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第三部 異世界建築士と思い出の家

第215話:手がかりは

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 俺がこの街で頼れる存在など、たかが知れている。
 たまたま近かったのは、マレットさんの家だった。

 こんな夜中に、よくぞ起きていてくれたものだった。
 ランプの明かりを持ってドアを開けたのは、マレットさん。

「む、ムラタさん、あんた――!?」

 筋肉ダルマのマレットさんが、一歩後ずさる様子に、俺は場違いに笑ってしまった。
 その声を聞いてか、後ろからひょっこりと顔をのぞかせたのは、マイセル。
 彼女こそ悲鳴を上げ、飛びついてきた。
 彼女の頬にどす黒い斑点が降りかかり、俺は初めて、自分が怪我をしていることに気づいた。

「すぐに……すぐにお医者様、お医者様のところに行きましょう!? こんな、ひどいお怪我――どうしてこんな!?」

 そうか、そんなに派手に怪我をしているように見えたのか。確かにジンジンと、額や後頭部が熱い感じはしていたのだが。

 とりあえず手鏡はないか求め、そして、顔の半分が真っ赤に染まっていることを知る。全く分からなかった、スプラッタな惨状に、変な笑いがこみあげてくる。

 額の中央から右眉の右端の方までパックリと裂けているようで、これはおそらく、転倒した時に打ち付けたものだろう。後頭部の方は分からないが、後ろから走って来た鳥と接触した時に、何かあったのかもしれない。

「鳥? 鳥ってあれか? 騎鳥シェーンか?」
 マレットさんが、メモを取りながら聞いてくる。

「シェーンというものを俺は知らないから分からないけれど、ダチョウ――じゃなくて、ずんぐりとしていて、走る鳥だった」
「ずんぐりとした、走る鳥――間違いない、騎鳥シェーンだ」

 マレットさんが、頭をかきながらうなる。

「そいつはその……武装していたか? ええと、鳥が、鎧を着たりしていなかったか?」

 暗くてよく分からなかったが、一瞬、月明かりに照らされたそいつを見て、一目で「鳥」と認識できたくらいだ。武装はしていなかっただろう。

「……だったら、街の軍人さんの軍装騎鳥クリクシェンじゃないな。傭兵――でもない、むしろ傭兵なら軍装騎鳥は重要な財産だ、ちゃんと武装させているだろう。だとしたら――?」

 うなるマレットさんの隣で、ネイジェルさんが、マイセルの手伝いを受けながら、俺の頭に包帯を巻きつけてくれている。

 床には、真っ赤に染まった当て布が大量に転がっていて、俺がいかにも重傷患者であるかのようだ。どうせ頭のケガなんだから、無意味に出血しやすいだけなんだろうけどな。

 おかげで、マイセルなど、さっきまで「ムラタさんが死んじゃう!」と泣きながら当て布を交換し続けていた。ここまで歩いてこれたのだから、今さら死ぬわけないだろうに。

「ただ、あんたが無事でよかった。いや、無事とは言い切れないが、それでもだ」
 マレットさんは、メモを手に立ち上がる。

「今夜はもうどのみち、どこも動いてはくれんだろう。まずはこれ以上血を流さないために、ウチで休んでいけ。明日の朝、日が昇るのを待って行動開始だ」
「い、いや、リトリィを助けないと! こうしている間にも、彼女が――」

 立ち上がろうとした俺を、マレットさんが椅子に押し戻す。

「そんなフラフラな足で、なにができる。ムラタさん、あんた興奮してるから気づいていないだけだ。血を流し過ぎている、まずは休め。どうせ今からできることなんて何もない」
「そんなわけがあるか! ひとがさらわれたんだぞ! 警察――そうだ、警察に!」
警吏けいりの連中か? こんな時間、誰も動かねえよ。落ち着け。その場で殺されなかったんだ、よほどのことがなけりゃ、リトリィさんは無事なはずだ。
 ……その、として」

 ――商品!
 彼女が、「商品」!?

「お父さん、ひどいこと言わないで!」

 マイセルの抗議に、俺も同意する。商品にされることが、無事だって?
 
「売られてしまったら、もう追えないじゃないか! 今すぐ追いかけないと、リトリィが、リトリィが――!!」
「さらったその足で売れるような販路を持っているような奴が相手なら、もう、どのみち無理だ。まずは落ち着け。ちゃんと伝手を頼って、きちんと探した方がいい」
「でも、それでも急がないと、急がないと、手遅れになってしまったらどう――」

 その瞬間、俺は、腹の上――鳩尾にすさまじい衝撃を受けた。
 ――はずだ。

 なんとも言えない、憐れむようなマレットさんの目が、俺の最後の記憶だった。



 目を覚ましたのは、夜明け前だった。見慣れぬ天井、そしてベッドに俺は飛び起き、そして、頭の傷の痛みにうめいた。

 ――そうだ、昨夜、俺は。

 とりあえず、サイドテーブルの水差しから水を飲む。服装は、俺には大きすぎるサイズの夜着だった。――ああ、マレットさんのものか。
とりあえず裾を折り返して動きやすくし、部屋を出る。
 廊下には、いいにおいが、すでに漂っていた。

 階段を降りてダイニングへ。マレットさんが、そこにいた。なにやら、小さなものを手にとっては布に包んでいる。

「よう、おはよう。よく眠れたようだな」
「……おはようございます。昨日は、とんだところを見せてしまいました」
「気にすんな。惚れた女を奪われた、それで平然としているような奴が、いるわけないからな」

 ――奪われた。
 そうだ、俺は。
 ……リトリィを。

「おはようございます、ムラタさん!」

 キッチンから顔を出してきたのはマイセルだった。ビスケットというか、でかい乾パンというか、そんなものを、プレートに乗せている。……大量に。

「ムラタさん、いいところに。これ、今日のお弁当です! 包むの、手伝ってもらえますか?」
「……お弁当?」
「リトリィさんを探すんでしょう? 一緒に探してもらう人たちに配るお弁当の、堅焼きパンです!」

 マイセルはそう言って、テーブルの上のバスケットの中に、ざらざらとぶちまけてゆく。

「まだいっぱい焼いてあります。一人十二枚の計算です、布巾ふきんに包んでください!」

 よく見ると、マレットさん、それをやっていた。

「ま、待ってくれ、マイセル。リトリィを一緒に探してもらうって、それは嬉しいけど、こんなにたくさん、あてがあるのか?」
「当然です!」

 一度キッチンに引っ込んだマイセルが、再び大量の堅焼きパンをプレートに乗せて戻ってくる。
 大工仲間に声をかけるのかと思ったら、違った。

「冒険者ギルドに決まってるじゃないですか!」



 朝食のあと、俺はマイセルになかば引きずられるように、冒険者ギルドに向かった。
 このギルド自体は、行ったことがある。家の工事をするにあたって、保護帽ヘルメットをそこで買ったのだから。ただ、腑抜けた団体職員が経営する農家支援団体のような、緩んだ受付だったはずだ。

 それが、やたら殺気立った連中が押し寄せているのは、何なんだ。

「当然ですよ。だって、今日一番の依頼の発表のお時間がもうすぐですから」

 マイセルが、緊張を隠せない表情で教えてくれた。

「だって、効率よく稼ぐことができるとか、報酬が多いお仕事とか。報酬の関係で人数に制限のあるお仕事も多いですから、この時間は一番、ひとが多くなると思いますよ?」

 冒険者ギルド特有の光景ですよね、と、小さく笑う。そうか、ほかのギルドでは見られないのか、こういうのは。

「ギルド以外で見られるとしたら、似たようなのは日雇い仕事の斡旋の事務所でしょうか。大工さんの手伝いとか水汲み、ドブさらえまで、いろんな日雇いのお仕事を紹介してもらえるところです」

 なるほど。派遣の元締めみたいなところもあるんだな。なんにせよ、以前に来た時とは違う、圧倒的な熱気。これは、期待ができそうだ。

「……ただ、私たちの依頼は『ひと捜し』です。あまり、期待はできないかもしれませんから、その覚悟はしていてください」
「え? 覚悟って――」
「始まりました!」

 受付カウンターの奥の扉が開く。
 その奥から、大量の木札がぶら下げられた、小さな車輪付きの黒板みたいなものが姿を現す。茶色のおかっぱ頭に黒縁の丸メガネ、あずき色のエプロンドレスという格好の、歳の頃十二・三歳といった感じの少女に引っ張り出されて。
 確か以前、保護帽を買うときに見た女の子だ。

 その瞬間、それまでてんでバラバラの方を見てそれぞれに雑談していた男たち全員が、一斉に沈黙、そちらを向いた。
 だが、だれも動かない。その黒板が定位置につくのを、固唾かたずをのんで見守っているようだ。

 壁沿いの白線のところまで黒板が運ばれ、少女が右手を挙げる。

「みなさ~ん! 今日も一日、がんばりましょ~う!」

 その瞬間。
 それまで凍り付いていたように動かなかった野郎どもが、一斉に黒板に殺到した。さっそく木札を奪い合うようにしている。凄まじい勢いだ。

 ――ところが。

 ほとんどの木札が持ち去られた中で、残っている木札があった。
 街の清掃、薪拾い、荷運び――日常生活の中の手伝いのような仕事。
 そして。

「……やっぱり、ひと捜しって、地味な仕事ですからね……」

 俺の、依頼。



 一刻ほど待ったが、結局、だれも、俺の依頼を受けようとする者はいなかった。何人か、木札を手に取って見る者も見かけたが、しかし、それだけだった。

 居ても立ってもいられず、俺は冒険者ギルドを飛び出し、ナリクァンさんの邸宅に向かって走った。

 あの・・ナリクァンさんだ。きっと商売上の膨大な情報網を持っているはず。もしかしたら、そのなかには「人」を商品とした――奴隷の売買に関する情報があるかもしれない。
 そうでなくとも、リトリィを贔屓してくれている、街の実力者である。必ず力を貸してくれるだろう。

 そうだ、ナリクァンさんの力を借りることこそが、この街において最も冴えたやり方のはずだ、もっと早く、動くべきだった。
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