ムラタのむねあげっ!~君の居場所は俺が作る!異世界建築士の奮闘録~

狐月 耀藍

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第二部 異世界建築士と大工の娘

第146話:気になる人(5/6)

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「ひっ――!?」
「こういうのは初めてかな? 大丈夫。痛くするつもりはないから」

 ……しかし、俺の言葉にマイセルは一層、身を固くしてしまった。
 怖がらせまいとして、結果、余計に怖がらせてしまったみたいだ。この反応だと、筋肉痛予防のマッサージという概念もないのかもしれない。

 だが、筋肉痛など、誰だって経験するものだ。特に彼女は、これまで一日中金槌を振る、なんていう経験などなかったはずなのだ。できるだけスマイルを心がけて声をかける。

「君だけじゃない、だれでも経験することだから大丈夫だよ。少しは痛みを抑えられるようにしてみるつもりだから、俺に任せてくれないか?」
「……でも……」

 ――顔が歪んでいる。見るからに泣き出しそうだ。
 しまった、『痛みを抑える』とかなんとか、余計なことを言ったせいで、さらに怖がらせてしまったらしい。本当に、俺ってやつは。

「……続けて、いいかい?」

 努めて優しい声で話しかける。

「あ、あの……」

 マイセルの声が震えている。

 ……そりゃそうか。考えてみれば――考えなくても気づくべきだった――思いっきりセクハラ案件だ。おびえて当然だ。もう、やり方だけ教えて、あとは自分でやるように言ったほうがいいだろう。

「……分かった。じゃあ――」

 手を放す。
 マイセルは、それまでぎゅっと閉じていた目を大きく見開くと、開放された自分の右手と俺の顔を、何度も見比べた。

「……あ、あの……?」

 ……怖がらせたおっさんの言うことを素直に受け入れるとは思えなかったが、仕方がない。マッサージをしておけば、明日、なってしまうだろう筋肉痛を、多少なりとも軽減できるはずなのだ。
 やり方を説明しようと、自分の右上腕に左手を添えようとしたときだった。

 彼女ははじかれたように立ち上がり、そして――
 俺の胸に顔をうずめるようにして、もたれかかってきた。

「ちがうんです……
 ……せめて、その……続きは……」

 やや、ためらったあと。

「その……べ、ベッドでお願い、できませんか……?」

 栗色の髪は青い月光のもとで、艶やかに光を放つ。
 リトリィのふわふわな金の髪と違った、しっとりとした、落ち着いたストレートの髪。
 その髪からだろうか、ほんのりただよう甘い香り。
 そして、ちょうど俺の心臓のあたりに、熱い吐息。
 その甘い香りと熱い吐息に、心臓が一気に加速する。

 少女の方からベッドを要求される。

 ごくりと、生唾を飲み込む。
 なるほど、これは――勘違いをしそうになる。ハニートラップに引っかかる外務官僚の気持ちが、ちょっとわかったような気がした。

「……分かった」

 彼女の髪に触れぬように、そっと彼女をベッドに誘う。
 一瞬、震えた彼女に「おいで」と笑いかける。

 しばらく固まっていた彼女が、蚊の鳴くような声で返事をし、そっと、こちらに足を向ける。
 彼女の手を取り、ベッドの端――左隣に座らせると、力を抜くように言う。
 がちがちに固まっている彼女に、そんなに緊張することはないとささやいて、そっと、その体を横たえさせる。

 彼女の手のひらが、とても熱い。
 緊張しているのだろう。
 そりゃそうだ。父親の客――こんな真夜中、二十代後半のおっさんと、二人きりでいるのだ。
 警戒して当たり前。手早く済ませてやることにする。

 右手で、彼女の右腕を押さえると、左手を彼女の肘の内側に置く。
 それまで目をぎゅっと閉じていたマイセルがびくりと体を震わせ、こちらを見る。
 怖いのだろう、眉根が寄っている。ごめん。また怖がらせている。

 左手を、袖の上からそっと肩に向けて、軽く圧迫するように滑らせる。

「ひゃうっ!」

 短い悲鳴とともに、彼女が再び目を固く閉じる。

「もし痛かったら言ってくれ。これは、痛くなるほどに押さえたら、意味がないんだ」

 そう言って、再び左手を肘の内側に移動させ、手を滑らせてゆく。

「こうやって、気持ち押さえる程度で、繰り返し、さするんだ。……どう?」
「え、えっと……く、くすぐったいような、気持ちいいような、そんな感じです……?」
「ならいい。この感覚を覚えておいてね」

 次に、上腕三頭筋――肩から降りてくる外側の筋肉の部分をさする。
 ゆっくり、繰り返し、軽い圧迫を与えながら、左手で包むように。

「ここも同じように、手の方から肩の方へ、同じようにさする。これを、合わせて――そうだな、四半刻(十五分)程度でいいから、やっておくといいよ」
「えっと……、は、はい」

 ふっと、腕の力が抜けたように感じた。
 薄目を開けるマイセル。ようやく緊張が解けたようだ。

「部屋に戻ったら、今のを繰り返してみてね。明日の腕の痛みを、多少は軽減できるはずだ」

 そう言って、改めて彼女の顔に笑顔を向ける。
 マイセルが戸惑いながらもうなずいたのを見て、手を、彼女の腕から離す。

「じゃあ、明日も早いから。今日はお疲れ様、マイセルちゃん」



 彼女はしばらく、ぽかんとしていた。
 くりくりとした目を真ん丸に見開いて、ただただ、俺を見つめていた。

「――あの」
「なんだい?」
「――これだけ、ですか?」

 まだほかにするべきことがあるか、ということか。

「そうだな……本当は、温めることができたほうがいいんだが……掛布団をしっかりと被って、腕が冷えないようにして寝るといいよ」

「……そうじゃなくて……、そうじゃなくて、その、これだけですか?」
「……じゃあ、肩の三角筋もやっておこうか?」

 マイセルは、穴のあくほどに俺の顔を見つめていた。

 ……彼女は、何が知りたいのだろう?
 もっと痛むところがあるということか?
 ――血豆? そういうことか?
 反射的に、彼女の手のひらを見る。
 緩く握られた隙間からは、しかし血豆のようなものは見られない。

「……もう、いいです」

 マイセルがそっと体を起こす。俺の方を見ないで。
 先ほどとは打って変わって、感情のない、こわばった、まるで能面のような無表情。

 その、妙に声を掛けがたい雰囲気に、かける言葉が思いつかず、ただ一言、「……ああ、おやすみ」とだけ、なんとか絞り出す。
 マイセルは振り向くこともなく立ち上がると、うつむいたまま、ポツリとつぶやいた。

「おやすみ、なさいませ……」

 彼女はそのまま、しばらく立ったままだった。だが、やがてとぼとぼとドアに向かい、力なくドアを開け、そして。

「…………」

 俺の方を見て、一瞬、顔を歪め――

「……失礼、します」

 震える声でそう言うと、ドアを閉めた。
 テーブルには、彼女が先ほど片付けかけていた、ティーセットが残されていた。



 今朝の食卓に、マイセルの姿がない。
 マレットさんもハマーも、「昨日の疲れが出たんだろう」と気にしていなかったが、もちろん気にならないわけがない。



 ――あのあと、俺は果てしなく長いため息をついていた。
 正直、危なかった。
 彼女にはおそらく好きな人がいて、俺にも愛する女性がいて。
 だから俺は彼女を応援すべき大人のはずなのに、明らかに、彼女に惹かれていた俺がいた。

 あの髪の、甘い香り。
 胸元にそっと預けられた体重と、熱い吐息。

 ……あれは狂う。確かに狂う。
 大学生のとき、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んで、いい大人のくせして年下の少女に翻弄される主人公を馬鹿にしていたものだったが、いまさら、その気持ちの一端が理解できてしまった。

 リトリィには――彼女には、出会ったその日から惹かれていた。彼女も、俺のことをかなり早い段階から好いていてくれていた。
 あの馬鹿馬鹿しいドタバタは、本当は相思相愛だったはずなのに、俺が頑なに関係を結ぶことを恐れていただけのことだ。

 しかしマイセルは違う。
 俺が勝手に惹かれてしまっただけだ。言い方は悪いが、誘蛾灯の放つ紫外線に惹かれる蛾のように。俺には、リトリィという、愛する女性がいるというのに。

 昨夜は、できるだけ心を平静に保ってマッサージをしたつもりだった。今日手伝ってくれるはずの彼女に、すこしでも役に立つように。

 だが、よく考えてみれば――よく考えなくても分かる――とんでもないセクハラ案件だ。
 二十代後半のおっさんに腕を撫でられて、ショックだった――そう考えれば、この食事に姿を現さないのも当たり前だ。顔も見たくないのだろう。
 それでも理由を明かさず出てこないというのは、父の仕事のことを考えて、黙っているしかないと考えたのかもしれない。

「なんだ、ムラタさん。食が細いな、口に合わなかったか? それとも体調が悪いのか?」
「い、いえ、そんなことはありません。ネイジェルさんの料理、美味しいですよ」
「ああ、クラム仕込みのネイジェルの飯は、クラムと並んで街一番だからな!」

 ネイジェルさんが「調子のいいことを言って」と笑うが、まんざらでもなさそうだ。いい夫婦だと思う。

 しかし、そんな微笑ましいやり取りを前にしても、いつマイセルが顔を出して俺を告発するか……と考えると、もう食事ものどを通らない。
 今この瞬間にも現れて、激怒したマレットさんに昨日の現場の、あの金髪少年のごとく放り投げられるかもしれないのだ。
 万力で締め上げられるかのようにきりきりと胃が痛む。

 やっぱり昨日はやり方だけを口頭で伝えるだけにしておくべきだった。
 せめて触れていなければ、こういう思いを味わわずに済んだものを。やはりリトリィいう奇跡の出会いとその実りに油断し、俺は調子に乗ってしまって――

「……おはようございます、ムラタさん」

 ――心臓が、口から飛び出るかと思った。
 傍らから、耳元で声をかけてきたのは、マイセルだった。
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