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 部屋の電気を点け、電気ポットに水を入れる。
 カーテンの隙間から朝の光が漏れているのに気づいて少しだけ引いたところで、まだ彼がリビングにいるのだと思い出して、引きかけた布をまた元の位置へ戻した。
 
 一緒に住んでいる彼、寺田龍平てらだりゅうへいは潔癖で完璧主義だ。
 カーテンを閉めずに電気をつけると、部屋の中の方が明るくなって室内が丸見えになるからという理由で、絶対に許してはもらえない。
 私としては、今日みたいな曇りの日は少しでも明るく過ごしやすくしたいのだが、それをして怒られなかった日は一度もないので、渋々カーテンを閉めきっている。
 見られて駄目なほど汚い部屋だろうか? 人の部屋をそんなにジロジロ見る人なんているのだろうか?
 私はそう思っているのだが、口のたつ龍平に何だかんだ論破されて私の意見は聞き入れてもらったことがない。
 
 |(そもそも、ここ26階なのにさぁ……)
 
 私は心の中で文句を呟いて、昨日洗った弁当箱を調理台へ並べる。
 弁当箱の裏側は何故か油汚れでぬめっていて、彼に気づかれないように食卓用のアルコールスプレーを吹き掛け、念入りにキッチンペーパーで拭き取った。
 家事全般得意とは言えない私は、洗い物も苦手だ。とくに弁当箱は何度泡立てて洗ってもこうして汚れが取りきれず、翌日の私を悩ませることもしばしばだ。
 
 キュッキュッという指触りを確認し、そっと龍平の姿も探す。
 洗面台で髭を剃る音が聞こえてきて、こちらの様子は見てないことにホッとして次の作業へと取りかかる。
 
 龍平はとても綺麗好きだ。
 彼自身も部屋も車も、常に美しさをキープすることを念頭に起き、同居している私にもそれを求める。
 掃除や片付けは時間に少し余裕のある私の担当とされ、都度彼のチェックが入る。
 私にとってはとても厳しい審査である。
 いくら綺麗にしたところで、何かしらの実害が出ればアウトだ。
 咳き込めば布団にダニがいるから、虫が出れば掃除機をかけずに汚くしているから。例え彼が窓を開けた際に何かが入り込んでしまったとしても、その全ての責任は私ということにされてしまう。
 やってもやらなくても息が詰まってしまう現状に、ため息が出ることも正直、多い。
 
 龍平と婚約してからパートに変え、私もパートと家のことをそれなりに毎日頑張っているつもりだけど、粗があればやっているとは言わないという。
 龍平の目から見た私は、彼の稼いだお金で贅沢し、息抜きにパートに出ている怠け者に過ぎないのだ。
 
「おい、ご飯みっちり詰めろって言ったよな。冷凍食品ばっかなうえに寄り弁とか、働いている奴にコレはねぇだろ。後輩の嫁なんか、子ども三人もいんのにちゃんとしてるぞ。お前は一人もいねぇの何楽しようとしてんだよ。ネットばっかりしてんじゃねぇよ」
 
 いつのまにか、身だしなみ整えた龍平が背後に立っていた。朝から粗を探すように、足りないところを指摘してくる。
 
「そんなに見てないけど……」
 
「言い訳すんじゃねぇよ」
 
 龍平は好き放題言うとバンッと乱暴に玄関の扉を閉め、そのまま会社へ出勤して行った。
 
 彼の職場はマンションから程近い総合病院だ。
 祖父の代から経営しており、現在は父親が院長を務めているので、言うなれば彼は御曹司である。
 病院に隣接する果樹園を営んでいるのが私の父で、子ども同士が同世代ということで親同士が話が弾み、トントン拍子でお見合いして婚約するに至った。
 寺田病院側は、いずれ病院を継ぐことになる彼に、夫をたてることのできる古風で真面目な女性をあてがいたかったそうだ。
 当時彼氏もおらず、夜遊びにも興じず、特にキャリアを重視している訳でもない私は確かに適任だったのかも知れない。
 
 龍平の言いつけを守り、龍平の顔色を伺うだけの毎日は決して幸せとは言えないけれど、特に資格も経験もない私がこの先生きていくには、こうするしかないのだ。
 
 
 
 洗濯機が仕事を終えるのを待つ間に、インスタントコーヒーを適度にスプーンですくってカップに入れ、先ほど沸かしたお湯を注ぐ。
 マグカップは、昨年の誕生日に妹からもらったお気に入りの小花柄のデザインだ。
 
「……おいしい」
 
 コーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。
 パートに向かう前に、こうやって一息つくのが私の日課だ。
 誰にも邪魔されることのない、大切なひとりの時間なのだ。
 
 熱々のコーヒーを少しずつそそりながら、今朝見た夢を思い返した。
 
「いい夢だったなぁ……ほんと、あっちが現実でこっちが夢だったりしないかなぁ」
 
 いつの頃からか、似たような夢を見るようになった。
 毎回決まって、私と誰かが離島でのんびり暮らしているという内容だ。
 目が覚めるとほとんど覚えていなくて相手が誰なのかわからないけど、起きると暖かい気持ちで満たされているのだ。
 
「理想だなぁ……、好きな人と永遠に幸せに暮らせるなんて、そんなのありえないのに」
 
 私はをマグカップをぼんやり見つめた。
 
 
 
 
 
 
 
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