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第三部 異世界建築士と思い出の家

第207話:マイセルのお披露目

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「あら、言っていなかった? 次の配給の日は、明日よ?」

 フィネスさんの言葉に、俺は唖然とするしかない。

「……リトリィ、そうだっけ?」
「ごめんなさい! うっかりしていました!」

 マイセルがリトリィと共に焼いた「麦焼きクッキー」をほおばっていた時だった、フィネスさんが大量の芋とにんじんとたまねぎらしきものと、一塊のベーコンを持ってきたのは。

 朝食を済ませた俺たちはマイセルを家に送ろうと言ったのだが、マイセルは今日も裁縫を教えてもらうと言い張ったのだ。
 俺はギルドに顔を出さなきゃいけないからというと、マイセルはにっこり笑ってこう言った。

「だったら、ギルドに行くのはお昼すぎにしませんか? 私も、ギルドに顔を出しておきたいから」

 結局、そのまま昼食まで一緒に過ごすことになった。
 もちろん、裁縫だけで午前中の全てを費やすはずもない。茶菓子にリトリィが麦焼きを提案すると、マイセルは一緒に作ることを提案。小麦を練るのに俺も駆り出され、結局三人で茶菓子づくりに興ずることになったのが、午前中。

 三人でわいわいと作っていたらいつのまにやら昼が過ぎてしまったので、朝に焼いたパンの残りを、麦焼きと一緒にいただいていたところだったのだ。昼食にはずいぶんと遅く、午後のお茶の時間にはまだ早い、そんな微妙な時間帯ではあったが。

「殿方がうっかり、というのはよくある話ですけれど、リトリィさんまでうっかりさんになってもらっては困りますよ? 淑女は夫をよく助けないと」

 そう言いながら、大きく膨らんだ袋を俺に突き出してくる。

「ほら、始めますよ、スープづくり。みなさんも、あとからいらっしゃいますからね」
「あ、いや、俺――私は今日、大工ギルドのほうに用事がありまして……」
「あら。妻が奉仕作業のための下ごしらえを始めるというのに、夫のあなたが素知らぬ顔をして出て行くというのですか?」

 フィネスさんの目が、少し険しくなる。

「あ、あの! ムラタさんは、ほんとうは昨日、お出かけされる予定だったのですが、わたしのわがままを聞いて下さって――」
「あら。じゃあますますいいじゃないですか。すでに一日遅れているのなら、今さらもう一日遅れたって大した違いにはなりませんよ。昨日一日、妻のわがままに付き合ってあげたのなら、もう一日くらい、大目に見なさいな」

 有無を言わさぬ笑顔で「ね?」と念を押されて、「いえ出かけます」などと、誰が言えるだろうか! ナリクァン夫人のグループは、俺の最大最強のスポンサーなんだから!

 ――いや待て……心を強く持て! そうだ、これが、これこそが俺たちプロレタリアートが団結して戦うべき、上司からの「パワハラ」とかいうやつなん――

「さ、はやくベーコンをみじん切りにしてくださいまし」
「サーイエッサー!」

 ――ネクタイは社畜の証、社の首輪だと、誰が言ったか。ネクタイ自体はもう、付けなくなって久しいが、体に染みついた、悲しき条件反射というやつだ。

「それとそこのお嬢さん、ええと――」
「マイセルです!」

 明るく返事を返したマイセルに、フィネスさんが顔をほころばせる。

「そうそう、マイセルさん。私も伺っていますよ。ムラタさんの、二人目のお嫁さんになるんですって?」
「はい!」

 間髪入れずに答える。
 リトリィの場合だったら、はにかんでうつむき加減に答えるところだろうし、そこに彼女の奥ゆかしさ、いじらしさが感じられるところだろうが、マイセルの快活な返事は、それはそれで可愛らしい。

「それでは、夫となるかたのお手伝い、頼めるかしら。お料理は、得意?」
「はい、任せてください! 何をすればいいですか?」

 よどみないマイセルの姿に、フィネスさんは、満足げにうなずいた。
 ――リトリィびいきのナリクァングループにあって、まずはフィネスさんに認めていただけたようだ。そっと、胸をなでおろす。

「……あら、ムラタさん? 全然進んでいらっしゃらないようですが?」

 俺をオチにするなよ! だいたいキロ単位になりそうなベーコンの塊をみじん切りにしろって、むちゃくちゃだ!



「うん、いいお味になりましたね」

 ナリクァンさんが、満面の笑みでうなずく。
 大きな寸胴ずんどうなべには、溢れんばかりにたっぷりのスープ。

 午後のお茶の時間の前あたりから材料を切り始め、お茶の時間に集まったナリクァンさんをはじめ五人のご婦人がたが持ち寄った茶菓子でお茶の時間が始まって。
 お茶の時間を楽しんでから、本格的にスープづくりに取り掛かり、もうすっかり日も落ちて辺りも暗くなってきた。

 時間にして三時間ほどだろうか。とろ火でじっくりと時間をかけたスープは、さっぱりとしつつも野菜と肉のうまみがよく出ている。うん、よく頑張ったぞ、俺たち!

「あとは、このまま余熱でじっくり寝かせれば、明日の朝にはさらにいいお味になっているでしょうね。おつかれさまでした、皆さん」

 ナリクァン夫人の言葉に、皆、笑顔でうなずく。
 明日の配給で見られるだろう笑顔に、期待を寄せている笑顔だ。

 今回も、ドライフルーツをどっさり準備した。明日も、きっとあの少女は来てくれるだろう。今度こそ、「おやつのおにいさん」と呼んでくれるだろうか。まあ、今さらだ。どっちだっていい、喜んでくれる顔が見られたら、それで。

 そういえば、今回のドライフルーツはナリクァン夫人が直々に買いに行ったらしい。最初に行ったとき、リトリィを馬鹿にしたドライフルーツの露店の女主人。どんな顔をしていたんだろう。見てみたかった。

 皆で明日の予定について確認し合っていると、ペリシャさんがマイセルに近づいてきた。マイセルの額の汗を、ハンカチで拭いてやりながら、微笑む。

「マイセルさん。今日はおつかれでしたね。リトリィさんを助けて、よく働いてくれました。ありがとう」

 ペリシャさんの言葉に、マイセルが笑顔で答える。

 ペリシャさんは、マイセルが俺に嫁ぐことが決まったとき、いい顔をしていなかった。まあ、五人のご婦人の中で、ペリシャさんが一番、リトリィびいきだからな。農学者の瀧井さんの奥さんとして、農機具の製作を通して、以前からの知り合いだったらしいし。

 行き違いがあったとはいえ、先日「おぞましい」とまで言い放ってみせたほど、一夫多妻について嫌悪していたペリシャさんだ。今日の作業を通して、マイセルに高い評価をつけてもらえた、それがとても嬉しい。
 思わぬお披露目になったが、まあ、大成功と言っていいだろう。



 マイセルは今夜も泊まりたがっていたが、そこはナリクァンさんが許さなかった。

「今日はもう、お帰りなさい。ムラタさん、リトリィさん。このお嬢さんを、送って差し上げて?」
「で、でも……!」
「先程伺ったお話では、昨夜一晩のお許しをお母様から頂いた――そうでしたね?」

 おそるおそるうなずくマイセルに、ナリクァンさんは微笑む。

「ならば、今夜はもう、帰るのです。次の機会になさい」
「で、でもおねえ――リトリィさんも――」
「リトリィさんはもう、一人前の職人としての腕を認められた、ひとり立ちした淑女です。あなたは?」

 じわりとまなじりに涙を浮かべるマイセルに、ナリクァンさんは、あくまでも優しく続けた。

「あなたが感じているその辛さを、リトリィさんは乗り越えたのですよ? 愛する殿方のために努力したリトリィさんのように、あなたも、がんばりなさい」

 リトリィが、マイセルの涙を拭いてやると、マイセルはリトリィにしがみついた。そうした仕草のひとつひとつが、本当の姉妹のようだった。



「ムラタさん。また、うかがいますね!」

 マレットさんの家の前で、マイセルと別れる。
 マレットさんの家族は、全員が外まで出てきて、マイセルを迎えた。

 マレットさん夫婦は、間違いなく、マイセルが「特別な夜」を迎えたと思っているのだろう。マレットさんはどことなく俺を探るような目で、クラムさんとネイジェルさんは妙にニコニコと、俺を見ている。

 ――またしても、なんにもありませんでした。
 それを知った時の、お三方の反応が、ちょっと、こわい。

 一方、リトリィの方は、俺のそんな心境など全く意に介していない様子だ。マイセルの手を握って、にこにこと実に楽しそうである。

「マイセルちゃん、またいらしてくださいね」
「はい、お姉さま!」

 ふたりで、名残惜しそうにぎゅーっと抱き合っている。そんな大げさな、とは思うが、まあ、仲が深まったのは、二人と生活していくことになる俺としても大変ありがたい話だ。
 何かが違う――どこか間違っているような気もするが、これでいいのだ。

「……なあ、ムラタさんよ。俺は、マイセルを、あんたの嫁に出すんだよな?」
「……その、予定です」
「……リトリィさんの嫁にするわけじゃ、ないんだよな?」
「……そのはず、なんですけどね」

 マレットさんの眉間に、さらにしわが寄る。

「……あんた、を、ぞ?」
「……そう、見えますか?」
「……そうにしか、見えん」

 そうですか、そう見えますか。奇遇ですねえマレットさん、俺もです。
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