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第三部 異世界建築士と思い出の家
閑話⑭:いい夫婦の日に
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※ 2020/11/22初出 「いい夫婦の日」記念作品
それは、ムラタとリトリィ、そしてマイセルが、春先、シェクラの花のもとで結婚を果たし、半年ほど経過した、とある日のこと――
「リトリィ、ちょっといいかい?」
ムラタに呼ばれ、リトリィがリビングに戻ると、ケーキの土台はもう出来上がっており、あとは果実を盛りつけるだけになっていた。
ケーキには、ムラタがクリームをかき混ぜ続けてできたホイップクリームがたっぷりと塗られ、そのうえには、これまたムラタがいったいどこからちょろまかしてきたのか、高価な粉砂糖がまぶされている。
「お姉さま! もうすぐできますよ! こんなケーキ、見たことありません!」
マイセルは嬉しそうだが、リトリィも、こんなケーキは見たことがない。
彼女の中でケーキといったらベイクドケーキである。ドライフルーツやクルミ、はちみつなどを練り込んだ、パンケーキのようなものだ。
表面はしっとり、中はもっちり――それが、リトリィのイメージする「ケーキ」である。そしてそれは、誰もが同じようにイメージするもののはずだった。
そんな彼女だから、こんな、真っ白でふわふわなクリームをごてごてとぬりたくったものなど、聞いたことすらない。よって、彼女の感性では、白いホイップクリームがたっぷりと塗りたくられたその物体は、少々、グロテスクですらあった。
だが、ムラタが提案し、ムラタが主導して作ったケーキである。夫を信用しない妻など、存在する意味はない――気味が悪いと感じてしまった自分を恥じ、首を振って必死にイメージの更新を図る。
――おいしいの。だんなさまが、わたしたちのために提案してくださったんだから、絶対においしいの――!!
「……お姉さま?」
不思議そうに見上げるマイセルに、リトリィは慌てて自身の頬を叩く。
「ごめんなさい。えっと、その……あんまりにも、白くて、綺麗だったから」
「ね! 初めて見ましたよね、こんなケーキ! クリームは料理にたまに使うけど、こんなふわふわなクリーム、初めて見ました!」
搾った乳をしばらく置いておくと、乳脂肪分が分離し、浮いてくる。それを取り出し、かき混ぜることで、ホイップクリームが出来上がる。
原理だけは知っていたムラタは、毛長牛の乳を手に入れると、それを一晩安静にしておいておくことでクリームを取り出すことに成功。氷はないので水で冷やしながら、泡立て器で攪拌することで作り出したのである。
あとは、レモンに似た風味の、酸味の強い果実も利用した。ホイップクリームを作るうえでの裏ワザとして聞いたことがある「クリームにレモン果汁をわずかに混ぜる」テクニックを、氷が使えないからこそ、と、利用したのである。
結果は上々、果実の酸味は取り立てて感じられなかったが、いくぶん、さっぱりとした風味に仕上がった。
本来ならホイップクリームは砂糖を混ぜて作りたかったところだが、残念ながら砂糖は大変貴重なもので、お金があれば買える、というものでもなかったため、甘味の多くははちみつを使うことに。
こうして、ムラタは、ホイップクリームと、それをたっぷりと使ったケーキというものを、この世界にもたらしたのである。
テーブルクロスは、リトリィが編んだレースを、リトリィとマイセルの二人で縁取りした、手作りのもの。花瓶に生けられた花は、シヴィーさんから頂いた。
すべては、今日、この日のために準備してきたもの。
夕方で、もうだいぶ暗くなっていたため、マイセルが燭台のろうそくに火をともす。
すると、ゆらゆらと揺れるろうそくの火によって、テーブルがあたたかな光で包まれた。逆に、それまで窓の外の世界が、急に闇に沈みこんだように、見えなくなる。
「ふふ、なんだか、三人だけの世界に入り込んだみたいですね?」
リトリィが、いたずらっぽく微笑む。
「……そうだな」
ムラタも微笑み返すと、彼女の薄い唇に、そっと唇を押し当てる。つづいて、それを見上げていた、マイセルにも。
▲ △ ▲ △ ▲
「イイフーフ、ですか?」
「ああ。俺の故郷の言葉で、『素敵な夫婦の日』、という意味だ」
ムラタが初めてリトリィと出会ってから一年が経過。しかしリトリィが特に何か気にした様子も見せないのでどうしたものかと案じ続け、ならばと彼が思いついたのがこの「いい夫婦の日」計画である。
地球とは暦も違うので、正確に十一月二十二日であるとは言えないのだが、とりあえず、年始から十一カ月と二十二日目を計算し、無理矢理当てはめたのだ。
――それでいいのだ、記念日など、なければ無理にでも作る。そう、記念日は、自分たちがそう理解できていればいいのだから。
ムラタの目論見は、果たして、達成されたのだった。
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
「でも、こんな日があるって、ニホンって素敵な国ですね!」
マイセルが、嬉しそうに笑う。三人分のさらに、ケーキを取り分けながら。
「結婚記念日でもないのに、夫婦でいられることをお祝いする日があるなんて!」
「……まあ、お祝いというか、なんというか……」
「一年前には、こんな幸せな日が来るなんて……思っていませんでした」
リトリィが、若干、目を潤ませている。
――そうか。
一年前というと、ちょうど、俺たちがすれ違っていた頃だっただろうか。
ムラタは、胸のおくにどろどろとした決まりの悪さを覚え、リトリィに頭を下げた。
「……あの時は、悪かったな」
「いいえ……いいえ! あれがあったから、今のわたしたちがあるんですから。そんな、頭をさげないで、お願い……!」
そんな二人を、マイセルが不思議そうに見やる。
「ムラタさん、お姉さまとけんかでもしたことがあるんですか?」
「い、いや、けんかというか――」
――何と言えばいいのか。
童貞ゆえに、女というものに恐怖心に似た感情を抱いていたこと、そして日本への帰還をあきらめていなかったことが重なり、そのためにリトリィを必要以上に避け、結果として、悲しませてしまったときのことを、どう説明すべきか。
ムラタが頭を抱えたくなる思いをぐるぐると頭の中で巡らせていると、リトリィが、微笑みながら答えた。
「……そういうことも、あったんですよ?」
マイセルは目を丸くすると、次いで、キッとムラタをにらみつけた。
「ムラタさん! お姉さまを悲しませないって、誓ったじゃないですか!」
「ま、待て待て、誤解だ! そのときはまだ、一緒になっていなかったんだ。結婚はもちろん、将来、一緒に暮らすかどうかさえ、決めていなかったんだから!」
その誓い――リトリィを悲しませないこと――は、結婚式の時に披露した、神々への誓いだ。一年前など、リトリィと一緒に生きてゆくことも、ムラタはあきらめていたのだ。
「ムラタさんは、ちゃんと誓いを守ってくださってますよ? マイセルちゃん、落ち着いて?」
微笑むリトリィに促され、すごすごと座るマイセル。
――おい。夫である俺よりも、リトリィの言うことを優先するのか。
ムラタは、思わず苦笑する。
「さあ、そんなことよりも、いただきましょう? ムラタさんが教えてくださったケーキを」
「そうでした! せっかくのイイフーフの日のお祝いだっていうのに、ムラタさんにけんか腰なんて……」
うなだれるマイセルに、神への感謝の祈りを促すリトリィ。マイセルはあわてて指を絡ませ、この世界の様々な神々への祈りのポーズをとる。ムラタも、そんな二人に合わせて、祈りのポーズをとる。
神など大して信じていないムラタだが、この二人と出会うことができた、そのこと自体に感謝をささげるつもりで。
「甘い、甘いですこのクリーム!!」
マイセルが目を丸くし、次いで叫ぶ。
「お姉さま、こんなに甘いクリーム、私、はじめてです!!」
「……わたしも、はじめてです」
マイセルが目を丸くするのを見るのはよくある話だが、リトリィまでもが目を丸くしているのを見るのは、なかなか見られたものではない。仕掛け人たるムラタの面目躍如、といったところだろう。
甘味が貴重なこの世界であるがゆえに、わずかな甘味料で驚いてくれるのは、ムラタにとっても嬉しいところである。彼自身、この世界に来て一年ちょっと、すっかり砂糖自体の甘みから遠ざかっていた。
――ナリクァンさんを拝み倒して手に入れて、本当によかった。
甘味を喜び、楽しむ二人を見て、ムラタはあらためて、家族を持った喜びを、しみじみとかみしめる。
頬にクリームをつけて、しかしそれに気づかずに食べているマイセルに、リトリィが声をかけて手ぬぐいで綺麗にする。
まるで、子供と母親みたいだ。
二人の年齢は十七歳と二十歳。それほど変わらないはずなのだが、山で、唯一の女性として家事を切り盛りしてきたせいだろう。
マイセルよりも大人びた雰囲気が、リトリィをずっと年上に感じさせる。
頬を拭われて、恥ずかしそうにうつむくマイセルが可愛くて、ムラタはつい、フルーツの乗った部分を切り分けて与えてしまう。
「え、いいんですか?」
目を丸くするマイセルに微笑みかけると、ムラタは、リトリィにも同じだけの量を切り分けた。
「あ……ありがとうございます、でも、ムラタさんの分が――」
「ああ。俺は、これだけあれば十分だから」
嘘だ。
彼とて、甘味は嫌いではない。
多少、物足りなくはあるが、ある意味上品ともいえる、ほんのりとした甘みに仕上がったこのクリームは、ムラタにとっても好ましい味だった。
だが、彼にとっては、半分以下になった欠片、それで十分だった。
かつて母も存命だったころ――中学生の自分に、両親は、彼の好物を、もっと食べろ、もっと食べなさいと、自分の皿から取り分けて与えてくれた。
自分で食えばいいのに。
いらないなら、最初から俺の皿に盛り付けておけばいいのに。
ありがたくいただくも、しかし本気でそう思っていた彼だが、今になって、両親の気持ちが分かる。
我が子の喜ぶ姿が見たかったのだ、両親は。
――散々クソ親父、スケベ野郎呼ばわりしたけど、……父さん。
久々に、父親のことを、内心ながら、『父さん』と呼ぶ。
――あんたも、こんな気持ちで、俺に食わせてくれたんだな。
外食に連れて行ってくれた父――早飯の得意な父は、自分だけ食べ終わったあと、じっと自分を見つめてきた。
時折、「……うまいか?」の一言を投げかけ、また、じっと見つめてくる、あの空間、時間が、ムラタはどうにも苦手だった。
早く食えとせかされているようで。
――違ったんだな。
息子がうまそうに食っている姿、それを、無表情に近い顔で見つめつつ、内心、喜んでいたのだろう。
嬉しそうに、またしてもクリームを、今度は鼻先に付けつつケーキをほおばるマイセルに、ムラタは、どうしようもなく愛おしさを感じる。
そして、そんなマイセルの鼻を、またしても拭き取るリトリィにも。
子供ができたら、今、マイセルに対して感じている想いは、そちらに移るのだろう。かつて父が、母が、自分に注いでくれたように。
――ああ、家族を持つって、本当に、いいものなんだな。
生き方は人それぞれだ。
現代日本では、今や子供をつくるかどうか、それを聞くことすらもハラスメントとされるようになった。
確かに個性は尊重されるべきだ――ムラタも、そこは同意している。
ムラタがリトリィを、マイセルを、妻として愛するように。
リトリィが、ムラタを夫として、マイセルを妹として愛するように。
マイセルが、ムラタを夫として、リトリィを姉――もう一人の夫のごとく恋い慕うように。
その一人一人の想いを、心情を、生き方を、誰かに、何かに、束縛されるべきではない。
――だけど、やっぱり、家族って……いいよな。
それだけは、声を大にして言いたい――ムラタは、あらためて、そう思う。
そう、家族はいいものだ、と。
「リトリィ、マイセル」
結婚してから半年。
ふらりと街に現れ、突然、獣人族の娘と姓持ち大工の娘の、二人の女性を妻として娶った自分に対して、世間の目は、温かいだけとは言えないというのが、正直、ムラタの偽らざる気持ちだ。
仕事はいくつか請け負ったが、まだまだ、この街の住人として認められているような気はしない。
だが、それでも決めたのだ、この二人を幸せにすると。
この二人の居場所は、自分が作るのだと。
――自分を支えてくれる、この、二人の女性のために。
不思議そうに自分を見つめる二人に、ムラタは、あらためて、想いをこめて、口を開く。
「――いつもありがとう。二人とも、愛してるよ」
それは、ムラタとリトリィ、そしてマイセルが、春先、シェクラの花のもとで結婚を果たし、半年ほど経過した、とある日のこと――
「リトリィ、ちょっといいかい?」
ムラタに呼ばれ、リトリィがリビングに戻ると、ケーキの土台はもう出来上がっており、あとは果実を盛りつけるだけになっていた。
ケーキには、ムラタがクリームをかき混ぜ続けてできたホイップクリームがたっぷりと塗られ、そのうえには、これまたムラタがいったいどこからちょろまかしてきたのか、高価な粉砂糖がまぶされている。
「お姉さま! もうすぐできますよ! こんなケーキ、見たことありません!」
マイセルは嬉しそうだが、リトリィも、こんなケーキは見たことがない。
彼女の中でケーキといったらベイクドケーキである。ドライフルーツやクルミ、はちみつなどを練り込んだ、パンケーキのようなものだ。
表面はしっとり、中はもっちり――それが、リトリィのイメージする「ケーキ」である。そしてそれは、誰もが同じようにイメージするもののはずだった。
そんな彼女だから、こんな、真っ白でふわふわなクリームをごてごてとぬりたくったものなど、聞いたことすらない。よって、彼女の感性では、白いホイップクリームがたっぷりと塗りたくられたその物体は、少々、グロテスクですらあった。
だが、ムラタが提案し、ムラタが主導して作ったケーキである。夫を信用しない妻など、存在する意味はない――気味が悪いと感じてしまった自分を恥じ、首を振って必死にイメージの更新を図る。
――おいしいの。だんなさまが、わたしたちのために提案してくださったんだから、絶対においしいの――!!
「……お姉さま?」
不思議そうに見上げるマイセルに、リトリィは慌てて自身の頬を叩く。
「ごめんなさい。えっと、その……あんまりにも、白くて、綺麗だったから」
「ね! 初めて見ましたよね、こんなケーキ! クリームは料理にたまに使うけど、こんなふわふわなクリーム、初めて見ました!」
搾った乳をしばらく置いておくと、乳脂肪分が分離し、浮いてくる。それを取り出し、かき混ぜることで、ホイップクリームが出来上がる。
原理だけは知っていたムラタは、毛長牛の乳を手に入れると、それを一晩安静にしておいておくことでクリームを取り出すことに成功。氷はないので水で冷やしながら、泡立て器で攪拌することで作り出したのである。
あとは、レモンに似た風味の、酸味の強い果実も利用した。ホイップクリームを作るうえでの裏ワザとして聞いたことがある「クリームにレモン果汁をわずかに混ぜる」テクニックを、氷が使えないからこそ、と、利用したのである。
結果は上々、果実の酸味は取り立てて感じられなかったが、いくぶん、さっぱりとした風味に仕上がった。
本来ならホイップクリームは砂糖を混ぜて作りたかったところだが、残念ながら砂糖は大変貴重なもので、お金があれば買える、というものでもなかったため、甘味の多くははちみつを使うことに。
こうして、ムラタは、ホイップクリームと、それをたっぷりと使ったケーキというものを、この世界にもたらしたのである。
テーブルクロスは、リトリィが編んだレースを、リトリィとマイセルの二人で縁取りした、手作りのもの。花瓶に生けられた花は、シヴィーさんから頂いた。
すべては、今日、この日のために準備してきたもの。
夕方で、もうだいぶ暗くなっていたため、マイセルが燭台のろうそくに火をともす。
すると、ゆらゆらと揺れるろうそくの火によって、テーブルがあたたかな光で包まれた。逆に、それまで窓の外の世界が、急に闇に沈みこんだように、見えなくなる。
「ふふ、なんだか、三人だけの世界に入り込んだみたいですね?」
リトリィが、いたずらっぽく微笑む。
「……そうだな」
ムラタも微笑み返すと、彼女の薄い唇に、そっと唇を押し当てる。つづいて、それを見上げていた、マイセルにも。
▲ △ ▲ △ ▲
「イイフーフ、ですか?」
「ああ。俺の故郷の言葉で、『素敵な夫婦の日』、という意味だ」
ムラタが初めてリトリィと出会ってから一年が経過。しかしリトリィが特に何か気にした様子も見せないのでどうしたものかと案じ続け、ならばと彼が思いついたのがこの「いい夫婦の日」計画である。
地球とは暦も違うので、正確に十一月二十二日であるとは言えないのだが、とりあえず、年始から十一カ月と二十二日目を計算し、無理矢理当てはめたのだ。
――それでいいのだ、記念日など、なければ無理にでも作る。そう、記念日は、自分たちがそう理解できていればいいのだから。
ムラタの目論見は、果たして、達成されたのだった。
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
「でも、こんな日があるって、ニホンって素敵な国ですね!」
マイセルが、嬉しそうに笑う。三人分のさらに、ケーキを取り分けながら。
「結婚記念日でもないのに、夫婦でいられることをお祝いする日があるなんて!」
「……まあ、お祝いというか、なんというか……」
「一年前には、こんな幸せな日が来るなんて……思っていませんでした」
リトリィが、若干、目を潤ませている。
――そうか。
一年前というと、ちょうど、俺たちがすれ違っていた頃だっただろうか。
ムラタは、胸のおくにどろどろとした決まりの悪さを覚え、リトリィに頭を下げた。
「……あの時は、悪かったな」
「いいえ……いいえ! あれがあったから、今のわたしたちがあるんですから。そんな、頭をさげないで、お願い……!」
そんな二人を、マイセルが不思議そうに見やる。
「ムラタさん、お姉さまとけんかでもしたことがあるんですか?」
「い、いや、けんかというか――」
――何と言えばいいのか。
童貞ゆえに、女というものに恐怖心に似た感情を抱いていたこと、そして日本への帰還をあきらめていなかったことが重なり、そのためにリトリィを必要以上に避け、結果として、悲しませてしまったときのことを、どう説明すべきか。
ムラタが頭を抱えたくなる思いをぐるぐると頭の中で巡らせていると、リトリィが、微笑みながら答えた。
「……そういうことも、あったんですよ?」
マイセルは目を丸くすると、次いで、キッとムラタをにらみつけた。
「ムラタさん! お姉さまを悲しませないって、誓ったじゃないですか!」
「ま、待て待て、誤解だ! そのときはまだ、一緒になっていなかったんだ。結婚はもちろん、将来、一緒に暮らすかどうかさえ、決めていなかったんだから!」
その誓い――リトリィを悲しませないこと――は、結婚式の時に披露した、神々への誓いだ。一年前など、リトリィと一緒に生きてゆくことも、ムラタはあきらめていたのだ。
「ムラタさんは、ちゃんと誓いを守ってくださってますよ? マイセルちゃん、落ち着いて?」
微笑むリトリィに促され、すごすごと座るマイセル。
――おい。夫である俺よりも、リトリィの言うことを優先するのか。
ムラタは、思わず苦笑する。
「さあ、そんなことよりも、いただきましょう? ムラタさんが教えてくださったケーキを」
「そうでした! せっかくのイイフーフの日のお祝いだっていうのに、ムラタさんにけんか腰なんて……」
うなだれるマイセルに、神への感謝の祈りを促すリトリィ。マイセルはあわてて指を絡ませ、この世界の様々な神々への祈りのポーズをとる。ムラタも、そんな二人に合わせて、祈りのポーズをとる。
神など大して信じていないムラタだが、この二人と出会うことができた、そのこと自体に感謝をささげるつもりで。
「甘い、甘いですこのクリーム!!」
マイセルが目を丸くし、次いで叫ぶ。
「お姉さま、こんなに甘いクリーム、私、はじめてです!!」
「……わたしも、はじめてです」
マイセルが目を丸くするのを見るのはよくある話だが、リトリィまでもが目を丸くしているのを見るのは、なかなか見られたものではない。仕掛け人たるムラタの面目躍如、といったところだろう。
甘味が貴重なこの世界であるがゆえに、わずかな甘味料で驚いてくれるのは、ムラタにとっても嬉しいところである。彼自身、この世界に来て一年ちょっと、すっかり砂糖自体の甘みから遠ざかっていた。
――ナリクァンさんを拝み倒して手に入れて、本当によかった。
甘味を喜び、楽しむ二人を見て、ムラタはあらためて、家族を持った喜びを、しみじみとかみしめる。
頬にクリームをつけて、しかしそれに気づかずに食べているマイセルに、リトリィが声をかけて手ぬぐいで綺麗にする。
まるで、子供と母親みたいだ。
二人の年齢は十七歳と二十歳。それほど変わらないはずなのだが、山で、唯一の女性として家事を切り盛りしてきたせいだろう。
マイセルよりも大人びた雰囲気が、リトリィをずっと年上に感じさせる。
頬を拭われて、恥ずかしそうにうつむくマイセルが可愛くて、ムラタはつい、フルーツの乗った部分を切り分けて与えてしまう。
「え、いいんですか?」
目を丸くするマイセルに微笑みかけると、ムラタは、リトリィにも同じだけの量を切り分けた。
「あ……ありがとうございます、でも、ムラタさんの分が――」
「ああ。俺は、これだけあれば十分だから」
嘘だ。
彼とて、甘味は嫌いではない。
多少、物足りなくはあるが、ある意味上品ともいえる、ほんのりとした甘みに仕上がったこのクリームは、ムラタにとっても好ましい味だった。
だが、彼にとっては、半分以下になった欠片、それで十分だった。
かつて母も存命だったころ――中学生の自分に、両親は、彼の好物を、もっと食べろ、もっと食べなさいと、自分の皿から取り分けて与えてくれた。
自分で食えばいいのに。
いらないなら、最初から俺の皿に盛り付けておけばいいのに。
ありがたくいただくも、しかし本気でそう思っていた彼だが、今になって、両親の気持ちが分かる。
我が子の喜ぶ姿が見たかったのだ、両親は。
――散々クソ親父、スケベ野郎呼ばわりしたけど、……父さん。
久々に、父親のことを、内心ながら、『父さん』と呼ぶ。
――あんたも、こんな気持ちで、俺に食わせてくれたんだな。
外食に連れて行ってくれた父――早飯の得意な父は、自分だけ食べ終わったあと、じっと自分を見つめてきた。
時折、「……うまいか?」の一言を投げかけ、また、じっと見つめてくる、あの空間、時間が、ムラタはどうにも苦手だった。
早く食えとせかされているようで。
――違ったんだな。
息子がうまそうに食っている姿、それを、無表情に近い顔で見つめつつ、内心、喜んでいたのだろう。
嬉しそうに、またしてもクリームを、今度は鼻先に付けつつケーキをほおばるマイセルに、ムラタは、どうしようもなく愛おしさを感じる。
そして、そんなマイセルの鼻を、またしても拭き取るリトリィにも。
子供ができたら、今、マイセルに対して感じている想いは、そちらに移るのだろう。かつて父が、母が、自分に注いでくれたように。
――ああ、家族を持つって、本当に、いいものなんだな。
生き方は人それぞれだ。
現代日本では、今や子供をつくるかどうか、それを聞くことすらもハラスメントとされるようになった。
確かに個性は尊重されるべきだ――ムラタも、そこは同意している。
ムラタがリトリィを、マイセルを、妻として愛するように。
リトリィが、ムラタを夫として、マイセルを妹として愛するように。
マイセルが、ムラタを夫として、リトリィを姉――もう一人の夫のごとく恋い慕うように。
その一人一人の想いを、心情を、生き方を、誰かに、何かに、束縛されるべきではない。
――だけど、やっぱり、家族って……いいよな。
それだけは、声を大にして言いたい――ムラタは、あらためて、そう思う。
そう、家族はいいものだ、と。
「リトリィ、マイセル」
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だが、それでも決めたのだ、この二人を幸せにすると。
この二人の居場所は、自分が作るのだと。
――自分を支えてくれる、この、二人の女性のために。
不思議そうに自分を見つめる二人に、ムラタは、あらためて、想いをこめて、口を開く。
「――いつもありがとう。二人とも、愛してるよ」
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