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第一部 異世界建築士と獣人の少女

第12話:ストリートで生きてきた少女

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「どうやって答えりゃいいんだよ!」

 どっちにしろ「死にたいのか」と迫るアイネに俺は悲鳴を上げると、アイネは「冗談だ」と笑った。
 笑ったが、すぐに真顔に戻る。

「おい、お前。どうせ朝、リトリィはお前に迫ったと思うんだが──」
「いや、その、あの──なにもしてない! 本当に何もしてないぞ! 指一本触れていない!!」

 最後は嘘だが、あれは不可抗力だ。たまたま手をついたその下に、彼女の豊満な胸があった──あっただけだ!

「慌てるってことはむしろ怪しいが、まあいいや。
 どうせアイツのことだから、お前が朝オッ立てたモノ見て、たぶん何とかしなきゃって思ったんだと思うぜ。オレたちに対しても、最初はそうだったからな」
「あ……いや、その……」
「で、抜いたのか? それともヤッたのか? 返答次第でオレの対応も変わるんだが」

 抜いてもいないしヤッてもいない。俺の純潔は間違いなく保たれている。つまりは文句なし、完全無欠のヘタレだ。天地神明にかけてなにもしてないぞ。何もしてないんだから、崖から突き落とされたりしたらたまったものではない。

「どうせ誰かの命令だと思っただろ? だがな──」

 アイネが、いったん言葉を切る。

 ぎしぎしと、急に水桶が重くなったような気がしてくる。
 黙って歩いていると、肩に食い込む棒の重みが、倍にでもなったかのようだ。

「……親方はそんなこと言う人じゃねえよ。純粋に、お前を助けるために、アイツにお前を温めろと、ただそれだけを言ったんだ」

 遭難者を助けるために人肌で温める、というあれか。そういえば、トルコの船が日本で遭難したとき、そんなような話があった気がする。

「川で服を着たまま死ぬ奴は、足を滑らせた間抜けか、自死を選んだ腑抜けだ。前者ならともかく、後者なら人生を悲観しているからな。目を覚ました時、そこに女のぬくもりがなきゃ、助けたかいなく死んじまうかもしれないってな」

 残念ながら、足を滑らせた間抜けではなく、黒い穴に足を踏み外した間抜けだ。まあ、親方も俺の話を理解できなかった。アイネだって俺の境遇を理解などできまい。

「リトリィはいい女で、天使だ。腹んなかではどう考えたか知らねえが、目の前で死にかけてるやつをほっとくなんてこと、絶対にしねえ。親方が言わなくたって、自分からベッドにもぐりこんだろうさ」

 わあい、そいつはすてきだ、なんて貞操観念の軽い──もとい! 行動力の高い女性だ。俺のように勘違いしそうになる男も、片手では済まなかっただろう。おもわず軽口を叩きそうになる。

 だが。

「……ただ、アイツ──リトリィはさ、王都のストリートで育ったんだ」

 アイネの言葉に、軽口を叩きそうになった自分が、心底馬鹿らしくなる。

 ストリートで、育つ。
 ──ストリートで、子供が育つ、その、意味。

「……分かるだろ? ただでさえ王都ってところは、獣人族ベスティリングに冷たい」

 ぎりっ
 歯ぎしりの音が、前を歩く俺にまで届く。

「……そんなところで生きてきた獣人族の女の子が、ストリートで生きるために、なにしてきたか──想像つくよな?」

 想像したくもない。
 ──だが、想像ができてしまう。

 東南アジアのストリートチルドレン。
 わずかな金額で売買される少女たち。

 わずかな金で、一日に何人もの客を取らされ、そして、であればに冒されて、死んでいく少女たち。

 大学で、とあるNGO団体が講演に来た時に、写真や動画で見た、それ。

 その、暗く濁った、痛々しい目。
 全身に広がる、不気味な斑点。
 通常の健康状態ならば、決して発病することのないはずの肉腫の数々。

 二十一世紀だというに、いまだに貧困が彼女たちの幸せに生きる権利を踏みにじり、それを先進国の人間が、嬉々として買う。

「だから、リトリィは――アイツは、知ってるんだよ。オトコがどんなイキモノなのか。詳しくは知らねえし聞く気もねえが、おそらく、それで食いつないできたんだ」

 のどが、痛い。
 つばを飲み込むのが、あまりにも固く感じられる。

 あの控えめに、だが艶やかに身を寄せてきたあの女性。
 あらわな胸を隠そうともしなかったあの女性。

 ──人に歴史あり、という言葉がある。
 俺にだって、二十七年という歴史がある。
 だが、それほどまでに重い人生を、俺は担いできただろうか。

「──だから、オレは、二度とリトリィに、そんなことをさせたくねぇんだ。アイツの鍛冶の才能は、オレが守る。妹の未来は、オレが守るんだ」

 ――妹。
 そうだ、あの、リトリィだけが犬の姿ってのに、なんで俺はごく当たり前に、こいつらを兄妹だと受け入れたんだ。
 アイネとリトリィに、血縁関係なんてあるわけがないじゃないか。

 そんな俺の顔を見て、アイネは察したらしい。小さく笑うと、続けた。

「そうさ、オレたちは全員、元捨て子。親方に拾われて、でもって今はそれぞれが一人前の鍛冶師を目指して弟子をやっている」

 実はオレとフラフィーは同い年でオレのほうが誕生日が少しばかり早いんだが、まあ拾われた順でオレが弟だと、アイネは笑った。

「リトリィがうちに来たのは、随分前の話だ。正確な年齢は分からねえ。一応、今年で十九ってことにしてるが、ストリートで生きてきたヤツだからよ、誕生日だっていい加減なもんだ。第一、獣人は少しばかり成長が早いからな。見た目のナリは、それなりにデカかったけどよ」

 アイネは、どこか懐かしそうな表情をした。

「でさ。親父――親方が夜中フラっと出ていったと思ったら、宿に連れ帰ってきたのがアイツだ。あの時は、オレたちは剣を納めに王都に出ていてな。
 で、ここに帰ってくるまでは、特に何もなかったんだけどよ。帰って来たその晩、オレとフラフィーが寝てたベッドに来て、何したと思う?」
「ええと、──怖い夢を見て、怖くなって添い寝に来た?」
「だったら可愛げがあったな」

 リトリィが部屋に入ってきたことに気づいたアイネは、最初、寝たふりをしていたのだという。なにせ、初めて女の子と共同生活をするのだ。おまけに獣人。どう接していいか分からなかったそうだ。
 すると、リトリィはもぞもぞともぐりこんできて──

「ズボンに手をかけてきてさ。これがうわさに聞く吸血鬼かって……ついに正体を現したのかって、オレ、パニックになってよ。まだ初心うぶだったぜ、あんときはな」

 おもわず彼女をベッドから蹴り出してしまい、ころころと転がり壁にぶつかって咳き込む彼女を見てチャンスだと思ったアイネは、フラフィーを叩き起こすと吸血鬼だなんだと大騒ぎしたらしい。

 騒ぎを聞きつけて飛んできた親方に目の玉が飛び出そうな勢いでぶん殴られ、フラフィーには馬鹿にされ、そして肝心のリトリィは抱っこされるようにして親方に連れ出されていったのだという。

「あんときは親方が殺されるって、自分がぶん殴られたにもかかわらず、泣きながら親方の寝室に駆け込もうとしたんだけどよ。鍵かけられてて入れなくて、泣きながらドアをたたき続けてたら、ドアが開いて、今度はおふくろにぶん殴られたのさ」

 ──親方よりおっかねえおふくろがいたんだから、恐れる心配なんてなかったんだがな。
 アイネはそう言って笑う。

 結局、親方が死ぬことはなく、リトリィも徐々にこの家の人間として落ち着いていくことになった。

 ただリトリィは、朝昼晩の食事を食べることができて、屋根付きの家、しかも女の子ということで個室──ただの屋根裏部屋だそうだが──まで与えられて眠ることができるのに、夜に何も求められない、ということが、しばらくの間、どうしても理解できなかったらしい。

 ときどきベッドにもぐりこんできては、泣きながら訴えてきたのだという。

「どんなことでもします、置いてくださいと。オレ達、いじめたりなんかしてなかったんだぜ? そりゃ、アイツが来たころは初めて見るプリム・ドーグリングだったから、気味悪くてそばに寄らなかったってのはあったんだけどさ」
「……プリム・ドーグリング?」
「ん? 知らねえのか? 見りゃ違いがわかるだろ? リトリィは普通の犬属人ドーグリングと違って……その、なんだ。よりの度合いが強いってーか。アイツは、より純血に近い獣人──原初のプリム・犬属人ドーグリングてヤツだ」

 ──そうか。リトリィの見た目を受け入れられない奴らに対するアイネの悪感情は、自分自身がかつて抱いたことがあるからこそのものか。

 俺だって、たまたま同僚だった島津の「島津オタク語録ライブラリ」のアヌビス神やらゲームやらアニメやらの知識があったから、あのとき、あの程度の失態で済んだ。
 もし、そういった知識がなかったら、俺は彼女を見て、あれ以上の失態を冒さなかったと、どうして言えるだろう。吸血鬼だと思い込んで大騒ぎをしたアイネを、俺は笑えない。

「でもよ、アイツ、ほんとにいいヤツなんだよ」
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