9 / 24
本編
9.着れないドレス
しおりを挟む
ダンスの練習のあとはよく温室で話をするようになった。彼曰く「ここにいる時が一番落ち着く」からだという。
確かに温室なだけあってあたたかくて過ごしやすい。そして、シルヴィオが自ら茶を淹れてくれる。
「侍女の方はお呼びにならないのですか」
リリアーナがやろうとしたこともあるのだが、やんわりと止められた。王太子が淹れる茶なんてどんな顔をして飲めばいいのかわからないのだけれど、本人の希望であれば仕方がない。
「本当は全て一人で管理をしたいんだが、さすがに最近は手が回らなくてな。専門のものを一人二人だけ雇っている」
そう言って、丁寧な手つきで茶葉を計る。元から彼は几帳面な人なのだろう。淹れてもらったお茶は最初に侍女が淹れたそれより美味しかった。これは、使用人泣かせだなとリリアーナは思う。
「それ以外は誰も、この温室には侍女も侍従も、入れたことはない」
けれど途端に茶の味もわからなくなった。
「君がはじめてだ」
音を立てたのが自分のカップだと理解するまでに時間がかかった。
なんてことだろう。だから最初に訊ねたあの時、あんな風に目を逸らしたのだ。
「あの、わたしは……」
それなのにリリアーナは押し入ってしまった。婚姻を断るためだという最低な理由で。
ここはきっと、彼の聖域だったのに。
「……―ナ」
大変なことをしてしまったという思いだけがあるのに、どうすればいいのか分からない。頭の中でぐるぐると思考だけが回るがまとまらない。
「リリアーナ」
先ほどまで向かいに座っていたはずのシルヴィオが、目の前に立っていた。
「は、はい」
目線を合わせるように彼は屈んだ。
「ひとつ聞いておきたいことがある」
ああ、またこの目だ。
全てを見透かすような、青い瞳。
「君は、そういう色が好きなのか?」
頭の先から爪先まで、シルヴィオの目がリリアーナを滑っていく。今日着ているのも地味な茶色のドレスだった。
「好きならいいんだ」
よほど似合わないとでも言いたいのだろうか。この目から逃れる方法が自分にはまだ分からない。
「……申し訳、ございません」
特段気に入っているわけではない。けれど、それこそロジータが着ていたような鮮やかな真紅のドレスが自分に似合うとも思えなかった。
「どんなものを着ていいのか、よく分からなくて」
何を着てもリリアーナはリリアーナでしかない。地味でぱっとしない自分のままだ。鏡を見る度にそれを自覚するのがたまらなく嫌だった。
「そうか」
リリアーナの返事にシルヴィオは考え込むような素振りを見せる。それをリリアーナはほとんどうわの空で眺めているだけだった。
一体どんな顔をして会えばいいのだろう。
シルヴィオは包み隠さず自分を見せてくれた。それなのに、リリアーナにはそれができない。自分がどんな人間かを彼に知られたくなかった。弱くて狡い自分自身。知られて、失望されるのが嫌だった。
幸いにしてと言うべきか、彼の公務が忙しくなり夜会までに顔を合わせる機会はなかった。リリアーナは自室に籠っていつもよりも鬱々と、謝罪の言葉を考えて過ごした。
それが届いたのは、夜会の二日前だった。
「お姉様!! リリィお姉様」
妹のノックの音がする。ミレーナは元から明るい質だが、いつにも増して弾むような声だった。
リリアーナがしぶしぶ扉を開けて階段を下りてきたところで、ミレーナはまるで自分の手柄のように微笑んだ。
「麗しの王太子殿下からよ」
それは、今までリリアーナが見た中で一番と呼べるほどのドレスだった。
「きれい」
ふわりと広がる、幾重にも重なるチュール。光が当たると、それは虹の欠片でも散りばめたかのようにきらきらと輝いた。まるで妖精の羽根のよう。
そして、その根底にあるのは何よりも美しい銀。
一目見ただけで分かった。
これは、シルヴィオの色だ。
「次の夜会に着てほしいって手紙が入ってたわ。お姉様、やったじゃない」
示された手紙には、確かに彼らしい細やかな筆致でそう書かれていた。会えるのを楽しみにしている、とも。思えば王宮の侍女たちに採寸されたことがあった。その時は何のためにそうするのだろうと思ったが、この為だったのか。
あの時、シルヴィオは採寸が終わるまでずっと、部屋の外でリリアーナを待っていた。
そっとドレスに触れてみる。胸元から袖にかけては繊細な花の刺繍が施されている。いつから彼は準備をしていたのだろう。どんな思いで彼はこのドレスを選んだのだろう。
こんなもの、着られるわけがない。
「お姉様……?」
どうしたって釣り合わない。こんな美しいもの、リリアーナには相応しくない。
最初から、全部、間違えていたのに。
何よりも美しいドレスを前にリリアーナは途方に暮れた。
彼は一見何を考えているのか分かりにくい人だが、決して“氷”ではない。もっとやわらかで、ちゃんとあたたかい人だ。
それを知ってしまったらもう、知らなかったところには戻れないのだ。
確かに温室なだけあってあたたかくて過ごしやすい。そして、シルヴィオが自ら茶を淹れてくれる。
「侍女の方はお呼びにならないのですか」
リリアーナがやろうとしたこともあるのだが、やんわりと止められた。王太子が淹れる茶なんてどんな顔をして飲めばいいのかわからないのだけれど、本人の希望であれば仕方がない。
「本当は全て一人で管理をしたいんだが、さすがに最近は手が回らなくてな。専門のものを一人二人だけ雇っている」
そう言って、丁寧な手つきで茶葉を計る。元から彼は几帳面な人なのだろう。淹れてもらったお茶は最初に侍女が淹れたそれより美味しかった。これは、使用人泣かせだなとリリアーナは思う。
「それ以外は誰も、この温室には侍女も侍従も、入れたことはない」
けれど途端に茶の味もわからなくなった。
「君がはじめてだ」
音を立てたのが自分のカップだと理解するまでに時間がかかった。
なんてことだろう。だから最初に訊ねたあの時、あんな風に目を逸らしたのだ。
「あの、わたしは……」
それなのにリリアーナは押し入ってしまった。婚姻を断るためだという最低な理由で。
ここはきっと、彼の聖域だったのに。
「……―ナ」
大変なことをしてしまったという思いだけがあるのに、どうすればいいのか分からない。頭の中でぐるぐると思考だけが回るがまとまらない。
「リリアーナ」
先ほどまで向かいに座っていたはずのシルヴィオが、目の前に立っていた。
「は、はい」
目線を合わせるように彼は屈んだ。
「ひとつ聞いておきたいことがある」
ああ、またこの目だ。
全てを見透かすような、青い瞳。
「君は、そういう色が好きなのか?」
頭の先から爪先まで、シルヴィオの目がリリアーナを滑っていく。今日着ているのも地味な茶色のドレスだった。
「好きならいいんだ」
よほど似合わないとでも言いたいのだろうか。この目から逃れる方法が自分にはまだ分からない。
「……申し訳、ございません」
特段気に入っているわけではない。けれど、それこそロジータが着ていたような鮮やかな真紅のドレスが自分に似合うとも思えなかった。
「どんなものを着ていいのか、よく分からなくて」
何を着てもリリアーナはリリアーナでしかない。地味でぱっとしない自分のままだ。鏡を見る度にそれを自覚するのがたまらなく嫌だった。
「そうか」
リリアーナの返事にシルヴィオは考え込むような素振りを見せる。それをリリアーナはほとんどうわの空で眺めているだけだった。
一体どんな顔をして会えばいいのだろう。
シルヴィオは包み隠さず自分を見せてくれた。それなのに、リリアーナにはそれができない。自分がどんな人間かを彼に知られたくなかった。弱くて狡い自分自身。知られて、失望されるのが嫌だった。
幸いにしてと言うべきか、彼の公務が忙しくなり夜会までに顔を合わせる機会はなかった。リリアーナは自室に籠っていつもよりも鬱々と、謝罪の言葉を考えて過ごした。
それが届いたのは、夜会の二日前だった。
「お姉様!! リリィお姉様」
妹のノックの音がする。ミレーナは元から明るい質だが、いつにも増して弾むような声だった。
リリアーナがしぶしぶ扉を開けて階段を下りてきたところで、ミレーナはまるで自分の手柄のように微笑んだ。
「麗しの王太子殿下からよ」
それは、今までリリアーナが見た中で一番と呼べるほどのドレスだった。
「きれい」
ふわりと広がる、幾重にも重なるチュール。光が当たると、それは虹の欠片でも散りばめたかのようにきらきらと輝いた。まるで妖精の羽根のよう。
そして、その根底にあるのは何よりも美しい銀。
一目見ただけで分かった。
これは、シルヴィオの色だ。
「次の夜会に着てほしいって手紙が入ってたわ。お姉様、やったじゃない」
示された手紙には、確かに彼らしい細やかな筆致でそう書かれていた。会えるのを楽しみにしている、とも。思えば王宮の侍女たちに採寸されたことがあった。その時は何のためにそうするのだろうと思ったが、この為だったのか。
あの時、シルヴィオは採寸が終わるまでずっと、部屋の外でリリアーナを待っていた。
そっとドレスに触れてみる。胸元から袖にかけては繊細な花の刺繍が施されている。いつから彼は準備をしていたのだろう。どんな思いで彼はこのドレスを選んだのだろう。
こんなもの、着られるわけがない。
「お姉様……?」
どうしたって釣り合わない。こんな美しいもの、リリアーナには相応しくない。
最初から、全部、間違えていたのに。
何よりも美しいドレスを前にリリアーナは途方に暮れた。
彼は一見何を考えているのか分かりにくい人だが、決して“氷”ではない。もっとやわらかで、ちゃんとあたたかい人だ。
それを知ってしまったらもう、知らなかったところには戻れないのだ。
0
お気に入りに追加
371
あなたにおすすめの小説
金の騎士の蕩ける花嫁教育 - ティアの冒険は束縛求愛つき -
藤谷藍
恋愛
ソフィラティア・シアンは幼い頃亡命した元貴族の姫。祖国の戦火は収まらず、目立たないよう海を越えた王国の小さな村で元側近の二人と元気に暮らしている。水の精霊の加護持ちのティアは森での狩の日々に、すっかり板についた村娘の暮らし、が、ある日突然、騎士の案内人に、と頼まれた。最初の出会いが最悪で、失礼な奴だと思っていた男、レイを渋々魔の森に案内する事になったティア。彼はどうやら王国の騎士らしく、魔の森に万能薬草ルナドロップを取りに来たらしい。案内人が必要なレイを、ティアが案内する事になったのだけど、旅を続けるうちにレイの態度が変わってきて・・・・
ティアの恋と冒険の恋愛ファンタジーです。
貧乏令嬢の私、冷酷侯爵の虫除けに任命されました!
コプラ
恋愛
他サイトにて日間ランキング18位→15位⇧
★2500字〜でサクサク読めるのに、しっかり楽しめます♪
傲慢な男が契約恋愛の相手である、小気味良いヒロインに振り回されて、愛に悶えてからの溺愛がお好きな方に捧げるヒストリカル ロマンスです(〃ω〃)世界観も楽しめます♡
孤児院閉鎖を目論んだと思われる男の元に乗り込んだクレアは、冷たい眼差しのヴォクシー閣下に、己の現実を突きつけられてしまう。涙を堪えて逃げ出した貧乏伯爵家の令嬢であるクレアの元に、もう二度と会わないと思っていたヴォクシー閣下から招待状が届いて…。
「君が条件を飲むのなら、私の虫除けになりなさい。君も優良な夫候補が見つかるかもしれないだろう?」
そう言って、私を夜会のパートナーとしてあちこちに連れ回すけれど、何だかこの人色々面倒くさいわ。遠慮のない関係で一緒に行動するうちに、クレアはヴォクシー閣下の秘密を知る事になる。
それは二人の関係の変化の始まりだった。
【完結】妻至上主義
Ringo
恋愛
歴史ある公爵家嫡男と侯爵家長女の婚約が結ばれたのは、長女が生まれたその日だった。
この物語はそんな2人が結婚するまでのお話であり、そこに行き着くまでのすったもんだのラブストーリーです。
本編11話+番外編数話
[作者よりご挨拶]
未完作品のプロットが諸事情で消滅するという事態に陥っております。
現在、自身で読み返して記憶を辿りながら再度新しくプロットを組み立て中。
お気に入り登録やしおりを挟んでくださっている方には申し訳ありませんが、必ず完結させますのでもう暫くお待ち頂ければと思います。
(╥﹏╥)
お詫びとして、短編をお楽しみいただければ幸いです。
離縁希望の側室と王の寵愛
イセヤ レキ
恋愛
辺境伯の娘であるサマリナは、一度も会った事のない国王から求婚され、側室に召し上げられた。
国民は、正室のいない国王は側室を愛しているのだとシンデレラストーリーを噂するが、実際の扱われ方は酷いものである。
いつか離縁してくれるに違いない、と願いながらサマリナは暇な後宮生活を、唯一相手になってくれる守護騎士の幼なじみと過ごすのだが──?
※ストーリー構成上、ヒーロー以外との絡みあります。
シリアス/ ほのぼの /幼なじみ /ヒロインが男前/ 一途/ 騎士/ 王/ ハッピーエンド/ ヒーロー以外との絡み
日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。
そんな彼に見事に捕まる主人公。
そんなお話です。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
国王陛下は愛する幼馴染との距離をつめられない
迷い人
恋愛
20歳になっても未だ婚約者どころか恋人すらいない国王ダリオ。
「陛下は、同性しか愛せないのでは?」
そんな噂が世間に広がるが、王宮にいる全ての人間、貴族と呼ばれる人間達は真実を知っていた。
ダリオが、幼馴染で、学友で、秘書で、護衛どころか暗殺までしちゃう、自称お姉ちゃんな公爵令嬢ヨナのことが幼い頃から好きだと言うことを。
悪役令嬢は皇帝の溺愛を受けて宮入りする~夜も放さないなんて言わないで~
sweetheart
恋愛
公爵令嬢のリラ・スフィンクスは、婚約者である第一王子セトから婚約破棄を言い渡される。
ショックを受けたリラだったが、彼女はある夜会に出席した際、皇帝陛下である、に見初められてしまう。
そのまま後宮へと入ることになったリラは、皇帝の寵愛を受けるようになるが……。
「悪役令嬢は溺愛されて幸せになる」というテーマで描かれるラブロマンスです。
主人公は平民出身で、貴族社会に疎いヒロインが、皇帝陛下との恋愛を通じて成長していく姿を描きます。
また、悪役令嬢として成長した彼女が、婚約破棄された後にどのような運命を辿るのかも見どころのひとつです。
なお、後宮で繰り広げられる様々な事件や駆け引きが描かれていますので、シリアスな展開も楽しめます。
以上のようなストーリーになっていますので、興味のある方はぜひ一度ご覧ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる