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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第54話:頑迷(2/2)
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雪が積もるころには小屋も建ち、手動ポンプの試作機も、試行錯誤の果てにようやく問題点をクリアできそうなところまできた。
そのころには、リトリィが泣くことは見なくなった。しかし感情の見当たらない、うつろな笑顔を浮かべるリトリィを見るたびに、俺は胸えぐられる思いになった。
あの、穏やかな笑顔が愛おしかった彼女をして、そのようにしてしまったことに。
だが、そうするしかなかったのだ。
あのまま想いを募らせていってしまったら……俺が、リトリィと別れられる自信がない。間違いなく二人とも不幸になる。
だから、最悪の選択をしないために、そうするしかなかったのだ。
――ほんとうに?
ほんとうに、みちはそれしかなかったのか?
一言も喋らず、誰とも目を合わせず、ただただ、死んだような笑みを貼り付けているリトリィ。
今では、フラフィーやアイネたちよりも、浄水設備の拡充のためのパイプ作りなどのために、鬼気迫る勢いで工房にこもっているという。
それでいいのだ。
ひたむきな彼女は、良い鍛冶師になるだろう。考えてみれば、俺の世話なんかに時間を費やしていた、あの頃が異常だったのだ。
俺が今挑戦しているのは、コンクリート製品の製造だ。
コンクリートは、製法は違うが古代ローマの時代から人類にとって馴染みの深い建材である。
焼いた石灰石を砕いて粉にし、水、砂、砂利を混ぜれば、ポルトランドセメントの出来上がり。フラフィーが作った、掛け金を外せば簡単に畳める金枠に流し込んで固めれば、∪字溝ブロックの完成だ。まあ、コの字型だが。
すでに相当数ができている。一部はすでに、屋敷からの排水路として運用している。いまのところ、目立つ問題は見られない。
レンガ積み用のモルタルは親方も知っていたし、この館自体がレンガでできている。だが、モルタルに骨材となる砂利を加え、形を整えて建材や立体物として使うという発想はなかったらしい。
これは想定外だった。技術者が三人揃って、コンクリートそのものでモノづくり、という発想が無かったことに。
よって、三人揃って懐疑的だったのが、出来上がったものを見て、意外としっかりできていることに揃って驚愕していた。
つまり、この世界――すくなくとも、この国では、現状、コンクリートを自在に操って大規模建造物を建てる、ということはしないらしいことが分かった。
ということは、コンクリートを自在に造形してものを作ることができる技術を伝え、その可能性を理解してもらえば、この工房は将来、この国において絶大な影響力をもつことになるだろう。
そしてその工房を率いるのは、おそらくフラフィーを筆頭とした三人だ。統率者たるフラフィー、知恵を絞るアイネ、そしてその二人をよく支え、自身も優秀な鍛冶師となったリトリィ。
そうなれば、誰も彼女を「獣人だから」という理由で、表立って差別することなどなくなるはずだ。現金なものだが、明らかに役に立つと誰もが認める存在を、人前で堂々と差別するような輩など、そういない。
表立っては、というところが残念だ。だが、技術の拡散と共に彼女の控えめで穏やかな人柄が世に浸透すれば、あからさまに彼女を悪しざまに言う者はいなくなるだろう。差別そのものはなくならないにしても、少なくとも彼女が生きやすい世の中づくりには、つながるはずだ。
そしてそれはきっと、彼女の子供の世代に、より大きな力となるだろう。
それが、せめて、この家を去るまでに、俺がリトリィのために残してやれることだ。
……そう、思っていた。
「おめぇよ、ホントに、今のままでいいのか?」
フラフィーが、新しい沈殿槽にパイプを接続しながらつぶやいた。
「……なにが?」
「とぼけんじゃねぇよ、リトリィだよ。なんであんな距離を取るようなマネしてんだ」
俺は答えられない。どう答えたところで、今、リトリィを傷つけ続けているのは間違いなく、そしてフラフィーは彼女の兄であり、気にするのは当たり前だからだ。
「彼女が、何か言ったのか?」
「いいや。何も言わねぇ」
「……何も言わないなら、問題ないんじゃないのか?」
「バッカ野郎、何も言わねぇから問題なんじゃねぇか」
パイプを重ね、アスファルト接着剤で周囲を固めたうえで、針金を巻いて固定する。
本当はボルトとナットがあればいいのだが、ダイスもタップもない。どう作ればいいかわからず、結局針金できつく縛り上げることにしたのだ。まあ、当面はそれでいくしかない。
「あいつがおめぇに惚れてんのは誰が見ても分かる。おめぇがまんざらでもねぇこともな。
なのにここひと月ばかり、おめぇら二人とも気持ち悪い薄ら笑いを浮かべてるだけで、一言も交わさねぇ。頻繁におめぇの部屋に通ってたのも、今はねぇ。
――おめぇは、あいつを、どうしたいんだ」
「俺の部屋に頻繁に通っていたっていうのは誤解だ、そんな事実はない。だけど、そうだな……俺は、いずれ日本に帰る身だ。リトリィは優秀な鍛冶師になる。
――それで、察してもらえないか?」
「“ニホン”に連れて帰りゃいいじゃねぇか。オレは反対しねぇぜ。あいつなら、どこでだって立派な鍛冶師になるだろう」
俺だって、できるならその未来を描きたかった。
だが、連れて帰ることはできないのだ。
「……日本には、獣人は、いないんだ」
「この国にだって、原初系獣人族は少ねえと思うぜ? まあ、獣人族自体、ひとよりも多いとは思わねえけどよ」
全く気にする様子もなく、フラフィーは答える。
「多い少ないじゃない、一人もいないんだ。そんなところにリトリィを連れて帰ってみろ、珍獣扱いで何をされるか分からない」
「なんだ、そんなことぐれぇで。おめぇが守りゃ済む話だろうが」
当たり前のことだろう、フラフィーはそう言って顔をしかめる。
「……国民一人一人が監視網を担っていて、どこへ行っても絵姿を写されて、次の瞬間には国中に、どこで何をしていたかをさらされる、それが日本だ。そんなところにリトリィを連れて帰ったら、どうなるか分かるだろ?」
「知らなきゃ済む話だ。リトリィ本人が知らなきゃ、なんてことねぇだろ」
「……ご近所全てが、リトリィの一日の行動を、全て知っていて、それを噂され、時には直接冷やかされ続けるんだぞ?」
SNSの発達は、いつでもどこでもつながるという恩恵をもたらした反面、相互監視社会という面倒な環境を生み出した。
犬の顔を持つ女性、それは、島津みたいなアニメマニアにとっては格好の標的になるだろうし、もちろんそういうことに興味のない人間にとっても興味――もっというと嫌悪の対象にもなりうる。いつでもどこでも、悪意なく写真を撮られ、そしてネット上にアップロードされるのだ。
そう、悪意なくだ。そしてプライベートな姿を晒され続けるのだろう。日本だけではない。世界の、どこに住んでも。
「めんどくせぇ国だな。だったら、ここみたいな山に住めばいいじゃねぇか。ご近所もいなけりゃ、自分のやりたい放題しても誰にも何も言われねぇ。ほら、文句ねぇだろ」
「それじゃ、俺が日本に帰る意味がない」
「じゃあ、帰らなきゃいいじゃねえか」
だめだ、こういうところはアイネのほうが考えるかもしれない。
フラフィーの言うことも一理あるが、全てを自給自足するのでなければ、日本はどうしても山奥に引きこもっているだけというわけにはいかなくなる。
そこに、改良した貯水槽をもってアイネがやってきた。
「おう、アイネ。いまリトリィのこと話してたんだけどよ」
――――!? やめてくれ、アイネは最近、リトリィのことでナーバスになっているというのに!
「なんだ兄貴、リトリィはこの山からは出さねぇ。前も言ったろ」
「“ニホン”には獣人が一人もいねぇから、リトリィを連れて行くと大騒ぎになりそうなんだってよ。なんかいい知恵はねぇか?」
ああ……やはり目をむくアイネ。瞬時に顔が真っ赤になる。
「てめぇ……ムラタ! リトリィをあんな風にしておきながら、いまさら国に連れ帰るだと!? まだ懲りてねぇのか!」
「違う! 逆だ! 大騒ぎになるから連れて帰れない、だからリトリィはここで鍛冶師をやっていってもらいたいと、そう言いたいんだ!」
「あたりめぇだ! 周りが騒ぎになるくれぇで、オレが守るの一言もなしに連れ帰れねぇなんて腑抜けたこと抜かす奴に、大事な妹を任せるか!
おめぇは一人で帰りやがれ! リトリィはここで鍛冶屋をやってくんだよ!」
――前言撤回。アイネのほうがはるかに話にならなかった。
ただ、怒りを爆発させながらも「おいムラタ! 設置棚に置く位置はほんとにこれでいいのか!? ちっとばかりずれてる気がするぞ!」などと、仕事はきっちり手を抜かない。シスコンで腹の立つ男ではあるが、有能だ。
いずれにせよ、やるべきことはほぼ終わった。
この雪がある程度溶けたら、街に出ることにしよう。
いつまでもぐずぐずしていても、俺がつらくなるだけだ。
たぶん、きっと、リトリィも。
そのころには、リトリィが泣くことは見なくなった。しかし感情の見当たらない、うつろな笑顔を浮かべるリトリィを見るたびに、俺は胸えぐられる思いになった。
あの、穏やかな笑顔が愛おしかった彼女をして、そのようにしてしまったことに。
だが、そうするしかなかったのだ。
あのまま想いを募らせていってしまったら……俺が、リトリィと別れられる自信がない。間違いなく二人とも不幸になる。
だから、最悪の選択をしないために、そうするしかなかったのだ。
――ほんとうに?
ほんとうに、みちはそれしかなかったのか?
一言も喋らず、誰とも目を合わせず、ただただ、死んだような笑みを貼り付けているリトリィ。
今では、フラフィーやアイネたちよりも、浄水設備の拡充のためのパイプ作りなどのために、鬼気迫る勢いで工房にこもっているという。
それでいいのだ。
ひたむきな彼女は、良い鍛冶師になるだろう。考えてみれば、俺の世話なんかに時間を費やしていた、あの頃が異常だったのだ。
俺が今挑戦しているのは、コンクリート製品の製造だ。
コンクリートは、製法は違うが古代ローマの時代から人類にとって馴染みの深い建材である。
焼いた石灰石を砕いて粉にし、水、砂、砂利を混ぜれば、ポルトランドセメントの出来上がり。フラフィーが作った、掛け金を外せば簡単に畳める金枠に流し込んで固めれば、∪字溝ブロックの完成だ。まあ、コの字型だが。
すでに相当数ができている。一部はすでに、屋敷からの排水路として運用している。いまのところ、目立つ問題は見られない。
レンガ積み用のモルタルは親方も知っていたし、この館自体がレンガでできている。だが、モルタルに骨材となる砂利を加え、形を整えて建材や立体物として使うという発想はなかったらしい。
これは想定外だった。技術者が三人揃って、コンクリートそのものでモノづくり、という発想が無かったことに。
よって、三人揃って懐疑的だったのが、出来上がったものを見て、意外としっかりできていることに揃って驚愕していた。
つまり、この世界――すくなくとも、この国では、現状、コンクリートを自在に操って大規模建造物を建てる、ということはしないらしいことが分かった。
ということは、コンクリートを自在に造形してものを作ることができる技術を伝え、その可能性を理解してもらえば、この工房は将来、この国において絶大な影響力をもつことになるだろう。
そしてその工房を率いるのは、おそらくフラフィーを筆頭とした三人だ。統率者たるフラフィー、知恵を絞るアイネ、そしてその二人をよく支え、自身も優秀な鍛冶師となったリトリィ。
そうなれば、誰も彼女を「獣人だから」という理由で、表立って差別することなどなくなるはずだ。現金なものだが、明らかに役に立つと誰もが認める存在を、人前で堂々と差別するような輩など、そういない。
表立っては、というところが残念だ。だが、技術の拡散と共に彼女の控えめで穏やかな人柄が世に浸透すれば、あからさまに彼女を悪しざまに言う者はいなくなるだろう。差別そのものはなくならないにしても、少なくとも彼女が生きやすい世の中づくりには、つながるはずだ。
そしてそれはきっと、彼女の子供の世代に、より大きな力となるだろう。
それが、せめて、この家を去るまでに、俺がリトリィのために残してやれることだ。
……そう、思っていた。
「おめぇよ、ホントに、今のままでいいのか?」
フラフィーが、新しい沈殿槽にパイプを接続しながらつぶやいた。
「……なにが?」
「とぼけんじゃねぇよ、リトリィだよ。なんであんな距離を取るようなマネしてんだ」
俺は答えられない。どう答えたところで、今、リトリィを傷つけ続けているのは間違いなく、そしてフラフィーは彼女の兄であり、気にするのは当たり前だからだ。
「彼女が、何か言ったのか?」
「いいや。何も言わねぇ」
「……何も言わないなら、問題ないんじゃないのか?」
「バッカ野郎、何も言わねぇから問題なんじゃねぇか」
パイプを重ね、アスファルト接着剤で周囲を固めたうえで、針金を巻いて固定する。
本当はボルトとナットがあればいいのだが、ダイスもタップもない。どう作ればいいかわからず、結局針金できつく縛り上げることにしたのだ。まあ、当面はそれでいくしかない。
「あいつがおめぇに惚れてんのは誰が見ても分かる。おめぇがまんざらでもねぇこともな。
なのにここひと月ばかり、おめぇら二人とも気持ち悪い薄ら笑いを浮かべてるだけで、一言も交わさねぇ。頻繁におめぇの部屋に通ってたのも、今はねぇ。
――おめぇは、あいつを、どうしたいんだ」
「俺の部屋に頻繁に通っていたっていうのは誤解だ、そんな事実はない。だけど、そうだな……俺は、いずれ日本に帰る身だ。リトリィは優秀な鍛冶師になる。
――それで、察してもらえないか?」
「“ニホン”に連れて帰りゃいいじゃねぇか。オレは反対しねぇぜ。あいつなら、どこでだって立派な鍛冶師になるだろう」
俺だって、できるならその未来を描きたかった。
だが、連れて帰ることはできないのだ。
「……日本には、獣人は、いないんだ」
「この国にだって、原初系獣人族は少ねえと思うぜ? まあ、獣人族自体、ひとよりも多いとは思わねえけどよ」
全く気にする様子もなく、フラフィーは答える。
「多い少ないじゃない、一人もいないんだ。そんなところにリトリィを連れて帰ってみろ、珍獣扱いで何をされるか分からない」
「なんだ、そんなことぐれぇで。おめぇが守りゃ済む話だろうが」
当たり前のことだろう、フラフィーはそう言って顔をしかめる。
「……国民一人一人が監視網を担っていて、どこへ行っても絵姿を写されて、次の瞬間には国中に、どこで何をしていたかをさらされる、それが日本だ。そんなところにリトリィを連れて帰ったら、どうなるか分かるだろ?」
「知らなきゃ済む話だ。リトリィ本人が知らなきゃ、なんてことねぇだろ」
「……ご近所全てが、リトリィの一日の行動を、全て知っていて、それを噂され、時には直接冷やかされ続けるんだぞ?」
SNSの発達は、いつでもどこでもつながるという恩恵をもたらした反面、相互監視社会という面倒な環境を生み出した。
犬の顔を持つ女性、それは、島津みたいなアニメマニアにとっては格好の標的になるだろうし、もちろんそういうことに興味のない人間にとっても興味――もっというと嫌悪の対象にもなりうる。いつでもどこでも、悪意なく写真を撮られ、そしてネット上にアップロードされるのだ。
そう、悪意なくだ。そしてプライベートな姿を晒され続けるのだろう。日本だけではない。世界の、どこに住んでも。
「めんどくせぇ国だな。だったら、ここみたいな山に住めばいいじゃねぇか。ご近所もいなけりゃ、自分のやりたい放題しても誰にも何も言われねぇ。ほら、文句ねぇだろ」
「それじゃ、俺が日本に帰る意味がない」
「じゃあ、帰らなきゃいいじゃねえか」
だめだ、こういうところはアイネのほうが考えるかもしれない。
フラフィーの言うことも一理あるが、全てを自給自足するのでなければ、日本はどうしても山奥に引きこもっているだけというわけにはいかなくなる。
そこに、改良した貯水槽をもってアイネがやってきた。
「おう、アイネ。いまリトリィのこと話してたんだけどよ」
――――!? やめてくれ、アイネは最近、リトリィのことでナーバスになっているというのに!
「なんだ兄貴、リトリィはこの山からは出さねぇ。前も言ったろ」
「“ニホン”には獣人が一人もいねぇから、リトリィを連れて行くと大騒ぎになりそうなんだってよ。なんかいい知恵はねぇか?」
ああ……やはり目をむくアイネ。瞬時に顔が真っ赤になる。
「てめぇ……ムラタ! リトリィをあんな風にしておきながら、いまさら国に連れ帰るだと!? まだ懲りてねぇのか!」
「違う! 逆だ! 大騒ぎになるから連れて帰れない、だからリトリィはここで鍛冶師をやっていってもらいたいと、そう言いたいんだ!」
「あたりめぇだ! 周りが騒ぎになるくれぇで、オレが守るの一言もなしに連れ帰れねぇなんて腑抜けたこと抜かす奴に、大事な妹を任せるか!
おめぇは一人で帰りやがれ! リトリィはここで鍛冶屋をやってくんだよ!」
――前言撤回。アイネのほうがはるかに話にならなかった。
ただ、怒りを爆発させながらも「おいムラタ! 設置棚に置く位置はほんとにこれでいいのか!? ちっとばかりずれてる気がするぞ!」などと、仕事はきっちり手を抜かない。シスコンで腹の立つ男ではあるが、有能だ。
いずれにせよ、やるべきことはほぼ終わった。
この雪がある程度溶けたら、街に出ることにしよう。
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たぶん、きっと、リトリィも。
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