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第二部 異世界建築士と大工の娘

第118話:応援

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「いいえ? 私が会いたかったんです」

 その言葉が耳に届いて、理解できるまで、とりあえず五秒くらいは固まっていたと思う。

「……は?」
「私が会いたかったんです」
「……誰に?」
「ムラタさんに」

 そしてまた五秒ほど固まっていたと思う。

「……ああ、俺、なにか落とし物でもしたのかな?」
「いいえ? あ、なにか落とし物をしたんですか?」

 一緒に探しましょうか? と問われて、戸惑いながら否定する。

「……? へんなムラタさん」

 ……また変人扱いだよ。どうもこの子、天真爛漫なのはいいけれど、すぐに人を変人扱いしてからかうのは、なんなんだ。

「……それで? 実際のところ、マレットさんの伝言以外の要件というのは、なに?」
「はい! その、……お話、したくって!」

 ……は?



 昨日とは具の違うパニーニをほおばりながら、二人で街を歩く。

「なるほど、この区画が石積みなのは、ここが最も古い区画だからか」
「はい! まだ、外壁は石でなければいけなかった頃の名残ですね」
「でも城内街と違って、小さな石をモルタルで接着して積み上げてある家がほとんどだな」

 見ようによっては、大小さまざまな石が積まれた壁面は、ある意味、レンガよりもずっと飽きの来ない面白さがある。

「だって、石切り場から切り出す石は高いですから」

 一緒にパニーニをほおばりながら、俺の質問に、いちいち嬉しそうに答える。あちらこちらの家を指さしながら、実に楽しそうに。

「だから、この区画は河原から拾い集めてきた石を使っている家が多いはずです。でも、石積みの家自体は多くないんですけどね」
「それは、どうして?」

 やはり、初期は様々な困難が伴って、市街の拡張がうまく進まなかったのだろうか。そう考えて聞いてみると、少し先を歩いていたマイセルが、くるりと振り返って微笑んだ。

「しばらくして、レンガの業者さんたちが、この門外街に目を付けたんです。石の代わりにレンガが認められたら、きっとレンガが売れるぞって」

 それで、レンガギルドが多額の寄付金と、レンガ業者が儲かれば税収も増えるということを訴えて、議会にレンガの家を認めさせたんだそうな。

「だから、門外街で石造りの家が見られるのは、この区画だけです。あとはもう、レンガが主流ですね」
「木骨造の家は?」
「あれ、柱は木ですけど、中身はレンガです。でも、ただのレンガより、ずっとおしゃれでしょう?」

 そう言って彼女は、発育途上の薄い胸を張る。

「今では、外壁の三分の二以上は不燃材にすること、という決まりになってて、それ以外――たとえば木材を外壁に使うと、建てたあとでものすごい罰金を取られます。でも、逆に言えば、三分の一は、不燃材じゃなくていいんです。だから、木骨造が流行るようになりました」

 ああ、そういえば、俺が倒壊させた例の木造小屋。ナリクァンさんの旦那さんが木造にリフォームしたらすごい金をとられた、といっていたっけ。それだな。

「ほんとうにすごいな、マイセルは。街並みのことなら何だって知ってるんだな」

 そう笑いかけると、マイセルは嬉しそうに、隣に並んだ。

「だって、好きですから。街のこと、家のこと、建築のこと」

 目をきらきらさせるマイセルは、最近の日本ではあまり見ないという、将来に夢を持つ子供、そのものだ。

「木骨造の家って、ムラタさんが昨日言ってたように、一軒一軒、みんな味わいが違うんですよね! 流行によっても表情が違うし、施主せしゅさんのこだわりでもずいぶん表情が変わりますし」

 それで――と言いかけて、俺の顔を見上げ、そして、何かに気づいたように言葉を止める。
 うつむき、そして、しばらくしてまた、俺を見上げた。

「すごいって……そう言ってくれるの、ムラタさんだけです」
「実際すごいじゃないか。将来は大工になりたいという夢も、しっかり持っているしね。俺自身も建築に関わる人間だし、応援するよ」

 ちゅぴ。
 パニーニのソースが付いた指を舐めながら、マイセルが笑う。
 どこか、寂しそうに。

「……私、男の子に生まれたらよかった。そうしたら、きっとムラタさんだけじゃなくて、みんなにも応援してもらえたのに」
「……どういう意味だ?」

 大工の娘が家に詳しく、また大工になりたいという夢を持つ――それは、誰だって当たり前、自然なことだと思うだろうに。

 だが、その質問には、彼女は答えなかった。
 俺の質問に答える前に、野良猫と思しき猫に駆け寄り、しかし逃げられてしまったことにがっかりしていたからだ。



 ある程度、街並みを見て回ったところで、マイセルに釘を作っているところはどこかを案内してもらうことにした。大工なら知っているはずだと思ったからだ。
 案の定、彼女は二つ返事で承諾してくれた。

 釘鍛冶の工房は、例の製材屋の近くだった。釘鍛冶は、鉄線の製造も行っているらしい。まあ、木の加工には釘もつきものだし、顧客にとってはどちらによっても、ついでに注文ができる。なるほど、製材屋の近くになるのは当然だな。

 ということは、製鉄も近くなのかと思ったら、製鉄の工房は、川を挟んだ向かいだということだった。万が一事故があったら、辺りを火の海にしてしまうのだ。そんな製鉄工房が製材工房と並んでいるなんて、まあ、そりゃ、あり得ないだろうな。

 道すがら、家の特徴について嬉々として説明してくれるマイセルの説明に、耳を傾けながら歩く。

「――私も将来、あんな家を建ててみたいんです。お父さんは、きっとあんなごてごてした屋根は早く痛むからダメだって、そういうんでしょうけど」

 マイセルはそう言って、複雑に組み合わさった屋根の家を指さす。

「でも、かっこよくないですか? あめ仕舞じまいが大変そうですけど、でものきを多めにとったり、をかけたりすれば、なんとか」

 なんだ、複雑な形の屋根は防水処理が難しいこと、ちゃんとわかっているじゃないか。知識として知っている、というだけでなく、ちゃんと理解をしているようだ。

「あの、ムラタさんは、今までどんな家を建ててきたんですか?」

 急に話を振られて少し戸惑うが、実際にやってきたこと、心がけてきたことを伝えることにする。

「そうだな……大抵は、若い夫婦が暮らす小さな家、という感じかな?」
「若い夫婦……ですか?」

 そう。
 木村設計事務所は、零細と言ってもいい事務所だった。とにかく安く、そこそこの性能の家、というのがウチのモットーで、極力部材の共通化を図ってコストダウン。選択肢がほとんどない代わりに、そのぶんお値打ち。
 ――いや、選択肢はあるがその分どんどん高くなる、というだけなんだけどな。

 そうやって削りに削ってお安くしたうえで、できる限り構造の希望を叶えるのだ。カネのない若夫婦が家を持ちたいと思ったときの駆け込み寺――それが木村設計事務所の存在意義だと、俺は信じていた。

 いや、いまもそういう家を作っていきたい、と思っている。
 この世界にどれだけ家の需要があるかは分からないが、金持ちが札びらで職人の顔を叩いて作らせるような家ではなく――そういう人間の趣味を満足させるセンスもないが――、新しい生活を、二人で頑張って歩んでいこうとするような、そんな慎ましい幸せを求める人々の役に立つ家を作りたい。

「……すてきです!」

 気が付くと、隣を歩いていたはずのマイセルが正面に回って、目をキラキラさせてこちらを見上げていた。

「ムラタさんの考え方って、すてきです! 愛し合う二人の夢を応援するためにおうちを作りたい、なんて!」

 思わず足を止めてしまう。

 愛し合う二人を応援――実は愛し合う、などというキーワードを思い浮かべて仕事をしていたことはあまりなかったんだが。困難な人生を切り拓こうとする、人生の共同経営者――そんな風に見ていたはずだ。

 だから、愛し合う二人だの、夢を応援だの、そういうことをいざ他人に口にされると、妙に気恥ずかしい。それを、恥ずかしげもなくまっすぐ口にすることができる彼女は、誰か、好きな人がいるんだろうか。もしそうなら、いつかその恋が叶うといいと思う。

「お兄ちゃんはちょっとアレですけど、私はムラタさんの思い、応援してます! お仕事、がんばってくださいね!」
「あ……ああ、うん。ありがとう、頑張るよ」

 やや気圧されつつ、うなずく。

「――ええと、それで、釘鍛冶はどこなのかな?」

 そして、釘鍛冶を通り過ぎていたことを知るのだった。
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