溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

葉月とに

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十七

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 そこに立っていたのは、すらっとした長身で、黒地にブルーのストライプのスーツを着た癖の強い天然パーマの青年ーー頼くんだった。
 
「頼くん!?? 」
 
「優月!」
 
 頼くんは私を見つけるや否や、医薬品の入った水色のケースのベルトを肩にかけたまま私のところに飛んできた。
 先ほどまで看護師に向けていた営業スマイルとはどこか違う、柔らかい笑みを含ませて。
 
「会いたかった! こんなところで会えるなんて!」
 
 彼はカーテンを開けて私の髪に触れようと手を伸ばした。
 けれどその右手は、そばにいた龍平によって払い落とされ、パチンと乾いた音が空気を震わせた。
 龍平は頼くんが首に下げている社員証をちらり見ると、フンッと鼻を鳴らした。
 
「これはどうも、こんにちは。優月との間に可愛いお子さんがいらっしゃるそうで」
 
「……龍平さんですか……」 
 
 頼くんは彼の態度に臆することなく、淡々と質問に答えた。
 
「そうですね、いますよ。今年ニ歳になります」
 
「婚約者がいる優月に手を出すなんてどんな奴かと思ったけど、案外地味なのな。そんでやることやっちゃう訳だから、いやー、人って見た目によらないよな」
 
「男ですからね。好きな女性と自分しかいない環境に置かれれば、タガが外れるのも無理はないでしょう?」
 
「はぁ。乱れた生活をお好みで」
 
 龍平がからかって嘲笑ったが、頼くんは毅然とした態度で跳ね除ける。
 
「そういうつもりで移住してたんじゃありませんよ。僕らが一緒に暮らしてたのは、あくまでも桃源郷を求めてです。子どもはその先に出来たんです。人生設計において子どもがいればいいなとは思ってたから、それ相応の行動はしてましたけど、それってそこまでおかしなことですか?」
 
「いや、だからさ、婚約者を差し置いてすることかぁ? こっちは経営案件と跡継ぎ問題も絡んでんだよ。何で勝手に消えるワケ? 普通一言言ってから出るだろうがよ」
 
 龍平は片方の脚を小刻みに揺すっている。
 
「言ったところであなたが行かせてくれるとは思いませんけどね。それに優月もあのときあなたにそんなことを告げる勇気はなかった。あなたは婚約者というより畏怖の対象でしかなかったと思いますけど」
 
 二人の男性は私を挟むように向かい合った。空気が凍ったように張り詰める。
 龍平は眉間に皺を寄せ頼くんを睨みつけ、頼くんは冷めた目で龍平に視線を向けていた。
 広い病室には他にも入院患者はいるものの、聞こえてくるのは私たちの話し声だけだった。私はこの空気に耐えきれず、こわごわと重い口を開いた。
 
「あの、と、とりあえず談話室行かない? ここじゃ他の人のご迷惑になるから、龍平は声をもう少し落とした方が」
 
「はっ……おまえオレじゃなくてそいつの味方するんだ」
 
 龍平が憐れんだ目で私を見下ろした。 
 
「味方っていうか、常識的に考えて静かにした方がいいと」 
 
「おまえは常識だと思ってても、世間はそうじゃねぇから。いいかげん自分本意に考えるのやめたら? おまえ自分が思ってるより自己中だから」
 
「……っ」 
 
 龍平はやれやれ、と呆れたように肩をすくめた。 
『自分が思ってるより自己中』という彼の言葉に、私は頼くんと逃げたあの日のことを思い出して心に刃が突き刺さる。たくさんの人に迷惑をかけたのは事実だから。
 
「ごめん……」
 
「本当に悪いと思ってんの? それ、反省している人の態度じゃないよね?」
 
 龍平の口から畳み掛けるように言葉が溢れる。何か言いかえさなけば同意したと思われるのに、上手く頭が回らない。次々切り替わっていく話題に口を開くタイミングが見つからず、私がゆっくりと編んだ言葉は意味のないものとして消えていく。
 私は奥歯を噛み締める。
 
 |(何でいつもいつも、こんなことばかり言われなくちゃいけないのよ。私だって悪いところはあるけど、全部が全部悪い訳じゃないじゃない。何で全て私のせいにするのよ。自己中なのはどっちよ。その言葉、そっくりそのままお返しするんだから)
   
「仕事してねぇ人間はこれだから」
 
「それは龍平が、結婚するなら正社員である必要はないって同居始めるときに自分でそう言って」
  
「あぁ? 言ってねーよ。言うはずねぇだろうがよ。記憶改ざんしてんじゃねぇよ!」
 
 苛立った龍平は、ベッドの脚をガンッと蹴った。低く鈍い音がこめかみに響く。
 親が経営している病院で働いているからお金の心配は必要ない、パートで家のことをきちんとやって欲しいと彼が前に自分で言ったのだ。
 私は言われた場所も時間もはっきりと覚えているのに、この様子だと彼の頭の中からはきれいさっぱり消えてしまっているようだった。
 
 どうしようもなくて、私は彼から目を背けた。
 クリーム色した艶やかな床が、みるみるうちにくすんでぼやける。フローリングは清掃担当の女性たちによって、今日も塵ひとつなく美しく磨かれている。家はこんなに綺麗じゃないと、きっと龍平は母に愚痴っただろう。
 綺麗を保つことが、そんなに大事なのだろうか。
 
  
 私たちの会話をしばらく黙って聞いていた頼くんだったが、龍平の足グセの悪さに再び口火を切った。
 
「失礼ですが、八つ当たりしては患者さんのお身体に障りますよ」
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