上 下
278 / 329
第三部 異世界建築士と思い出の家

第257話:再遭遇(2/2)

しおりを挟む
 今、目の前にいるなど――再び遭うなど信じ難い――いや、信じたくない――存在が、そこに立っていた。

「このメスには、オレの仔を産ませるんだ。触るんじゃねえ」

 へたり込むリトリィの前に、全身、枯草色の毛並みをあらわにした狼男が。
 ――ガルフ!

「おまえ……どうして、ここに……!」
「前の雇い主の飼い犬どもが、懲りていないようだったからな。を張っておけば来ると思っていた」
「なにが……『オレのメス』だ! リトリィは――」

 怒りに任せて駆け寄ろうとするが、一歩踏み出した時点で、腹部に焼けつくような衝撃を覚え、そのまま腰砕けになりしゃがみこむ。

 ……血?

 今さら気づいた、俺の腹から脇腹にかけて、服が、真っ赤に染まっていた。
 あのとき――リトリィに突き飛ばされたあのとき、あの、ガルフに殴り飛ばされた緑のフードローブの男に、刺されかけたんだ、俺は。
 もし突き飛ばされていなかったら……

 あの、禍々しくうねる黒い刀身を思い出す。
 あれが、腹を突き破っていたのだろう。
 焼けつくような痛みが、今さらのように襲ってくる。
 くそっ……こんな……こんなときに!! 

「今度ばかりは助けたのはオレだ。おい、今度こそオレと来い。オレの――」

 ガルフは言いかけて、そのまま口を閉じた。

 リトリィだ。
 リトリィが、ガルフの胸に、両手を突き出していた。
 いや、突き飛ばそうとしたのだ。

「……メスの力で、オレに敵うと思ったのか?」
「わたしは……あなたのものにはならないと、言ったはずです」
「それはなぜだ?」
「わたしが仕えるかたは、ムラタさんただひとりだけだからです」

 一切の迷いの見えない、凛とした、リトリィの表情。
 ガルフは首を掻きながら、リトリィの手を掴み上げるとつまらなそうに言った。

「オレの仔を産み育てるだけでいい、あとは好きにしろ」
「放して、ください! あなたの仔なんて産みません!」
「オレの仔はお前が産むんだ。前にもそう言ったろう?」
「ひと殺しのあなたの仔なんて、絶対産むもんですか!」
「じゃあ、人を殺さなければ、オレの仔を産むんだな?」

 刺されかけたと思ったら、次はガルフかよ、くそったれ……!
 俺は必死で這いずりながら、リトリィの元に近寄ろうとしたときだった。

「ムラタさん! おけが……してるじゃないですか! はねられたんですか!?」

 マイセルだった。大工達も、馬車のほうに駆け寄る。

「おい、馬車を起こせ!」
「中に誰かいないか!?」

 そう、俺たちを襲った、馬車のほうに駆け寄ったのだ。
 マイセルの腕を払うようにして、俺は身を起こすと、必死に叫ぶ。

「だ――だめだ! 近寄っちゃだめだ! そいつらは――」

 俺が言い終わる前に、ボロ雑巾のように転がっていた男を、大工の一人が助け起こそうとしたときだった。

 その瞬間、リトリィの前から、ガルフが消えていた。

 と同時に、倒れていたはずの緑のフードマントの男がいた場所にガルフが立っていていて、そして倒れていた男が宙を舞っていた。
 実に無造作に、投げ飛ばされていたのだ。ガルフによって。

 道路を挟む三階建ての家の、実に三階の窓ほどの高さまで放り投げられた男は、そのまま横転した馬車の上に落下する。
 男の体は、横転して天を向いていた側面ドアをぶち破って、馬車の中に消えた。馬車を起こそうとしていた男たちが、悲鳴を上げて離れる。

「な、何しやがるんだ、このケモノ野郎ベスティアールめ!」
「おい! あんた! 生きてるか!」

 再び馬車に近寄ろうとする大工達。
 ガルフの所業にあっけに取られていたらしいリトリィは、ハッとしたようにこちらに駆け寄ってくる。

 すると、面倒くさそうにガルフが言った。

「おい、馬車に近寄るな。そいつはまだ生きている。そいつらは奴隷商人の残党だ」

 そして、いつの間に手にしていたのか、黒い刀身の短剣を放り投げる。
 短剣のうねる刃が、夕日を反射し、禍々しく光る。

 大工達が一斉にガルフを見た。

「ど、奴隷商人って、この前、冒険者たちがぶっ潰したっていう、あの――」
「ほ、本当か……?」

 戸惑う彼らを、ガルフは面倒くさそうに睨みつけた。

「オレは嘘など言わん。お前らヒト・・と違ってな」

 ガルフの言葉に憤慨する大工達など意に介さず、ガルフは俺たちのところにやって来た。リトリィが、俺と、そしてマイセルの体を抱きしめる。ガルフを睨みながら。

 マイセルの体が、俺にすがり付きながら震えているのが分かる。
 それもそうだろう、成人男性を一人、十メートルほどのまで放り投げた、怪力の持ち主なのだ。
 しかも背格好は人に似ていながら、しかし原初プリムと呼ばれる、人ではない屈強な獣人。怖くないわけがないだろう。

 俺の方だって、脂汗を流しながら必死に痛みをこらえてるから、怖がる余裕もないだけだ。予備知識が無かったら、怖いに決まっている……!

 ガルフはリトリィの前で立ち止まると、あまり感情の感じられない目で、俺たちを――正しくはリトリィを見下ろした。

「……なにか、ご用、ですか」
「殺さなかったぞ」

 ―― 一瞬、何を言われたのか、理解ができなかった。それはリトリィも同じだったらしい。

「……それは、どういう……」
「殺さなかったと言ったんだ」
「……どう、いう、意味……」
「人殺しの仔は産みたくないと言ったからな」

 息をするのも面倒くさそうに、ガルフは答えた。

「だから、殺さなかった。お前の言った通りにしたぞ。オレの仔を産む気になったか」

 ……この期に及んで、なお言うか……!
 歯を食いしばって顔を上げる。

「おまえ、が、……したことを、俺たちが、忘れるとでも、思ったか……!!」

 だが、ガルフはつまらなそうに一蹴しただけだった。

「お前が弱いのが悪い。それにあれは仕事だ、忘れろ」
「忘れる、ものか!」
「勝手にしろ。そんなことより、おいお前。オレはお前の言うとおりにしたぞ」

 そう言って、リトリィの腕をつかむ。

「は、放し――」
「オレはお前の言うことを聞いた。今度はお前が言うことを聞け」

 ガルフがリトリィの腕を引っ張り、無理に立たせた、その時だった。

「おいおい、その嬢ちゃんはいずれ、俺の娘の姉になるんだ。手荒なことをしてもらっちゃ困るぜ?」
「お父さん……!」

 ――マレットさん、だった。

「……おい、こいつも殺したらだめなのか?」
「物騒なことをいうヤツだな。これでも大工仕事でならした体、ちったあ頑丈にはできてるんだぜ?」

 ……だめだ!
 俺はまだ、奴が執着しているリトリィの関係者だからいい。
 だがマレットさん、あなたは完全な他人だ、ガルフが加減をするとは思えない!
 下がれ、下がってくれ……!

 そう願った瞬間だった。
 マレットさんの筋骨隆々としたいわおのような肉体が、まるで人形か何かのように吹き飛んだ。

「お……とう、さ……?」

 マイセルの、かすれた声が、わずかに、届く。
 その瞬間までだった、俺の記憶が残っているのは。

「なっ――てめぇ、本当にあきらめの悪いオスだな、放……!」

 体が吹き飛ぶ確かな衝撃と、耳をつんざくマイセルの悲鳴を最後に、俺の意識は暗転した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

今日も僕は、先輩の官能的な攻めに耐えられない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:26

【R18】static禁断関係game

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:170

男女比1/100の世界で《悪男》は大海を知る

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:153

他人の寿命が視える俺は理を捻じ曲げる。学園一の美令嬢を助けたら凄く優遇されることに

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:31,411pt お気に入り:1,398

貞操逆転世界かぁ…そうかぁ…♡

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:127pt お気に入り:1,629

【完結】ちびっこ錬金術師は愛される

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:106pt お気に入り:3,515

異世界転移したけど、果物食い続けてたら無敵になってた

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:2,660

処理中です...