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第三部 異世界建築士と思い出の家
第305話:日ノ本の誓い
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「親父さん、来てくださったんですね」
「……娘の晴れ姿を見に駆けつけねえ親父は、親父じゃねえからな」
リトリィの向かって右隣に、親父殿――ジルンディール親方がいた。あれほど頑なに、式に出るのを拒んでいたのに。
「息子どもがうるさくてな。……ああ、そうだ。おめぇがヘマをやらかしたら、すぐに連れて帰るんだって、アイネの阿呆がな」
……来てるのか、あいつ。
「主だった連中は、先におめぇの家に行っている。いつまでもぼーっと突っ立ってんじゃねえ。おめぇが花嫁の手を取らねぇと、式が進まねぇだろうが」
――そうだった。
日本だと、バージンロードを親と共に歩いてくる花嫁だけど、ここのしきたりは、俺が花嫁と腕を組んで、宣誓台に向かわねばならないんだ。
本当は俺が右、花嫁が左で、二人で歩く。けれど、今日は俺と、リトリィと、そしてマイセルの三人だ。俺が中央で、左がリトリィ、そして右がマイセルというのは、今朝、彼女たちが着付けに入る前に打ち合わせた。
「……親父さん、リトリィをいただきます。今まで、ありがとうございました」
「うるせぇ。しゃべるな。在庫が一つ片付いただけだ」
なんだか親父殿の機嫌が悪い。
だが、おそらく照れ隠しか、あるいは、感無量のあまり言葉が出ないのか。
どっちだっていい、駆けつけてくださっただけでも本当にうれしい。リトリィの笑顔は、間違いなく、親父さんが来てくれたこともあるのだろうから。
……ただ、服装は、なんというかその、いつもの破れズボンに半袖のシャツのようなもの。いくら庶民の結婚式とはいえ、もう少し何とかならなかったのか。
マレットさんの方は、まだ、作業服そのものとはいえ、洗い立てのパリッとした感じはでてるぞ。
……燕尾服とは言わないから、略礼服みたいな、「ハレの日には一張羅を着る」という文化、ないんですかね?
「……マレットさん。お世話になりました。今後ともよろしくお願いします」
「おう。待ちくたびれたぜ。やっと、だな」
白い歯を見せニヤリとするマレットさん。マイセルがはにかんでうつむく。
「一世一代の見栄を切ってくれよ? 男っ気のなかった金槌娘をその気にさせた、あんたの誓い、期待してるぜ」
……がっはっはと、いつもの無遠慮な笑い声。マイセルが恥ずかしそうに小声で咎めるが、まったく気にしていない様子だった。
俺は改めて、リトリィと、そしてマイセルの間に立つ。
彼女たちは、二人とも、特徴的な、花の形をしたリボンを、腰の帯に着けていた。
どちらも、向かって左側。
つまり、彼女たちにとって、右側。
感慨深いリボンだ。
リトリィが草刈りの大鎌を、山にやって来た時にプレゼンしてみせたときに着ていたフラウディル。
あのときも、向かって左側に着けていた。
あの時、フラフィーにリボンの位置の意味を聞いたとき、俺は見た目通りの「左側」の意味に受け取った。すなわち、「特定の相手はいません」のサインだと。
そうじゃなかったんだ。
あのときも、今も、向かって左側に付けている。
その意味するところは、「私には『右の君』がいます」。「右の君」とは「夫」、もしくは「結婚を前提とした恋人」のことを指すそうだ。
あの頃は井戸に風車を立てたばかりで、俺自身、まだ日本に帰るつもりでいた。
リトリィはそんなころから、すでに俺と添い遂げるつもりでいたんだ。
ああ、ついに、彼女が俺に差し向け続けてくれた想いに、応える時が来たんだ。
感慨深いものを胸に、一歩、二歩……前に進んで、彼女たちと同じ列に並ぶ。
後ろには、リトリィの側にペリシャさん、マイセルの側には、クラムさんとネイジェルさんがそれぞれ控えていた。
クラムさんとネイジェルさんが、小さく手を振る。実に嬉しそうに。
対してペリシャさんは、わずかに目をこちらに向けて、微笑んでみせるだけだった。だが、しっぽがゆらゆら揺れている。リトリィほどでないにしろ、やはり感情は尻尾に現れるものらしい。
三人にそれぞれ頭を下げると、俺は改めて背筋を伸ばし、回れ右をした。
リトリィとマイセルが、それぞれ、そっと寄り添って俺の腕に手を添える。
「では、こちらで宣誓を行ってください」
役所の進行のひとに促され、俺はゆっくりと、踏み出した。
この世界に落ちてきて、右も左も分からないまま、俺はこの世界でもがいてきた。
日本の常識がまるで通じず、それなりに敬意を払われ、誇りを持ってきた建築士という価値を否定されながら。
今でも、俺の二級建築士という肩書を聞いたひとは、みな首をかしげるだろうし、設計以外の大工的技能は町大工に劣る、という仕事のスタイルを聞いたら、まずは否定されるのだろう。
電気もガスも水道もない、もちろんCAD以前にコンピュータがない。それどころか、いまだに正確な分度器一つない。
あるのは手製のコンパスと、目盛りすらついていない定規が一本。それが俺の、この世界で最初に手に入れた武器だ。
――いや、本当の意味での武器は、……リトリィだ。
俺の心が折れそうになったとき、行き詰ったとき、悩んだとき――いつも支えてくれた、大切なひと。
今も、俺と目を合わせ、微笑みを返してくれた彼女。
ずっとそばに寄り添い、時に叱咤し、俺が進むべき道を、指し示してくれたひと。
きゅっと、マイセルの腕に力が入る。
見ると、マイセルがひどく緊張した様子で、うつむき加減に歩いていた。
俺も、少し、力を入れる。
マイセルがそれに気づいたか、俺の方をわずかに見上げた。
俺だって緊張で顔がこわばっている自覚を持ちつつも、精一杯の笑顔を向ける。
女性ながら、父の背中を見て大工を志した少女。
生まれ育った街を愛し、大工への夢を語り、その実現のために知識を身に付け、親に反対され表面上は従いながらも、ずっとその想いを絶やすことなく持ち続けた。
俺にとって、建築に携わる後輩ができたようで、彼女と語り合うのは楽しかった。その彼女と、今後は未来を共にし、街づくりに携わってゆくのだ、俺は。
マイセルが、ぎこちなく、笑顔を返す。
それを確認し、俺はまた、まっすぐ前を向く。
……さあ、三人で歩む、始まりだ。
「ようこそ、お越しくださいました。戸籍局局長、ダルブライン・オゥフメルクです。本日この会は、わたくしが進めさせていただきますが、よろしいですね?」
慇懃な礼と共に、笑顔で問われる。局長さんか。忙しいだろうに、わざわざトップが取り仕切ってくれるのか。ありがたい、もちろん答えは決まっている。
まずは簡単な挨拶を済ませ、次に誓いの言葉。これは暗記してきたとおりに流すからそれほど難しくない。
翻訳首輪によって俺の馴染みやすい言葉に変換されているからというのもあるんだろうが、「健やかなるときも病めるときも」みたいなのはほんと、定型文なんだなあと思う。
ただ、それを、自分たちで宣言しなければならない。日本だと、神父さんが長々としゃべったあと、最後に聞いてくる言葉に「誓います」と言うだけで済んでたはずなんだが。
で、覚えたつもりだったのだが、やはり「間違いは許されない」という緊張感のせいだろうか。
途中、何を言えばいいか分からなくなって声が出なくなってしまった瞬間があったのは、ごめんなさい。ダルブライン局長さん、こっそり教えてくれてありがとう。
天窓から、いい具合に光が差し込んでくる。
朝一番の組の特典らしい。
悪いな、本来の一番手。
最高の特典は、俺たちが先にいただいた。
宣誓台に立つ俺たち三人が、永久の愛を誓いあう。
さんさんと降り注ぐ、日の光のもとで。
さあ、仕上げだ。
「――いずれ来る休息のとき、わたしたちは良き人のために、その枕元で、あなたのおかげで良き人生であったと、笑顔で送り出せると――」
誓いの、最後の言葉。
最期を共にできるか。
年齢的に、間違いなく、俺が見送られるのが先だ。
考えたくないことだけどな。
それは、彼女たちも分かっているはずだ。
それでも、二人は俺を選んでくれたのだ。
軽く、三人で、呼吸を合わせる。
「誓います」
ダルブライン局長が、一拍置いてうなずき、そして、にっこりと微笑む。
「ここに、誓約は成されました。では、こちらの誓約書に、署名を」
署名!
がんばって練習したぞ、自分の名前だけはスムーズに書けるように!
まずは俺から、そしてリトリィ、最後にマイセル。
「ムラタさん、これ――?」
リトリィは何も言わなかったが、息を呑んだのは分かった。マイセルは、不安げにこちらを見上げる。
「これから俺は、これを名乗る。分かる人にはわかる、そういう氏だ」
「氏――これが、ムラタさんの……」
俺が、結婚が現実的に迫ってきてから、考えていたこと。
以前、マレットさんたちと仕事帰りに飲んで騒いでいたときに聞いたことがあった。
ファミリーネームを名乗れるのは、王族か貴族、あるいは、それらから与えられた場合のみ。
例えばマレットさんは、そのご先祖様が町大工として功績をあげたらしく、世襲大工の証として「ジンメルマン」の姓を賜っており、代々それを名乗っている。
もし経歴を偽ってファミリーネームを詐称したら、最悪、一族連座の死罪なのだとか。それを聞いて俺は、二度と「村田誠作」を名乗れない、と勘違いをした。
しかし、瀧井さんは「瀧井冶三郎」であり、そのまま「ヤサブロー・タキイ」を名乗っている。そして、瀧井さんに嫁いだペリシャさんは、そのまま「タキイ夫人」だ。
つまり、土地に関する名字――すなわち氏なら、問題なく名乗れるのだ。これは瀧井さんにも確認したことだから、間違いない。
だが、俺はもう、リトリィにもマイセルにも、「名」が「ムラタ」だとして伝わってしまっているし、それで言い慣わされている。いまさらこれが名字でした、なんて言いづらい。
じゃあ、どうするか。
簡単だ。この世界で、絶対に、詐称と疑われることのない名字を名乗ればいいのだ。王族とかと被ると死罪だけど、そもそも存在しない言葉なら。
だから、俺は、これから氏として名乗るのだ。
この名を。
「ムラタさん、私、読み方がわからなくて……なんて、読むんですか?」
マイセルがおそるおそる聞いてくる。
そりゃそうだ、読めるわけがない。読めるのは日本人だけだ。
だから二人に、その読み方を教える。
「ムラタさん、……わたしたちも、名乗るんですか? あ、いえ、名乗っても、いいんですか?」
「ああ。当然だよ、リトリィ――いや、『ヒノモト夫人』」
この世界で、誰よりも美しく気高い獣人の女性と、大工を志したパイオニアたる女性と共に生きた、日本人の証を残す。
それが俺――日ノ本ムラタ。
「……娘の晴れ姿を見に駆けつけねえ親父は、親父じゃねえからな」
リトリィの向かって右隣に、親父殿――ジルンディール親方がいた。あれほど頑なに、式に出るのを拒んでいたのに。
「息子どもがうるさくてな。……ああ、そうだ。おめぇがヘマをやらかしたら、すぐに連れて帰るんだって、アイネの阿呆がな」
……来てるのか、あいつ。
「主だった連中は、先におめぇの家に行っている。いつまでもぼーっと突っ立ってんじゃねえ。おめぇが花嫁の手を取らねぇと、式が進まねぇだろうが」
――そうだった。
日本だと、バージンロードを親と共に歩いてくる花嫁だけど、ここのしきたりは、俺が花嫁と腕を組んで、宣誓台に向かわねばならないんだ。
本当は俺が右、花嫁が左で、二人で歩く。けれど、今日は俺と、リトリィと、そしてマイセルの三人だ。俺が中央で、左がリトリィ、そして右がマイセルというのは、今朝、彼女たちが着付けに入る前に打ち合わせた。
「……親父さん、リトリィをいただきます。今まで、ありがとうございました」
「うるせぇ。しゃべるな。在庫が一つ片付いただけだ」
なんだか親父殿の機嫌が悪い。
だが、おそらく照れ隠しか、あるいは、感無量のあまり言葉が出ないのか。
どっちだっていい、駆けつけてくださっただけでも本当にうれしい。リトリィの笑顔は、間違いなく、親父さんが来てくれたこともあるのだろうから。
……ただ、服装は、なんというかその、いつもの破れズボンに半袖のシャツのようなもの。いくら庶民の結婚式とはいえ、もう少し何とかならなかったのか。
マレットさんの方は、まだ、作業服そのものとはいえ、洗い立てのパリッとした感じはでてるぞ。
……燕尾服とは言わないから、略礼服みたいな、「ハレの日には一張羅を着る」という文化、ないんですかね?
「……マレットさん。お世話になりました。今後ともよろしくお願いします」
「おう。待ちくたびれたぜ。やっと、だな」
白い歯を見せニヤリとするマレットさん。マイセルがはにかんでうつむく。
「一世一代の見栄を切ってくれよ? 男っ気のなかった金槌娘をその気にさせた、あんたの誓い、期待してるぜ」
……がっはっはと、いつもの無遠慮な笑い声。マイセルが恥ずかしそうに小声で咎めるが、まったく気にしていない様子だった。
俺は改めて、リトリィと、そしてマイセルの間に立つ。
彼女たちは、二人とも、特徴的な、花の形をしたリボンを、腰の帯に着けていた。
どちらも、向かって左側。
つまり、彼女たちにとって、右側。
感慨深いリボンだ。
リトリィが草刈りの大鎌を、山にやって来た時にプレゼンしてみせたときに着ていたフラウディル。
あのときも、向かって左側に着けていた。
あの時、フラフィーにリボンの位置の意味を聞いたとき、俺は見た目通りの「左側」の意味に受け取った。すなわち、「特定の相手はいません」のサインだと。
そうじゃなかったんだ。
あのときも、今も、向かって左側に付けている。
その意味するところは、「私には『右の君』がいます」。「右の君」とは「夫」、もしくは「結婚を前提とした恋人」のことを指すそうだ。
あの頃は井戸に風車を立てたばかりで、俺自身、まだ日本に帰るつもりでいた。
リトリィはそんなころから、すでに俺と添い遂げるつもりでいたんだ。
ああ、ついに、彼女が俺に差し向け続けてくれた想いに、応える時が来たんだ。
感慨深いものを胸に、一歩、二歩……前に進んで、彼女たちと同じ列に並ぶ。
後ろには、リトリィの側にペリシャさん、マイセルの側には、クラムさんとネイジェルさんがそれぞれ控えていた。
クラムさんとネイジェルさんが、小さく手を振る。実に嬉しそうに。
対してペリシャさんは、わずかに目をこちらに向けて、微笑んでみせるだけだった。だが、しっぽがゆらゆら揺れている。リトリィほどでないにしろ、やはり感情は尻尾に現れるものらしい。
三人にそれぞれ頭を下げると、俺は改めて背筋を伸ばし、回れ右をした。
リトリィとマイセルが、それぞれ、そっと寄り添って俺の腕に手を添える。
「では、こちらで宣誓を行ってください」
役所の進行のひとに促され、俺はゆっくりと、踏み出した。
この世界に落ちてきて、右も左も分からないまま、俺はこの世界でもがいてきた。
日本の常識がまるで通じず、それなりに敬意を払われ、誇りを持ってきた建築士という価値を否定されながら。
今でも、俺の二級建築士という肩書を聞いたひとは、みな首をかしげるだろうし、設計以外の大工的技能は町大工に劣る、という仕事のスタイルを聞いたら、まずは否定されるのだろう。
電気もガスも水道もない、もちろんCAD以前にコンピュータがない。それどころか、いまだに正確な分度器一つない。
あるのは手製のコンパスと、目盛りすらついていない定規が一本。それが俺の、この世界で最初に手に入れた武器だ。
――いや、本当の意味での武器は、……リトリィだ。
俺の心が折れそうになったとき、行き詰ったとき、悩んだとき――いつも支えてくれた、大切なひと。
今も、俺と目を合わせ、微笑みを返してくれた彼女。
ずっとそばに寄り添い、時に叱咤し、俺が進むべき道を、指し示してくれたひと。
きゅっと、マイセルの腕に力が入る。
見ると、マイセルがひどく緊張した様子で、うつむき加減に歩いていた。
俺も、少し、力を入れる。
マイセルがそれに気づいたか、俺の方をわずかに見上げた。
俺だって緊張で顔がこわばっている自覚を持ちつつも、精一杯の笑顔を向ける。
女性ながら、父の背中を見て大工を志した少女。
生まれ育った街を愛し、大工への夢を語り、その実現のために知識を身に付け、親に反対され表面上は従いながらも、ずっとその想いを絶やすことなく持ち続けた。
俺にとって、建築に携わる後輩ができたようで、彼女と語り合うのは楽しかった。その彼女と、今後は未来を共にし、街づくりに携わってゆくのだ、俺は。
マイセルが、ぎこちなく、笑顔を返す。
それを確認し、俺はまた、まっすぐ前を向く。
……さあ、三人で歩む、始まりだ。
「ようこそ、お越しくださいました。戸籍局局長、ダルブライン・オゥフメルクです。本日この会は、わたくしが進めさせていただきますが、よろしいですね?」
慇懃な礼と共に、笑顔で問われる。局長さんか。忙しいだろうに、わざわざトップが取り仕切ってくれるのか。ありがたい、もちろん答えは決まっている。
まずは簡単な挨拶を済ませ、次に誓いの言葉。これは暗記してきたとおりに流すからそれほど難しくない。
翻訳首輪によって俺の馴染みやすい言葉に変換されているからというのもあるんだろうが、「健やかなるときも病めるときも」みたいなのはほんと、定型文なんだなあと思う。
ただ、それを、自分たちで宣言しなければならない。日本だと、神父さんが長々としゃべったあと、最後に聞いてくる言葉に「誓います」と言うだけで済んでたはずなんだが。
で、覚えたつもりだったのだが、やはり「間違いは許されない」という緊張感のせいだろうか。
途中、何を言えばいいか分からなくなって声が出なくなってしまった瞬間があったのは、ごめんなさい。ダルブライン局長さん、こっそり教えてくれてありがとう。
天窓から、いい具合に光が差し込んでくる。
朝一番の組の特典らしい。
悪いな、本来の一番手。
最高の特典は、俺たちが先にいただいた。
宣誓台に立つ俺たち三人が、永久の愛を誓いあう。
さんさんと降り注ぐ、日の光のもとで。
さあ、仕上げだ。
「――いずれ来る休息のとき、わたしたちは良き人のために、その枕元で、あなたのおかげで良き人生であったと、笑顔で送り出せると――」
誓いの、最後の言葉。
最期を共にできるか。
年齢的に、間違いなく、俺が見送られるのが先だ。
考えたくないことだけどな。
それは、彼女たちも分かっているはずだ。
それでも、二人は俺を選んでくれたのだ。
軽く、三人で、呼吸を合わせる。
「誓います」
ダルブライン局長が、一拍置いてうなずき、そして、にっこりと微笑む。
「ここに、誓約は成されました。では、こちらの誓約書に、署名を」
署名!
がんばって練習したぞ、自分の名前だけはスムーズに書けるように!
まずは俺から、そしてリトリィ、最後にマイセル。
「ムラタさん、これ――?」
リトリィは何も言わなかったが、息を呑んだのは分かった。マイセルは、不安げにこちらを見上げる。
「これから俺は、これを名乗る。分かる人にはわかる、そういう氏だ」
「氏――これが、ムラタさんの……」
俺が、結婚が現実的に迫ってきてから、考えていたこと。
以前、マレットさんたちと仕事帰りに飲んで騒いでいたときに聞いたことがあった。
ファミリーネームを名乗れるのは、王族か貴族、あるいは、それらから与えられた場合のみ。
例えばマレットさんは、そのご先祖様が町大工として功績をあげたらしく、世襲大工の証として「ジンメルマン」の姓を賜っており、代々それを名乗っている。
もし経歴を偽ってファミリーネームを詐称したら、最悪、一族連座の死罪なのだとか。それを聞いて俺は、二度と「村田誠作」を名乗れない、と勘違いをした。
しかし、瀧井さんは「瀧井冶三郎」であり、そのまま「ヤサブロー・タキイ」を名乗っている。そして、瀧井さんに嫁いだペリシャさんは、そのまま「タキイ夫人」だ。
つまり、土地に関する名字――すなわち氏なら、問題なく名乗れるのだ。これは瀧井さんにも確認したことだから、間違いない。
だが、俺はもう、リトリィにもマイセルにも、「名」が「ムラタ」だとして伝わってしまっているし、それで言い慣わされている。いまさらこれが名字でした、なんて言いづらい。
じゃあ、どうするか。
簡単だ。この世界で、絶対に、詐称と疑われることのない名字を名乗ればいいのだ。王族とかと被ると死罪だけど、そもそも存在しない言葉なら。
だから、俺は、これから氏として名乗るのだ。
この名を。
「ムラタさん、私、読み方がわからなくて……なんて、読むんですか?」
マイセルがおそるおそる聞いてくる。
そりゃそうだ、読めるわけがない。読めるのは日本人だけだ。
だから二人に、その読み方を教える。
「ムラタさん、……わたしたちも、名乗るんですか? あ、いえ、名乗っても、いいんですか?」
「ああ。当然だよ、リトリィ――いや、『ヒノモト夫人』」
この世界で、誰よりも美しく気高い獣人の女性と、大工を志したパイオニアたる女性と共に生きた、日本人の証を残す。
それが俺――日ノ本ムラタ。
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