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第二部 異世界建築士と大工の娘
閑話⑪:リトリィとマイセルと(2/2)
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リトリィとマイセルが、二人してキッチンに立っている。
「マイセルちゃん、お芋の皮はむけましたか?」
「はいお姉さま、もう切り終えました」
振り返ったリトリィに、マイセルが笑顔で答える。
リトリィがそれを褒め、マイセルが嬉しそうに、刻まれた芋が入ったざるを手渡す。
……実際、マイセルの、キッチンでの手際はいいと思う。リトリィが指示をし、それを受けて実に手早く処理を進める。動きに無駄がない。
やはり、家でしっかりと躾けられているのだろう。リトリィも、目を丸くしながらも褒めている。
刺繍は慣れていない感じがよく表れていただけに、このギャップには驚かされた。
大工の娘だけあって、おそらく、本当はかなり器用なのだろう。裁縫や刺繍については、単に興味がなくて経験を積んでいなかっただけなのかもしれない。
今日のスープは、たっぷりの芋とたまねぎ、にんじん、香りつけに各種の香草、おなじみの酢漬け野菜、そして幾ばくかの干し肉の切れ端が入った、具だくさんのものになった。マイセルが、野菜をどっさり持ってきてくれたからである。
持ってきてくれた野菜のうち、青菜については、俺がおひたしにした。醤油がないので、徹底的に刻んだ干し肉をダシにした即席のソースを作ってみたのだが、これがまた、そこそこにいい味を出してくれてよかった。
「こんな食べ方、初めて見ました!」
……ただのおひたしなのに、なぜか妙にマイセルに感心されてしまった。確かに、バターソテーのようなものはマイセルのうちでも、山でも食べたけれど、シンプルに茹でるだけ、というのはなかった気がする。
それにしても、調味料が塩と酢とハーブ、そして若干の香辛料だけっていうのは、バリエーションに苦しむ。リトリィの味に慣れた今となってはあまり不満を感じはしないものの、出汁とみそとしょうゆの文化は本当に偉大だったんだなあと、今にして思う。
……キッチン塩コショウのボトルが、だしの素が、味の素が、どれだけ便利だったかを痛感させられる。
なにより、二人暮らしをするようになって、リトリィがキッチンに立っている時間の長さを、改めて思い知った。
だからこそ俺は、初めて彼女のアイントプフを食べたときの感想を、「素朴な素材の旨味」と評したあの時の自分を、殴ってやりたい。
彼女があの旨味を出すために、どれだけ時間をかけ、丁寧に作っていたか。
「そんな……。ムラタさん、わたし、切って煮てるだけですから」
恥じらって謙遜するリトリィだが、実質、調味料は基本的に塩と酢しかないのだ。
では、俺が「素朴な素材の旨味」と評したあの味を生み出すために、リトリィはなにをしているのか。
まず湯を沸かし、次いで野菜の皮やヘタ、干し肉の端や脂の部分などを丁寧に刻んだものを、じっくりと煮込む。特に今回はマイセルが干した鳥ガラを持ってきてくれたので、それも投入することにしたのだが――
その時間、実に二時間。
「だって、せっかくマイセルちゃんが持ってきてくださったのですから、美味しくしたいじゃないですか」
そう言って笑ったリトリィだが、普段でも一時間ほどは、出汁をとるためにとろ火で煮込んでいる。とろ火を維持するための、かまどの火の微調整もお手の物だ。
その間、丹念にアクを取るのも忘れない。今回は鶏ガラをぶち込んだから、特にアクが多かった。
そうして得られたスープに、ようやく具材となる野菜を投入する。今の季節、根菜類は多いのだが、菜っ葉ものは少ない。よって、リトリィは酢漬け野菜を具の一つに用いる。これが、あの独特の酸味を生み出すわけだ。
リトリィは毎日、このスープの仕込みをしている。夕食にこのスープを作り、翌朝もこのスープを温めてパンとともに頂く。今の俺にとっては、すっかり「家庭の味」として馴染んでしまった味だ。
だからこそ、この味をもっと手軽に作り出せたら、彼女の負担も減らすことができるだろうにと、いつも思う。コンソメスープの素の偉大さを、異世界で思い知る。
……日本という国の底しれぬ素晴らしさを、痛感してばかりだ。
「ムラタさん? お皿の用意、お願いできますか?」
……ああ、いけないいけない。
彼女の後姿を見つめたまま考え事をしていたせいで、俺の役割をすっかり忘れていた。
リトリィは基本的に、俺がキッチンに立つことを好まない。今回は俺が勝手にキッチンに立っておひたしを作ったが、リトリィから「覚えましたから、次はわたしに作らせてくださいね?」と笑顔で釘を刺されてしまった。
そういう、自分のテリトリーには人を入れたがらない職人気質なところも、まあ、ある意味リトリィらしいというか、あの工房の出身らしいというか。
三人で囲んだ夕食は、とても美味しかった。マイセルが持ってきてくれた食材のおかげ、というのはもちろんなのだが、加えて、食事はみんなで楽しく食べると、より美味しく感じられるということなのだろう。
リトリィと二人で食べる夕食ももちろん楽しい。けれど、昼の刺繍のことで二人が談笑しながら食事をとっている様子を見ていると、いずれ、こうした食卓が日常になることを、楽しみに思えてくる。
俺と、リトリィと、マイセル、そして、いずれ我が家にやってくるだろう子供たちと、温かい家庭を作っていくことができる――そんな希望を感じることができたひとときだった。
「お姉さま、また教えてもらいに来てもいいですか?」
マイセルを家まで送り届ける途中、家が見えてきたころだった。
マイセルが、途中まで進めた刺繍の布を大事そうに胸に抱きながら、リトリィに聞いた。
リトリィは、そんなマイセルに微笑む。
「来るときには、事前に教えてくださいね? わたしも、準備がありますから」
「はい!」
マイセルの元気な返事には、苦笑せざるを得ない。ああ、今日は確かに、突然の訪問に驚いたからな。
「――それと」
マイセルは、あらためて笑顔で俺に向き直った。
「ムラタさんって、エプロン姿がお好きなんですね! 私も今度は、エプロンしてきますね!」
ちょっと待てマイセル、どういう意味だ。
リトリィ、なんだそのひきつった表情は。
――きみは、マイセルに何を吹き込んだ。
「マイセルちゃん、お芋の皮はむけましたか?」
「はいお姉さま、もう切り終えました」
振り返ったリトリィに、マイセルが笑顔で答える。
リトリィがそれを褒め、マイセルが嬉しそうに、刻まれた芋が入ったざるを手渡す。
……実際、マイセルの、キッチンでの手際はいいと思う。リトリィが指示をし、それを受けて実に手早く処理を進める。動きに無駄がない。
やはり、家でしっかりと躾けられているのだろう。リトリィも、目を丸くしながらも褒めている。
刺繍は慣れていない感じがよく表れていただけに、このギャップには驚かされた。
大工の娘だけあって、おそらく、本当はかなり器用なのだろう。裁縫や刺繍については、単に興味がなくて経験を積んでいなかっただけなのかもしれない。
今日のスープは、たっぷりの芋とたまねぎ、にんじん、香りつけに各種の香草、おなじみの酢漬け野菜、そして幾ばくかの干し肉の切れ端が入った、具だくさんのものになった。マイセルが、野菜をどっさり持ってきてくれたからである。
持ってきてくれた野菜のうち、青菜については、俺がおひたしにした。醤油がないので、徹底的に刻んだ干し肉をダシにした即席のソースを作ってみたのだが、これがまた、そこそこにいい味を出してくれてよかった。
「こんな食べ方、初めて見ました!」
……ただのおひたしなのに、なぜか妙にマイセルに感心されてしまった。確かに、バターソテーのようなものはマイセルのうちでも、山でも食べたけれど、シンプルに茹でるだけ、というのはなかった気がする。
それにしても、調味料が塩と酢とハーブ、そして若干の香辛料だけっていうのは、バリエーションに苦しむ。リトリィの味に慣れた今となってはあまり不満を感じはしないものの、出汁とみそとしょうゆの文化は本当に偉大だったんだなあと、今にして思う。
……キッチン塩コショウのボトルが、だしの素が、味の素が、どれだけ便利だったかを痛感させられる。
なにより、二人暮らしをするようになって、リトリィがキッチンに立っている時間の長さを、改めて思い知った。
だからこそ俺は、初めて彼女のアイントプフを食べたときの感想を、「素朴な素材の旨味」と評したあの時の自分を、殴ってやりたい。
彼女があの旨味を出すために、どれだけ時間をかけ、丁寧に作っていたか。
「そんな……。ムラタさん、わたし、切って煮てるだけですから」
恥じらって謙遜するリトリィだが、実質、調味料は基本的に塩と酢しかないのだ。
では、俺が「素朴な素材の旨味」と評したあの味を生み出すために、リトリィはなにをしているのか。
まず湯を沸かし、次いで野菜の皮やヘタ、干し肉の端や脂の部分などを丁寧に刻んだものを、じっくりと煮込む。特に今回はマイセルが干した鳥ガラを持ってきてくれたので、それも投入することにしたのだが――
その時間、実に二時間。
「だって、せっかくマイセルちゃんが持ってきてくださったのですから、美味しくしたいじゃないですか」
そう言って笑ったリトリィだが、普段でも一時間ほどは、出汁をとるためにとろ火で煮込んでいる。とろ火を維持するための、かまどの火の微調整もお手の物だ。
その間、丹念にアクを取るのも忘れない。今回は鶏ガラをぶち込んだから、特にアクが多かった。
そうして得られたスープに、ようやく具材となる野菜を投入する。今の季節、根菜類は多いのだが、菜っ葉ものは少ない。よって、リトリィは酢漬け野菜を具の一つに用いる。これが、あの独特の酸味を生み出すわけだ。
リトリィは毎日、このスープの仕込みをしている。夕食にこのスープを作り、翌朝もこのスープを温めてパンとともに頂く。今の俺にとっては、すっかり「家庭の味」として馴染んでしまった味だ。
だからこそ、この味をもっと手軽に作り出せたら、彼女の負担も減らすことができるだろうにと、いつも思う。コンソメスープの素の偉大さを、異世界で思い知る。
……日本という国の底しれぬ素晴らしさを、痛感してばかりだ。
「ムラタさん? お皿の用意、お願いできますか?」
……ああ、いけないいけない。
彼女の後姿を見つめたまま考え事をしていたせいで、俺の役割をすっかり忘れていた。
リトリィは基本的に、俺がキッチンに立つことを好まない。今回は俺が勝手にキッチンに立っておひたしを作ったが、リトリィから「覚えましたから、次はわたしに作らせてくださいね?」と笑顔で釘を刺されてしまった。
そういう、自分のテリトリーには人を入れたがらない職人気質なところも、まあ、ある意味リトリィらしいというか、あの工房の出身らしいというか。
三人で囲んだ夕食は、とても美味しかった。マイセルが持ってきてくれた食材のおかげ、というのはもちろんなのだが、加えて、食事はみんなで楽しく食べると、より美味しく感じられるということなのだろう。
リトリィと二人で食べる夕食ももちろん楽しい。けれど、昼の刺繍のことで二人が談笑しながら食事をとっている様子を見ていると、いずれ、こうした食卓が日常になることを、楽しみに思えてくる。
俺と、リトリィと、マイセル、そして、いずれ我が家にやってくるだろう子供たちと、温かい家庭を作っていくことができる――そんな希望を感じることができたひとときだった。
「お姉さま、また教えてもらいに来てもいいですか?」
マイセルを家まで送り届ける途中、家が見えてきたころだった。
マイセルが、途中まで進めた刺繍の布を大事そうに胸に抱きながら、リトリィに聞いた。
リトリィは、そんなマイセルに微笑む。
「来るときには、事前に教えてくださいね? わたしも、準備がありますから」
「はい!」
マイセルの元気な返事には、苦笑せざるを得ない。ああ、今日は確かに、突然の訪問に驚いたからな。
「――それと」
マイセルは、あらためて笑顔で俺に向き直った。
「ムラタさんって、エプロン姿がお好きなんですね! 私も今度は、エプロンしてきますね!」
ちょっと待てマイセル、どういう意味だ。
リトリィ、なんだそのひきつった表情は。
――きみは、マイセルに何を吹き込んだ。
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