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第二部 異世界建築士と大工の娘

第159話:きみを想うから

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 部屋に戻り、ドアを閉めた途端――リトリィが飛びついてきた。

 突然のことに、そのまま倒れそうになるが、なんとか踏ん張――れなかった。そのままよろけによろけ、結局ベッドに押し倒される。ベッドまで近くて助かった、もう少し広かったら間違いなく床に倒れていたに違いない。

「逢いたかった――ずっと逢いたかった!!」

 悲鳴のような、リトリィの泣き叫ぶ声。
 ドレスのしわも気にせぬ勢いですがりつき、俺の胸に顔を擦り付け、泣きじゃくる。

 ナリクァンさんの屋敷でも比較的落ち着いていたし、それ以後も基本的に控え目で、腕を組む以外のアプローチを見せなかった彼女だった。
 そこへ、先ほどまでの落ち着いた様子からは想像もできない取り乱しようだったから、こちらも面食らってしまう。落ち着いていたのではなく、二人きりになれるまで、ずっと耐えていたのだろう。

 ……この愛しい女性を、俺は、何度泣かせてしまうのだろうか。

「俺も、ずっと逢いたかったよ」

 そう言って頭をなでると、びくりと体を震わせ体を起こし、そして、その手が俺のものだと確認すると、その手に自分の手を重ね、頬にずらす。
 再びぼろぼろと涙をこぼしながらも微笑み、目を閉じて俺の手を頬に滑らせる。

「あなたの手、あなたの声――あなたの匂い……! ああ、ムラタさん、ムラタさん……!!」

 柔らかく毛足の長い、頬から顎にかけての毛に俺の手をうずめるように擦り付ける。

「――涙って、温かかったんだな」

 指に伝うそれ、こぼれ落ち頬に当たるそれに、俺は、妙に心を動かされた。
 その顎に這わせるように、そっと、指を動かしてみる。
 その指の動きにくすぐったそうにすると、彼女は泣きじゃくりながらも、笑顔を見せた。

「……そうですよ? だって……」

 俺の手の小指を口に含み、甘噛みし――愛おしそうに、改めて手を頬擦りしてみせる。

「――こんなにも、あなたのことが好きで好きで、あなたのことを想うたびに、胸があつくなるんですから」

 ――ふと大工見習いの少女の影が脳裏をかすめ、胸に痛みが走る。

 かぶりを振ってその影を振り払うと、驚いたリトリィを誤魔化すために、いつたどり着いたのかを聞いた。
 そして驚いた。

 昨日の夕方に出発した彼女は、なんとたった一晩で山道を踏破し、今日の昼前にたどり着いたのだという。ほとんど寝ないで、夜通し歩いてきたのだそうだ。

 いや、それにしたって早すぎる。というか、俺という存在がいかにお荷物だったかが、よくわかる。
 だが、真っ暗な山道で、危険はなかったのだろうか。

「だって、あなたに早く、逢いたかったから……どうしても、どうしても今夜、今夜だけは、あなたのおそばにいたかったから……!」

 そう言って、俺の懐に顔をこすりつけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。
 なんともくすぐったい。くすぐったいが、不快ではない。それどころか、久しぶりの彼女のこの癖に、胸がいっぱいになる。

 リトリィが――ああ、あれほど焦がれた彼女が、いま、ここに、俺の腕の中に、いる……!

 俺は体を起こすと、改めて彼女の小柄な体をかき抱いた。
 彼女の匂いが、鼻腔いっぱいに広がる。

 これほど美しいドレスを着ていながら、彼女からは、やはり香水の香りはしなかった。ペリシャさんは、あえて使わなかったのだろう。
 ――実によく分かっていらっしゃる。ナリクァンさんといい、ペリシャさんといい、本当に敵わない。

 リトリィは少し驚いたようだったが、すぐ、彼女も俺の背中に腕を回し、俺の耳元ですんすんと匂いを嗅ぎ、そして舌を這わせてきた。

 くすぐったさに思わず彼女を強く抱きしめ、そして再び、ベッドに背中から倒れ込む。
 左腕を彼女の腰に回し、右手で彼女の長い髪をく。

 少しだけ、くすぐったそうに首を震わせたリトリィだったが、目を細めてその鼻面をこちらの首筋に押し付けるようにして、素直に体を預けてくる。
 ……胸の圧迫が、すごい。

「……ふふ」

 嗚咽おえつは残るが、やっと自然な微笑みを浮かべたリトリィに、俺も笑みを返す。
 目の焦点も合わないほどに近い位置で見つめ合い、どちらからともなく目を閉じると、小鳥同士がついばみ合うように、軽く唇を重ね合い、そして舌を絡ませ合う。

 しばらく、そうやって互いのぬくもりを確かめ合っていると、不意にリトリィが唇を離した。
 涙の跡は残るものの、いたずらっぽい笑みを浮かべたリトリィは、を、ズボンの上から、さも嬉し気に撫でさする。

「お元気でいらっしゃいますね……?」
「……ずっと想っていたお前が今、ここにいるから、な」
「ふふ、さん――お顔を見せて?」

 リトリィが、俺のズボンに手をかけたときだった。

 コンコンコン。

 ドアをノックする音が響く。
 その瞬間の、リトリィの後方跳躍力はすさまじかった。
 動きにくいであろうドレスのまま、ひと跳びで部屋の端まで飛び退ずさり、勢い余って壁に激突、後頭部を打って、頭を抱えてしゃがみ込む。

 慌ててリトリィの様子を見に行くと、えぐえぐと涙ぐみ、頭を抱えてはいるが、大したことはないようだ。自分で立ち上がり、対応は自分の仕事だとばかりにドアを開けに行く。

 ドアの向こうには、宿の主がいた。湯をなみなみとたたえた桶を二つ、水をたたえた桶を一つ、空の桶を一つのせたカートを押し、大きなたらいを抱えて。

「湯浴みの湯をお持ちしましたぜ。ところで、いますごい音がしたんだが、何だったんだ?」

 ああ、店主。ちょっとばかりタイミングが悪かったよ……。リトリィの、あんな恨めし気な目。初めて見たよ。



「あ……、あんなはかったような時に来るなんて……!」
「まあまあ、店主も気を利かせてくれたんだよ。あのおっさん、リトリィのこと気に入っているみたいだし、きっと早く旅の汗を流せるように、準備を急いでくれたんだよ」

 簡易暖炉で火を起こしながら、俺はとりあえず、宿の店主のフォローを入れる。
 わざわざこの部屋を、俺達のために空けておいてくれたその恩は、ちゃんと返さなければ。

 この部屋のすごいところは、前の部屋には無かった暖炉があることと、そしてもう一つ、タイル敷きの床がある、ということだ。この部屋を紹介されたときには説明などなかったが、隅の方に排水用と思われる穴が開いていることからも、ここが湯浴み用のスペースとして設けられていることは明らかだ。

 ただ、一坪ひとつぼ――畳二枚を並べた分ほどの広さのこのタイル床だが、縁の部分がタイル一枚分程度高くなっているだけで、べつに水をためたりできるようになっているわけじゃない。おそらく、湯浴み中に多少水をこぼしても、下の階に水漏れしないように、というだけなのだろう。

 それでも、「濡らしていい床がある」というのは画期的だし、何より――使

 しばらくぐずぐず言っていたリトリィだったが、湯の魅力には敵わなかったようだ。頬を二回、ぽんぽんと叩くと、笑顔を取り戻す。

「ムラタさん、お背中、お流しします!」

 ……俺?
 いや、さすがにここは旅の疲れをいやすためにもリトリィが先だろうと思ったが、彼女は何のためらいもなく俺の服を引き剥がしにかかる。
 いやまあ、彼女の腕力には敵わないと分かってはいるのだが、あっという間に上着を剥ぎ取られる俺って、何なのだろう。

がお湯をいただくのは、やっぱりの後ですから」

 ……いったいどこでそんなことを学んできたのか。まあ、彼女がそうしたいというのなら、それに従おう。
 しかし湯浴み用の湯は、沸騰するまで沸かしたものなのか、いやもう本当に熱かった。いくら冷やすための水桶もあるとはいえ、ちょっと熱すぎる。
 少々、適温になるまで置いておくことにしよう。

「では、その間は……?」

 ――決まっている。
 リトリィの頬に手を伸ばすと、改めて彼女の唇を塞いでみせた。
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