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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第45話:くさび(4/7)
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朝。
アイネの席に、朝食が置かれていない。
ほかはもう、ほぼ配膳が終わっているというのに、だ。
「なあ、リトリィ。俺の分は――」
リトリィは笑顔でくるくると立ち回りながら、アイネの問いには答えない。
「……おい、ムラタ。その皿をこっちに寄こせ」
「アイネ兄さま。お客様のものを取ろうなんて、どれだけあさましいんですか?」
間髪入れずにリトリィの声が飛んでくる。
「……リトリィ! 俺の分はどこだ」
「知りません。欲しかったらご自身の胸に手を当てて考えてからにしてください」
――昨夜。
突然、上からドアにつまづくけたたましい音。次いで階段からどさどさとなにか重量物が転がり落ちてくる音が聞こえてきたかと思うと、
「ムラタぁ! リトリィを知らねぇか!!」
階段を転げ落ちてきたことなどまるで意に介さぬ様子で突入してきた黒い影。
「ひゃっ!?」
それまで、俺の上にうつぶせて、俺と共に唇の、舌の感触を確かめ合っていたリトリィが、反射的に身を起こす。
俺のムスコの上に、ちょうど乗るようにして。
あ――アカン!?
それまでのあれやこれやで、いろいろと限界が近かったのは間違いない。
リトリィの強烈な圧迫、何かの谷間がムスコを包み込む感触に、
……俺は。
彼女も、俺のズボンを挟んでその脈動を感じたらしい。体を半分、入口の方に向けるようにしていた彼女は、驚きつつも俺を見下ろし、目を細める。
こちらを照らすカンテラの明かりに浮かび上がったリトリィは、これまでに見たことのない、ある種の凄みすら感じさせる微笑みを浮かべた。
「……あとで、お世話、いたしますね?」
小悪魔――
そんな言葉が脳裏をよぎった、その一瞬。
彼女が、そっと、身をかがめてくる。
俺の唇を割るようにして入ってくる、長い舌先。
いや、いま、そういうことをする状況じゃないんだよ?
その一瞬が、やけに長く感じられて、そして。
「――ムラタぁぁぁ!! てめぇよくもぉぉおおおおっっっ!!!!」
そのあとのことは……もう、なんて言ったらいいのか。
突撃してきたアイネの怒声に何ら臆することなく、リトリィはサイドテーブルに置いていたショール――あの、扇情的なショールを羽織る。
ただし、なぜか腕で胸を覆って。
そしてアイネがリトリィの肩を抱き、
「ムラタてめぇ! リトリィになんて破廉恥な格好をさせやがる! 服はどこだ服は!」
と怒鳴りつけ――服なんてもともと着ていなかった――ああ、やっぱりその格好は普通じゃなかったのかと変に納得したところで、リトリィのすさまじい金切り声。
「アイネにぃのばか――っ!! もう大っ嫌い――――っっ!!!!」
自分の肩を抱くアイネの顔面に、振り向きざまの肘を叩き込み(多分これは偶然、だと思いたい)、
わずかによろけたところに今度は俺の頭の下にあった枕を抜き取り横殴りにたたきつけ(俺も一瞬何が起こったか分からなかった)、
次いで突き飛ばし、
アイネが膝をついたところをそのまま枕で滅多打ち。
おお、あれはどこぞのセブンの主人公の限界突破技、超級な武神の乱れ斬りか。
「アイネにぃなんかもう知らない! 大っ嫌い、大っ嫌い、大っ嫌い――っ!!」
アイネはというと、真正面からなすがままに顔面で受け止めながら、困惑顔。これはこれですごい、お前はイースター島の人面巨像か。
というか、なぜ俺はこんなにも冷静にツッコミを入れているのだろう。
人間、ついていけない急展開を前にすると、妙に理性的になるらしいが、これがその心境なのか。
それとも、実に久々の開放感ののちに訪れたこれが、明鏡止水の境地というか。
あ、それともこれが世に言う賢者タイムというやつか。
あんな形の果てに体感など、したくなかったが。
「いや……リトリィ、お兄ちゃんはな、お前のことを心配して――」
ばふばふばふと、枕によるすさまじい連撃に対して微動だにせず、アイネはひたすら困惑顔だ。
……いや、その、枕を顔面で受け止めつつまるで気にした様子もないアイネ、おまえの頑健っぷりに困惑してるよ俺は。
「心配するって言うなら、わたしがやっとの思いでムラタさんにここまでした気持ち、分かってよっ!!」
「わからねぇよ、俺はただ、お前の姿がどこにもねぇから、ムラタに聞こうと思ってたまたま寄っただけで……」
「年頃の女の子が夜中にいなくなったなら、なけなしの勇気ふりしぼって、だれかのところに行ってるんだって、どうして想像してくれないの!!」
「出会ってそう大して経ってねぇ相手だぞ、そこまで気が回せるかよ……」
ああ、そこだけはアイネに同意する。真夜中に、特定の相手もいない嫁入り前の女性が無断でいなくなったら、家族としては逢引きかもしれないなどと気を回すより、まずは探すだろ。
「もう二週間は過ぎてるもん! 今日で三夜目、臥所だって共にしたし! 『妹背食み』だって『櫛流し』だって、もうムラタさんからしてもらったもん!
――だからもう、祝言を上げる条件だって整ってるもん!」
「……おい、そこは聞き捨てならねえぞ! 『妹背食み』も『櫛流し』も聞いてねぇ! いつのまに済ませやがった! 第一、三夜っつっても、うち二日はただ転がってただけだろうがコイツは!」
「いいじゃない! お父さまもお付き合いは認めてくれたもん!」
「あのクソ親父、何考えてんだ! リトリィはまだ十九だろ!」
「もう十九になっちゃったの!」
いや、おい、待て。
お父さまって親方だろ、お付き合いは認めたってなんだ?
いつの間にそんな話になっているんだ。
ていうか、祝言って、聞こえた気がしたんだが。
「……リトリィ! おめぇホントにどうしちまったんだ、なんでそこまでそいつにのぼせ上がっている!」
アイネがとうとう、枕を受け止める。即座に縦殴りが横薙ぎに変化しただけだが。
……うん、なぜリトリィがそこまで俺のことを思ってくれるのか、実は俺も知りたい。頭に血が上っている二人だが、ひそかにアイネを応援してしまう。いや、顔面傷だらけの凶相持ちクソ兄貴にときめいているわけじゃないんだが。
「アイネにぃには分からないよ! 眠ってた二日間、どんな人なのかなとか、どんな声なのかなとか、あれこれ想像しながら、一生懸命、自分の身体であっためてたわたしの気持ちなんか!
すごくうなされてて、でも起きてくれなくて、うなされながらわたしのこと抱きしめてきて! わたしが獣人族だから嫌だったのかなとか、でも苦しんでいるなら何とかしてあげたいってどきどきしながらずっとそばにいた、わたしの気持ちなんか!!」
……全く覚えていない。
だが、うなされていた?
自慢じゃないが、木村設計事務所での仕事は、大変だったが充実感もあった。うなされるようなことはほとんどない、はずだ。
じゃあ、ここに来る前に、森で、何かがあった時のせいか?
だがその時だって、突然のことに理解が追い付かず狂気に捕らわれて暗い森を走り回っていた、というような記憶しかない。断片的にしか思い出せないが。
俺は、何にそんなにもうなされていたんだ?
「ムラタは丸二日間、寝てたんだろう!? 関係ねぇだろうが!」
「関係あるもん! 初めて起きたとき、わたしの体を見て、顔を見て、ベスティアールって言わなかった人、お父さまとお母さま以外では初めてだもん!」
「俺だって言ったことねぇよ!」
「うそ! わたし覚えてるもん! 初めてケンカしたとき、フラフィーにぃもアイネにぃも言ったもん! わたしが泣くまで、何度も何度も言ったもん! でも、ムラタさんはそんなこと言わなかったし、嫌な避け方もしなかったもん!」
「そんなの、異国人のコイツが、獣臭い奴って言葉を知らなかっただけかもしれねぇじゃねえか!」
……ああ、アイネ。ごめん。正解。ベスティアールなんて言葉、初めて聞いた。多分、獣人族を貶める差別語なんだろうが。
「ううん、それだけじゃない! わたしの体に、手を触れようともしなかった! むしろ、間違って触ったことを謝られたりもしたの! 今までだって、わたしがどれだけがんばって迫ってみせたって、自分からは一切触れようともしてくださらなかったんだから!」
「だから、それはそいつが――」
「ムラタさんは紳士なの!」
アイネの席に、朝食が置かれていない。
ほかはもう、ほぼ配膳が終わっているというのに、だ。
「なあ、リトリィ。俺の分は――」
リトリィは笑顔でくるくると立ち回りながら、アイネの問いには答えない。
「……おい、ムラタ。その皿をこっちに寄こせ」
「アイネ兄さま。お客様のものを取ろうなんて、どれだけあさましいんですか?」
間髪入れずにリトリィの声が飛んでくる。
「……リトリィ! 俺の分はどこだ」
「知りません。欲しかったらご自身の胸に手を当てて考えてからにしてください」
――昨夜。
突然、上からドアにつまづくけたたましい音。次いで階段からどさどさとなにか重量物が転がり落ちてくる音が聞こえてきたかと思うと、
「ムラタぁ! リトリィを知らねぇか!!」
階段を転げ落ちてきたことなどまるで意に介さぬ様子で突入してきた黒い影。
「ひゃっ!?」
それまで、俺の上にうつぶせて、俺と共に唇の、舌の感触を確かめ合っていたリトリィが、反射的に身を起こす。
俺のムスコの上に、ちょうど乗るようにして。
あ――アカン!?
それまでのあれやこれやで、いろいろと限界が近かったのは間違いない。
リトリィの強烈な圧迫、何かの谷間がムスコを包み込む感触に、
……俺は。
彼女も、俺のズボンを挟んでその脈動を感じたらしい。体を半分、入口の方に向けるようにしていた彼女は、驚きつつも俺を見下ろし、目を細める。
こちらを照らすカンテラの明かりに浮かび上がったリトリィは、これまでに見たことのない、ある種の凄みすら感じさせる微笑みを浮かべた。
「……あとで、お世話、いたしますね?」
小悪魔――
そんな言葉が脳裏をよぎった、その一瞬。
彼女が、そっと、身をかがめてくる。
俺の唇を割るようにして入ってくる、長い舌先。
いや、いま、そういうことをする状況じゃないんだよ?
その一瞬が、やけに長く感じられて、そして。
「――ムラタぁぁぁ!! てめぇよくもぉぉおおおおっっっ!!!!」
そのあとのことは……もう、なんて言ったらいいのか。
突撃してきたアイネの怒声に何ら臆することなく、リトリィはサイドテーブルに置いていたショール――あの、扇情的なショールを羽織る。
ただし、なぜか腕で胸を覆って。
そしてアイネがリトリィの肩を抱き、
「ムラタてめぇ! リトリィになんて破廉恥な格好をさせやがる! 服はどこだ服は!」
と怒鳴りつけ――服なんてもともと着ていなかった――ああ、やっぱりその格好は普通じゃなかったのかと変に納得したところで、リトリィのすさまじい金切り声。
「アイネにぃのばか――っ!! もう大っ嫌い――――っっ!!!!」
自分の肩を抱くアイネの顔面に、振り向きざまの肘を叩き込み(多分これは偶然、だと思いたい)、
わずかによろけたところに今度は俺の頭の下にあった枕を抜き取り横殴りにたたきつけ(俺も一瞬何が起こったか分からなかった)、
次いで突き飛ばし、
アイネが膝をついたところをそのまま枕で滅多打ち。
おお、あれはどこぞのセブンの主人公の限界突破技、超級な武神の乱れ斬りか。
「アイネにぃなんかもう知らない! 大っ嫌い、大っ嫌い、大っ嫌い――っ!!」
アイネはというと、真正面からなすがままに顔面で受け止めながら、困惑顔。これはこれですごい、お前はイースター島の人面巨像か。
というか、なぜ俺はこんなにも冷静にツッコミを入れているのだろう。
人間、ついていけない急展開を前にすると、妙に理性的になるらしいが、これがその心境なのか。
それとも、実に久々の開放感ののちに訪れたこれが、明鏡止水の境地というか。
あ、それともこれが世に言う賢者タイムというやつか。
あんな形の果てに体感など、したくなかったが。
「いや……リトリィ、お兄ちゃんはな、お前のことを心配して――」
ばふばふばふと、枕によるすさまじい連撃に対して微動だにせず、アイネはひたすら困惑顔だ。
……いや、その、枕を顔面で受け止めつつまるで気にした様子もないアイネ、おまえの頑健っぷりに困惑してるよ俺は。
「心配するって言うなら、わたしがやっとの思いでムラタさんにここまでした気持ち、分かってよっ!!」
「わからねぇよ、俺はただ、お前の姿がどこにもねぇから、ムラタに聞こうと思ってたまたま寄っただけで……」
「年頃の女の子が夜中にいなくなったなら、なけなしの勇気ふりしぼって、だれかのところに行ってるんだって、どうして想像してくれないの!!」
「出会ってそう大して経ってねぇ相手だぞ、そこまで気が回せるかよ……」
ああ、そこだけはアイネに同意する。真夜中に、特定の相手もいない嫁入り前の女性が無断でいなくなったら、家族としては逢引きかもしれないなどと気を回すより、まずは探すだろ。
「もう二週間は過ぎてるもん! 今日で三夜目、臥所だって共にしたし! 『妹背食み』だって『櫛流し』だって、もうムラタさんからしてもらったもん!
――だからもう、祝言を上げる条件だって整ってるもん!」
「……おい、そこは聞き捨てならねえぞ! 『妹背食み』も『櫛流し』も聞いてねぇ! いつのまに済ませやがった! 第一、三夜っつっても、うち二日はただ転がってただけだろうがコイツは!」
「いいじゃない! お父さまもお付き合いは認めてくれたもん!」
「あのクソ親父、何考えてんだ! リトリィはまだ十九だろ!」
「もう十九になっちゃったの!」
いや、おい、待て。
お父さまって親方だろ、お付き合いは認めたってなんだ?
いつの間にそんな話になっているんだ。
ていうか、祝言って、聞こえた気がしたんだが。
「……リトリィ! おめぇホントにどうしちまったんだ、なんでそこまでそいつにのぼせ上がっている!」
アイネがとうとう、枕を受け止める。即座に縦殴りが横薙ぎに変化しただけだが。
……うん、なぜリトリィがそこまで俺のことを思ってくれるのか、実は俺も知りたい。頭に血が上っている二人だが、ひそかにアイネを応援してしまう。いや、顔面傷だらけの凶相持ちクソ兄貴にときめいているわけじゃないんだが。
「アイネにぃには分からないよ! 眠ってた二日間、どんな人なのかなとか、どんな声なのかなとか、あれこれ想像しながら、一生懸命、自分の身体であっためてたわたしの気持ちなんか!
すごくうなされてて、でも起きてくれなくて、うなされながらわたしのこと抱きしめてきて! わたしが獣人族だから嫌だったのかなとか、でも苦しんでいるなら何とかしてあげたいってどきどきしながらずっとそばにいた、わたしの気持ちなんか!!」
……全く覚えていない。
だが、うなされていた?
自慢じゃないが、木村設計事務所での仕事は、大変だったが充実感もあった。うなされるようなことはほとんどない、はずだ。
じゃあ、ここに来る前に、森で、何かがあった時のせいか?
だがその時だって、突然のことに理解が追い付かず狂気に捕らわれて暗い森を走り回っていた、というような記憶しかない。断片的にしか思い出せないが。
俺は、何にそんなにもうなされていたんだ?
「ムラタは丸二日間、寝てたんだろう!? 関係ねぇだろうが!」
「関係あるもん! 初めて起きたとき、わたしの体を見て、顔を見て、ベスティアールって言わなかった人、お父さまとお母さま以外では初めてだもん!」
「俺だって言ったことねぇよ!」
「うそ! わたし覚えてるもん! 初めてケンカしたとき、フラフィーにぃもアイネにぃも言ったもん! わたしが泣くまで、何度も何度も言ったもん! でも、ムラタさんはそんなこと言わなかったし、嫌な避け方もしなかったもん!」
「そんなの、異国人のコイツが、獣臭い奴って言葉を知らなかっただけかもしれねぇじゃねえか!」
……ああ、アイネ。ごめん。正解。ベスティアールなんて言葉、初めて聞いた。多分、獣人族を貶める差別語なんだろうが。
「ううん、それだけじゃない! わたしの体に、手を触れようともしなかった! むしろ、間違って触ったことを謝られたりもしたの! 今までだって、わたしがどれだけがんばって迫ってみせたって、自分からは一切触れようともしてくださらなかったんだから!」
「だから、それはそいつが――」
「ムラタさんは紳士なの!」
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