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本編

9.着れないドレス

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 ダンスの練習のあとはよく温室で話をするようになった。彼曰く「ここにいる時が一番落ち着く」からだという。

 確かに温室なだけあってあたたかくて過ごしやすい。そして、シルヴィオが自ら茶を淹れてくれる。

「侍女の方はお呼びにならないのですか」
 リリアーナがやろうとしたこともあるのだが、やんわりと止められた。王太子が淹れる茶なんてどんな顔をして飲めばいいのかわからないのだけれど、本人の希望であれば仕方がない。

「本当は全て一人で管理をしたいんだが、さすがに最近は手が回らなくてな。専門のものを一人二人だけ雇っている」

 そう言って、丁寧な手つきで茶葉を計る。元から彼は几帳面な人なのだろう。淹れてもらったお茶は最初に侍女が淹れたそれより美味しかった。これは、使用人泣かせだなとリリアーナは思う。

「それ以外は誰も、この温室には侍女も侍従も、入れたことはない」 
 けれど途端に茶の味もわからなくなった。

「君がはじめてだ」

 音を立てたのが自分のカップだと理解するまでに時間がかかった。
 なんてことだろう。だから最初に訊ねたあの時、あんな風に目を逸らしたのだ。

「あの、わたしは……」
 それなのにリリアーナは押し入ってしまった。婚姻を断るためだという最低な理由で。
 ここはきっと、彼の聖域だったのに。

「……―ナ」
 大変なことをしてしまったという思いだけがあるのに、どうすればいいのか分からない。頭の中でぐるぐると思考だけが回るがまとまらない。

「リリアーナ」
 先ほどまで向かいに座っていたはずのシルヴィオが、目の前に立っていた。

「は、はい」
 目線を合わせるように彼は屈んだ。

「ひとつ聞いておきたいことがある」

 ああ、またこの目だ。
 全てを見透かすような、青い瞳。

「君は、そういう色が好きなのか?」
 頭の先から爪先まで、シルヴィオの目がリリアーナを滑っていく。今日着ているのも地味な茶色のドレスだった。

「好きならいいんだ」

 よほど似合わないとでも言いたいのだろうか。この目から逃れる方法が自分にはまだ分からない。

「……申し訳、ございません」
 特段気に入っているわけではない。けれど、それこそロジータが着ていたような鮮やかな真紅のドレスが自分に似合うとも思えなかった。

「どんなものを着ていいのか、よく分からなくて」
 何を着てもリリアーナはリリアーナでしかない。地味でぱっとしない自分のままだ。鏡を見る度にそれを自覚するのがたまらなく嫌だった。

「そうか」
 リリアーナの返事にシルヴィオは考え込むような素振りを見せる。それをリリアーナはほとんどうわの空で眺めているだけだった。





 一体どんな顔をして会えばいいのだろう。
 シルヴィオは包み隠さず自分を見せてくれた。それなのに、リリアーナにはそれができない。自分がどんな人間かを彼に知られたくなかった。弱くて狡い自分自身。知られて、失望されるのが嫌だった。

 幸いにしてと言うべきか、彼の公務が忙しくなり夜会までに顔を合わせる機会はなかった。リリアーナは自室に籠っていつもよりも鬱々と、謝罪の言葉を考えて過ごした。

 それが届いたのは、夜会の二日前だった。

「お姉様!! リリィお姉様」
 妹のノックの音がする。ミレーナは元から明るい質だが、いつにも増して弾むような声だった。

 リリアーナがしぶしぶ扉を開けて階段を下りてきたところで、ミレーナはまるで自分の手柄のように微笑んだ。

「麗しの王太子殿下からよ」

 それは、今までリリアーナが見た中で一番と呼べるほどのドレスだった。

「きれい」

 ふわりと広がる、幾重にも重なるチュール。光が当たると、それは虹の欠片でも散りばめたかのようにきらきらと輝いた。まるで妖精の羽根のよう。

 そして、その根底にあるのは何よりも美しい銀。

 一目見ただけで分かった。
 これは、シルヴィオの色だ。

「次の夜会に着てほしいって手紙が入ってたわ。お姉様、やったじゃない」
 示された手紙には、確かに彼らしい細やかな筆致でそう書かれていた。会えるのを楽しみにしている、とも。思えば王宮の侍女たちに採寸されたことがあった。その時は何のためにそうするのだろうと思ったが、この為だったのか。

 あの時、シルヴィオは採寸が終わるまでずっと、部屋の外でリリアーナを待っていた。

 そっとドレスに触れてみる。胸元から袖にかけては繊細な花の刺繍が施されている。いつから彼は準備をしていたのだろう。どんな思いで彼はこのドレスを選んだのだろう。

 こんなもの、着られるわけがない。

「お姉様……?」
 どうしたって釣り合わない。こんな美しいもの、リリアーナには相応しくない。

 最初から、全部、間違えていたのに。

 何よりも美しいドレスを前にリリアーナは途方に暮れた。

 彼は一見何を考えているのか分かりにくい人だが、決して“氷”ではない。もっとやわらかで、ちゃんとあたたかい人だ。
 それを知ってしまったらもう、知らなかったところには戻れないのだ。
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