引きこもり令嬢が完全無欠の氷の王太子に愛されるただひとつの花となるまでの、その顛末

藤原ライラ

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本編

11.境目

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 雑草と花の境目はどこにあるのだろう。

 走って走って、たどり着いたのは温室の前だった。両膝を抱える様にして座り込んで、リリアーナは泣いていた。もうどうなったっていい。そう思った。

 本当は、この温室の中の花のようになりたかった。
 誰かに必要とされる、名前のある花。そんな資格は自分にはなかっただけだ。

「探した」
 膝小僧に額を乗せて俯いていたら、声が降ってきた。それは夜の闇をそっとかき分けるように沁み込んでくる。

「君は案外、足が速いな」
 シルヴィオがしゃがむ気配がした。微かに乱れた呼吸の音がする。辺りを探し回ってくれていたのだろう。

「こんなところに居たら風邪をひく」
 次いで、むき出しの肩にふわりと上着がかけられる。

「私が悪かった。君の気持ちを、何も考えていなかった」

 必死で首を横に振った。彼は何も悪くはない。

「リリアーナ」

 躊躇いがちな手が、頭に触れる。労わるように宥めるように、何度も何度もその手はリリアーナの髪を撫でた。無理に問い質すこともできるのに、シルヴィオはそれをしなかった。

「四年、ぐらい前のことです」
 嗚咽混じりに、リリアーナは話し始める。

 ああ、そうだ。
 ちょうどあの花のような、薄桃色のドレスだった。

 リリアーナはそのドレスを着るのをとても楽しみにしていた。デビュタントのドレスは白と決められているが、それ以降はどんなものを着てもいい。背中で結ばれた大きなリボンが印象的で好きだった。

「夜会で同じ色のドレスを着ていた令嬢がいて、彼女はとても美人でした」

 確か男爵か子爵家の令嬢だったと思う。爵位としてはリリアーナの方が上だが裕福な家で、本人の華やかな顔立ちも相まって彼女はいつも注目の的だった。夜会で見る度に凝った意匠のドレスを着ていた。

 令嬢とその取り巻きたちに、リリアーナは取り囲まれた。

「『あなたみたいな地味な子が生意気よ』って言われたんです」

 そうして、グラスに入ったワインをかけられた。みるみるうちにその染みがドレスに広がっていった。それはそのまま、彼女の悪意のように。

 リリアーナは何も、言い返せなかった。
 容姿に自信があったわけではない。それでも好きな服を着るぐらいは許されると思っていた。

「帰ってきたら、背中のリボンに切り込みが入っていました」

 お気に入りのドレスは見るも無残な姿になった。あれはあの後一体どうしたのだろう。捨ててしまったのだろうか。どのみち、もう着ることなんて叶わないだろうけど。

「それからずっと、引きこもって過ごしました」

 世の中には色々な悪意があるのだと身を持って体験した。社交界ではこういうことがままあるとは知っていたのに、目に見える悪意にも、そうでないものにも、リリアーナは立ち向かえなかった。

 明るい色の服を着るのが怖かった。誰かにまた、生意気だと言われるのが怖かった。

「……本当は断る理由が欲しくて、殿下に趣味を聞いたんです。最初からこのことをちゃんと話せばよかったのに、あなたに知られたくなかったから。わたしは、弱くてつまらない、最低の人間です」

 こんな自分をシルヴィオに知られたくなかった。

 例えばロジータなら、彼女たちにも毅然と言い返せただろう。美しい薔薇の花。
 わたしもそんな風になれたらよかったのに。

 父も母も、無理はしなくていいと言った。両親は引きこもるリリアーナに何も強いなかった。それが彼らのやさしさで、自分は大切にされているのだと理解している。

 けれどそれなら、この気持ちはどこにいけばいいのだろう。

 何を望んでもなれなかった。花になりたくてもなれなかった、わたしの気持ちは。
 わたしはずっと灰色のままだ。

「あなたのドレスは、わたしには似合わない」

 彼は自分の温室を我儘で自己満足だと称した。それでもいい。我が儘でも自己満足でも彼に望まれたかった。

「わたしみたいな出来損ないは、あなたに相応しくない」

 望まれて応えられる自分になりたかった。
 お飾りの妻とはよく言ったものだけれど、リリアーナでは飾りにすらなれはしない。

「王太子妃なんて、とても務まりません」

 どうか、他の方を婚約者にお迎えください。
 言おうとした言葉は飲み込んだ嗚咽に紛れて上手く出てこなかった。

 しばらくの間彼は何も言わなかった。真っ暗闇の中で自分のすすり泣く声だけが聞こえた。

「……私は言葉が足りないんだな。よく言われる」
 自嘲のように、シルヴィオは呟いた。

 頭を撫でていた手が、顎に伸びてくる。

「君は『花にはなれない』と言ったな」

 顔を上げさせられてシルヴィオと向かい合った。左手に彼が持ったランタンが、ぶわりと闇を切り取る。いくらか草臥れた顔をしていたが、拭い去れない色気のようなものが滲んでいた。橙色の光が、色素の薄い横顔を照らす。

「それは、正しくない」
 腰に手を回されて立ち上がった。抱き寄せられると体が密着する。

「その花を知らないことと、そこに花が存在しないことは、全く違う」

 ついて来てくれとシルヴィオは言う。
 向かうのは、月の光の満ちる温室。
 もう入ることなんてないと思っていたのに、細身の割に力強い腕は離れることをリリアーナに許してはくれなかった。

「出来損ないなんかじゃない。君はまだ、君を知らないだけだ」
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