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4.賭け
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上質なジャケットの内ポケットから、シャルルは銀色に輝くものを取り出した。鈴蘭の花がかたどられていて、花のところには眩い石が飾られている。母の持ち物の中ではいっそ不自然なほど美しかったけれど、さすがに本物の宝石ではないのだろう。
「返してっ」
身を乗り出すと、すっとそれは遠ざけられてしまう。手を伸ばしても届かない。
これから、どうすればいいのだろう。彼は、大金をはたいている。それを取り立てるまでは彼から逃れられないだろう。何せ相手は悪魔だ。
そこで思いついた。
契約は絶対だ。
そこに持ち込むことができたなら、自分でもなんとかなるかもしれない。
背筋を真っ直ぐ伸ばして、シャルルと対峙する。
大して容姿に自信があるわけではない。食堂の常連客のみんなはアネットのことを「可愛い」とよく言ってくれた。しかしながら、馴染みの贔屓目を抜けば、自分などこの男の足元にも及ばない。
正攻法で太刀打ちできるわけがない。悪魔相手に泣き落としも通じないだろう。それなら、
「わたしと賭けをしてみない?」
形のいい金色の眉がぴくりと動いた。反応は悪くない。
「一体どんな?」
「わたしはわたしを買い取りたい。自分の値段、五百万クレールをあなたに払う。だから、その契約書を売って欲しいの」
「ほう。どうやって? 奴隷にまで落とされた者が金を持っているとは思えないが」
さすがに痛いところを突かれた。言われた通りだ。アネットは現在、正真正銘の一文無しである。
「時間の無駄だったな」
すっと、紫の目がそっぽを向いた。さっきまでそこにあった彼の興味は消え失せて、このままどこかにでもいてしまいそうな気配である。
これでは、だめだ。
どうせ今がどん底で、失うものなど何もないのだ。
「わたしに負けるのが怖いの?」
ここから先ははったりだ。今度こそ本当に殺されてしまうかと思ったら恐ろしくて震えがきそうなほどだった。
けれど、それを悟らせないように、笑ってみせる。昔舞台女優に憧れた頃は、よくこうやって鏡に微笑みかけたものである。
「誰に向かってものを言っている」
むすっとした顔でシャルルは応える。紫の目が細められて、射抜くがごとく鋭さを増す。
どのぐらいの間そうしていただろう。身じろぎ一つしない彼は本当に彫像のようで、直視をするには美しすぎるほど。
やがて、シャルルはどかりと、元座っていたように椅子に腰を下ろした。
「はははっ」
声を上げて、彼は笑った。見ていてすぐ分かった。これは嘲笑だ。
「……いいだろう。その勝負、乗ってやる」
「旦那様!」
黒いお仕着せを着た男が、慌てて口を挟む。今まで植木のように静かに佇んでいたのに。
「いいじゃないか、ロイク。こんな面白いことはそうそうないぞ」
見上げるその目は、心の底からそう思っているようだ。
「どのみち、こんな跳ねっ返りの野良猫では閣下はお気に召さないだろう。あの方は高貴なご身分の清楚な乙女が泣き叫ぶのを見るのがお好みらしいからな」
まさしく変態の所業だ。そんな男のところに売られるだなんて絶対に嫌だ。
「このネックレスはお前にとって大切なものか?」
シャルルは、ネックレスを大きな窓から差し込む光に翳すように持って訊ねてきた。
「返してっ」
身を乗り出すと、すっとそれは遠ざけられてしまう。手を伸ばしても届かない。
これから、どうすればいいのだろう。彼は、大金をはたいている。それを取り立てるまでは彼から逃れられないだろう。何せ相手は悪魔だ。
そこで思いついた。
契約は絶対だ。
そこに持ち込むことができたなら、自分でもなんとかなるかもしれない。
背筋を真っ直ぐ伸ばして、シャルルと対峙する。
大して容姿に自信があるわけではない。食堂の常連客のみんなはアネットのことを「可愛い」とよく言ってくれた。しかしながら、馴染みの贔屓目を抜けば、自分などこの男の足元にも及ばない。
正攻法で太刀打ちできるわけがない。悪魔相手に泣き落としも通じないだろう。それなら、
「わたしと賭けをしてみない?」
形のいい金色の眉がぴくりと動いた。反応は悪くない。
「一体どんな?」
「わたしはわたしを買い取りたい。自分の値段、五百万クレールをあなたに払う。だから、その契約書を売って欲しいの」
「ほう。どうやって? 奴隷にまで落とされた者が金を持っているとは思えないが」
さすがに痛いところを突かれた。言われた通りだ。アネットは現在、正真正銘の一文無しである。
「時間の無駄だったな」
すっと、紫の目がそっぽを向いた。さっきまでそこにあった彼の興味は消え失せて、このままどこかにでもいてしまいそうな気配である。
これでは、だめだ。
どうせ今がどん底で、失うものなど何もないのだ。
「わたしに負けるのが怖いの?」
ここから先ははったりだ。今度こそ本当に殺されてしまうかと思ったら恐ろしくて震えがきそうなほどだった。
けれど、それを悟らせないように、笑ってみせる。昔舞台女優に憧れた頃は、よくこうやって鏡に微笑みかけたものである。
「誰に向かってものを言っている」
むすっとした顔でシャルルは応える。紫の目が細められて、射抜くがごとく鋭さを増す。
どのぐらいの間そうしていただろう。身じろぎ一つしない彼は本当に彫像のようで、直視をするには美しすぎるほど。
やがて、シャルルはどかりと、元座っていたように椅子に腰を下ろした。
「はははっ」
声を上げて、彼は笑った。見ていてすぐ分かった。これは嘲笑だ。
「……いいだろう。その勝負、乗ってやる」
「旦那様!」
黒いお仕着せを着た男が、慌てて口を挟む。今まで植木のように静かに佇んでいたのに。
「いいじゃないか、ロイク。こんな面白いことはそうそうないぞ」
見上げるその目は、心の底からそう思っているようだ。
「どのみち、こんな跳ねっ返りの野良猫では閣下はお気に召さないだろう。あの方は高貴なご身分の清楚な乙女が泣き叫ぶのを見るのがお好みらしいからな」
まさしく変態の所業だ。そんな男のところに売られるだなんて絶対に嫌だ。
「このネックレスはお前にとって大切なものか?」
シャルルは、ネックレスを大きな窓から差し込む光に翳すように持って訊ねてきた。
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