上 下
4 / 22

しおりを挟む
 (牧野くんに会いたいなぁ……二人きりじゃなくて、みんなと一緒でも全然いいのに。誰か同窓会とか企画してくれないかなぁ……)
 
 コーヒーを飲み終えて軽くゆすぎ、続けざまにミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から取り出した。
 水や麦茶のボトルはジュース類よりいくらか内容量が多く、ずっしりした質感が両手に伝わる。
 洗濯したばかりのキッチンマットにこぼさないように神経を尖らせてマグカップへ注ぐ。
 口の中へ錠剤を数個放り込んで、一気に喉の奥へ流し込む。同棲のストレスからか、このところ不正出血や生理不順が続いており、これらはそれを治療するものだった。
 一年前くらいに三週間ほど入院していた時期があり、そのときから継続して飲んでいる。
 
 
「……歳を重ねても私を覚えていてくれるかな。おばあちゃんになったら分かんなくなっちゃうかな……」
 
 マグカップを再度すすぎ、シンクへ置いた。 
『歳をとったら牧野くんに会いにいく』それが、私の将来の夢だ。
 
 本当は今すぐ会いに行きたいけど連絡先も分からなくなってしまったし、かと言って婚約者のいる立場で他の男性の電話番号を尋ねるというのも、変に勘ぐられそうで気が引ける。
 もっともっと歳を重ねれば、人生が終わる前にお世話になった人に会いに行くという名目なら、異性に会っても許されるのではないかと思うのだ。
 それにもし駄目でも、私に一般的な婚姻による幸せを望む両親も、少し年上の龍平もみんないなくなった世界なら、誰と会っても咎める人もいないだろう。
 それなら牧野くんに会いに行ったって自由なのだ。
 
 そのためならどんなに尊厳を傷つけられたって頑張れる。健康で長生きして、あのときはありがとうと感謝の言葉を伝えに行く。ずっとあなたを想っていたと言葉にしたい。
 こんなに忘れられないなんてストーカーじみてるけど、彼に家庭があったとしてもそれを壊すつもりは毛頭ない。妻子と仲良くしていてくれていた方が彼らしいし、彼が幸せにしていたら私も幸せだ。
 ……正直に言うと、ちょと辛いけど。 
 
 私の人生を彩った大切な彼に、ただ会いたいだけなのだ。
 
 
 ふと薬が入っている銀色のシートを観ると、残りがあと数個になっていた。もう再診の時期かとカレンダーを見上げる。
 買ったままそのままの美しい風景画が壁にかけられている。龍平は生活感のあるインテリアが嫌いだから、部屋はどこもモデルルームのようだ。
 黒い本革のソファ下には落ち着いたシックなネイビーの絨毯が敷かれ、テレビとの間には磨き上げられたガラステーブル。エアコンやテレビのリモコンは逐一その下の引き出しへ収納する。
 カタログを切り取ったような調和のある室内に来客者は皆感嘆の息を漏らすけど、私はどこか居心地の悪さを感じてしまう。
 センスいいねと褒めるけど、こたつでみかんを食べたいじゃない。
 
 
 
 翌週、スーパーの品出しのパートを早めに切り上げさせてもらい、定期的に通っている婦人科へと向かった。
 実は入院中ずっと眠っていた私は、その頃の記憶が曖昧なのだ。詳しくは教えてくれないけれど、薬で眠らせて痛みを誤魔化す必要があるくらい大変な病気だったらしく、その為、退院してしばらく経った今でも欠かすことなく内服薬の服用を続けている。
 
 通院している寺田病院は、市内では唯一の総合病院だ。
 内科、小児科、耳鼻科、産婦人科、眼科等ひととおり診察科があり、特に産婦人科は市内や周辺の町村で唯一出産を取り扱い、市民にとってはなくてはならない存在となっている。
 田舎故に里帰り出産をする者も多いし、出産における入院の料金も高くはない。国からおりる一時金で充分足りるので、病院食やサービスの質素さはあるもののコストパフォーマンスの良さに定評がある。
 
 
 ロビーの先にある調剤薬局を抜け、エレベーターに乗って五階に到着すると、各診療科の待合室は比較的空いていた。
 産婦人科の前も例外ではなく、午後の早い時間に予約をしている患者さんが数人いるだけで、昼過ぎの院内には穏やかな時間が流れていた。
 窓ガラスからは晩秋の柔らかな日差しが差し込み、長い廊下に規則正しい影を作っていた。
 
 私はお腹の大きな妊婦さんの間をそっと通り抜け、診察券を窓口に置く。
 真後ろの診察室からはドッドッドッ……という胎児の速い心音がかすかに漏れ聞こえ、中待合室からは先生と見知らぬ男性の話し声が耳をかすめた。
 恐らく、製薬会社のMRだろう。
 カジュアルな服装で来院することの多い患者に混じって、ビジネススーツ姿の彼らはよく目立つ。
 さらに言えば、不安げな表情の患者とは対照的に営業スマイルを常備して訪れるのだから、病院に居る意味が全くもって違う。
 私は目を伏せて主婦向けの雑誌に視線を落とした。
 産婦人科にかかるのはマタニティの女性だけではない。あらゆる年代の女性の婦人科系疾患を診るので、置いてある雑誌も多種多様だ。 
 私はその中から最新の週刊誌を手に取り、パラパラと表紙から順にめくる。巻頭には旬のボーイズグループの凛々しい姿が載っている。 
 
「お時間いただきありがとうございました」
 
 診察室で医者との会話を終えた男性が、深々と頭を下げて出てきた。
 
 |(営業なんて、私には絶対無理。すごいなぁ、お仕事頑張るなぁ)
 
 そう思いながら男性の方を見ると、男性も何故かこちらの方をじっと凝視している。
 私には見られる理由が見当たらないから、キョロキョロと前後左右を確認してみるが、やはり彼は私を見ている。
 
 |(えっ? な、何? )
 
 彼はまっすぐに私めがけて足を進め、待合室の一番後ろの長椅子に腰かける私の前にかがみこんだ。
 
「優月……だよな?」
 
「はい?」
 
 急に名前を呼び捨てされ、下の名前で呼ぶ友達を必死でリストアップしてみたが、どうにも思い当たる節はない。
 男性でそう呼ぶのは親族を除けば婚約者の龍平だけだ。
 
「えぇと……ごめんなさい、どちらさまですか……」
 
 診察券を見て声をかけた新手のナンパだろうか、知人のふりをした特殊な詐欺だろうか。
 警戒しながら様子を伺うと、男性は残念そうに笑って、綺麗にセットした髪をわざと手櫛でくしゃくしゃにした。
 
「えっ、ちょっと……!」
 
「まぁ覚えてないのも無理ないよな。あれからだいぶ時間が経ったし、人って変わるもんだしな」
 
 男性が頭を乱雑に掻くと、固められた黒髪ははらりと落ち、クルンと毛先がカーブした。指を入れる度にほつれて跳ね、縮れた質感に戻っていく。
 きっとこれが彼の地毛ーーそう思ったとき、この特徴的な癖っ毛には思い当たる人物がいたと、瞬時に閃いた。
 しかしその人物が私のことを名前で呼ぶ理由はどう考えても見つけられず……数年ぶりに会ったというのに呆気に取られた返事しかできなかった。
 
「牧野くん……?」
 
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

同居人以上恋人未満〜そんな2人にコウノトリがやってきた!!〜

鳴宮鶉子
恋愛
小学生の頃からの腐れ縁のあいつと共同生活をしてるわたし。恋人当然の付き合いをしていたからコウノトリが間違えて来ちゃった!

男に間違えられる私は女嫌いの冷徹若社長に溺愛される

山口三
恋愛
「俺と結婚してほしい」  出会ってまだ何時間も経っていない相手から沙耶(さや)は告白された・・・のでは無く契約結婚の提案だった。旅先で危ない所を助けられた沙耶は契約結婚を申し出られたのだ。相手は五瀬馨(いつせかおる)彼は国内でも有数の巨大企業、五瀬グループの若き社長だった。沙耶は自分の夢を追いかける資金を得る為、養女として窮屈な暮らしを強いられている今の家から脱出する為にもこの提案を受ける事にする。  冷酷で女嫌いの社長とお人好しの沙耶。二人の契約結婚の行方は?  

【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。 次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。

私の好きなひとは、私の親友と付き合うそうです。失恋ついでにネイルサロンに行ってみたら、生まれ変わったみたいに幸せになりました。

石河 翠
恋愛
長年好きだった片思い相手を、あっさり親友にとられた主人公。 失恋して落ち込んでいた彼女は、偶然の出会いにより、ネイルサロンに足を踏み入れる。 ネイルの力により、前向きになる主人公。さらにイケメン店長とやりとりを重ねるうち、少しずつ自分の気持ちを周囲に伝えていけるようになる。やがて、親友との決別を経て、店長への気持ちを自覚する。 店長との約束を守るためにも、自分の気持ちに正直でありたい。フラれる覚悟で店長に告白をすると、思いがけず甘いキスが返ってきて……。 自分に自信が持てない不器用で真面目なヒロインと、ヒロインに一目惚れしていた、実は執着心の高いヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、エブリスタ及び小説家になろうにも投稿しております。 扉絵はphoto ACさまよりお借りしております。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。

石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。 すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。 なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。

冷たい外科医の心を溶かしたのは

みずほ
恋愛
冷たい外科医と天然万年脳内お花畑ちゃんの、年齢差ラブコメです。 《あらすじ》 都心の二次救急病院で外科医師として働く永崎彰人。夜間当直中、急アルとして診た患者が突然自分の妹だと名乗り、まさかの波乱しかない同居生活がスタート。悠々自適な30代独身ライフに割り込んできた、自称妹に振り回される日々。 アホ女相手に恋愛なんて絶対したくない冷たい外科医vsネジが2、3本吹っ飛んだ自己肯定感の塊、タフなポジティブガール。 ラブよりもコメディ寄りかもしれません。ずっとドタバタしてます。 元々ベリカに掲載していました。 昔書いた作品でツッコミどころ満載のお話ですが、サクッと読めるので何かの片手間にお読み頂ければ幸いです。

ネカフェ難民してたら鬼上司に拾われました

瀬崎由美
恋愛
穂香は、付き合って一年半の彼氏である栄悟と同棲中。でも、一緒に住んでいたマンションへと帰宅すると、家の中はほぼもぬけの殻。家具や家電と共に姿を消した栄悟とは連絡が取れない。彼が持っているはずの合鍵の行方も分からないから怖いと、ビジネスホテルやネットカフェを転々とする日々。そんな穂香の事情を知ったオーナーが自宅マンションの空いている部屋に居候することを提案してくる。一緒に住むうち、怖くて仕事に厳しい完璧イケメンで近寄りがたいと思っていたオーナーがド天然なのことを知った穂香。居候しながら彼のフォローをしていくうちに、その意外性に惹かれていく。

処理中です...