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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第6話:キッチンの天使(2/4)
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餌をむさぼる豚のごとく、マナーもへったくれもなく争い食う三人に対して甲斐甲斐しく給仕をする彼女の姿に、アイネの形容の的確さをさらに実感する。
隣に座った客を、客とも思わぬ肘鉄で撃退せんとするアイネを代表する野郎ども。いや、奪い合うように肉やら芋やらをパンにはさんではスープに浸し、次から次へと平らげてゆく三人を真似しようとは思わないが。
「まだ、いっぱいありますから。遠慮なさらず召し上がってくださいね」
籠に入れたパンと茹でた芋をそっと差し出してくるリトリィの微笑みに、心洗われる気分になる。
ああ、アイネ。お前の肘鉄が今この瞬間も痛かったが、今こそお前の言った言葉に同意しよう。
――確かに彼女は天使だ。
ありがたく籠からパンを手に取ろうとすると、そこに毛むくじゃらの手が伸びてきて、籠そのものをひったくってゆく。
「あ――お兄さま! それムラタさんの――!」
「オレはムラタの二倍働いた! 二倍食う権利がある!」
「二倍どころじゃないでしょ! お兄さま、返して!」
「なにが『お兄さま』だ、こんな男を客扱いして気取る必要なんかねえだろ、いつも通り『アイネにぃ』って呼べ!」
「――――!!」
その瞬間、一気にリトリィの毛が逆立つ。
そういえば、アイネはリトリィを怒らせたくなかったのではなかったか?
「ばかっ! アイネお兄さまなんて嫌い!」
そう言うと、アイネの椅子を蹴り飛ば――
――そうとしてこちらと目が合ったリトリィ。
慌てたように振りかぶった足を戻し、
エプロンの乱れを直し、
次いで両頬をおさえ、一瞬泣きそうな――と見えた――顔をしたあと、
鼻先を両手で覆い、
ぎゅっと目をつぶり、しかしすぐに目を開いて頬を二度軽く叩き、
「兄が、失礼しました。すぐに代わりをお持ちしますね」
エプロンの端をつまみ、腰を落とすようにして頭を下げると、彼女はキッチンカウンターの方に小走りで引っ込んでいった。
彼女のことを、しっとりとした大人びた女性だと思っていたので、この反応は意外だった。
アイネの言葉から察するに、先に見せた一瞬の姿が素なのかもしれない。だが、きちんと場をわきまえ、淑女たらんとする姿に、むしろ健気さを覚えて胸が締め付けられるような思いがこみ上げてくる。
同時に、彼女にそのような至らぬ振る舞いをさせた隣のクソ兄貴に、なにやら天誅を食らわせてやりたいような思いも湧き上がってくる。
とりあえず腕っぷしで敵うわけもなく、いったいどうしてくれようと思案する。テーブルの隅にいる蜘蛛でもつまんで、パンに挟んで奴にくれてやるか?
いやいや、どうせ気づきもせずに飲み込んで終わるに違いない。それでは意味がない。
それに、リトリィが焼いてくれたパンを、そんな扱いにしたくはない。
見てくれは潰れたパンだと思ったが、どうも不思議な食感だった。
日本で食べ慣れたふわふわのパンではなく、外見は丸いナンという感じだ。おそらく、いわゆる「種なしパン」とかいうやつなのかもしれない。食感もなんとなくナンに似ている気もするが、やはり違う。
なんというか、粘らない、隙間の多い餅というか。意外にもちもちとしてそのままでも案外イケる。味はほとんどないが、そこはそれ、白米のようなものだ。
実際、じっくりと噛んでいると、ほのかな甘みが広がってくる。
それにこれは、挟むものの味と、そして食感を楽しむ感じの食いでだ。
「――なんだおめぇ。パンに何も挟まずに。ほれ、これでも挟め」
親方が、ソーセージのようなものを投げてよこす。慌てて受け取ろうとすると、これまた真っ黒に日焼けした腕がそいつをつかみ取る。
「甘いぜ親父。食いたけりゃ自分でつかみ取れ――ウチの家訓だろ?」
アイネの兄弟子、フラフィーといったか。黒々と焼けた顔に、輝く八重歯がまぶしい。――おいコラ、家の主人が客人に寄こしたおかずを横取りするな。
「馬鹿野郎。客人だろ、一応もてなすのがその家の心意気ってもんだ。とっとと渡しやがれ」
一応、っておい親方。
いやまあ、世話になっておいてもてなせ、と居丈高に言うつもりはないけどさ。
「ああ~残念! たった今――」
そう言って、フラフィーがソーセージを一息に口に押し込む。
「――食っちまった!」
もごもごと発音しきれていないだろうに、この首輪は相手の意図を翻訳するということか。実に明瞭に、何を言わんとしたかが理解できてしまう。ああ、腹の立つことだ!
まあ、親方から拳骨を即座に食らっているところを目撃することで、留飲を下げておくことにする。
ただ、このにぎやかな食卓。
テーブルの食べ物を奪い合うなど、一人っ子だった自分には、味わえなかった雰囲気だ。
むしろ、親がもっと食べろと、自分に好物を分けてくれたりしたものだ。
だから、食卓というものは、互いに分け合うものだと思い込んでいた。
そういえば、高校時代の同級生だった日立健樹のヤツが、男4人兄弟だったっけ。兄弟でよくおかずやおやつを奪い合っていたと聞いた。その食事風景は、(ここまでカオスでなくとも)似たような雰囲気だったのではなかろうか。
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら互いに奪い合う三人の野郎どもを生温かい目で見つめていると、いつの間にそこにいたのか、リトリィが籠を持って傍らに立っていた。
「いつもあんな感じなんです。ごめんなさいね」
そう言ってひざまずくと、パンに肉や芋などを挟み、サンドイッチ状にしたものを手渡ししてくる。
「本当ならこんなお渡しの仕方、礼儀に反していて申し訳ないのですが……」
そう言って、ちらりと、アイネのほうに視線をずらし――
「――早く召し上がっていただかないと、また兄たちがちょっかいを出しかねませんから」
いたずらっぽく笑う。
「あ、――ああ……」
間抜けな返事をして、しばらくたってから、また、礼を言い損ねたと気づいた。
隣に座った客を、客とも思わぬ肘鉄で撃退せんとするアイネを代表する野郎ども。いや、奪い合うように肉やら芋やらをパンにはさんではスープに浸し、次から次へと平らげてゆく三人を真似しようとは思わないが。
「まだ、いっぱいありますから。遠慮なさらず召し上がってくださいね」
籠に入れたパンと茹でた芋をそっと差し出してくるリトリィの微笑みに、心洗われる気分になる。
ああ、アイネ。お前の肘鉄が今この瞬間も痛かったが、今こそお前の言った言葉に同意しよう。
――確かに彼女は天使だ。
ありがたく籠からパンを手に取ろうとすると、そこに毛むくじゃらの手が伸びてきて、籠そのものをひったくってゆく。
「あ――お兄さま! それムラタさんの――!」
「オレはムラタの二倍働いた! 二倍食う権利がある!」
「二倍どころじゃないでしょ! お兄さま、返して!」
「なにが『お兄さま』だ、こんな男を客扱いして気取る必要なんかねえだろ、いつも通り『アイネにぃ』って呼べ!」
「――――!!」
その瞬間、一気にリトリィの毛が逆立つ。
そういえば、アイネはリトリィを怒らせたくなかったのではなかったか?
「ばかっ! アイネお兄さまなんて嫌い!」
そう言うと、アイネの椅子を蹴り飛ば――
――そうとしてこちらと目が合ったリトリィ。
慌てたように振りかぶった足を戻し、
エプロンの乱れを直し、
次いで両頬をおさえ、一瞬泣きそうな――と見えた――顔をしたあと、
鼻先を両手で覆い、
ぎゅっと目をつぶり、しかしすぐに目を開いて頬を二度軽く叩き、
「兄が、失礼しました。すぐに代わりをお持ちしますね」
エプロンの端をつまみ、腰を落とすようにして頭を下げると、彼女はキッチンカウンターの方に小走りで引っ込んでいった。
彼女のことを、しっとりとした大人びた女性だと思っていたので、この反応は意外だった。
アイネの言葉から察するに、先に見せた一瞬の姿が素なのかもしれない。だが、きちんと場をわきまえ、淑女たらんとする姿に、むしろ健気さを覚えて胸が締め付けられるような思いがこみ上げてくる。
同時に、彼女にそのような至らぬ振る舞いをさせた隣のクソ兄貴に、なにやら天誅を食らわせてやりたいような思いも湧き上がってくる。
とりあえず腕っぷしで敵うわけもなく、いったいどうしてくれようと思案する。テーブルの隅にいる蜘蛛でもつまんで、パンに挟んで奴にくれてやるか?
いやいや、どうせ気づきもせずに飲み込んで終わるに違いない。それでは意味がない。
それに、リトリィが焼いてくれたパンを、そんな扱いにしたくはない。
見てくれは潰れたパンだと思ったが、どうも不思議な食感だった。
日本で食べ慣れたふわふわのパンではなく、外見は丸いナンという感じだ。おそらく、いわゆる「種なしパン」とかいうやつなのかもしれない。食感もなんとなくナンに似ている気もするが、やはり違う。
なんというか、粘らない、隙間の多い餅というか。意外にもちもちとしてそのままでも案外イケる。味はほとんどないが、そこはそれ、白米のようなものだ。
実際、じっくりと噛んでいると、ほのかな甘みが広がってくる。
それにこれは、挟むものの味と、そして食感を楽しむ感じの食いでだ。
「――なんだおめぇ。パンに何も挟まずに。ほれ、これでも挟め」
親方が、ソーセージのようなものを投げてよこす。慌てて受け取ろうとすると、これまた真っ黒に日焼けした腕がそいつをつかみ取る。
「甘いぜ親父。食いたけりゃ自分でつかみ取れ――ウチの家訓だろ?」
アイネの兄弟子、フラフィーといったか。黒々と焼けた顔に、輝く八重歯がまぶしい。――おいコラ、家の主人が客人に寄こしたおかずを横取りするな。
「馬鹿野郎。客人だろ、一応もてなすのがその家の心意気ってもんだ。とっとと渡しやがれ」
一応、っておい親方。
いやまあ、世話になっておいてもてなせ、と居丈高に言うつもりはないけどさ。
「ああ~残念! たった今――」
そう言って、フラフィーがソーセージを一息に口に押し込む。
「――食っちまった!」
もごもごと発音しきれていないだろうに、この首輪は相手の意図を翻訳するということか。実に明瞭に、何を言わんとしたかが理解できてしまう。ああ、腹の立つことだ!
まあ、親方から拳骨を即座に食らっているところを目撃することで、留飲を下げておくことにする。
ただ、このにぎやかな食卓。
テーブルの食べ物を奪い合うなど、一人っ子だった自分には、味わえなかった雰囲気だ。
むしろ、親がもっと食べろと、自分に好物を分けてくれたりしたものだ。
だから、食卓というものは、互いに分け合うものだと思い込んでいた。
そういえば、高校時代の同級生だった日立健樹のヤツが、男4人兄弟だったっけ。兄弟でよくおかずやおやつを奪い合っていたと聞いた。その食事風景は、(ここまでカオスでなくとも)似たような雰囲気だったのではなかろうか。
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら互いに奪い合う三人の野郎どもを生温かい目で見つめていると、いつの間にそこにいたのか、リトリィが籠を持って傍らに立っていた。
「いつもあんな感じなんです。ごめんなさいね」
そう言ってひざまずくと、パンに肉や芋などを挟み、サンドイッチ状にしたものを手渡ししてくる。
「本当ならこんなお渡しの仕方、礼儀に反していて申し訳ないのですが……」
そう言って、ちらりと、アイネのほうに視線をずらし――
「――早く召し上がっていただかないと、また兄たちがちょっかいを出しかねませんから」
いたずらっぽく笑う。
「あ、――ああ……」
間抜けな返事をして、しばらくたってから、また、礼を言い損ねたと気づいた。
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