ムラタのむねあげっ!~君の居場所は俺が作る!異世界建築士の奮闘録~

狐月 耀藍

文字の大きさ
上 下
187 / 438
第二部 異世界建築士と大工の娘

閑話⑩:散髪(栗井 夢飯様に捧ぐ)

しおりを挟む
この作品を「栗井 夢飯」様に捧げます。(現「𓀤𓀥」さま)

栗井 夢飯様がまだ「きを」様で「クリームパン」だったころ(今もクリームパンですが(笑))にいただいた「ムラタ」の絵から生まれたエピソードです。
やっと公開することができました!
イラストはこちら。
https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16816700426437950696


 * * * * *



「ほら、動かないでくださいませ」

 楽しげな声に促され、背筋を伸ばす。
 そんなことをするつもりはなかったのだが、後頭部が柔らかな弾力あるものに挟まれる感覚。

「……もう。そうやっていたずらするのでしたら、このままにしてしまいますよ?」

 彼女の言葉はたしなめる調子ではあるのだが、それでも、決して不機嫌さは感じられない。むしろ、年長の少女が、年端もいかない少年の世話を、楽しんでいるかのような、そんな声色だ。

「……ふふ、これからは、こうやってあなたの髪を整えるのも、わたしのお仕事になるんですね」

 チャキチャキという軽快なはさみの音と共に、目の前をぱらぱらと髪が降ってくる。

「慣れてるんだな」
「はい。だってお父様の髪もお兄さま方の髪も、わたしが整えていましたから」
「あいつら、どれだけリトリィの世話になってきたんだ……というか、リトリィが山を下りてしまったら、あいつら、生活できるのか?」
「しりません♪」



 リトリィが髪を切りたい、と言ったのは、マイセルをマレットさんの家に送り届けた、すぐあとのことだった。

「ほら、もう髪がだいぶ目にかかっていますから。切りましょう?」

 そういえば、この世界にやってきて、髪など一度も切っていなかった。

 この世界に来る少し前に床屋に行ったばかりだったし、もともと散髪も面倒くさくてあまり好きではなかったこと、顧客を気にしなくていいことも、伸ばし放題に拍車をかけた。
 ついでに言うと、姿見に使えるような大きな鏡も山には無くて、自分の髪型が今どんな状況なのか、気にすることもなかった。

 リトリィなどは、毎朝たらいに張った水を見て髪を整えていたのだから、まあ、俺のズボラなところがこうやって、ほったらかしの髪に表れているともいえるが。

 ただ、確かに洗髪が面倒になってきてはいた。この世界――すくなくとも山には石鹸などなく、灰を溶かした水を使うしかなかった。
 街に下りてきてからは、何やら石鹸代わりに使える木の実――それでも石鹸のように泡立ったりしないが――を水に浸し、その水で髪を拭くくらいだ。

 だが、実は人間、髪を状態が、本当の姿なのかもしれない。
 この世界に来て、最初のひと月ほどは、確かに髪が脂まみれになるのが気になって仕方がなかったのだが、二カ月もすると、気にならなくなってしまった。

 確かに「シャンプーの香るサラサラヘアー」などというものではなくなった。
 けれど、どうも体が環境に適応したというか、逆にこれまでの日本での暮らしが「脂を落とし過ぎていた」ために過剰に脂を分泌する体質になっていただけなのか――確かにサラサラヘアーではないものの、しっとりと、落ち着いた髪になってきたのだ。

 昔、女性のつややかな黒髪を褒めるのに「カラスの濡れ色」などという表現があったが、まさにこの状態なんじゃないかと思う。適度に髪に脂分がいきわたり、ベタベタするでもない、しっとりとまとまった状態。

 俺の髪の脂っ気が落ち着いてきたころには、リトリィも俺の髪の匂いをかいで、嬉しそうにするようになった。まあ、仲良くなった、というのが原因として大きいのだろうけれど。



 チャキチャキ。
 リトリィのはさみさばきは、俺がよく行っていた床屋と比べて、なんら遜色を感じない。親方や兄貴たちの髪を整えていた経歴は、伊達ではないということか。

「そういえばムラタさんは、髪に香りを付けないんですか?」
「……付けるものなのか?」
「おしゃれな男性というか――ときどき工房にいらっしゃる方のなかには、そうされている方もいらっしゃいます。香水とか、香を焚き込めるとかして」

 ……日本にいたころは、ヘアトニックを付けたりもしていたが、まあ、床屋を面倒くさがる俺だ。汗をかきやすい夏に使っていたくらいで、あとは大して使ったことがなかった。

「……そうだなあ……、まあ、いらないよ。どうせ、街の人もあまり使っていないんだろう?」
「そういうと思っていました」

 そう言って、リトリィは俺の後頭部に鼻を押し付ける。

「ふふ、……あなたのにおい。いいかおり……」

 人は、側頭部の下――耳たぶの裏のくぼんだところあたりから、その人の匂いが発せられやすいのだという。日本にいたころは体臭管理として、そこと首の後ろ、脇などは重点的に洗っていたものだ。

 だが、実はリトリィのお気に入りもそこで、彼女いわく、彼女の調次第では「くらくらするほど」俺の匂いを堪能できるのだとか。いつも、夜の行為の時にはとくにすんすんと鼻を鳴らし、嬉しそうにしている。わんこスタイルだけに、気に入った匂いにはこだわるのかもしれない。

「ムラタさんは、あまり髪を伸ばされないんですよね?」
「……まあ、面倒くさいからな」
「面倒くさいから、ですか?」

 彼女がくすりと笑う。

「お兄さま方と一緒ですね」
「なんだ、アイネたちと俺、同レベルなのか」
「ちゃんと理由はあるんですよ?」
「火花で焦げるからか?」
「それも正解ですけど、髪が長いと、やっぱり作業を終えたあと、後始末が面倒らしくて」

 ――ああ、そうか。納得する。
 あれだけ火の側で作業をしているのだ、汗もたくさんかくだろう。
 髪が長いと、手入れも面倒くさくなるに違いない。

「……でも、リトリィは髪を長く伸ばしているよな?」

 腰まである、長くつややかな、金の髪。
 実は長すぎて、彼女を抱くとき、絡まったり引っ張ってしまったりして、彼女を困らせる原因になってもいるのだが。

「……短い方が、お好きですか?」

 声のトーンがやや沈む。

「いや、俺は長い方が好きだ」

 間髪入れずに答えると、嬉しそうに答えた。

「よかった……。長い髪は女の誇りだって、お母様がいつもおっしゃっていましたから」

 そういえば、親方の奥方が、彼女を「一人前の女性」として躾けたんだっけ。胸を患って亡くなったんだとか。

 チャキチャキ。
 しばらく、はさみの音だけが響く。



「……リトリィは、自分の髪の手入れは、自分でしているのか?」

 ふと疑問に思って聞いてみると、「はい」と即答だった。まあ、他人の髪の手入れができるのだ、自分の髪ならお手のものだろう。ましてあの長さだ、毛先を整える程度だろうから、そう面倒も無いのだろう。

「そうでもないですよ? やっぱり鍛冶をやっていると、焦げちゃうことも多いですから。お手入れは結構、気を使うんですよ?」
「あ、やっぱり焦げるんだ」
「だって、火花が飛びますから」

 ……確かにそうだ。
 というか、火がついて燃えたりしないのだろうか。
 何かの映画で見たことがある。女性の豊かな髪に火が付いて、すさまじい勢いで燃え上がるシーン。
 ……危険じゃないか!!

「だから、鍜治場に入るときにはちゃんと結い上げています。大事な髪ですからね?」

 ちゃんと難燃布で頭を覆うことも忘れないそうだ。
 暑苦しくはあるが、それを手間だと思ったことはないらしい。

「だって、髪は、数少ない、わたしの自慢ですから」

 何を言う、魅力の塊のような君が。自慢なら俺が代わりにいくらでもしてやる。

「はいはい、動かないでくださいね?」

 チャキチャキ。

「お母様に、あなたの髪はお日様の雫をいただいたようなものだから、大切になさいって」

 ……そう言えば、リトリィの名前は陽光の慈悲と恵みリト・ラ・エイ・ティルだったか。
 彼女の名前の由来の、その一つということなのだろうか。

「はい。わたしの毛は、犬属人ドーグリングにはとっても珍しい色だそうなので」
「そういえば、街では君ほどきれいな金色の毛並みの人は、見かけたことがないな」
「ふふ、褒めても、何も出ませんよ?」
「いや、普通に感想を言っただけで」
「はいはい。そういうことにしておきますね」

 だが、彼女の声は一段と嬉しそうだ。

「もう、お世辞なんてうまくならなくていいんですよ? 今夜は、何が食べたいんですか?」
「リトリィ」

 ぢゃぎりっ

 ……なんか、ばっさりと、大量の髪が、目の前を落ちて言った気がする。
 そして、リトリィの悲鳴。



「まあ、こんなものかな? ありがとうリトリィ、さすがに男三人の髪を手入れしてきただけのことはあるね」
「……ご、ごめんなさい……」

 思ったより短くなったが、まあ、しばらく切る必要がなくなったということだ。俺がたわむれに――唐突に、としてリトリィを要求したのが何より悪い。

「また、頼めるかな? ――これからも、

 俺の言葉に、しょげていた彼女の顔が、ようやく輝きを取り戻した。

「……はい! 、……ですね!」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

処理中です...