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第二部 異世界建築士と大工の娘

閑話⑧:オクラ☆ローション

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 今夜もうちに、と誘ってくれたマレットさんだったが、今日は丁重に断って宿に戻る。
 さすがに毎日、宿代を払ってもぬけの殻、というのも、宿の主人に義理を欠くような気がしたからだ。

 そして今さらだが、リトリィがいつ来るのかが分からないのに、部屋だけとってそこにいない、というのはまずいと思ったからである。
 昼間なら現場にいればリトリィも察して来ることができるだろうが、夜いないのは、さすがにおかしいだろう。いらぬ誤解を招きかねない。

 市を抜けて歩いていくと、冬だというのに青物がいくつも並んでいる。
 もう夕方に近く、売り切れているものも多いようだが、まだまだ品はそれなりに豊富だ。安売りを訴える店もいくつかあり、夕飯前のタイムセールは、この世界でも同じか、と親しみを覚える。

 夕飯に食えそうなものとして、フランスパン並に硬いパン、拳ほどのチーズの塊、そしてジャーキーのようなもの、いくばくかのドライフルーツを買う。あとは生で食えそうな青菜を少し。
 これで、今夜から明日の朝食までの確保ができた、と思ったとき、ある幼い兄弟が目に入った。

 この冷える中、二人の前に置かれているカゴに山盛りで残っている。その中身は、緑色の、手をめいっぱい開いた、その中指から親指の先までありそうな長さの、艶のないのような野菜。

指豆ゆびまめ、指豆はいりませんか!」

 この夕方になろうという時間帯に、これだけ売れ残っているのだ。多分、あまり人気のない食材なのだろう。つい同情してしまう。

 指豆、などという豆は聞いたことがない。
 だが、しかし、その形には見覚えがある。
 じっと見つめていた俺に気づいたらしい。弟と思われる少年が、一本掴んで見せてきた。

「いっぱい粘って使いやすいです! 食べても美味しいです!」

 粘るのか。ますます、アレっぽい。

 夏野菜としてなら、知っている。
 五角柱の形をしていて、断面は星型になる野菜。独特の粘りがあり、醤油をかけて納豆と混ぜてアツアツご飯にかけて食うのが最高に美味い――!

「少年、一山いくら?」

 気がつくと、俺はポケットに突っ込んであった一掴みの小銭を渡していた。驚く少年たちに、それで買える分を、と言ったら、しばらくヒソヒソと話していたが、カゴをそのまま渡してきた。

 どうも、かなり多めの金を渡してしまったらしい。少年たちはペコペコと何度も頭を下げ、礼を言い続ける。
 しまった、金持ちが貧しい少年たちに施しをした、というような受け止め方をされたみたいだ。お釣りも出さずに、二人は大喜びで走って行ってしまった。

 想定外の大量のオクラを前に、途方に暮れる。
 参った。いくら好きでも、この量は多すぎる。一人では食いきれない。
 カゴを背負いながら、リトリィが早く来てくれることを祈るしかなかった。



 部屋で、大量のオクラを前に、再び途方に暮れた。
 アツアツご飯なんてないよ、この世界。納豆もないし醤油もない。
 仕方なく、一階の食堂で塩をもらってきて、ナイフで刻んで塩をまぶして食べてみた。

 ――少々どころでなく青臭い。

 諦めきれず、一階の食堂の鍋を借りてきて、食堂の暖炉で湯を沸かし、サッと茹でてから刻んでみた。

 ……凄まじい粘りが生まれる。納豆並み――いや、それ以上の粘り。なんだこれ、スライムの素でも入っているのだろうか。
 青臭さは多少マシになったし、ネバネバ自体は健康に良さそうでいいんだが、ここまで糸を引く粘りが出るのは想定外だ。正直、食いにくい。

 意地になって食っていると、宿の主人が引きつった顔でやってきた。

「指豆をそのまま食ってるのか? 気は確かか?」

 なんだろう。オクラがまるでゲテモノのような扱いだ。美味いんだぞ、オクラ。

「俺の故郷じゃ、コイツのことはオクラって呼んでて、健康にいいって評判の野菜なんだよ」
「評判って……あんた、食い方ってものがあるだろう」

 宿の主人は、カゴの中から一つ取り出し、そいつを眺めながら続けた。

「……こいつはなかなかの上物だとは思うが、だからこそ、そのまま食うのは正気とは思えん。
 普通、指豆ゆびまめを食うときは塩でヌメリをしっかり取った上で、スープに入れたりするもんなんだぜ? 特に冬物は、夏物よりもよく粘るから、ヌメリ取りのした処理が大変だっていうのに、それをそのまま食うなんて、アホのすることだぞ」

 アホ扱いされたよ。ていうか翻訳首輪! いろんな罵倒語がある中で、あえてアホと訳したか!

「……この粘りがいいんだよ」
「何言ってやがる。さっきから、やたら粘るそいつに振り回されてるようにしか見えんぞ」

 やっぱりそう見えるか。
 ……うん、その通りだ。

「その粘り自体は、切り傷や擦り傷、火傷、打ち身や捻挫、虫刺され……まあいろんな怪我の塗り薬にしたり、水に漬け込んでできるを飲んで、腹の調子を整える薬にしたりするから、確かに健康にはいいんだろうけどよ……
 生のネバネバ状態のものをわざわざ好んで食うやつは、初めて見たよ」

 オクラを、塗り薬? それこそ聞いたことがない。オクラ水は、整腸作用のある民間療法として聞いたことはあるが。
 やはり、似ているだけで違う植物なのか。それとも、塗り薬に使うのはこの世界の迷信なのか。

「かぶれたりしないのか?」
「かぶれたら薬にならんだろうが。さっきも言ったが、指豆の粘り汁といったら、傷の治りが早くなる、ここらじゃ定番の傷薬だぞ。
 ――そんなことより、そんな気持ち悪い食べ方をしていると、気になって仕方がない。客の入りにも差し支えそうだ。好みはあえて否定せんが、部屋で食ってくれ」

 さも嫌そうに言われると、こっちも意地を張りたくなってくる。

「いや、気にしてくれなくていい。隅っこで食ってるから」
「お前さんじゃなくて、お前さんの食い方をって言ってるんだよ!」



 うーん、ご飯と醤油があればいくらでも食えるつもりだったが、ご飯も醤油もなく、異常に粘るこれを、一人で食い切るのはきつい。
 明日、万が一の傷薬と称して、現場に持っていこうか。

 ……それにしても、オクラを傷薬に使うとは。

 傷薬というと、どうしても「ポーション」とかを思い出すんだが、まあ、リアルに考えれば、飲む傷薬なんて、現実では聞いたことがないよな。消毒薬にしろ、こう薬にしろ、患部に直接塗ったり貼ったりするだけで。
 飲むとしたら抗生剤だが、そいつは体内に侵入したかもしれない雑菌を撃退するための薬であって、傷薬とは違うもんな。

 例えば、戦闘で受けた傷を治すための「薬草」というと、現実には弟切おとぎり草かヨモギだろうか。どちらも揉んでできる汁を傷口に塗るとか、直接貼り付けるかする止血薬になったはずだ。やっぱり飲み薬じゃない。
 ……うん、やっぱりこの世界はゲームの世界とかとは違うな。島津がよく勧めてきた転生モノの漫画やらアニメやらの世界だったら、もっと楽だったろうに。

 謎の「生産スキル」とやらで高級薬を作り出してお偉いさんを驚かしつつスローライフとか。

 乳鉢もすりこぎもフラスコも、器材など何一つ無しに、スキルを「えいやっ」と発動させると、原料が何故か薬に化ける。

 ゲームをしていた子供の頃は気にしていなかったが、製薬に携わる人から見たら半笑いで馬鹿にされそうだな。

 家だって、木があればすぐできるわけでもないのに。
 板――特に合板ごうはんという発明品は、じつは家づくりに限らず人間社会に革命的な変化をもたらしたことを、いったいどれくらいの人が気づいているのだろうか。



 買ってきたパンに、火で炙って柔らかくなったチーズを乗せ、火で炙って香ばしい香りを漂わせるジャーキーを乗せ、そしてスライスしたオクラをトッピング。
 おお、こうするとオクラの青臭さも、なんだかフレーバーの一つとしてそれなりにイケる。いや、チーズが臭すぎるんだって。やっぱり日本の食い物は、日本人の好みにとことん合わせられていたんだなあと実感する。

 宿の主人の言う通り、オクラを塩水にぶち込んでスープにしようとしてみると、ちょっと冷めたらすさまじい粘りが生まれて、もうどうしようもなかった。塩気が足りなかったのかもしれない。

 なんだか納豆と水あめの合いの子のようなものが誕生してしまったのだ。まさに出来立てのスライムを食べるような感触。

 ああ、これは確かに、塗り薬っぽく感じるかもしれない。保湿によさそうなかんじだ。そのままだとすぐ乾いてしまいそうだが、軟膏に混ぜるとよさそうな。

 ……ていうか、このヌメリは、なんかその、いろいろと、……気になる。
 塗る、というその、方向性が――



 ムラタの異世界レポート。
 指豆オクラの粘り汁。

 ものすごく粘る。食うのは勇気がいるほど。
 塗り薬というか、保湿に良さそうだ。布に湿布とか良さげ。ハッカあたりを練り込んだら、いい感じの冷感湿布になるだろう。ほら、あの、青いぷるぷるが塗られてる、アレみたいな。
 かぶれもしなかったし、確かに、具合は良かった。単体で薬になるとはとうてい思えないが、鎮痛剤などを混ぜて塗れば、まさにチューブ入りの軟膏のように使えるだろう。
 
 ……で、思いついた、もう一つの用途。

 このヌルヌルな感触は……
 ある用途にも、すごく、その……使

 ――でも、虚しい。
 早くリトリィに逢いたい。
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