10 / 24
本編
10.絶対零度
しおりを挟む
「ねえ、本当にあのドレス、着て行かないの?」
「あんなの勿体なくて、とても着られないわ」
ミレーナと何回目かの押し問答の末、リリアーナは手持ちの紺色のドレスを着た。これとてそれなりに装飾もあるものだが、あの銀のドレスを見たあとでは明らかに見劣りがする。
「王太子殿下にどう説明するのよ」
「どうって……」
今度こそそのままを話すだけだ。
わたしはあなたに相応しくない。
あのドレスを着るに値しない。
一緒についてくると言うミレーナを断って、一人で王宮に行った。久しぶりに見る夜会の煌びやかさに眩暈がするほどだった。
それでも、これが最後だ。もう来ることなんてないだろう。ただの引きこもりに戻るだけだ。
皆が楽しそうに笑っている。こういうことがずっとできなかったなとまた大広間の隅でリリアーナは思った。
その輪の中心に、銀の輝きがある。今夜も彼は完璧で、一分の隙もない氷の王太子だ。
一瞬、青い瞳と見つめ合った。離れていても顔が険しくなったのがわかった。
人波をかき分けて、シルヴィオがこちらに向き直る。
まるで海が割れるように彼の前に道ができて、喧騒に満ちていた大広間が、水を打ったように静かになる。
彼が足を進める度に、この場の温度が一度ずつ下がるような心地がした。みしみしと氷が張っていく音までもが聞こえる気がする。
端整な相貌が、リリアーナの前に立つ。彼は決して大柄な体格というわけではない。それでも、射抜くような視線に身が竦んでしまいそうになる。
誰も彼もが、リリアーナを見ている。いや、正しくはシルヴィオを見ているだけなのだが、この状況なら同じことだ。
「あの方は一体」
「あまり見ない顔ね。けれど随分と……」
「ほらあなた知らないの。引きこもり令嬢って呼ばれている」
再び観衆がざわめき出した。興味本位と嘲りの目が、いくつもいくつも自分を見ている。
同じだ。あの時と。
そう思ったら、膝ががくがくと震え出した。
「リリアーナ」
地の底から湧き上がるような、低い声だった。氷の下に炎が燃えている。すぐに背が壁についた。もうこれ以上は後ろに下がれない。
「どうして」
静謐で堅牢な怒気が、足首を撫でたかと思うと首筋まで這い上がってくる。
「どうして、あのドレスを着なかった」
けれど丁寧な口調はあくまで常のままで、それが余計に恐ろしかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
怒りの根にあるのが悲しみなら、リリアーナは彼を傷つけてしまった。
「私の質問に答えてくれ、リリアーナ」
あんなに触れたかった手が、伸びてくる。だめだ、このままだと動けなくなる。
「殿下には、お分かりになれないでしょう」
口にしたら情けなくて悲しくて、涙が零れた。それは紺色のドレスに吸い込まれるようにしみ込んですぐに見えなくなった。
輝ける者にはきっとわからない。リリアーナの気持ちなんて。
「わたしは、花にはなれないっ」
自分の声だとは思えないような大きな声が出た。
青い瞳が弾かれたように見開かれる。その隙にシルヴィオの手を振り払ってドレスの裾を掴み、大広間から逃げ出した。
夜会の為に選んだ靴は踵の高いもので、とても走りやすいとは言えなかった。
追いかけてくる足音は聞こえない。
それでも、塗りこめたような闇の中を必死でリリアーナは走ったのだった。
「あんなの勿体なくて、とても着られないわ」
ミレーナと何回目かの押し問答の末、リリアーナは手持ちの紺色のドレスを着た。これとてそれなりに装飾もあるものだが、あの銀のドレスを見たあとでは明らかに見劣りがする。
「王太子殿下にどう説明するのよ」
「どうって……」
今度こそそのままを話すだけだ。
わたしはあなたに相応しくない。
あのドレスを着るに値しない。
一緒についてくると言うミレーナを断って、一人で王宮に行った。久しぶりに見る夜会の煌びやかさに眩暈がするほどだった。
それでも、これが最後だ。もう来ることなんてないだろう。ただの引きこもりに戻るだけだ。
皆が楽しそうに笑っている。こういうことがずっとできなかったなとまた大広間の隅でリリアーナは思った。
その輪の中心に、銀の輝きがある。今夜も彼は完璧で、一分の隙もない氷の王太子だ。
一瞬、青い瞳と見つめ合った。離れていても顔が険しくなったのがわかった。
人波をかき分けて、シルヴィオがこちらに向き直る。
まるで海が割れるように彼の前に道ができて、喧騒に満ちていた大広間が、水を打ったように静かになる。
彼が足を進める度に、この場の温度が一度ずつ下がるような心地がした。みしみしと氷が張っていく音までもが聞こえる気がする。
端整な相貌が、リリアーナの前に立つ。彼は決して大柄な体格というわけではない。それでも、射抜くような視線に身が竦んでしまいそうになる。
誰も彼もが、リリアーナを見ている。いや、正しくはシルヴィオを見ているだけなのだが、この状況なら同じことだ。
「あの方は一体」
「あまり見ない顔ね。けれど随分と……」
「ほらあなた知らないの。引きこもり令嬢って呼ばれている」
再び観衆がざわめき出した。興味本位と嘲りの目が、いくつもいくつも自分を見ている。
同じだ。あの時と。
そう思ったら、膝ががくがくと震え出した。
「リリアーナ」
地の底から湧き上がるような、低い声だった。氷の下に炎が燃えている。すぐに背が壁についた。もうこれ以上は後ろに下がれない。
「どうして」
静謐で堅牢な怒気が、足首を撫でたかと思うと首筋まで這い上がってくる。
「どうして、あのドレスを着なかった」
けれど丁寧な口調はあくまで常のままで、それが余計に恐ろしかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
怒りの根にあるのが悲しみなら、リリアーナは彼を傷つけてしまった。
「私の質問に答えてくれ、リリアーナ」
あんなに触れたかった手が、伸びてくる。だめだ、このままだと動けなくなる。
「殿下には、お分かりになれないでしょう」
口にしたら情けなくて悲しくて、涙が零れた。それは紺色のドレスに吸い込まれるようにしみ込んですぐに見えなくなった。
輝ける者にはきっとわからない。リリアーナの気持ちなんて。
「わたしは、花にはなれないっ」
自分の声だとは思えないような大きな声が出た。
青い瞳が弾かれたように見開かれる。その隙にシルヴィオの手を振り払ってドレスの裾を掴み、大広間から逃げ出した。
夜会の為に選んだ靴は踵の高いもので、とても走りやすいとは言えなかった。
追いかけてくる足音は聞こえない。
それでも、塗りこめたような闇の中を必死でリリアーナは走ったのだった。
3
お気に入りに追加
377
あなたにおすすめの小説
責任を取らなくていいので溺愛しないでください
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。
だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。
※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。
※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る
新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます!
※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!!
契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。
※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。
※R要素の話には「※」マークを付けています。
※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。
※他サイト様でも公開しています
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

【完結】妻至上主義
Ringo
恋愛
歴史ある公爵家嫡男と侯爵家長女の婚約が結ばれたのは、長女が生まれたその日だった。
この物語はそんな2人が結婚するまでのお話であり、そこに行き着くまでのすったもんだのラブストーリーです。
本編11話+番外編数話
[作者よりご挨拶]
未完作品のプロットが諸事情で消滅するという事態に陥っております。
現在、自身で読み返して記憶を辿りながら再度新しくプロットを組み立て中。
お気に入り登録やしおりを挟んでくださっている方には申し訳ありませんが、必ず完結させますのでもう暫くお待ち頂ければと思います。
(╥﹏╥)
お詫びとして、短編をお楽しみいただければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる