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四
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(牧野くんに会いたいなぁ……二人きりじゃなくて、みんなと一緒でも全然いいのに。誰か同窓会とか企画してくれないかなぁ……)
コーヒーを飲み終えて軽くゆすぎ、続けざまにミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から取り出した。
水や麦茶のボトルはジュース類よりいくらか内容量が多く、ずっしりした質感が両手に伝わる。
洗濯したばかりのキッチンマットにこぼさないように神経を尖らせてマグカップへ注ぐ。
口の中へ錠剤を数個放り込んで、一気に喉の奥へ流し込む。同棲のストレスからか、このところ不正出血や生理不順が続いており、これらはそれを治療するものだった。
一年前くらいに三週間ほど入院していた時期があり、そのときから継続して飲んでいる。
「……歳を重ねても私を覚えていてくれるかな。おばあちゃんになったら分かんなくなっちゃうかな……」
マグカップを再度すすぎ、シンクへ置いた。
『歳をとったら牧野くんに会いにいく』それが、私の将来の夢だ。
本当は今すぐ会いに行きたいけど連絡先も分からなくなってしまったし、かと言って婚約者のいる立場で他の男性の電話番号を尋ねるというのも、変に勘ぐられそうで気が引ける。
もっともっと歳を重ねれば、人生が終わる前にお世話になった人に会いに行くという名目なら、異性に会っても許されるのではないかと思うのだ。
それにもし駄目でも、私に一般的な婚姻による幸せを望む両親も、少し年上の龍平もみんないなくなった世界なら、誰と会っても咎める人もいないだろう。
それなら牧野くんに会いに行ったって自由なのだ。
そのためならどんなに尊厳を傷つけられたって頑張れる。健康で長生きして、あのときはありがとうと感謝の言葉を伝えに行く。ずっとあなたを想っていたと言葉にしたい。
こんなに忘れられないなんてストーカーじみてるけど、彼に家庭があったとしてもそれを壊すつもりは毛頭ない。妻子と仲良くしていてくれていた方が彼らしいし、彼が幸せにしていたら私も幸せだ。
……正直に言うと、ちょと辛いけど。
私の人生を彩った大切な彼に、ただ会いたいだけなのだ。
ふと薬が入っている銀色のシートを観ると、残りがあと数個になっていた。もう再診の時期かとカレンダーを見上げる。
買ったままそのままの美しい風景画が壁にかけられている。龍平は生活感のあるインテリアが嫌いだから、部屋はどこもモデルルームのようだ。
黒い本革のソファ下には落ち着いたシックなネイビーの絨毯が敷かれ、テレビとの間には磨き上げられたガラステーブル。エアコンやテレビのリモコンは逐一その下の引き出しへ収納する。
カタログを切り取ったような調和のある室内に来客者は皆感嘆の息を漏らすけど、私はどこか居心地の悪さを感じてしまう。
センスいいねと褒めるけど、こたつでみかんを食べたいじゃない。
翌週、スーパーの品出しのパートを早めに切り上げさせてもらい、定期的に通っている婦人科へと向かった。
実は入院中ずっと眠っていた私は、その頃の記憶が曖昧なのだ。詳しくは教えてくれないけれど、薬で眠らせて痛みを誤魔化す必要があるくらい大変な病気だったらしく、その為、退院してしばらく経った今でも欠かすことなく内服薬の服用を続けている。
通院している寺田病院は、市内では唯一の総合病院だ。
内科、小児科、耳鼻科、産婦人科、眼科等ひととおり診察科があり、特に産婦人科は市内や周辺の町村で唯一出産を取り扱い、市民にとってはなくてはならない存在となっている。
田舎故に里帰り出産をする者も多いし、出産における入院の料金も高くはない。国からおりる一時金で充分足りるので、病院食やサービスの質素さはあるもののコストパフォーマンスの良さに定評がある。
ロビーの先にある調剤薬局を抜け、エレベーターに乗って五階に到着すると、各診療科の待合室は比較的空いていた。
産婦人科の前も例外ではなく、午後の早い時間に予約をしている患者さんが数人いるだけで、昼過ぎの院内には穏やかな時間が流れていた。
窓ガラスからは晩秋の柔らかな日差しが差し込み、長い廊下に規則正しい影を作っていた。
私はお腹の大きな妊婦さんの間をそっと通り抜け、診察券を窓口に置く。
真後ろの診察室からはドッドッドッ……という胎児の速い心音がかすかに漏れ聞こえ、中待合室からは先生と見知らぬ男性の話し声が耳をかすめた。
恐らく、製薬会社のMRだろう。
カジュアルな服装で来院することの多い患者に混じって、ビジネススーツ姿の彼らはよく目立つ。
さらに言えば、不安げな表情の患者とは対照的に営業スマイルを常備して訪れるのだから、病院に居る意味が全くもって違う。
私は目を伏せて主婦向けの雑誌に視線を落とした。
産婦人科にかかるのはマタニティの女性だけではない。あらゆる年代の女性の婦人科系疾患を診るので、置いてある雑誌も多種多様だ。
私はその中から最新の週刊誌を手に取り、パラパラと表紙から順にめくる。巻頭には旬のボーイズグループの凛々しい姿が載っている。
「お時間いただきありがとうございました」
診察室で医者との会話を終えた男性が、深々と頭を下げて出てきた。
|(営業なんて、私には絶対無理。すごいなぁ、お仕事頑張るなぁ)
そう思いながら男性の方を見ると、男性も何故かこちらの方をじっと凝視している。
私には見られる理由が見当たらないから、キョロキョロと前後左右を確認してみるが、やはり彼は私を見ている。
|(えっ? な、何? )
彼はまっすぐに私めがけて足を進め、待合室の一番後ろの長椅子に腰かける私の前にかがみこんだ。
「優月……だよな?」
「はい?」
急に名前を呼び捨てされ、下の名前で呼ぶ友達を必死でリストアップしてみたが、どうにも思い当たる節はない。
男性でそう呼ぶのは親族を除けば婚約者の龍平だけだ。
「えぇと……ごめんなさい、どちらさまですか……」
診察券を見て声をかけた新手のナンパだろうか、知人のふりをした特殊な詐欺だろうか。
警戒しながら様子を伺うと、男性は残念そうに笑って、綺麗にセットした髪をわざと手櫛でくしゃくしゃにした。
「えっ、ちょっと……!」
「まぁ覚えてないのも無理ないよな。あれからだいぶ時間が経ったし、人って変わるもんだしな」
男性が頭を乱雑に掻くと、固められた黒髪ははらりと落ち、クルンと毛先がカーブした。指を入れる度にほつれて跳ね、縮れた質感に戻っていく。
きっとこれが彼の地毛ーーそう思ったとき、この特徴的な癖っ毛には思い当たる人物がいたと、瞬時に閃いた。
しかしその人物が私のことを名前で呼ぶ理由はどう考えても見つけられず……数年ぶりに会ったというのに呆気に取られた返事しかできなかった。
「牧野くん……?」
コーヒーを飲み終えて軽くゆすぎ、続けざまにミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から取り出した。
水や麦茶のボトルはジュース類よりいくらか内容量が多く、ずっしりした質感が両手に伝わる。
洗濯したばかりのキッチンマットにこぼさないように神経を尖らせてマグカップへ注ぐ。
口の中へ錠剤を数個放り込んで、一気に喉の奥へ流し込む。同棲のストレスからか、このところ不正出血や生理不順が続いており、これらはそれを治療するものだった。
一年前くらいに三週間ほど入院していた時期があり、そのときから継続して飲んでいる。
「……歳を重ねても私を覚えていてくれるかな。おばあちゃんになったら分かんなくなっちゃうかな……」
マグカップを再度すすぎ、シンクへ置いた。
『歳をとったら牧野くんに会いにいく』それが、私の将来の夢だ。
本当は今すぐ会いに行きたいけど連絡先も分からなくなってしまったし、かと言って婚約者のいる立場で他の男性の電話番号を尋ねるというのも、変に勘ぐられそうで気が引ける。
もっともっと歳を重ねれば、人生が終わる前にお世話になった人に会いに行くという名目なら、異性に会っても許されるのではないかと思うのだ。
それにもし駄目でも、私に一般的な婚姻による幸せを望む両親も、少し年上の龍平もみんないなくなった世界なら、誰と会っても咎める人もいないだろう。
それなら牧野くんに会いに行ったって自由なのだ。
そのためならどんなに尊厳を傷つけられたって頑張れる。健康で長生きして、あのときはありがとうと感謝の言葉を伝えに行く。ずっとあなたを想っていたと言葉にしたい。
こんなに忘れられないなんてストーカーじみてるけど、彼に家庭があったとしてもそれを壊すつもりは毛頭ない。妻子と仲良くしていてくれていた方が彼らしいし、彼が幸せにしていたら私も幸せだ。
……正直に言うと、ちょと辛いけど。
私の人生を彩った大切な彼に、ただ会いたいだけなのだ。
ふと薬が入っている銀色のシートを観ると、残りがあと数個になっていた。もう再診の時期かとカレンダーを見上げる。
買ったままそのままの美しい風景画が壁にかけられている。龍平は生活感のあるインテリアが嫌いだから、部屋はどこもモデルルームのようだ。
黒い本革のソファ下には落ち着いたシックなネイビーの絨毯が敷かれ、テレビとの間には磨き上げられたガラステーブル。エアコンやテレビのリモコンは逐一その下の引き出しへ収納する。
カタログを切り取ったような調和のある室内に来客者は皆感嘆の息を漏らすけど、私はどこか居心地の悪さを感じてしまう。
センスいいねと褒めるけど、こたつでみかんを食べたいじゃない。
翌週、スーパーの品出しのパートを早めに切り上げさせてもらい、定期的に通っている婦人科へと向かった。
実は入院中ずっと眠っていた私は、その頃の記憶が曖昧なのだ。詳しくは教えてくれないけれど、薬で眠らせて痛みを誤魔化す必要があるくらい大変な病気だったらしく、その為、退院してしばらく経った今でも欠かすことなく内服薬の服用を続けている。
通院している寺田病院は、市内では唯一の総合病院だ。
内科、小児科、耳鼻科、産婦人科、眼科等ひととおり診察科があり、特に産婦人科は市内や周辺の町村で唯一出産を取り扱い、市民にとってはなくてはならない存在となっている。
田舎故に里帰り出産をする者も多いし、出産における入院の料金も高くはない。国からおりる一時金で充分足りるので、病院食やサービスの質素さはあるもののコストパフォーマンスの良さに定評がある。
ロビーの先にある調剤薬局を抜け、エレベーターに乗って五階に到着すると、各診療科の待合室は比較的空いていた。
産婦人科の前も例外ではなく、午後の早い時間に予約をしている患者さんが数人いるだけで、昼過ぎの院内には穏やかな時間が流れていた。
窓ガラスからは晩秋の柔らかな日差しが差し込み、長い廊下に規則正しい影を作っていた。
私はお腹の大きな妊婦さんの間をそっと通り抜け、診察券を窓口に置く。
真後ろの診察室からはドッドッドッ……という胎児の速い心音がかすかに漏れ聞こえ、中待合室からは先生と見知らぬ男性の話し声が耳をかすめた。
恐らく、製薬会社のMRだろう。
カジュアルな服装で来院することの多い患者に混じって、ビジネススーツ姿の彼らはよく目立つ。
さらに言えば、不安げな表情の患者とは対照的に営業スマイルを常備して訪れるのだから、病院に居る意味が全くもって違う。
私は目を伏せて主婦向けの雑誌に視線を落とした。
産婦人科にかかるのはマタニティの女性だけではない。あらゆる年代の女性の婦人科系疾患を診るので、置いてある雑誌も多種多様だ。
私はその中から最新の週刊誌を手に取り、パラパラと表紙から順にめくる。巻頭には旬のボーイズグループの凛々しい姿が載っている。
「お時間いただきありがとうございました」
診察室で医者との会話を終えた男性が、深々と頭を下げて出てきた。
|(営業なんて、私には絶対無理。すごいなぁ、お仕事頑張るなぁ)
そう思いながら男性の方を見ると、男性も何故かこちらの方をじっと凝視している。
私には見られる理由が見当たらないから、キョロキョロと前後左右を確認してみるが、やはり彼は私を見ている。
|(えっ? な、何? )
彼はまっすぐに私めがけて足を進め、待合室の一番後ろの長椅子に腰かける私の前にかがみこんだ。
「優月……だよな?」
「はい?」
急に名前を呼び捨てされ、下の名前で呼ぶ友達を必死でリストアップしてみたが、どうにも思い当たる節はない。
男性でそう呼ぶのは親族を除けば婚約者の龍平だけだ。
「えぇと……ごめんなさい、どちらさまですか……」
診察券を見て声をかけた新手のナンパだろうか、知人のふりをした特殊な詐欺だろうか。
警戒しながら様子を伺うと、男性は残念そうに笑って、綺麗にセットした髪をわざと手櫛でくしゃくしゃにした。
「えっ、ちょっと……!」
「まぁ覚えてないのも無理ないよな。あれからだいぶ時間が経ったし、人って変わるもんだしな」
男性が頭を乱雑に掻くと、固められた黒髪ははらりと落ち、クルンと毛先がカーブした。指を入れる度にほつれて跳ね、縮れた質感に戻っていく。
きっとこれが彼の地毛ーーそう思ったとき、この特徴的な癖っ毛には思い当たる人物がいたと、瞬時に閃いた。
しかしその人物が私のことを名前で呼ぶ理由はどう考えても見つけられず……数年ぶりに会ったというのに呆気に取られた返事しかできなかった。
「牧野くん……?」
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