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十五
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「あ゛っ!? 」
スマホを持ち周りをよく見ていなかった龍平の身体は、よろけてベットにドサッと倒れ込んだ。
「何すんだてめぇ!」
「え……あ、ご、ごめんなさい!」
三歳くらいの小さな男の子は龍平の怒声に身体を震わせ、一目散にベッド同士の間を仕切るカーテンの奥へと消えていった。
漏れ聞こえる会話から察するに、一緒に母親の見舞いに来た父親を驚かせようとしていたようであった。
「やんなっちゃうわねぇ、病室で人様に迷惑かけるなんて」
ベッドの上で龍平の母はため息をついた。
「面倒見れないならガキなんか作んじゃねぇよクソどもが」
龍平もわざと聞こえるように悪態をついて舌打ちをした。
二人の容赦ない叱咤に、大部屋は静まり返った。
|(何もそこまで……)
まだ自分の年齢の半分も生きていない幼い子どもに、何をそんなに厳しくする必要があるのか。
私は二人の後ろ姿を軽蔑するような眼差しで見つめた。
同時に、子どもと向き合う龍平に大和をあやす頼くんの姿を重ね合わせた。
頼くんが送ってくれた動画の中に、頼くんの誕生日を息子と二人で祝うものがあった。
動画を撮ろうと彼がスマホをスタンドに立ててセットしている最中、幼い息子はローテーブルのケーキに手を伸ばし、近くに置いていたコップに肘がぶつかってしまった。
コップの中のオレンジジュースはこぼれ、テーブルの上やジョイントマットを敷き詰めた床の上に広がった。小さな手や腕には生クリームがべったりと付着した。
一瞬のことに目をぱちくりさせる大和に、頼くんは思わず吹き出していた。
「あははは!! 大和ー! 自分がごちそうなの? いい匂いして美味しそうなんだら。食べちゃうよ! いただきまーす」
あーん、と大きく口を開けもちもちの頬にかぶりつく彼に、息子もキャッキャと歓声を上げた。
「このままじゃ冷たいから一緒に拭いてくれる? パパ、大和が手伝ってくれると嬉しいな」
「うん、いいよ!」
大和はパアッと顔を上げて、箱からティッシュを抜き取っては頼くんに渡した。溢れたジュースの量に対してティッシュペーパーが多すぎて、こんもりと盛り上がっている。
怒られてもいいシーンなのに、頼くんは手を上げたり大声で叱ったりしなかった。
これが普通なんだろうか、それとも彼が珍しいのだろうか。
|(もしこの先、龍平との間に子どもができたとして、龍平は我が子とあんなふうに慈悲深く接することができるのかな)
私と彼とその子どもが一緒に笑いあっている将来が、何故だか上手く想像できない。
脳裏に浮かぶのは、怒声を放つ彼の姿。夕飯のカレーに龍平の好きな辛口のルーではなく、子どもの好きな甘口のものを使って怒られる私の姿。
私は、子どもを幸せにしてやれるんだろうか。
龍平の怒りの矛先が向くのが私だけとは限らない。子どもが彼の怒りに触れたとき、私は守ってあげられるんだろうか。
ほっとする暖かい家庭を築きたいけど、その願いはこのままこうしていて本当に叶うのかな。
龍平に体当たりしてしまった子どもの怯える瞳が頭の中にこびりつく。ひとつ屋根の下で毎日顔を合わせる親子ならなおのこと、あんなふうにはなって欲しくない。
私は龍平の背に向かって、恐る恐る言葉を投げかける。
「子ども嫌いなの……?」
「別に普通だぞ。躾のなってないガキはウゼェけどな」
「その辺は大丈夫でしょう。寺田家の人間におかしな人はいなもの。優月ちゃんが責任を持ってちゃんといい子に育ててくれるもの、ね?」
ベッドに横たわる龍平の母が私に微笑みかけた。
なんともない台詞にみえて、子育てにおける全責任は私にあるという意味をきっと孕んでいる。私はそう問いかけたいのをグッと堪えて口を開く。
「入籍、急がないとダメかな……? もう少し考えない?」
龍平のような男性、旦那さんは少なくないだろう。
家や子どもを守ることを課せられた女性は、自分で収入を得ることができない。在宅でも画力があるならイラストレーター、お喋りが得意なら営業の仕事など請け負えるが、万人にできることではない。企業側も遊びじゃないから、中途半端なレベルでは採用しては貰えない。結局は外で安定して稼ぐことができる配偶者の収入頼みになってしまい、頭が上がらななくなってしまうのだ。
金銭面だけではなく日常生活全般において、自分が劣っているような気がしてくる。
旦那さんだけじゃなくて、舅や姑、小姑にだって虐げられている人もたくさんいる。龍平ひとりの言葉でいちいち傷ついているなんて甘いのかも知れないけど、ダメ出しの連続の毎日が辛いのは、私も同じだ。
"今は耐えるとき"
ずっとそう思っていた。
いつか楽になれる、いつか気分が晴れる、って自分に言い聞かせていた。
私が我慢していればみんな幸せになれるのだから、龍平の言葉くらいなんてことないと思える位、強くなればいいのだと信じて疑わなかった。
でも、きっとそうではない。
我慢し続けてしか得られない幸せは、幸せとは言えないのではないだろうか。
頼くんと再会して、息子と出会って、笑顔でいられることの大切さにようやく気がついたよ。
「はぁ? 何言ってんのおまえ。頭イカれちゃったー?」
龍平は私の方に向き直すと、中指を立てて舌をペロッと出した。
「今さら元カレのとこにでも居候する気ー? 残念だけど、あっちはあっちで生活が出来上がってるから。もうおまえの居場所なんてねぇから。口答えしても無駄」
「口答えなんて、そんな……私は自分の意見を言っただけじゃん」
「言い訳すんじゃねぇよ!」
ベッドに置かれた可動式のテーブルを彼が勢いよく叩くと、湯飲みの中のお茶がピチャッと跳ねた。
「そ も そ も、おまえに決定権なんかねぇから。オレの家に既に住んでおきながらやっぱ止めましたーとか何様よ。そんなこと許されると思ってんの?」
「……っ」
「オレはおまえが出ていこうと別にどうだっていいけど。婚約破棄するっていうならそれ相応の対価を支払ってもらわねぇといけねぇよな」
龍平は窓の向こうを見渡した。
眼下に広がるのは半澤家が所有する見渡す限りの果樹園だ。その片隅で、今年植えたばかりの細々とした若木を父が板と縄でくくっていた。積雪に備え、雪の重みで折れないようにこの時期になると毎年雪囲いを行っているのだ。
龍平は父に気づいているのかいないのか、遠くの方を眺めながら言った。
「慰謝料として、おまえんちの農園は全て寺田家のものとなる。全部ぶっ壊して、コンクリート流して寺田病院の発展の為に貢献してもらうんで。それでもいいなら、お好きにどうぞ?婚約破棄でも駆け落ちごっこでも、じゃんじゃんすればいいんじゃないの?」
スマホを持ち周りをよく見ていなかった龍平の身体は、よろけてベットにドサッと倒れ込んだ。
「何すんだてめぇ!」
「え……あ、ご、ごめんなさい!」
三歳くらいの小さな男の子は龍平の怒声に身体を震わせ、一目散にベッド同士の間を仕切るカーテンの奥へと消えていった。
漏れ聞こえる会話から察するに、一緒に母親の見舞いに来た父親を驚かせようとしていたようであった。
「やんなっちゃうわねぇ、病室で人様に迷惑かけるなんて」
ベッドの上で龍平の母はため息をついた。
「面倒見れないならガキなんか作んじゃねぇよクソどもが」
龍平もわざと聞こえるように悪態をついて舌打ちをした。
二人の容赦ない叱咤に、大部屋は静まり返った。
|(何もそこまで……)
まだ自分の年齢の半分も生きていない幼い子どもに、何をそんなに厳しくする必要があるのか。
私は二人の後ろ姿を軽蔑するような眼差しで見つめた。
同時に、子どもと向き合う龍平に大和をあやす頼くんの姿を重ね合わせた。
頼くんが送ってくれた動画の中に、頼くんの誕生日を息子と二人で祝うものがあった。
動画を撮ろうと彼がスマホをスタンドに立ててセットしている最中、幼い息子はローテーブルのケーキに手を伸ばし、近くに置いていたコップに肘がぶつかってしまった。
コップの中のオレンジジュースはこぼれ、テーブルの上やジョイントマットを敷き詰めた床の上に広がった。小さな手や腕には生クリームがべったりと付着した。
一瞬のことに目をぱちくりさせる大和に、頼くんは思わず吹き出していた。
「あははは!! 大和ー! 自分がごちそうなの? いい匂いして美味しそうなんだら。食べちゃうよ! いただきまーす」
あーん、と大きく口を開けもちもちの頬にかぶりつく彼に、息子もキャッキャと歓声を上げた。
「このままじゃ冷たいから一緒に拭いてくれる? パパ、大和が手伝ってくれると嬉しいな」
「うん、いいよ!」
大和はパアッと顔を上げて、箱からティッシュを抜き取っては頼くんに渡した。溢れたジュースの量に対してティッシュペーパーが多すぎて、こんもりと盛り上がっている。
怒られてもいいシーンなのに、頼くんは手を上げたり大声で叱ったりしなかった。
これが普通なんだろうか、それとも彼が珍しいのだろうか。
|(もしこの先、龍平との間に子どもができたとして、龍平は我が子とあんなふうに慈悲深く接することができるのかな)
私と彼とその子どもが一緒に笑いあっている将来が、何故だか上手く想像できない。
脳裏に浮かぶのは、怒声を放つ彼の姿。夕飯のカレーに龍平の好きな辛口のルーではなく、子どもの好きな甘口のものを使って怒られる私の姿。
私は、子どもを幸せにしてやれるんだろうか。
龍平の怒りの矛先が向くのが私だけとは限らない。子どもが彼の怒りに触れたとき、私は守ってあげられるんだろうか。
ほっとする暖かい家庭を築きたいけど、その願いはこのままこうしていて本当に叶うのかな。
龍平に体当たりしてしまった子どもの怯える瞳が頭の中にこびりつく。ひとつ屋根の下で毎日顔を合わせる親子ならなおのこと、あんなふうにはなって欲しくない。
私は龍平の背に向かって、恐る恐る言葉を投げかける。
「子ども嫌いなの……?」
「別に普通だぞ。躾のなってないガキはウゼェけどな」
「その辺は大丈夫でしょう。寺田家の人間におかしな人はいなもの。優月ちゃんが責任を持ってちゃんといい子に育ててくれるもの、ね?」
ベッドに横たわる龍平の母が私に微笑みかけた。
なんともない台詞にみえて、子育てにおける全責任は私にあるという意味をきっと孕んでいる。私はそう問いかけたいのをグッと堪えて口を開く。
「入籍、急がないとダメかな……? もう少し考えない?」
龍平のような男性、旦那さんは少なくないだろう。
家や子どもを守ることを課せられた女性は、自分で収入を得ることができない。在宅でも画力があるならイラストレーター、お喋りが得意なら営業の仕事など請け負えるが、万人にできることではない。企業側も遊びじゃないから、中途半端なレベルでは採用しては貰えない。結局は外で安定して稼ぐことができる配偶者の収入頼みになってしまい、頭が上がらななくなってしまうのだ。
金銭面だけではなく日常生活全般において、自分が劣っているような気がしてくる。
旦那さんだけじゃなくて、舅や姑、小姑にだって虐げられている人もたくさんいる。龍平ひとりの言葉でいちいち傷ついているなんて甘いのかも知れないけど、ダメ出しの連続の毎日が辛いのは、私も同じだ。
"今は耐えるとき"
ずっとそう思っていた。
いつか楽になれる、いつか気分が晴れる、って自分に言い聞かせていた。
私が我慢していればみんな幸せになれるのだから、龍平の言葉くらいなんてことないと思える位、強くなればいいのだと信じて疑わなかった。
でも、きっとそうではない。
我慢し続けてしか得られない幸せは、幸せとは言えないのではないだろうか。
頼くんと再会して、息子と出会って、笑顔でいられることの大切さにようやく気がついたよ。
「はぁ? 何言ってんのおまえ。頭イカれちゃったー?」
龍平は私の方に向き直すと、中指を立てて舌をペロッと出した。
「今さら元カレのとこにでも居候する気ー? 残念だけど、あっちはあっちで生活が出来上がってるから。もうおまえの居場所なんてねぇから。口答えしても無駄」
「口答えなんて、そんな……私は自分の意見を言っただけじゃん」
「言い訳すんじゃねぇよ!」
ベッドに置かれた可動式のテーブルを彼が勢いよく叩くと、湯飲みの中のお茶がピチャッと跳ねた。
「そ も そ も、おまえに決定権なんかねぇから。オレの家に既に住んでおきながらやっぱ止めましたーとか何様よ。そんなこと許されると思ってんの?」
「……っ」
「オレはおまえが出ていこうと別にどうだっていいけど。婚約破棄するっていうならそれ相応の対価を支払ってもらわねぇといけねぇよな」
龍平は窓の向こうを見渡した。
眼下に広がるのは半澤家が所有する見渡す限りの果樹園だ。その片隅で、今年植えたばかりの細々とした若木を父が板と縄でくくっていた。積雪に備え、雪の重みで折れないようにこの時期になると毎年雪囲いを行っているのだ。
龍平は父に気づいているのかいないのか、遠くの方を眺めながら言った。
「慰謝料として、おまえんちの農園は全て寺田家のものとなる。全部ぶっ壊して、コンクリート流して寺田病院の発展の為に貢献してもらうんで。それでもいいなら、お好きにどうぞ?婚約破棄でも駆け落ちごっこでも、じゃんじゃんすればいいんじゃないの?」
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