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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第48話:くさび(7/7)
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そろそろリトリィを呼んで一緒に食事をと、タイミングを計りながら横目で見ていると、アイネが顔を寄せてきた。
傷だらけの顔面が近寄ってくる。こわい。
「おい、ムラタ。……その、なんだ。リトリィに、オレの分もつけてやれって、言ってくれ」
いかつい体格に似合わず、背中を丸めて小声で要求してくる姿が、なんだか笑える。顔は怖いが。
「本人に直接言えばいいだろ」
俺も小声で返すと、アイネの顔が歪んだ。怒り――ではない。強いて言うなら、畏れ、だろうか。
「おめぇ、さっきのやり取り見ててそれを言うかよ?」
「……なんで俺なんだ?」
「馬鹿野郎、今のリトリィが言うこと聞くの、お前以外に誰がいる」
なぜか落ち着きなくきょろきょろと目を泳がせながら、アイネが苛立たしげに言う。
「俺の言うことも聞かないかもよ? お前、昨日あれだけ嫌われてたしな」
「おめぇ絞め殺――なんでもない。とにかく、アイツはおめぇの言うことだけは絶対に聞くはずだ、それだけは間違いない。だから頼む」
さらに顔を寄せてくる。もう、目の焦点が合わない。なんでこんな怖い顔の男に顔を寄せられていなければならないのだろう。
「なんでそんなことが言えるんだ? お前は家族、俺は他人だぞ」
「おめぇ……分かってて言ってんだろ、ぶち殺すぞ?」
ぶち殺す、などと物騒なことを言っているわりに、手も伸びない。面白い奴だ。
「とにかくだ。食わなきゃ仕事にならねぇんだよ……昨日のことは見逃せ、オレもちったぁ、おめぇらのことは見逃してやるから」
「あら、アイネ兄さま。何をお見逃しになられるんですか?」
「ヒッ――!?」
背中から降ってきた声に、アイネが弾かれたように姿勢を正す。
「い、いやリトリィ、オレもだな、ちったぁおめぇらの仲をだな、その、見守ってやるというか……」
「アイネ兄さまのご許可がいただけるんですか?」
リトリィは、微笑みを浮かべたまま、小鳥のように、小首をかしげるようなしぐさをして見せた。
「あ……あ、ああ、まあ、その……そういうことだ」
「ありがとうございます。でもご心配なく。わたし、たとえアイネ兄さまのお許しがなくても、もう心に決めましたから」
微笑みながら、だがつんとしてリトリィは胸を張る。
「……あ?」
「では、今日のおしごとがんばってくださいな」
そう言って、カップに入れたスープを、アイネの前に置く。
「……これは?」
「食後のお茶も兼ねさせていただきました。お時間もございません。どうぞ召し上がれ」
結局、俺がアイネにも飯を、と声をかけるまで、彼女はアイネに対して、カップ一杯分以外の給仕を一切しなかった。奴の言った通りだった。
でも、ちゃんとアイネの分が、お代わり分も含めてすぐに用意されたところを見ると、彼女に必要だったのは、給仕をする大義名分だけだったのだろう。
『おめぇの言うことだけは絶対に聞くはずだ』
なぜアイネに断言できたのかは分からない。だが、まあ、家族というのは付き合いも長いぶん、振り上げた意地の拳をなかなか下ろしにくいのかもしれない。
そういえば中学生ごろの俺も、そういう時期があった気がする。そういう意味で、部外者の俺になら、言われた方も従いやすいということなのだろうか。
そう思って聞いてみると、アイネはぐったりと疲れたような顔で言い放った。
「……おめぇ、オレなんかよりずっと頭いいと思ってたけどよ、実は馬鹿だろ?」
「馬鹿とはなんだ、一応リトリィに飯を出すように言ってやっただろ」
俺の言葉に、アイネは大げさにため息をついてみせた。リトリィの方に目を向けながら、長々と息を吐き続ける。
「……リトリィがおめぇの言うこと聞く理由なんて、一つしかねぇだろうが。なんでアイツはこんな、うすらトンカチなんか選びやがっ――」
「リトリィ、アイネがもう、お腹いっぱいだってさ」
「わかりました。アイネ兄さま、すぐお下げしますね」
「おい! まだ食い始めたばっかだって! あ、まだそれ一口も……! わーったわーった! すまん! 謝る!!」
皆が食堂から出て行き、あとは俺とリトリィだけが残った食堂。
食後の茶を飲んでいると、リトリィがビスケットを出してくれた。
あの、ジャムをたっぷり練り込んだ、特製品。
これのプレーンタイプを、ジャムもつけずにもそもそと食っていた姿から、リトリィが、俺のためにわざわざ工夫した逸品。
ジャムが練り込まれている以外は、「素朴」その一言に尽きるビスケットだ。
だがこれは、俺が拗ねてリトリィとの関わりを避けていたとき、そんな俺のために考えてくれた品。
そう、世界広しといえど、ただ俺だけのために作られたもの。
「ありがとう」
右手を上げると、彼女は左手を上げ、重ねてくる。
「――どういたしまして」
ふふ、と微笑む彼女が、どこまでも愛おしい。
だからこそ、俺はやらなければならない。
差し込む朝日の中で微笑みを浮かべる、金色に輝く彼女のために。
リトリィの暮らしを、少しでも、楽にできるように。
俺が、いずれ日本に帰るときがきて、この家を去ったあとも。
――俺は、リトリィを置いて、この家を去れるのだろうか?
彼女は、俺と日本との間に深々と刺さり、そして割り裂く、楔になってやしないだろうか。
傷だらけの顔面が近寄ってくる。こわい。
「おい、ムラタ。……その、なんだ。リトリィに、オレの分もつけてやれって、言ってくれ」
いかつい体格に似合わず、背中を丸めて小声で要求してくる姿が、なんだか笑える。顔は怖いが。
「本人に直接言えばいいだろ」
俺も小声で返すと、アイネの顔が歪んだ。怒り――ではない。強いて言うなら、畏れ、だろうか。
「おめぇ、さっきのやり取り見ててそれを言うかよ?」
「……なんで俺なんだ?」
「馬鹿野郎、今のリトリィが言うこと聞くの、お前以外に誰がいる」
なぜか落ち着きなくきょろきょろと目を泳がせながら、アイネが苛立たしげに言う。
「俺の言うことも聞かないかもよ? お前、昨日あれだけ嫌われてたしな」
「おめぇ絞め殺――なんでもない。とにかく、アイツはおめぇの言うことだけは絶対に聞くはずだ、それだけは間違いない。だから頼む」
さらに顔を寄せてくる。もう、目の焦点が合わない。なんでこんな怖い顔の男に顔を寄せられていなければならないのだろう。
「なんでそんなことが言えるんだ? お前は家族、俺は他人だぞ」
「おめぇ……分かってて言ってんだろ、ぶち殺すぞ?」
ぶち殺す、などと物騒なことを言っているわりに、手も伸びない。面白い奴だ。
「とにかくだ。食わなきゃ仕事にならねぇんだよ……昨日のことは見逃せ、オレもちったぁ、おめぇらのことは見逃してやるから」
「あら、アイネ兄さま。何をお見逃しになられるんですか?」
「ヒッ――!?」
背中から降ってきた声に、アイネが弾かれたように姿勢を正す。
「い、いやリトリィ、オレもだな、ちったぁおめぇらの仲をだな、その、見守ってやるというか……」
「アイネ兄さまのご許可がいただけるんですか?」
リトリィは、微笑みを浮かべたまま、小鳥のように、小首をかしげるようなしぐさをして見せた。
「あ……あ、ああ、まあ、その……そういうことだ」
「ありがとうございます。でもご心配なく。わたし、たとえアイネ兄さまのお許しがなくても、もう心に決めましたから」
微笑みながら、だがつんとしてリトリィは胸を張る。
「……あ?」
「では、今日のおしごとがんばってくださいな」
そう言って、カップに入れたスープを、アイネの前に置く。
「……これは?」
「食後のお茶も兼ねさせていただきました。お時間もございません。どうぞ召し上がれ」
結局、俺がアイネにも飯を、と声をかけるまで、彼女はアイネに対して、カップ一杯分以外の給仕を一切しなかった。奴の言った通りだった。
でも、ちゃんとアイネの分が、お代わり分も含めてすぐに用意されたところを見ると、彼女に必要だったのは、給仕をする大義名分だけだったのだろう。
『おめぇの言うことだけは絶対に聞くはずだ』
なぜアイネに断言できたのかは分からない。だが、まあ、家族というのは付き合いも長いぶん、振り上げた意地の拳をなかなか下ろしにくいのかもしれない。
そういえば中学生ごろの俺も、そういう時期があった気がする。そういう意味で、部外者の俺になら、言われた方も従いやすいということなのだろうか。
そう思って聞いてみると、アイネはぐったりと疲れたような顔で言い放った。
「……おめぇ、オレなんかよりずっと頭いいと思ってたけどよ、実は馬鹿だろ?」
「馬鹿とはなんだ、一応リトリィに飯を出すように言ってやっただろ」
俺の言葉に、アイネは大げさにため息をついてみせた。リトリィの方に目を向けながら、長々と息を吐き続ける。
「……リトリィがおめぇの言うこと聞く理由なんて、一つしかねぇだろうが。なんでアイツはこんな、うすらトンカチなんか選びやがっ――」
「リトリィ、アイネがもう、お腹いっぱいだってさ」
「わかりました。アイネ兄さま、すぐお下げしますね」
「おい! まだ食い始めたばっかだって! あ、まだそれ一口も……! わーったわーった! すまん! 謝る!!」
皆が食堂から出て行き、あとは俺とリトリィだけが残った食堂。
食後の茶を飲んでいると、リトリィがビスケットを出してくれた。
あの、ジャムをたっぷり練り込んだ、特製品。
これのプレーンタイプを、ジャムもつけずにもそもそと食っていた姿から、リトリィが、俺のためにわざわざ工夫した逸品。
ジャムが練り込まれている以外は、「素朴」その一言に尽きるビスケットだ。
だがこれは、俺が拗ねてリトリィとの関わりを避けていたとき、そんな俺のために考えてくれた品。
そう、世界広しといえど、ただ俺だけのために作られたもの。
「ありがとう」
右手を上げると、彼女は左手を上げ、重ねてくる。
「――どういたしまして」
ふふ、と微笑む彼女が、どこまでも愛おしい。
だからこそ、俺はやらなければならない。
差し込む朝日の中で微笑みを浮かべる、金色に輝く彼女のために。
リトリィの暮らしを、少しでも、楽にできるように。
俺が、いずれ日本に帰るときがきて、この家を去ったあとも。
――俺は、リトリィを置いて、この家を去れるのだろうか?
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