上 下
162 / 329
第二部 異世界建築士と大工の娘

第150話:自分を信じる(2/2)

しおりを挟む
 九刻――およそ午後二時――の鐘に合わせて現場に来てみると、マイセルとマレットさんがそこにいた。
 一時間も前ならだれもいないだろうと思っていたのに。
 鏡がないのが本当に残念だ。どうか、普通の顔でありますように。

「あ、ムラタさん! 来てくださったんですね!」

 マイセルが笑顔で駆け寄ってくる。
 瀧井さんが、最後にかけてきた言葉が頭をよぎる。
 マイセルが、本当に好きな人は――

「……ムラタさん? 目のふちが赤いですよ? どうかされましたか?」

 ……やっぱりか。
 この世界に来てから、俺の涙腺は緩みっぱなしだ。
 まさか広場のベンチで、それも真っ昼間に、瀧井のじいさんの膝で泣くことになるとは。

 そして無様に泣いた証を、よりにもよって――マイセルに見抜かれるとは。かっこ悪いったらありゃしない。

「どうした? 目にゴミでも入ったか? 水でよければ、ここにあるぞ?」

 マレットさんが、そう言って水筒を投げてよこす。

「ああ、……いや、大丈夫です。もう」

 かろうじて受け取った水筒を返そうとすると、マイセルがそれを押しとどめた。

「だめですよ、目は大事なんですから。見てあげますから、そこに座ってください」

 マイセルが手を引いて、材木の上に座らせようとする。なんと世話焼きな娘だろう。

「いや、本当にもう、大丈夫だから。――マイセルは本当に優しいね、心配してくれてありがとう」

 俺の言葉に、彼女の顔が耳まで真っ赤になる。

 ――ああ、これだ。
 マイセルはずっと、こんな調子だった。
 どうして俺は、このマイセルの様子を見て、を思い浮かべている、などと考えることができてしまっていたんだろう。
 我ながら、本当に卑屈な考え方だった。



「で、ムラタさんよ。明日のために、寸法を合わせて墨付け (切る位置に線を引く作業)だけやってるんだが、なんなら切っておこうか?」
「助かります。明日もヒヨッコたち、ですよね?」
「そのつもりだが」
「でしたら、あらかじめ切っておけば、明日もヒヨッコたちの監督に専念できますから」
「任せろ」

 これだけで、まるで長年コンビを組んできたかのように通じるところがありがたい。
 マイセルがペンとインク壺を貸してくれたので、俺も墨付けを始める。

「ハマーくんはいま、どちらに?」
「資材を取りに行っている。さっき出たばかりだから、ちょいとかかるだろうが、なに、そのうち戻ってくる」

 墨付けを終えた資材を、マイセルと一緒に別の場所に積み上げ直す。
 マレットさんが、それを切り落とし、さらに別の場所に積む。
 一連の流れ作業で、黙々と材の加工を進めていく。

「……マイセルは、よく働くだろう?」
「そうですね。マレットさんが自慢するだけのことはあります」
「いつ持って帰ってもらってもいいからな」

 そう言って笑うマレットさんに、マイセルが頬を染める。

「お、お父さん! お仕事中にそういう話はやめて!」
「何言ってやがる。昼飯どきには、あんなにしょぼくれてたくせに。今やけに張り切ってんのは、つまりそういうことだろうが」
「お父さん……!」
「とまあ、こんな娘だ。煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わんが、大工の仕事だけはまだ仕込んでねえんだ」

 そう言って、水筒の中身をあおる。

「――今後、アンタとはだろうし、いろいろ仕込んでやってくれ。ただ、大工の基本だけは、ウチで修行させてやりたい。だから、今回の件も含めて世話になる。
 ――よろしく頼む」

 ……リトリィと似ているな。
 それにしても、マレットさんの言葉は――つまり、マレットさんも、そういうつもりだったんだな。

 瀧井さんがおっしゃっていたことにつながるが、マレットさんがあれほど俺の案――俺が設計をし、構造への助言をし、大工が家を建てる――をあっさりと飲み込むことができたのも、つまりなのだろう。



 ――それはつまり、マイセルを介して新しい技術を取り込もうというのだろう。
 リトリィを差し出して、“界渡り”をしてきたであろう俺から、なにがしかの知識を得ようとしたであろう、親父殿ジルンディールと同じように。

 だが、それも当然だろう。マレットさんは、技術者としての働きを公的に求められるかばね持ちなのだ。
 それにマイセルが、マレットさんの意図とは別に、純粋に俺を好いてくれていることも、理解することができた。

 己の立ち位置を理解し、必要とあらば、親父殿の意向に従って俺を篭絡しようとしたかもしれないリトリィ。
 だが、リトリィは、それを正直に教えてくれた。そしてリトリィにも、悪意も無ければ俺を利用しようとする意図も皆無だということ――それも、もう十分に分かっている。

 立っているものは親でも使え、という言葉がある通りだ。むしろ、俺の知識を利用することでリトリィが、マイセルが、幸せになれるなら――うまく活用するのが俺の生きる道なのだ。

「……かまいませんよ。むしろ、マイセルが早く一人前になれるように、人一倍厳しく仕込んでやってください」
「マイセル! お許しが出たからな、覚悟しとけ」

 マイセルが不安げにこちらを見るが、俺は微笑んでみせるだけだ。まあ、職人の道はどんな仕事であろうと厳しい。頑張れマイセル。

「お前には道具の使い方は教えてあっても、大工の技術の一つもまだ教えてないからな。嫁に行くのは、せめて継ぎ手の一つも覚えてからにしろよ!」

 ガハハハ、と豪快に笑う。

「嫁……」

 どう反応していいか分からず固まった俺の代わりに、マイセルがマレットさんの頬にを焼き付けたのは、まあ、マレットさんの自業自得だろうな。



「……ムラタさん。マイセルって本当に魅力があると思いますか」

 ハマーが、材木を牛車の荷台から降ろしながら、ぶっきらぼうに聞いてきた。

「どういう意味だ?」
「金槌仕事がしたいなんておかしなことを言う女の、どこに魅力があるのかと思って」

 マイセルは、マレットさんの鋸引きの手伝いをしていて、今はこちらにいない。
 だからこそ聞いてきたのだろう。

「兄貴としてぶっちゃけますけどね。飯は確かに美味いけど、どっか不器用で裁縫下手だし、体つきはいろいろでガキだし」

 ああ、それ、マレットさんが言っていたな。飯は美味いが裁縫が下手。
 それから、ハマーの好みは、つまりリトリィみたいな体つき、ということか。

 ……そこは全力で首を縦に振るところだが、しかし個人的な好みで人を否定するのはよくないな。
 例の占いの歌でも言っているだろう、女の人を胸で判断するのは、良くないことですよ~。

「第一、あいつの趣味、知ってます? カンナ掛けですよ? いかにカンナくずを薄くできるか、それを追求するのが楽しいって言ってる変人ですよ? そのためだけに刃物の研ぎ方も研ぎ師から教えてもらってて、あいつのカンナも、自分の手に合わせて角を削ったりしてて……。
 だからカンナ掛けと刃物研ぎ、それだけは職人級に上手い、おかしなやつですよ?」

 ……なるほど。

 カンナ掛けが趣味というのは初耳だ。それで、そのためだけに身に付けた刃物研ぎの技術も高いと。
 俺のナイフの切れ味が落ちたら、お願いするのもアリかな? どちらも大工をやるなら重要な技能だ、それが高いというのは素晴らしい。

「おまけに化粧もへたくそで、今日の午前中、あんたと出かける前、一度家に帰ったあとちょっと時間がかかってたのは、母さんたちに二人がかりで化粧してもらっていたから、らしいですよ?
 はっきり言って、オンナを捨ててるって感じですよ。そんな妹の、どこに魅力があるんですか?」

 ……ああ、あの時、戻ってくるまでに少し時間がかかったのは、そういう裏事情があったんだな。
 まあ、化粧の仕方なんて、母親からいつでも学べるのだ。どうせ俺自身、大して気にしない。
 というか、多分厚塗りでもしない限り気づかない俺にとっては、さして重要ではないな。

「ますますおもしろい子だな。偏りはあるのかもしれないが、自分の信じる道に妥協しない生き方は、好感が持てる」
「……変人同士で通じるものがあるってことですか」

 呆れたように、面と向かってひどいことを言う。それじゃ俺もマイセルも変人ってことじゃないか。

「何を今さら。こんなゴミみたいな材で家を建てることを思いつくあんたの、どこがまともだっていうんだ」
「そう言いつつ手伝ってくれて助かる。ありがとう」
「と、父さんがやれっていうから、仕方なく……!」

 ぷいと横をむいたところで、マイセルがやってくる。

「あ~っ、お兄ちゃん、またムラタさんを困らせてる。ムラタさんはもう、お兄ちゃんにとっても他人じゃないんだからね!」
「……分かってる! 今はべつに困らせてなんかないだろう! お前に迷惑なんかかけないって」

 ……そういう認識ね、なるほど。

 今さら、俺はこの家族が、俺を、どのように扱っているかを理解できた。
 なぜ食事に誘うのか。
 なぜ泊まって行けと言うのか。

 ……同業者だから。
 確かにそれなら他人事ではない。なにしろ今回の現場の総責任者は、俺なのだから。

 ――今朝まで、そう思い込もうとしてきた。
 だが、たぶん――いや、間違いなく、それだけではない。

『お前さんを信じてついてきてくれる人を、その想いを、信じなさい。
 誰かにを、信じてあげなさい』

 瀧井さんには敵わない、本当に。

 ――いや、違うな。
 俺は、結局、誰にも、敵わない。

 一人で勘違して、一人で踊ってきた俺を、誰もが、見守ってくれていた。

 あの、アイネだってそうだろう。リトリィが選んだ俺という男を、ずっと見定めようとしてくれていたに違いないのだ。
 俺という存在を、彼女を任せられる男にするために。

 ああ、もちろん、腹は立つけどな!
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。

window
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。 結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。 アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。 アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

悪女の指南〜媚びるのをやめたら周囲の態度が変わりました

結城芙由奈 
恋愛
【何故我慢しなければならないのかしら?】 20歳の子爵家令嬢オリビエは母親の死と引き換えに生まれてきた。そのため父からは疎まれ、実の兄から憎まれている。義母からは無視され、異母妹からは馬鹿にされる日々。頼みの綱である婚約者も冷たい態度を取り、異母妹と惹かれ合っている。オリビエは少しでも受け入れてもらえるように媚を売っていたそんなある日悪女として名高い侯爵令嬢とふとしたことで知りあう。交流を深めていくうちに侯爵令嬢から諭され、自分の置かれた環境に疑問を抱くようになる。そこでオリビエは媚びるのをやめることにした。するとに周囲の環境が変化しはじめ―― ※他サイトでも投稿中

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

記憶喪失の転生幼女、ギルドで保護されたら最強冒険者に溺愛される

マー子
ファンタジー
ある日魔の森で異常が見られ、調査に来ていた冒険者ルーク。 そこで木の影で眠る幼女を見つけた。 自分の名前しか記憶がなく、両親やこの国の事も知らないというアイリは、冒険者ギルドで保護されることに。 実はある事情で記憶を失って転生した幼女だけど、異世界で最強冒険者に溺愛されて、第二の人生楽しんでいきます。 ・初のファンタジー物です ・ある程度内容纏まってからの更新になる為、進みは遅めになると思います ・長編予定ですが、最後まで気力が持たない場合は短編になるかもしれません⋯ どうか温かく見守ってください♪ ☆感謝☆ HOTランキング1位になりました。偏にご覧下さる皆様のお陰です。この場を借りて、感謝の気持ちを⋯ そしてなんと、人気ランキングの方にもちゃっかり載っておりました。 本当にありがとうございます!

【完結】運命の人に出逢うまで

青井 海
恋愛
そろそろ結婚したい私。 付き合って7年になる彼は、結婚願望ゼロだった。 幸せな結婚をしたい私が奮闘する物語。

処理中です...