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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第11話:アイネ
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――なんだこの野郎。俺に対してはあれほど強圧的だったのに、リトリィに「嫌い」扱いされたとたんにこのしおれ具合。どうなってるんだ。
「お兄さま。ついでですから、ご自身の焼きもちでまき散らしてしまった木炭を片付けながら、少し風にでもあたって、頭を冷やしていてくださいな。わたしはムラタさんと、お食事の続きをしてまいりますから」
そう言ってリトリィは俺の手を取り、「兄が失礼しました。お食事のつづきにまいりましょう?」と引っ張る。
「……こいつ、ほっといていいのか?」
「だいじょうぶです。お兄さまは、とーってもお強い人ですから」
……それ、絶対に嫌味だろう? 今の一言にびくりと体が震えたのが見えたぞ。
楚々としてるように見えて、この子のメンタル、実はかなりタフだったらしい。お友達宣言で衝撃受けてる俺のほうが、よほど豆腐メンタルだった。
まあ、あの野郎三人衆の中で鍛冶師見習いが務まっている時点で、察するべきだったのだろう。
木炭に埋もれて灰と化しているアイネを尻目に、なぜか妙に上機嫌で、しっぽが元気に揺れているリトリィ。
家の中からは、いい加減に妹離れしろよ、などと、ゲラゲラと笑い声が聞こえてくる。どうやらリトリィを必要以上に「大事な妹」扱いした挙句、かえって機嫌を損ねてぶちのめされるアイネ、というのは、なにやらそう、珍しいことでもないようだ。
――俺も気を付けよう。
リトリィとの、やっぱり大して会話のない、けれど甘酸っぱい思いでいっぱいになれた昼食を終えたあと、俺は木炭のススで真っ黒になったアイネに引きずられるようにして、再び水汲みをやった。
リトリィが「ムラタさんはお客さまです! 水くみならわたしがやります!」なんて言ったものだから、彼女にやらせてなるものかと、アイネに従ったのだ。
リトリィの方が俺よりずっと力持ちだってのはもう分かってるけど、さっきはあんな無様な姿を見せてしまったんだ。すこしでも「男」を見せたいじゃないか!
アイネは最初こそ「なんでこんなヒョロガリを……」などとぶつぶつ言っていたが、谷底の川にたどり着く頃には気持ちの切り替えが済んだらしい。俺がへっぴり腰で桶を担ぐと、「持ち方が悪い、桶が一つのときはこうしろ」と、少しでも楽な方法を教えてくれた。
妹にたかるハエには容赦なくとも、一緒の労働者としての俺には、それなりに面倒を見ようという気になるらしい。さっきのことは腹が立つけれど、少なくとも悪い奴ではないことは理解できた。
「……あんたらは、ここで、鍛冶師の仕事をしているんだよな?」
「そうだ」
「ええと、フラフィーというやつもか?」
「リトリィもだ。アイツ、鼻が利くから親方が一番可愛がってんだ」
手が小さくて鍛冶には向かねえと思うんだけどよ、アイネはそう口をとがらせる。
「なんてーの? 鉱石の純度を量るとか、温度の見極めとか──犬属人なだけに、すげぇ繊細なとこついてくるんだ、アイツ。どんだけ俺らが頑張ったって、そこの才能だけは逆立ちしたって敵わねえ」
アイネは、舌打ちをしつつ天を仰ぐ。
なるほど、リトリィは妹であり、同時に鍛冶屋としてのライバルでもあるわけか。
「──ドーグリングって?」
「見りゃ分かるだろ、犬の獣人だ。まあ、アイツの場合、普通の犬属人と比べてちっとばかり変わってはいるんだが」
「なる……ほど。犬だけに、鼻が利く──ってか」
「ああそうだ。ただ、あんだけ火を睨みまくってたら、鍛冶屋として大成する前に目をやっちまいそうで、心配してるんだがな」
……そういえば、聞いたことがある。電気溶接技師やガス溶接技師、ガラス職人などは、その強烈な光源を見つめ続けるため、白内障などの目の障害を引き起こしやすいのだと。
「俺ぁ、その繊細さを生かして研ぎ師とか宝石加工とか、そういう道もあるって、何回か言ったことあるんだけどさ。アイツ、意地になっちまってんのか、俺の言うこと聞かねえんだよな」
そうだろうな、あれだけ妹に過保護なこいつだ。ライバルとか以前に、そんな未来を回避したいんだろう。
しかし、リトリィがそんな意固地な性格だったとは。そんなふうには見えなかった。むしろ言われたらなんでもハイハイ言ってそうな。だって、なあ……。
『そういうことも、必要であればと申しつけられておりますが……』
思わず、朝のあのやり取りが思い出されてしまう。
あの、布一枚の、あの状況での、あのやりとり。
あ、やばい──!
あわててムスコをセンターポジションに置くべく、桶を地面に置いてズボンを整える。
「なんだお前、休んでる暇ねえぞ? ほら、休んだらその分遅れンだ。とっとと担げ」
アイネが後ろから小突いてくる。
後ろからは何をしているか、分からなかったか。ああ、あぶないあぶない。あのままじゃ折れるか、変にこすれ続けて男の尊厳が漏れるところだった。
「──オレは、リトリィに添い寝させるの、反対したんだからな」
「…………!!」
「あれぁ、天使だからよ。そういうもてなしだって、やれって言われりゃやっちまう。
……もう、二度と、そんなことはさせたくねえんだ。アイツには」
二度と。
──二度と!?
生々しい言葉が突き刺さってくる。
あれは、あの接待は、初めてではなかったのか!
「……あんな喧嘩をした俺に、そんなこと話していいのか?」
「なに言ってやがる。どうせアイツ、お前に迫ったんだろ? 男ならアイツの体見て、その気にならねえ奴がいるもんか」
ぐ……だがあれは違う! 男の朝の生理現象! けっして彼女の体に対して立てたわけじゃ……
──ごめんなさい。それも多分、原因。
「正直でいいじゃねえか。オレぁ、正直なヤツは嫌いじゃねえぜ」
そう言って、アイネはからからと笑う。両肩にずっしりと水桶の重みがのしかかっているとは思えない、じつにさわやかな笑い。夜に絶対会いたくない凶相の持ち主なのに、ずいぶんと快活な笑い方をする。
「で、やったのか?」
──前言撤回! なんだこいつ、真顔でストレートに聞いてきやがった!
「や、やるかよ! 初対面の相手で、しかもい──」
犬の顔、と言いかけて、必死に飲み込む。
さっき、アイネはリトリィのことを「天使」だと言った。彼女のことを貶めるようなことを言ったら、この崖から蹴落とされかねない。
「……いい子だから、かえって手なんか出せないだろ?」
「ハッ、当り前じゃねえか。アイツはいいコで、天使だよ。お前も分かってんな!」
アイネが機嫌よさそうに笑う。笑っている間は、凶相もそれなりに愛嬌があるように見えるから不思議だ。
「あー、笑った笑った。……で、お前。さっきリトリィのこと、犬の顔、とか言おうとしただろ」
ぐふぅっ!?
見透かされていた!?
「わかってんよ。あれを初めて見たやつはみんなそうだ。アイツとちょっと付き合えばすぐいいヤツだって分かるのに、誰もがみんな、あの顔形、毛深さを見て、見下すんだ。あれに興味を持つのは、よっぽど変わったヤツか、それとも──」
アイネの声が、だんだんと低くなる。
「──体さえありゃあ、顔も気にしねえ下衆かだ」
アイネの声が、重く響く。
「げ、下衆って……こんな山の中に、彼女をどうにかしようってやってくる奴がいるのか?」
「下衆が来たらぶち殺して谷に突き落とすだけだ。なに、ここは人里離れたバーシット山、事故の原因なんざ、文字通り山ほどある。
──お前だってな」
背後から低く響く声でそう言われて、誰が命の危機を感じずにいられるだろうか。
「ま、まてよ! 俺は何もやってない! 誓ってなんにもやってない!」
「当り前だ。だがもしリトリィがお前のことで何か言ってきたら、オレはお前をどうするか分からんからな」
「ちょ、ちょっと待て!」
それは要するに、彼女に触れたら地獄行きを宣告されたようなものだ。せっかく彼女と仲良くなったというのに! こ、ここはあくまで世話になった隣人を装って、興味のない振りをするべきなのか? するべきなんだな!
「あ? おい、今なんつった。リトリィに魅力がないと言ったのか? あの天使にか? おめぇ死にてぇのか?」
「え――いや、いやいやいや、すっごく魅力的で!」
「てめぇ、リトリィとヤりたいってのか──いまここで、死にてぇのか?」
「どうやって答えりゃいいんだよ!」
「お兄さま。ついでですから、ご自身の焼きもちでまき散らしてしまった木炭を片付けながら、少し風にでもあたって、頭を冷やしていてくださいな。わたしはムラタさんと、お食事の続きをしてまいりますから」
そう言ってリトリィは俺の手を取り、「兄が失礼しました。お食事のつづきにまいりましょう?」と引っ張る。
「……こいつ、ほっといていいのか?」
「だいじょうぶです。お兄さまは、とーってもお強い人ですから」
……それ、絶対に嫌味だろう? 今の一言にびくりと体が震えたのが見えたぞ。
楚々としてるように見えて、この子のメンタル、実はかなりタフだったらしい。お友達宣言で衝撃受けてる俺のほうが、よほど豆腐メンタルだった。
まあ、あの野郎三人衆の中で鍛冶師見習いが務まっている時点で、察するべきだったのだろう。
木炭に埋もれて灰と化しているアイネを尻目に、なぜか妙に上機嫌で、しっぽが元気に揺れているリトリィ。
家の中からは、いい加減に妹離れしろよ、などと、ゲラゲラと笑い声が聞こえてくる。どうやらリトリィを必要以上に「大事な妹」扱いした挙句、かえって機嫌を損ねてぶちのめされるアイネ、というのは、なにやらそう、珍しいことでもないようだ。
――俺も気を付けよう。
リトリィとの、やっぱり大して会話のない、けれど甘酸っぱい思いでいっぱいになれた昼食を終えたあと、俺は木炭のススで真っ黒になったアイネに引きずられるようにして、再び水汲みをやった。
リトリィが「ムラタさんはお客さまです! 水くみならわたしがやります!」なんて言ったものだから、彼女にやらせてなるものかと、アイネに従ったのだ。
リトリィの方が俺よりずっと力持ちだってのはもう分かってるけど、さっきはあんな無様な姿を見せてしまったんだ。すこしでも「男」を見せたいじゃないか!
アイネは最初こそ「なんでこんなヒョロガリを……」などとぶつぶつ言っていたが、谷底の川にたどり着く頃には気持ちの切り替えが済んだらしい。俺がへっぴり腰で桶を担ぐと、「持ち方が悪い、桶が一つのときはこうしろ」と、少しでも楽な方法を教えてくれた。
妹にたかるハエには容赦なくとも、一緒の労働者としての俺には、それなりに面倒を見ようという気になるらしい。さっきのことは腹が立つけれど、少なくとも悪い奴ではないことは理解できた。
「……あんたらは、ここで、鍛冶師の仕事をしているんだよな?」
「そうだ」
「ええと、フラフィーというやつもか?」
「リトリィもだ。アイツ、鼻が利くから親方が一番可愛がってんだ」
手が小さくて鍛冶には向かねえと思うんだけどよ、アイネはそう口をとがらせる。
「なんてーの? 鉱石の純度を量るとか、温度の見極めとか──犬属人なだけに、すげぇ繊細なとこついてくるんだ、アイツ。どんだけ俺らが頑張ったって、そこの才能だけは逆立ちしたって敵わねえ」
アイネは、舌打ちをしつつ天を仰ぐ。
なるほど、リトリィは妹であり、同時に鍛冶屋としてのライバルでもあるわけか。
「──ドーグリングって?」
「見りゃ分かるだろ、犬の獣人だ。まあ、アイツの場合、普通の犬属人と比べてちっとばかり変わってはいるんだが」
「なる……ほど。犬だけに、鼻が利く──ってか」
「ああそうだ。ただ、あんだけ火を睨みまくってたら、鍛冶屋として大成する前に目をやっちまいそうで、心配してるんだがな」
……そういえば、聞いたことがある。電気溶接技師やガス溶接技師、ガラス職人などは、その強烈な光源を見つめ続けるため、白内障などの目の障害を引き起こしやすいのだと。
「俺ぁ、その繊細さを生かして研ぎ師とか宝石加工とか、そういう道もあるって、何回か言ったことあるんだけどさ。アイツ、意地になっちまってんのか、俺の言うこと聞かねえんだよな」
そうだろうな、あれだけ妹に過保護なこいつだ。ライバルとか以前に、そんな未来を回避したいんだろう。
しかし、リトリィがそんな意固地な性格だったとは。そんなふうには見えなかった。むしろ言われたらなんでもハイハイ言ってそうな。だって、なあ……。
『そういうことも、必要であればと申しつけられておりますが……』
思わず、朝のあのやり取りが思い出されてしまう。
あの、布一枚の、あの状況での、あのやりとり。
あ、やばい──!
あわててムスコをセンターポジションに置くべく、桶を地面に置いてズボンを整える。
「なんだお前、休んでる暇ねえぞ? ほら、休んだらその分遅れンだ。とっとと担げ」
アイネが後ろから小突いてくる。
後ろからは何をしているか、分からなかったか。ああ、あぶないあぶない。あのままじゃ折れるか、変にこすれ続けて男の尊厳が漏れるところだった。
「──オレは、リトリィに添い寝させるの、反対したんだからな」
「…………!!」
「あれぁ、天使だからよ。そういうもてなしだって、やれって言われりゃやっちまう。
……もう、二度と、そんなことはさせたくねえんだ。アイツには」
二度と。
──二度と!?
生々しい言葉が突き刺さってくる。
あれは、あの接待は、初めてではなかったのか!
「……あんな喧嘩をした俺に、そんなこと話していいのか?」
「なに言ってやがる。どうせアイツ、お前に迫ったんだろ? 男ならアイツの体見て、その気にならねえ奴がいるもんか」
ぐ……だがあれは違う! 男の朝の生理現象! けっして彼女の体に対して立てたわけじゃ……
──ごめんなさい。それも多分、原因。
「正直でいいじゃねえか。オレぁ、正直なヤツは嫌いじゃねえぜ」
そう言って、アイネはからからと笑う。両肩にずっしりと水桶の重みがのしかかっているとは思えない、じつにさわやかな笑い。夜に絶対会いたくない凶相の持ち主なのに、ずいぶんと快活な笑い方をする。
「で、やったのか?」
──前言撤回! なんだこいつ、真顔でストレートに聞いてきやがった!
「や、やるかよ! 初対面の相手で、しかもい──」
犬の顔、と言いかけて、必死に飲み込む。
さっき、アイネはリトリィのことを「天使」だと言った。彼女のことを貶めるようなことを言ったら、この崖から蹴落とされかねない。
「……いい子だから、かえって手なんか出せないだろ?」
「ハッ、当り前じゃねえか。アイツはいいコで、天使だよ。お前も分かってんな!」
アイネが機嫌よさそうに笑う。笑っている間は、凶相もそれなりに愛嬌があるように見えるから不思議だ。
「あー、笑った笑った。……で、お前。さっきリトリィのこと、犬の顔、とか言おうとしただろ」
ぐふぅっ!?
見透かされていた!?
「わかってんよ。あれを初めて見たやつはみんなそうだ。アイツとちょっと付き合えばすぐいいヤツだって分かるのに、誰もがみんな、あの顔形、毛深さを見て、見下すんだ。あれに興味を持つのは、よっぽど変わったヤツか、それとも──」
アイネの声が、だんだんと低くなる。
「──体さえありゃあ、顔も気にしねえ下衆かだ」
アイネの声が、重く響く。
「げ、下衆って……こんな山の中に、彼女をどうにかしようってやってくる奴がいるのか?」
「下衆が来たらぶち殺して谷に突き落とすだけだ。なに、ここは人里離れたバーシット山、事故の原因なんざ、文字通り山ほどある。
──お前だってな」
背後から低く響く声でそう言われて、誰が命の危機を感じずにいられるだろうか。
「ま、まてよ! 俺は何もやってない! 誓ってなんにもやってない!」
「当り前だ。だがもしリトリィがお前のことで何か言ってきたら、オレはお前をどうするか分からんからな」
「ちょ、ちょっと待て!」
それは要するに、彼女に触れたら地獄行きを宣告されたようなものだ。せっかく彼女と仲良くなったというのに! こ、ここはあくまで世話になった隣人を装って、興味のない振りをするべきなのか? するべきなんだな!
「あ? おい、今なんつった。リトリィに魅力がないと言ったのか? あの天使にか? おめぇ死にてぇのか?」
「え――いや、いやいやいや、すっごく魅力的で!」
「てめぇ、リトリィとヤりたいってのか──いまここで、死にてぇのか?」
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