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第三十話
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初めて我が子を抱いたとき、フェリックスは恐る恐るその肢体に触れ、お腹を撫で、震える指先で頬をツンと押した。
「ーー!!! や、柔らかー!!」
泣きながら笑っていた彼の姿が、まだ記憶に新しい。
転生してから十年が経った。
フェリックスとミナミの間には現在六人の子どもがいて、現在も妊娠している。
ミナミの繁殖義務は二十二歳で終了し、それまでに順調に四人の子どもを授かったが、子どもが可愛くてついここまで増えてしまった。
子どもに関する食費など、育てるにはたくさんのお金がかかるがこの国は繁殖を奨励しているので、金銭面では何の問題もない。
家は少々手狭だが、子どもたちが十二歳で家を離れるそのときまであえて身を寄せあって睦まじく暮らそうとぼんやり考えている。
「こいつ、あと数年しか一緒にいられないなんて寂しいな」
三十歳になったフェリックスは、無邪気に弟とじゃれる長男を見ながらそう呟いた。
長い髪は二人目が産まれたときに引っ張られて邪魔だと言ってバッサリ短く切り落とし、今はベリーショートにしている。
十年の月日が流れたが、そう簡単には世界は変わっていないし、繁殖義務は残ったままだ。
前世でいうところの小学生までは各自然るべき施設で基礎的な勉学を履修するが、中学生にあたる年齢からは必修科目に"繁殖"が追加される。
特別待遇で早めに家庭を持ったミナミたちだが、子どもたちはそういうわけにはいかない。
ルールに従い、義務を果たさなければ人として認められない。
子孫も残せなければ理不尽な扱いをされる奴隷となるし、女の子なら性的に搾取される。
「そうだね……こんなに可愛いのにね」
ミナミもフェリックスの意見に頷いた。
こうなることはこの国に来たときから想定していたが、差し迫ってみるとやはりまた別の感情が沸いてくる。
まだ幼くて養護されるべき立場なのに、養護する方へと回らなければならない違和感。
子ども時代があっという間に終わってしまうという喪失感。
「俺は建築の仕事に就くことができたけど、それはミナミがいたから。運が良かっただけなんだ。ミナミがいなかったら俺は今頃、オジサンにケツ出して喜んでいるふりしているんだろうなって、たまに思うんだ」
「……うん」
「こいつらにはそういう思いして欲しくないし、子どもができるかできないかなんて、誰にもわからないだろう? そういう運任せのもので将来が決まってしまうなんておかしいし、本人が努力してきたことで報われる世界になって欲しいと思っているんだ」
「そうだね」
卒業後、同級生の多くは希望の就職先へと進んでいったが、以前フェリックスと補講をしていた女の子はついに修学中に子を授かることはなかったらしい。
生活排水の処理の仕事をもらいながら路上で男たちの欲求に応えていると、風の噂で耳にした。
どんな仕事であっても、誇りを持って欲しいと思う。
けれど、きっとこの先も彼女は子を成すことはできず、自由に生きることは難しいだろう。
愛することも、愛されることも経験できず、ただ繁殖の末に生まれて、モノのように扱われるだけの存在。
そんな人たちをこの先増やしていってはならないと、子どもを持ってから殊更強く思うようになった。
ミナミたちが通った学校だけでなく、この国には同じような施設が幾つもある。
全部は無理でも、ひとつずつ、少しずつ変えていきたいと思っている。
ミナミはその点に関しては勝ち気だ。
なぜなら自分たちの学校は変えたという前例があるから。
繁殖思考を根っから変えることはできないが、女性の心身を労ることを念頭に置く、そんな理念が加えられたそうだ。
国民の意識が自己の尊厳や自由を守ることに繋がり、子どもの頃は子どもを楽しみ、大人になったら仕事でも子育てでも、好きなように人生を謳歌できるようになればいいとミナミは願って止まない。
ただ……今になって思うのは広義での"繁殖主義"は悪くないなぁということである。
「ままー、おしごと? いってらっしゃいね!」
「行ってきます! フェリックス、家のことよろしくね」
「あぁ、任せてくれ」
いわゆる助産師のような仕事を始めたミナミは、リスクが多い出産に数多く駆り出されるようになった。
お産はいつ始まるかわからないから、こうしてフェリックスを頼ったり、養育施設に一時的に預けたりしている。
こうして日々を過ごしていると、前世と変わらないんじゃないかと思うこともある。
いや、子どもを増やすことに関しては並々ならぬ情熱を注いでいるから、ミナミがいた国よりも手厚いかも知れない。
この国では親が子を育てるのは極わずかに過ぎない。
実際ミナミも育てていく上で、想像よりも何倍も苦労が絶えなかった。
頑張って作ったご飯はひっくり返されるし、頻繁に熱を出して仕事に穴を開けるし。
養育施設に置いてきた方が楽なのかな、と悩んだことも少なくない。
だけど、子どもたちはミナミを想像以上に笑顔にしてくれた。
そしてそれをフェリックスと共有することで、さらに愛おしさが増してくる。
これは"繁殖"して育てていくことの最大の喜びで、これを一度味わったら最後、麻薬のように癖になってしまい、一度のみならず二度、三度と"繁殖"してしまうことをやめられなくなってしまうのだ。
繁殖主義というこの国の価値観は、税収や働き手のためにあるのだと思っていたけれど、もっと深いところーー子孫繁栄を願うところについては同意せざるを得ないなと、ミナミは空を仰いだ。
仕事を終え家に帰ったのは日付も変わって夜も更けた頃だった。
安らかに寝息を立てる子どもたちの頬に順にキスをして、末娘と眠るフェリックスの隣にそっと潜り込んだ。
太い腕にぴとっと頬を寄せるとき、不安がスッと消えていくような魔法がかかる。
気配を感じたフェリックスは虚ろに目を開けてミナミにキスをし、そしてまた夢の中へ戻った。
(この魔法が効くのはミナミだけだからね)
異世界人の彼の隣は、すっかりミナミの定位置である。
「可愛い」
彼の胸の中に抱かれながら、彼女もまた目を閉じる。
現世ではたくさんの幸せに恵まれたことを、心から感謝して。
「ーー!!! や、柔らかー!!」
泣きながら笑っていた彼の姿が、まだ記憶に新しい。
転生してから十年が経った。
フェリックスとミナミの間には現在六人の子どもがいて、現在も妊娠している。
ミナミの繁殖義務は二十二歳で終了し、それまでに順調に四人の子どもを授かったが、子どもが可愛くてついここまで増えてしまった。
子どもに関する食費など、育てるにはたくさんのお金がかかるがこの国は繁殖を奨励しているので、金銭面では何の問題もない。
家は少々手狭だが、子どもたちが十二歳で家を離れるそのときまであえて身を寄せあって睦まじく暮らそうとぼんやり考えている。
「こいつ、あと数年しか一緒にいられないなんて寂しいな」
三十歳になったフェリックスは、無邪気に弟とじゃれる長男を見ながらそう呟いた。
長い髪は二人目が産まれたときに引っ張られて邪魔だと言ってバッサリ短く切り落とし、今はベリーショートにしている。
十年の月日が流れたが、そう簡単には世界は変わっていないし、繁殖義務は残ったままだ。
前世でいうところの小学生までは各自然るべき施設で基礎的な勉学を履修するが、中学生にあたる年齢からは必修科目に"繁殖"が追加される。
特別待遇で早めに家庭を持ったミナミたちだが、子どもたちはそういうわけにはいかない。
ルールに従い、義務を果たさなければ人として認められない。
子孫も残せなければ理不尽な扱いをされる奴隷となるし、女の子なら性的に搾取される。
「そうだね……こんなに可愛いのにね」
ミナミもフェリックスの意見に頷いた。
こうなることはこの国に来たときから想定していたが、差し迫ってみるとやはりまた別の感情が沸いてくる。
まだ幼くて養護されるべき立場なのに、養護する方へと回らなければならない違和感。
子ども時代があっという間に終わってしまうという喪失感。
「俺は建築の仕事に就くことができたけど、それはミナミがいたから。運が良かっただけなんだ。ミナミがいなかったら俺は今頃、オジサンにケツ出して喜んでいるふりしているんだろうなって、たまに思うんだ」
「……うん」
「こいつらにはそういう思いして欲しくないし、子どもができるかできないかなんて、誰にもわからないだろう? そういう運任せのもので将来が決まってしまうなんておかしいし、本人が努力してきたことで報われる世界になって欲しいと思っているんだ」
「そうだね」
卒業後、同級生の多くは希望の就職先へと進んでいったが、以前フェリックスと補講をしていた女の子はついに修学中に子を授かることはなかったらしい。
生活排水の処理の仕事をもらいながら路上で男たちの欲求に応えていると、風の噂で耳にした。
どんな仕事であっても、誇りを持って欲しいと思う。
けれど、きっとこの先も彼女は子を成すことはできず、自由に生きることは難しいだろう。
愛することも、愛されることも経験できず、ただ繁殖の末に生まれて、モノのように扱われるだけの存在。
そんな人たちをこの先増やしていってはならないと、子どもを持ってから殊更強く思うようになった。
ミナミたちが通った学校だけでなく、この国には同じような施設が幾つもある。
全部は無理でも、ひとつずつ、少しずつ変えていきたいと思っている。
ミナミはその点に関しては勝ち気だ。
なぜなら自分たちの学校は変えたという前例があるから。
繁殖思考を根っから変えることはできないが、女性の心身を労ることを念頭に置く、そんな理念が加えられたそうだ。
国民の意識が自己の尊厳や自由を守ることに繋がり、子どもの頃は子どもを楽しみ、大人になったら仕事でも子育てでも、好きなように人生を謳歌できるようになればいいとミナミは願って止まない。
ただ……今になって思うのは広義での"繁殖主義"は悪くないなぁということである。
「ままー、おしごと? いってらっしゃいね!」
「行ってきます! フェリックス、家のことよろしくね」
「あぁ、任せてくれ」
いわゆる助産師のような仕事を始めたミナミは、リスクが多い出産に数多く駆り出されるようになった。
お産はいつ始まるかわからないから、こうしてフェリックスを頼ったり、養育施設に一時的に預けたりしている。
こうして日々を過ごしていると、前世と変わらないんじゃないかと思うこともある。
いや、子どもを増やすことに関しては並々ならぬ情熱を注いでいるから、ミナミがいた国よりも手厚いかも知れない。
この国では親が子を育てるのは極わずかに過ぎない。
実際ミナミも育てていく上で、想像よりも何倍も苦労が絶えなかった。
頑張って作ったご飯はひっくり返されるし、頻繁に熱を出して仕事に穴を開けるし。
養育施設に置いてきた方が楽なのかな、と悩んだことも少なくない。
だけど、子どもたちはミナミを想像以上に笑顔にしてくれた。
そしてそれをフェリックスと共有することで、さらに愛おしさが増してくる。
これは"繁殖"して育てていくことの最大の喜びで、これを一度味わったら最後、麻薬のように癖になってしまい、一度のみならず二度、三度と"繁殖"してしまうことをやめられなくなってしまうのだ。
繁殖主義というこの国の価値観は、税収や働き手のためにあるのだと思っていたけれど、もっと深いところーー子孫繁栄を願うところについては同意せざるを得ないなと、ミナミは空を仰いだ。
仕事を終え家に帰ったのは日付も変わって夜も更けた頃だった。
安らかに寝息を立てる子どもたちの頬に順にキスをして、末娘と眠るフェリックスの隣にそっと潜り込んだ。
太い腕にぴとっと頬を寄せるとき、不安がスッと消えていくような魔法がかかる。
気配を感じたフェリックスは虚ろに目を開けてミナミにキスをし、そしてまた夢の中へ戻った。
(この魔法が効くのはミナミだけだからね)
異世界人の彼の隣は、すっかりミナミの定位置である。
「可愛い」
彼の胸の中に抱かれながら、彼女もまた目を閉じる。
現世ではたくさんの幸せに恵まれたことを、心から感謝して。
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