ムラタのむねあげっ!~君の居場所は俺が作る!異世界建築士の奮闘録~

狐月 耀藍

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第一部 異世界建築士と獣人の少女

第25話:かけ違い(4/6)

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 彼女は来ない。きっとこれからも、ずっと。

 ……ああ、そうだ。「いないものとして扱え」、それは自分が言ったことだ。
 ただ、俺に対する扱い方が決定したことをいまさら実感して、再び痛烈な胸の痛みに襲われる。

 自分から彼女に望んだことだ。
 だが、それを実感してしまうということが、こんなに苦しいものなのか。

 そばに人がいない。
 それを当たり前として生きてきたから、いままで一人でいることは何ら苦痛でなかった。

 寂しいと思う瞬間――世間が浮かれるイベントの季節のような頃――はあったが、だからと言ってこのような激烈な喪失感を覚えたことはなかった。中学生で母を失った時以来、ずっと。

 そうか、と思う。
 そうなのだ、と納得する。

 彼女は、俺にとって、きっと母の代替だったのだ。
 優しく、気立てがよく、働き者で、人をよく立てる。
 自分は、女性に、母親のような包容力を無意識に求めていたのだろう。

 だから彼女を魅力的に思えたし、
 それが手に入りそうにないと考えたら子供のごとくすねて邪険に扱い、
 そして喪失を実感して、
 ――これほどまでに痛むのだ、胸が。 

 笑うしかない。
 こんな自己分析、何の役に立つ。
 いつもこれだ、あとになってから自分を分析して、自己嫌悪するのだ。
 八歳も年下の女の子を、母のような存在に見立てて慕情を募らせていた?
 どこぞの赤い彗星を、少女趣味だなんだと笑えない。

 これだから心理学は嫌なんだ。
 自分のどろどろした訳の分からない部分を、自分で客観的に理解できるようになってしまう。
 心理学なんかに興味を持つんじゃなかった。

 もう、どうでもいい。
 これが俺の運命というやつなのかもしれない。
 日本にいようが異世界に来ようが、しょせん俺は俺でしかないのだ。
 異世界に来たからうまくいく、そんなことがあるものか。

 ……異世界。

 ふと、足元の影が、いつもと違う気がした。
 いつもと違う?
 影が、二重に伸びている。
 一つが、光源が傾いていることを示すように、地面に長く伸びている。

 地面に伸びる陰の、その反対方向の空を見上げ、
 そこに二つ目の、小さな赤い月を認め、

 俺は、唐突に、思い出した。



 あ

 あ

 ああぁぁぁあああああぁぁああぁぁぁぁぁあああ!!!!



 気が付いたとき、そこは森の中で。
 なぜ事務所から出ただけなのに森にいるのか理解ができず。
 走り回って森の切れ目に出たら崖っぷちで。
 真っ暗な眼下、星のまばらな空、そして、銀、赤、青の、三つの月が浮かぶ空を、俺は目にした。
 笑えてくる。
 口の端が、どうしようもなくゆがんでくるのだ。

 なんだ、ここは。
 どこだ、ここは。
 俺が何をした?
 俺はあのとき、ただ、事務所から家に帰ろうとしただけだ。

 なぜだ。
 なぜ俺は、こんな訳の分からない森にいる。
 月が三つも輝く空を見ている。
 なんなんだ。
 なんなんだ、ここは。
 俺は明日――いや、今日、渾身の出来の設計をあの若夫婦に見せて、幸せな人生について語るはずだったのだ。
 夢なら覚めてくれ、俺は、こんなところに来たかったんじゃない、家に帰りたかったんだ!

 おい、誰かいないのか。
 誰だ、俺をこんなところに放り出したのだ。
 誰か何とか言ってくれ、誰か!

 森に戻って、あちこち走って、どこかに誰かの家でもないかと探し回って、そしてまた森の切れ目に出る。
 どれだけ走り回ったのかわからない。

 アイツヲ オイテ キテシマッタ



 目の前には、崖。
 眼下には、川が流れているようだ。

 いやだ。
 いやだいやだいやだ。
 なんでこんなことになっているんだ。
 おれはなんでこんなところにいるんだ。

 おれはかえるんだ。

 アイツ ミタイニ ナリタクナイ

 おれは、かえるんだ。

 かえるんだ。

 アンナ フウニ ナリタクナイ

 じむしょからおちたのだから、

 じゃあ、もういちどおちればいい。

 なんだ、かんたんじゃないか。



「あ、ああ……あぁぁぁぁああああぁぁぁぁあああああああ!!!!」

 あの瞬間を思い出す。
 崖から身を躍らせるあの感覚。
 永遠に続くと思われたあの浮遊感。
 俺はどこまで正気でいたのだろう。



 気がついたら、アイネが目の前にいた。
 左の頬が熱い。また殴られたのか。
 だが、今度ばかりは感謝する。
 あの悪夢から、目を覚まさせてくれたのだから。

「殴られといて『ありがとう』じゃねぇよ……ムラタ、おめぇ大丈夫か?」
「いや、本当に助かったんだ。今だけは感謝するよ。気持ちよく殴って、しかも感謝される。なかなかない経験だろ?」
「うるせぇよ。おめぇ、なんか嫌味な奴になりやがったな。こっちが素なのか?」
「いや、本心だよ。この家に来る前のこと、少し思い出したんだ。俺が、川に飛び込んだこと」
「はぁ? おめぇ、やっぱり身投げした腑抜けだったのかよ」
「正確には、この世界から逃げ出そうとしたんであって、死のうとしたわけじゃないんだけどな」
「死のうとしたのと同じじゃねぇか」

 それにしても、なぜここにアイネがいるのだろう。
 あたりはもう真っ暗だ。小さな赤い月も、それなりの高さになっている。アイネは、畑にほとんどこない、と言っていたような気がするが、そのたまたまの日が、今日だったのだろうか。

「ざけんな。用がなきゃ来ねぇよ」

 そう言って、アイネは手の包みを地面に広げた。
 燻製肉の塊と、パンが包まれていた。

 いつも、地下室に戻ると置かれている夕飯。
 パンと、もう一品。
 それを、アイネがここまで持ってきたという、事実。

 俺は、手にしていた木炭を、ばたりと取り落とした。

「アイネ、お前だったのか。いつもパンをくれたのは」
「……馬鹿野郎、いつもはリトリィに決まってんだろ」

 バツが悪そうに、アイネは後頭部を掻きながら言った。

「この間な……ぶん殴って、悪かった」

 悪かったで済むか、俺にも殴らせろと言ったら本当に顔を差し出してきたので、気持ち悪いものを近づけるなと押し戻す。冗談が通じないやつだ。

「それと、リトリィな」

 アイネはいかにも言いたくなさげに顔を歪めながら続けた。

「おめぇと話がしたいらしいんだが……おめぇ、自分から出てくって言っちまったんだって?」

 そのとおり、言った。どうせ長居したってしょうがないしな。
 アイネはそれを聞いて、大きなため息をついた。

「オレが言うなら、オレがおめぇを嫌ってるってだけで済むんだが、おめぇが言うと洒落にならねぇんだ。現にリトリィは、自分がおめぇを怒らせたせいでおめぇが出ていっちまうと、真剣に落ち込んでやがる」
「俺が出ていくんだぞ? いいことじゃないか。邪魔者がいなくなる」

 大真面目に言ったつもりだったのだが、アイネはやたらと顔をしかめた。

「……うるせぇよ。ホントに嫌味なヤツになりやがったな、おめぇは。
 とにかくだ、おめぇ、リトリィをイジメるんじゃねぇよ。話がしたいのに顔もまともに見てもらえないって、わんわん泣かれたときは、こっちも本当に参ったんだよ。
 ――オレはリトリィに幸せになって欲しいんだ、泣かせたいんじゃねえ」
「リトリィはもうずっと、こっちに来て顔を見せるようなことなんてしていないぞ。泣く要素なんてないじゃないか」

「ざっけんな!」

 アイネに胸ぐらをつかまれ、井戸に叩きつけられる。それまでのしおらしさが嘘のように、咳き込む俺のすぐ目の前に顔を迫らせ、憤怒の表情で怒声を叩きつけてくる。

「おめぇ、アイツを何度も工房に追っ払ったそうじゃねぇか! あれほどおめぇと一緒にいて楽しそうにしてたアイツをだ!」

 掴み上げられ、首が締まる。息ができない……!

「この四、五日だってそうだ。おめぇが戻ってこねぇうちにって、アイツは毎日、地下室に行ってメシを置いてくる。朝も、昼も、晩もだ。
 そのたびに、おめぇが食わなかった分を持って帰ってきては泣いてんだ!
 夜の分は食ってもらえたって、それでまた泣くんだよ、アイツは! 毎日毎日、泣いてんだよ!」

 ――初耳だった。食事の準備は、夜だけだと思っていた。俺が日中はカブをかじって戻らないことぐらい分かっているだろうに、どうしてそんな無駄なことをするんだろう。

「わ、分かった……! リトリィが俺のために手間をかけてるってことは、今知った。もう、朝も昼も作らなくていいって伝えてやってくれ。なんなら、夜の分だっていらない。そうすれば、俺なんかに割いた時間が無駄になったことを知って泣く必要がなくなるだろ……?」
「だからざっけんなっつってんだろ、このクソ野郎! そういう意味じゃねぇことくらい、おめぇも分かってんだろうが!」

 井戸の石垣に、何度も叩きつけられる。背骨が折れそうな衝撃。
 俺は必死に、万力のように締め上げてくる彼の腕に取りつく。

「ア――アイネ! お前は俺が、いないほうがいいと、思ってるだろ? その俺が構うな、出ていくって言っただけだ、なんの問題がある!?」
「……今のアイツに一番言っちゃダメなセリフじゃねぇか! アイツは、その言葉に絶望したんだよ! おめぇが出て行くと言った、そのきっかけを作ったのは、自分だと!」

 ――リトリィは、確かに俺が出ていく一因だ。正確には、リトリィに、俺が耐えられないからだ。
 彼女は、その人間性が魅力的すぎた。俺にとって刺激が強すぎた。一人の女性にここまで急にのめり込んだことなんて、かつて無かった。夢を見すぎたのだ。

「聞いてくれ。あの子は、俺にはまぶしすぎる。あんなに素敵な女性を、俺は見たことがない」

 それを、その兄貴に言うのはなかなか恥ずかしい。だが、変に誤解させているのならそれは解かなければならないだろう。

 まっすぐアイネを睨み返す。
 アイネはしばらく、額を突き付けるようにしていたが、ふっと眉根を下げた。
 失望したような表情で、手を放す。

 俺は井戸にもたれかかるようにして、尻餅をついた。
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