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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第16話:取引(3/3)
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「……だってよ。おめぇの目は確かだな。鉄に限らず」
――!?
気づかなかった! 親方の突然の挑発は、まさか、それを分かっていて!?
見上げると、リトリィの目が、妙に赤い。鼻をすんすん鳴らし、木のカップを載せたトレイを持つ手は震えている。
何も言えずに口をぱくぱくさせていると、リトリィはぎこちないながらもにっこりと微笑み、親方と、俺の前に、カップと、炒った豆を盛った皿をそれぞれ置く。
そのまま俺にだけ会釈をして、くるりと身をひるがえした。
しっぽは――やたらと力強く揺れているように見えるのだが。
「あいつ、客にだけ頭を下げて、当主のオレには下げ忘れてやがる」
笑いながら皿の豆をわしづかみにして口に放り込むと、バリボリとすごい音を立てながらかみ砕き、カップを一気にあおる親方。ちょっと待って、どう聞いても豆の音に聞こえない。石でもかみ砕いているかのようだ。
「なんだ、しゃべってる間に冷めちまったか? こりゃ白湯じゃねえ、ただの水だ」
笑いながらカップをテーブルに戻す。
俺も、どう反応していいか分からず、とりあえずカップを手に取って啜る。
ぬるくなっている、という話だったが、決してそんなことはない。むしろ熱い。
――こんな熱い湯を、親方は一気に飲み干したのか? 鍛冶で熱いところにいるから、舌も熱いのが平気になったとか?
ついでに豆を一粒、恐る恐るかじってみる。
サク、というような音を立てて、案外、軽い力でかみ砕くことができた。さくさく、と、少し硬めのクッキーか何かのように食べることができる。ほんのり感じられる塩味だけのシンプルな炒り豆だが、悪くない。
あれだろうか。親方は、一気に口に放り込んだから、あんな石でもかみ砕くかのような音がするのだろうか。
白湯をもう一口すする。
「親方はよく、こんな熱い湯を一気に飲むことができましたね。私には、体を芯から温めるのにちょうどよい温度です。一気に飲むなんて、とても」
「はぁ? 水よりぬるい程度じゃねえか。おめぇの舌はどんだけお貴族様なんだよ。今日のスープ、よく食えたな」
「ええ、ほどよい熱さでしたから」
「あ? だったらその湯なんか、一息じゃねぇか。なにもったいぶってやがる、貸せ」
そう言って親方は俺の手からカップをむしり取る。
「どれ、まったく体だけじゃなくて舌までヒョロヒョロかよ――て、熱ッちッッ!!」
……!?
親方は先ほど、あんなに一気にあおったのに?
「おい、リトリィ! おめぇ、俺のはあんな冷めた湯を出しやがって! いくらコイツが客だからって、差をつけすぎだろうが!」
「ええ、だって、親方様にとっては、わたしは獣なのでしょう? 獣は、加減が分かりません」
キッチンの奥から、すました声が聞こえてくる。
ああ、コレ本当に逆らったらダメなパターンだ。家政をつかさどる彼女を怒らせたら、ただじゃすまないということだな。
「まったく、男の前だからってカッコつけやがって、あいつは……」
親方が膨れる様子が面白い。このいかつい男が、彼女にかかると子供のようだ。
「……まあいい。あんなやつだ。それでも、あいつのこと、魅力的だと思うか?」
この質問には、苦笑するしかない。
「ええ、とっても」
臨機応変にあんな仕込みをしてくる彼女が、魅力的でないはずがない。
「……そうか。そうか、つまりおめぇは、そういうやつなんだな」
「どういう、意味ですか?」
「なんでもねえよ。こっちの話だ」
親方は薄く笑うと、話をつづけた。
「――話を戻すがよ。オレも“ニホン”とやらがどこにあるかはさっぱり分からねぇ。だから、おめぇが帰るっつったって、どっちを向いて歩きだせばいいかすら、助言してやれねえときたもんだ。
まあ、とんだ災難だと思って、なにか手がかりがつかめるまではここで暮らすといい。ウチの周りにゃ鉱床以外、目ぼしいものなんてなんにもねぇが、慣れれば悪いところでもねぇ」
――「手がかりがつかめるまでは」ということは、弟子になる必要がないということか? いつでも出ていくことができる身分を保障してくれる、ということだろうか。意外に優しいぞ、親方!
「では、私はその手がかりを得られるまで、この家では具体的にどのようなことをしていればよろしいでしょうか」
「そうだな……その体格じゃあ、力仕事は難しそうだ。設計をやっていたってことは、頭を使う方の職人なんだろ? だから、もっぱらおめぇには、畑を頼みてぇ。リトリィと一緒に、畑の世話をしてくれねぇか。
あと、今日はアイネのヤツと水汲みをしたようだが、明日からはリトリィをつける。水汲みと畑、それを二人でやってくれ。フラフィーもアイネも、明日からは工房に缶詰めにするからよ」
……ん? 親方の言葉に違和感を覚える。工房に野郎二人を缶詰にする、それは分かる。
だったら、リトリィも投入した方が、より作業が早くなるのではないだろうか。
「……私が畑を担当する分、リトリィも工房を手伝う。そういう話ではなかったのですか?」
「おめぇ、畑、できんのかよ?」
「……水やり、くらいは」
「ほらみろ。収穫も順次やってかなくちゃならねぇんだ。そのへん、リトリィに聞きながらやってくれ」
「はあ……まあ、やれとおっしゃられるのでしたら」
俺には鍛冶なんて分からないし、この世界の貨幣も持ち合わせていない。この家にしばらく置いてもらえる交換条件で畑の世話、というなら、それでかまわない。
でも、リトリィを巻き込んでしまっては、申し訳ない気がする。
「親方様、わたしは、工房に入れてもらえないんですか?」
キッチンの方から、リトリィの、力のない声が聞こえてきた。
ああ、やっぱりか。彼女も鍛冶見習いとして優秀だと、アイネが言っていた。工房から締め出されるのは不本意なのだろう。
「おめぇには、畑や水汲み、木炭づくりの方を頼む。ムラタと一緒にやれ。ムラタに仕事を教えるつもりでな」
「……ムラタさんと、いっしょに?」
「ああ。そんなら、悪くねぇだろ?」
「――――!!」
なにやら飛び跳ねる音が聞こえてくる。ゴキブリか何かでもいたのだろうか。
「……でも、ムラタさんは、お国に帰らなきゃいけなんじゃ……」
「帰り方が分からねんだとよ。分かるのは明日か、明後日か、それとも十日後か……。ま、それまで、うちで手伝いだ」
ふたたび飛び跳ねる音と、ばさばさと何かがこすれる音。キッチンで何が起こっているのだろう。さっきの親方への処置のこともあって、気になるが、少々怖い。
「だからリトリィ。おめぇはしばらく、工房には顔を出さなくていい。そのかわり、それ以外のこと、しっかり頼むぞ。――ムラタと一緒にな」
「はい! はいはい! がんばります! ムラタさん、いっしょに畑、がんばりましょうね!」
――妙にテンションが高い。あれか。昼のアイネと一緒で、つらい労働をシェアリングできる相手が見つかった喜びというやつか。
まあ、こちらも手がかりが見つかるまでの、当面の拠点を確保できた、という取引だと考えれば悪くない。ここは鍛冶屋、取引に来る人間も多少はいるはずだ。その時、話を聞いてみれば、もしかしたら何かしらの情報を持つ人がいるかもしれない。
それに高級な道具を作っているということは、それなりに資産のある人間が来るはずだ。情報網も、それなりに広いものを持っているだろう。
「――じゃあ、お互い交渉成立だな。ムラタ、リトリィ。明日からそのように動いてくれ。
それと、ムラタ。畑仕事やら水汲みやらのほかに、ときどきオレに知恵を貸してくれ。なに、お前が分かることだけでいい」
「知恵……ですか? 鍛冶仕事でお貸しできる知恵など、私には――」
「ああ、気にするな。あくまでも、お前が分かることだけでいいんだ。じゃあ、しばらくは客人として、ゆっくりしていってくれ」
リトリィが、キッチンカウンターの奥から出てくる。カップを回収がてら、そっとこちらの耳に口を寄せる。
「ムラタさん、明日からいっしょにおしごと、楽しみですね」
こちらの返事を待たず、彼女は、相も変わらず尻尾をぶんぶん振り回すようにキッチンの奥に消えていく。親方は、そんな楽しそうなリトリィを見届けると、席を立った。
「まあ、期待しているぞ、ムラタ」
――!?
気づかなかった! 親方の突然の挑発は、まさか、それを分かっていて!?
見上げると、リトリィの目が、妙に赤い。鼻をすんすん鳴らし、木のカップを載せたトレイを持つ手は震えている。
何も言えずに口をぱくぱくさせていると、リトリィはぎこちないながらもにっこりと微笑み、親方と、俺の前に、カップと、炒った豆を盛った皿をそれぞれ置く。
そのまま俺にだけ会釈をして、くるりと身をひるがえした。
しっぽは――やたらと力強く揺れているように見えるのだが。
「あいつ、客にだけ頭を下げて、当主のオレには下げ忘れてやがる」
笑いながら皿の豆をわしづかみにして口に放り込むと、バリボリとすごい音を立てながらかみ砕き、カップを一気にあおる親方。ちょっと待って、どう聞いても豆の音に聞こえない。石でもかみ砕いているかのようだ。
「なんだ、しゃべってる間に冷めちまったか? こりゃ白湯じゃねえ、ただの水だ」
笑いながらカップをテーブルに戻す。
俺も、どう反応していいか分からず、とりあえずカップを手に取って啜る。
ぬるくなっている、という話だったが、決してそんなことはない。むしろ熱い。
――こんな熱い湯を、親方は一気に飲み干したのか? 鍛冶で熱いところにいるから、舌も熱いのが平気になったとか?
ついでに豆を一粒、恐る恐るかじってみる。
サク、というような音を立てて、案外、軽い力でかみ砕くことができた。さくさく、と、少し硬めのクッキーか何かのように食べることができる。ほんのり感じられる塩味だけのシンプルな炒り豆だが、悪くない。
あれだろうか。親方は、一気に口に放り込んだから、あんな石でもかみ砕くかのような音がするのだろうか。
白湯をもう一口すする。
「親方はよく、こんな熱い湯を一気に飲むことができましたね。私には、体を芯から温めるのにちょうどよい温度です。一気に飲むなんて、とても」
「はぁ? 水よりぬるい程度じゃねえか。おめぇの舌はどんだけお貴族様なんだよ。今日のスープ、よく食えたな」
「ええ、ほどよい熱さでしたから」
「あ? だったらその湯なんか、一息じゃねぇか。なにもったいぶってやがる、貸せ」
そう言って親方は俺の手からカップをむしり取る。
「どれ、まったく体だけじゃなくて舌までヒョロヒョロかよ――て、熱ッちッッ!!」
……!?
親方は先ほど、あんなに一気にあおったのに?
「おい、リトリィ! おめぇ、俺のはあんな冷めた湯を出しやがって! いくらコイツが客だからって、差をつけすぎだろうが!」
「ええ、だって、親方様にとっては、わたしは獣なのでしょう? 獣は、加減が分かりません」
キッチンの奥から、すました声が聞こえてくる。
ああ、コレ本当に逆らったらダメなパターンだ。家政をつかさどる彼女を怒らせたら、ただじゃすまないということだな。
「まったく、男の前だからってカッコつけやがって、あいつは……」
親方が膨れる様子が面白い。このいかつい男が、彼女にかかると子供のようだ。
「……まあいい。あんなやつだ。それでも、あいつのこと、魅力的だと思うか?」
この質問には、苦笑するしかない。
「ええ、とっても」
臨機応変にあんな仕込みをしてくる彼女が、魅力的でないはずがない。
「……そうか。そうか、つまりおめぇは、そういうやつなんだな」
「どういう、意味ですか?」
「なんでもねえよ。こっちの話だ」
親方は薄く笑うと、話をつづけた。
「――話を戻すがよ。オレも“ニホン”とやらがどこにあるかはさっぱり分からねぇ。だから、おめぇが帰るっつったって、どっちを向いて歩きだせばいいかすら、助言してやれねえときたもんだ。
まあ、とんだ災難だと思って、なにか手がかりがつかめるまではここで暮らすといい。ウチの周りにゃ鉱床以外、目ぼしいものなんてなんにもねぇが、慣れれば悪いところでもねぇ」
――「手がかりがつかめるまでは」ということは、弟子になる必要がないということか? いつでも出ていくことができる身分を保障してくれる、ということだろうか。意外に優しいぞ、親方!
「では、私はその手がかりを得られるまで、この家では具体的にどのようなことをしていればよろしいでしょうか」
「そうだな……その体格じゃあ、力仕事は難しそうだ。設計をやっていたってことは、頭を使う方の職人なんだろ? だから、もっぱらおめぇには、畑を頼みてぇ。リトリィと一緒に、畑の世話をしてくれねぇか。
あと、今日はアイネのヤツと水汲みをしたようだが、明日からはリトリィをつける。水汲みと畑、それを二人でやってくれ。フラフィーもアイネも、明日からは工房に缶詰めにするからよ」
……ん? 親方の言葉に違和感を覚える。工房に野郎二人を缶詰にする、それは分かる。
だったら、リトリィも投入した方が、より作業が早くなるのではないだろうか。
「……私が畑を担当する分、リトリィも工房を手伝う。そういう話ではなかったのですか?」
「おめぇ、畑、できんのかよ?」
「……水やり、くらいは」
「ほらみろ。収穫も順次やってかなくちゃならねぇんだ。そのへん、リトリィに聞きながらやってくれ」
「はあ……まあ、やれとおっしゃられるのでしたら」
俺には鍛冶なんて分からないし、この世界の貨幣も持ち合わせていない。この家にしばらく置いてもらえる交換条件で畑の世話、というなら、それでかまわない。
でも、リトリィを巻き込んでしまっては、申し訳ない気がする。
「親方様、わたしは、工房に入れてもらえないんですか?」
キッチンの方から、リトリィの、力のない声が聞こえてきた。
ああ、やっぱりか。彼女も鍛冶見習いとして優秀だと、アイネが言っていた。工房から締め出されるのは不本意なのだろう。
「おめぇには、畑や水汲み、木炭づくりの方を頼む。ムラタと一緒にやれ。ムラタに仕事を教えるつもりでな」
「……ムラタさんと、いっしょに?」
「ああ。そんなら、悪くねぇだろ?」
「――――!!」
なにやら飛び跳ねる音が聞こえてくる。ゴキブリか何かでもいたのだろうか。
「……でも、ムラタさんは、お国に帰らなきゃいけなんじゃ……」
「帰り方が分からねんだとよ。分かるのは明日か、明後日か、それとも十日後か……。ま、それまで、うちで手伝いだ」
ふたたび飛び跳ねる音と、ばさばさと何かがこすれる音。キッチンで何が起こっているのだろう。さっきの親方への処置のこともあって、気になるが、少々怖い。
「だからリトリィ。おめぇはしばらく、工房には顔を出さなくていい。そのかわり、それ以外のこと、しっかり頼むぞ。――ムラタと一緒にな」
「はい! はいはい! がんばります! ムラタさん、いっしょに畑、がんばりましょうね!」
――妙にテンションが高い。あれか。昼のアイネと一緒で、つらい労働をシェアリングできる相手が見つかった喜びというやつか。
まあ、こちらも手がかりが見つかるまでの、当面の拠点を確保できた、という取引だと考えれば悪くない。ここは鍛冶屋、取引に来る人間も多少はいるはずだ。その時、話を聞いてみれば、もしかしたら何かしらの情報を持つ人がいるかもしれない。
それに高級な道具を作っているということは、それなりに資産のある人間が来るはずだ。情報網も、それなりに広いものを持っているだろう。
「――じゃあ、お互い交渉成立だな。ムラタ、リトリィ。明日からそのように動いてくれ。
それと、ムラタ。畑仕事やら水汲みやらのほかに、ときどきオレに知恵を貸してくれ。なに、お前が分かることだけでいい」
「知恵……ですか? 鍛冶仕事でお貸しできる知恵など、私には――」
「ああ、気にするな。あくまでも、お前が分かることだけでいいんだ。じゃあ、しばらくは客人として、ゆっくりしていってくれ」
リトリィが、キッチンカウンターの奥から出てくる。カップを回収がてら、そっとこちらの耳に口を寄せる。
「ムラタさん、明日からいっしょにおしごと、楽しみですね」
こちらの返事を待たず、彼女は、相も変わらず尻尾をぶんぶん振り回すようにキッチンの奥に消えていく。親方は、そんな楽しそうなリトリィを見届けると、席を立った。
「まあ、期待しているぞ、ムラタ」
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