが、今日まで我が身を守ってくれていることもまた、事実である。
「承知仕りました」
真っ直ぐにその目と見つめ合った。自覚している限り一番いい角度で、微笑んで見せる。
「このシャルル、あなた様に地獄の門を開けてご覧にいれましょう」
まずは、オリアンヌの信用を得るのが先決だ。己の顔に対して思い入れはないが、こういう時は少々役に立つ。こうして見つめれば、女がどういう顔をするのが、シャルルはよく知っている。
そして、そこに身分の高い低いは関係ない。
「気に入ったわ、シャルル」
結い上げられた見事な銀髪を揺らして、彼女は妖艶に応じた。
すっと、その手が伸ばされる。
シャルルは、まるで女王に傅くがごとく恭しくその手を取った。
「それでは、契約成立ということで」
作法通り手の甲に口づけを落とすと、美しき金髪の悪魔はまた凄絶な笑みを浮かべた。
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