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6.野良猫
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「お前は本当に頭が悪いらしいな、野良猫」
この言葉を、今日までに何回聞いただろう。
「他に仰ることはないのかしら? 毎回同じ嫌味だなんて、退屈してしまいますわ」
「ほう、口の利き方だけは一人前だな」
ささやかな抵抗も、この男の前ではただ一蹴されるばかりである。
実際、自分でも頭が悪いのかと思い始めている。目の前に置かれているのは、美しく盛り付けられたメインの肉料理。なお、添えられている人参は昨日アネットが切ったものだ。
お腹は空いている。カトラリーは外側のものから使うというのは教わった。
シャルルが使うのを見てから、と思っていたのに彼は膝に手を置いたまま悠然と微笑むばかりである。
悪魔が出した条件はこうだ。
偶数の日は、好きに過ごしていいという。
だからアネットは、その間を下働きとして働くことにした。
朝日が昇る前に起きて井戸の水汲みをして、食事の準備を手伝う。他にも洗濯やらなにやらをして、一日が終わる。
これはなんの支障もなかった。
「アネットは覚えが早いね」
家が食堂だったこともあって、アネットは手際のよさを褒められた。こんな悪魔の屋敷で働いているのに、皆いい人だった。仕事は丁寧で、課せられた役割を果たそうとしていると分かる。
「さあ、若い子はお腹が空くだろう? しっかりお食べ」
余った賄いは吸い寄せられるようにアネットの皿に集まり、お腹いっぱい食べることができた。奴隷になってからの日々が嘘のようだ。ずっとこのままでもいいと思えるぐらい、居心地がよかった。
問題は奇数の日だ。
朝起きると、アネットは豪華な居室で侍女に髪を梳かれて着替えをされる。初日には目を瞠った。自分でも辟易するほどに散らかった赤毛を、彼女達は根気強く櫛けずっていく。そして、慣れた手つきでするすると結い上げていくのだ。
そうすると、シャルルが言うところの“野良猫”であるアネットもなんだかそれなり見えなくもないので不思議なものである。
そして、そこからが地獄だ。
にこやかな初老の男が恭しくアネットに頭を下げる。教本にそのまま載せられそうな美しい礼だ。
「おはようございます、お嬢様」
お嬢様。この呼び方もまったく慣れない。
「その、ロイクさん」
「お嬢様、使用人に“さん”を付けてはいけません」
そうだ、一昨日もシャルルに言われたばかりだ。あの男は自分よりもゆうに年上のロイクを当然のように呼び捨てにして、顎で使う。
こほん、と一つロイクは咳ばらいをして言う。
「本日、午前中は歴史の授業を受けて頂きます。午後はマナー講習となっております」
そうしてアネットは、一日中淑女教育とやらを受けるのである。
王家の家系図に、有力貴族の名前。各領地の特色などなど。令嬢は皆幼い頃からこんなことを覚えさせられるのだろうか。似たような名前ばかりでちっとも頭に入ってこない。宛がわれた家庭教師は覚えの悪さに辟易したのか、アネットが回答を間違える度に溜息を吐いた。
この言葉を、今日までに何回聞いただろう。
「他に仰ることはないのかしら? 毎回同じ嫌味だなんて、退屈してしまいますわ」
「ほう、口の利き方だけは一人前だな」
ささやかな抵抗も、この男の前ではただ一蹴されるばかりである。
実際、自分でも頭が悪いのかと思い始めている。目の前に置かれているのは、美しく盛り付けられたメインの肉料理。なお、添えられている人参は昨日アネットが切ったものだ。
お腹は空いている。カトラリーは外側のものから使うというのは教わった。
シャルルが使うのを見てから、と思っていたのに彼は膝に手を置いたまま悠然と微笑むばかりである。
悪魔が出した条件はこうだ。
偶数の日は、好きに過ごしていいという。
だからアネットは、その間を下働きとして働くことにした。
朝日が昇る前に起きて井戸の水汲みをして、食事の準備を手伝う。他にも洗濯やらなにやらをして、一日が終わる。
これはなんの支障もなかった。
「アネットは覚えが早いね」
家が食堂だったこともあって、アネットは手際のよさを褒められた。こんな悪魔の屋敷で働いているのに、皆いい人だった。仕事は丁寧で、課せられた役割を果たそうとしていると分かる。
「さあ、若い子はお腹が空くだろう? しっかりお食べ」
余った賄いは吸い寄せられるようにアネットの皿に集まり、お腹いっぱい食べることができた。奴隷になってからの日々が嘘のようだ。ずっとこのままでもいいと思えるぐらい、居心地がよかった。
問題は奇数の日だ。
朝起きると、アネットは豪華な居室で侍女に髪を梳かれて着替えをされる。初日には目を瞠った。自分でも辟易するほどに散らかった赤毛を、彼女達は根気強く櫛けずっていく。そして、慣れた手つきでするすると結い上げていくのだ。
そうすると、シャルルが言うところの“野良猫”であるアネットもなんだかそれなり見えなくもないので不思議なものである。
そして、そこからが地獄だ。
にこやかな初老の男が恭しくアネットに頭を下げる。教本にそのまま載せられそうな美しい礼だ。
「おはようございます、お嬢様」
お嬢様。この呼び方もまったく慣れない。
「その、ロイクさん」
「お嬢様、使用人に“さん”を付けてはいけません」
そうだ、一昨日もシャルルに言われたばかりだ。あの男は自分よりもゆうに年上のロイクを当然のように呼び捨てにして、顎で使う。
こほん、と一つロイクは咳ばらいをして言う。
「本日、午前中は歴史の授業を受けて頂きます。午後はマナー講習となっております」
そうしてアネットは、一日中淑女教育とやらを受けるのである。
王家の家系図に、有力貴族の名前。各領地の特色などなど。令嬢は皆幼い頃からこんなことを覚えさせられるのだろうか。似たような名前ばかりでちっとも頭に入ってこない。宛がわれた家庭教師は覚えの悪さに辟易したのか、アネットが回答を間違える度に溜息を吐いた。
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