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10.誘惑

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 なんだろう、この目。

 怖いとは、少し違う。けれど、なぜだか後ずさることしかできなくて、気が付いたらぺたりと背中が壁についた。ここからはもう、下がれない。

 どんっ。
 頭の横に大きな手が突かれる。整いきった顔が、目の前にあった。

「どうした?」
 鼻先が触れ合いそうなほど、近く。

 掠めるのは、柑橘系のような爽やかな香り。その奥に深みのある鋭さのようなものがあって、胸を鷲掴みにされたようになる。ジェルヴェーズのものとはまた違った匂いだ。

「初心なのを、閣下は好きなのかもしれないが」
 するりと、長い指が見慣れた赤毛を弄んでいく。なんて気障ったらしい仕草だろう。

 手慣れている。
 ただ痛烈なほどにそう感じた。シャルルは貴族で、何を差し置いてもこの顔だ。きっとあの授業の内容など全て知っているはずだ。

 こういうことを、いや、正しくはこれ以上のことを、一体どれだけの女にしてきたのだろう。

「これが最後だ。大人しく帰れ、いいな?」

 言う通りにした方がいいのは分かっている。今この男の機嫌を損なうのは得策ではない。
 それなのに。

「わたしにだって誘惑ぐらいできるわ!」

 湧き上がってきたのはそんな言葉だった。この悔しさに似たもどかしさはなんなのだろう。

「お前は本当に負けん気だけで生きているな、野良猫」
 案の定、鼻で笑われた。馬鹿にされている。それぐらいは分かる。

「なら、私にやってみせてくれないか」
 一歩シャルルが下がる。両手を広げて、どうとでもすればいいとばかりに示す。

 誘惑。
 言ってしまったはいいが、どうすればいいのか見当もつかなかった。こんな時、あの妖艶な美女ならどうするのだろう。

 もうこうなったら、気合だ。
 ふりふりの夜着のリボンを解く。すると、真っ白なそれはすとんと床に吸い込まれるように落ちた。

 現れたのは、ささやかな膨らみ。ジェルヴェーズの豊満な肢体とは比べるまでもない。
 なんてはしたないことをしているのだろうと思う。けれど、これぐらいしか誘惑する方法が思いつかなかった。

 シャルルが一歩で空けた距離を、アネットは三歩で埋める。

 この人は本当に背が高いんだわ。

 すべらかな頬に両手を伸ばして、足りない分を少し背伸びをする。そこまでしたところで、不機嫌そうな声が呟いた。

「馬鹿が」
 眇められた紫の目に睥睨される。

「へっ」
 望んだ反応では何一つなかった。いや、この男が頬を赤らめて興奮するとは思っていなかったのだが。それでもここまで顔色が変わらないとは。

「それは脱がせるための服だ。自分から値を下げるやつがあるか」
 シャルルは白い夜着を拾ったかと思うと、アネットの肩に掛ける。

「脱が、せる?」
 アネットが首を傾げると、彼は朗々とした声で続けた。

「例えば、お前が贈り物をもらったとしよう。それには美しい包装がされている」
 言われるがままに想像してみる。なんだか昼間の家庭教師の授業みたいだ。

「その包装を開けるのは、もらった者の特権だ。それを勝手に開けられたら、どんな気分だ」

 それは、よくない。
 包みを開ける時のあのわくわく感を、横から誰かに奪われるのだと思うと確かに興ざめだ。

 つまりは、そういうことなのか。
 こんな服、着ている意味がなさそうだとずっと思っていたけれど、やっと納得できた。

「小娘にもご理解頂けたようで光栄だよ」

 自分は何一つ分かっていないのだなと落胆したところで、伸ばしたままだった手の手首をきゅっと握られた。てっきり今度こそ本当に追い返されると思っていたのに。

「いいか、誘惑というのはこうやる」
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