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第29話:生死

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 私は目が回るくらい忙しい時を過ごしました。
 食事療法本の発行準備と馬痘種痘法に忙殺されたのです。
 などと言っては大げさすぎますね。
 実際には、現場仕事は殆ど人任せになっています。
 料理の試作をしてくれるのは料理人と下女ですし、馬を集めて膿みや瘡蓋を集めるのは馬方ですし、予防接種を行ってくれるのは町医師達です。

 副作用なしに予防接種をすることは不可能でした。
 最初はどれくらいの量を予防接種に使えばいいのか手探りでした。
 悲しい事に、副作用で亡くなってしまう方までおられたのです。
 その時には、胸が張り裂けるかと思うくらい苦しかったです。
 もう止めて逃げ出したいと思う時もありました。

 ですが、現場で予防接種をしている町医師達が歯を食いしばって続けているのに、私が逃げだす事などできません。
 戦のなくなったこの世界では、生死の最前線で戦っているのは、武士ではなく医師達なのです。
 
 患者さんの事など何とも思わず、金儲けの為だけに医師になった者や、世襲で典医になった者は別にして、病に苦しむ人を助けたいと思って医師になった人達が、自分の力足らずに苦しみながら予防接種を続けているのです。
 ただ指示するだけで、実際に患者さんに施術していない私が、胸が痛いとか苦しいとか言って、逃げだす事など出来ませんでした。

 思い切って私も直接患者さんに施術としようとしたのですが、田沼意次やお登勢さんだけでなく、町医師達からも猛反対されてしまいました。
 私が飛沫や接触による伝染を教えた事で、絶対に私を直接施術にかかわらせない事が、彼らの間で決められてしまったようです。

 私は神通力を失い、神仏の世界に戻れないという事になっています。
 疱瘡で死ぬ可能性があると、田沼意次には伝えてあります。
 私を予防接種の現場から外した気持ちの中には、私から受けた恩を返したいという気持ちもあるでしょうが、私が死ぬことで将軍家が祟られるかもしれないという、恐れもあるはずです。

 私だって死ぬのはとても怖いです。
 私は義務感で命をかけられるほど善人ではありません。
 この世界で命を賭けるよりは、本当の自分の世界、元の世界で命をかけるべきだという想いもあります。
 もっと医学の力を身に付けてから、命をかけるべきだとも思うのです。

 色々迷いながらも、やれることをするようにしました。
 とても広い元薩摩藩上屋敷を活用して、自分の手で馬疱瘡に罹っている馬を飼育することにしました。
 田沼意次だけでなく、久左衛門殿にもお登勢さんにも当麻殿にも猛反対されましたが、やった方が人の疱瘡に罹り難いと言って断行しました。

 馬とはいっても私がイメージしていたよりはずっと小さな馬です。
 テレビや映画で俳優さんが乗っていたような、競馬場で走っているような、大きな馬ではありませんでした。
 昔から日本に住んでいた馬は、小柄日本人が扱える大きさの、小さな頃に乗馬体験で乗らせてもらた、ポニーのような大きさでした。

 とても大人しくて人懐っこくて、私でも安心して御世話できました。
 何か役に立つことをしたいという純粋な気持ちと、馬疱瘡に罹っている馬を御世話する事で人疱瘡に罹らずに済めばいいという、打算の気持ちが相半ばしていました。
 そんな恥ずべき自分の気持ちを忘れるためにも、一生懸命馬の御世話をしていたのですが、夏の暑い盛りを過ぎて僅かに秋を感じる頃に別れがありました。

「神使様、身に余るほどの御厚情を賜り、感謝の言葉もございません。
 御別れさせて頂きますのはとても哀しいのですが、雪が降る前に越後に帰らせて頂かねばなりません。
 御名残り惜しいですが、明日の朝早くここを発たせていただきます」

 はるさんが別れの挨拶をしてくれます。
 事前にお登勢さんと話し合っていて、私にも報告があって、何度も色々と話し合ったうえでの正式な挨拶です。
 本心では、越後に帰る事無くずっと私の側にいて欲しいのですが、越後瞽女達の生活基盤は越後にあるのです。
 江戸には出稼ぎに来ているだけなのです。

 それに、私は元の世界に帰る心算なのです。
 ずっとはるさん達の生活に責任を持つ気があるわけではないのです。
 自分が寂しい間だけはるさん達を利用して、必要がなくなったら放り出す。
 そんな無責任な事をするわけにはいきません。
 私に出来る事は、この世界で手に入れた影響力を使って、はるさん達が少しでも楽に暮らせる仕組みを作る事です。

「今日までよく私達を楽しませてくれましたね。
 些少ではありますが、今までの礼金以外に餞別を用意しました。
 はるさん達の誇りを傷つけるほどの大金にはしていませんので、遠慮せずに受け取ってください」

「重ね重ねの過分な御厚情、感謝の言葉もありません」

 はるさん達に渡す餞別も、お登勢さんとはるさんの間で話し合って決めてありますから、いざ渡す時になって争う事はありません。

「まだ場所は決まっていませんが、幕府から瞽女や座頭に屋敷が与えられることになっています。
 はるさんが言われていたように、普段の生活に支障が出ないように、出来るだけ慣れ親しんだ屋敷を離れる事のないようにさせますから、安心されてください」

「さらなる御厚情、感謝の言葉もございません」

 屋敷が変わると、煮炊きどころかトイレの事まで新たに覚えなければいけません。
 それが目の見えない方に取ってどれだけ大変なのかは、健常者の私には想像する事しかできませんが、新しい立派な屋敷さえ与えればいいという訳ではない事くらいはわかるのです。
 その辺の事も考えて、幕府には田沼意次を通じて御願いしてあります。

 みちとういう名の、重い疱瘡で死にかけて視力を失ったばかりの、僅か十歳の少女が遠い越後まで同行するのです。
 その道のりがとても大変なのは、私にだって想像が出来ました。
 若い頃に諸国を武者修行したという当麻殿からは、江戸を出る女が関所で厳しく調べられるという話しも教えてもらいました。
 関所の役人の中には、賄賂を要求する恥知らずも結構いるとも聞きました。

 今年のはるさん達は、例年の十倍近い御金を持って越後に帰ることになります。
 しかも越後を出る時にはいなかった、みちを江戸から連れて越後に帰るのです。
 悪い関所役人が難癖をつけるには、十分な変化が起きてしまっています。
 だから田沼意次に頼んで、特別な手形を用意してもらいました。
 通常の幕府留守居役が出す手形ではなく、関所の夜間通過すら可能な、老中証文を田沼意次が直筆で書いてくれました。

「確かに老中証文があれば関所の方は何とかなるかもしれませんが、山賊やごまのはえがはるさん達の懐を狙って、命まで奪うかもしれません。
 私達が越後まで警護につかせてもらいます」

 当麻殿がそう口にしてくれて、私の危機感が軽すぎた事に気がつきました
 どの世界どの時代でも、弱者を助ける者もいれば、弱者から力尽くで奪う人間がいるのだと、頭では理解することが出来ました。
 それなのに、私の身勝手な性格が、それを認めたくないと囁くのです。

 今も完全に克服できていない、黒装束に襲われた時の恐怖感。
 黒装束から助けてくれたのは、当麻殿と平蔵と呼ばれた人です。
 もしあの時、当麻殿と平蔵殿がおられなければ、私と徳川家基は黒装束達に殺されていた事でしょう。

 そんな私の気持ちを、当麻殿はもちろん久左衛門殿もお登勢さんも、正確に気がついてくれたのでしょう。
 直ぐに別の方法を考えて提案してくれました。
 特に久左衛門殿は、長年田沼家の家老を務めるだけあって、私の評判に傷がつかないように配慮して提案してくれました。

「当麻殿の献身はまことに天晴ではありますが、まだ建前上浪人でしかない当麻殿では、関所役人に対する押しが強くないでしょう。
 ここは田沼家の家老職と番頭を付けて、越後まで警護いたしましょう。
 当麻殿には引き続き神使様の警護を御頼みしたい」

 久左衛門殿が急遽上屋敷に使者を送り、田沼家からはるさん達に警護の士が付くことになったのですが、流石に老中の側近を務める家老や用人を、今日言って明日越後に発たせることは難しかったのです。

 そこで、才能はあるが若さゆえに重い役職についていなかった、須藤治郎兵衛殿を用人に抜擢して役方の代表とし、腕に覚えのある江戸詰め番頭を番方代表として、はるさん達の警護としてくれました。

 この世界に連れてこられてから多くの事がありました。
 殺されそうな目にもあいました。
 目の前で無残に殺される人を見ました。
 自分が無能な事、もっと努力しておくべきだった事も知りました。
 何より思い知らされたのは、祖父や父の理想を理解しながら、自分の夢とは違うと駄々をこねて、どちらの努力もしてこなかった、恥知らずな自分の行いです。

 自分なりの理想の人間像はありましたが、私は自分の理想とは程遠い人間だという事を、この世界で思い知らされました。
 同時に、理想の自分になれるように、努力し続けなければいけないと決意する事もできました。
 毎日少しずつ自分が成長できるように、とても難しいですが、古文や漢文の医学書や、オランダ語の医学書を読むようにしました。

「神使様の御陰を持ちまして、上様と清水公の御愛妾が懐妊されました」

 ある日、田沼意次からの報告を久左衛門殿が伝えてくれました。
 上屋敷にいる頃には、最低でも一日二度以上御機嫌伺いをしてくれた田沼親子ですが、疱瘡の予防に取り掛かって以降は全く会わないようになりました。
 全ての連絡や話し合いは、伝令が手紙で届けるようになっています。
 何といっても、田沼意次は幕府の屋台骨を支えている老中なのです。
 万が一にも疱瘡に罹るわけにはいかないのです。

 それ以前に、疱瘡を徳川家治にうつす事は絶対に許されません。
 私が飛沫感染や接触感染の危険を教えたからでもありますが、絶対に私には近づかないようにしているのです。
 それは藩士も同じで、上屋敷に詰める家臣と私を警護する家臣は、極力接触せないようにしています。

「そうですか、以前にも申し上げましたが、乳母には白粉を使った事のない女を選ぶようにしてください。
 何より絶対に胎毒を下ろすための下剤は使わないでください。
 和子に係わる奥女中には、手洗いと嗽も欠かさずにやらせてください」

 まだまだ不完全ではありますが、焼酎や石鹼による消毒も取り入れています。
 田沼家の藩士だけではなく、徳川家治や清水重好の子供を世話する奥女中にも、食事療法本を使って衛生知識を伝えてあります。
 もちろん徳川家治や清水重好の側近くに仕える中奥や表の家臣にも、同じように衛生知識を伝えてはいますが、守るかどうかは彼ら次第です。

 徳川家や幕府の事よりも、直接私と係わる田沼家藩士の教育に力を入れました。
 私がどうしても田沼意次や上屋敷の家臣と連絡を取らなければいけない時には、消毒の知識を叩き込み実践できるようになった若侍に伝令をさせています。
 その頭に選ばれているのが、久左衛門殿とお登勢さんの間に生まれた、将来田沼家の家老になることが決まっている、虎太郎殿です。

 田沼親子も各務夫婦も、虎太郎殿には田沼家を背負えるだけの器量を備えて欲しいと、心から願っているようです。
 田沼意知を補佐できるだけの器量を備えさせたいと考えて、私から色々学ばせようとしているようです。
 実際出会った頃の荒々しさが徐々に影を潜めて、思慮深くなったような気がしますが、大事な場面でどのような行動がとれるかは未知数です。

 ですがそれは私も同じ事です。
 本当に大変な場面に直面した時に、正しい判断が出来るとは限りません。
 実際問題、この世界に来てから私取った行動は、とても思慮深いとは言えない愚かな言動を繰り返しています。
 もっと慎重に行動すべきだったと、今なら分かります。

 だからこそ、今は反省と贖罪の日々を過ごしているのです。
 全ての日本人に疱瘡の予防接種をする気で、毎日頑張っています。
 薩摩藩の国元では、まだ藩士全員に予防接種する事はできていません。
 ですが人数の少ない江戸では、全薩摩藩士とその家族が人体実験の予防接種を終えていました。

 その後で人体実験の対象にさせられたのは、牛や馬と係わる事の多い穢多と非人が選ばれましたが、中には自ら望んで馬痘種痘法を受けに来る人もいました。
 私の存在が江戸中の噂になっていたようです。
 隠そうとしても隠しきれなかったようです。
 江戸っ子の野次馬根性は、田沼意次や幕府が秘密にしようとした私の存在も、簡単に探し当てるほどでした。

 私が稲荷社の神使だという誤解は、江戸っ子には真実として広まっていたのです。
 田沼家上屋敷で薩摩藩士に襲われた徳川家基が助かった事から始まり、稲荷社神使が大好きな揚げを使った稲荷寿司を広めた事も、誤解を真実にしてしまいました。
 ですが何より私が神使だと信じられたのは、田沼意次、徳川家治、清水重好の愛妾を懐妊させた事が理由でした。
 そんな事を可能に出来るのは、神仏か神使しかいないと思われたからです。

 そんな神使が、町医師達を使って疱瘡除けの秘術を行っているというのです。
 大金を払ってでも受けたいという者が現れるのも、仕方がないのかもしれません。
 百両千両の大金を積んでも、大切なひとり息子に疱瘡除けをしてもらいたいと、わざわざ屋敷を訊ねてくる者が現れたのです。

 私はここで祖父や父が嫌った、叔父達と同じ行動をとりました。
 いえ、叔父達に近い行動をとりました。
 叔父達のように、完全に理想を捨てて金儲けに走ったわけではありません。
 理想を実現させるために金儲けをすることにしたのです。
 その御金を、貧しい人の予防接種や瞽女座頭の支援に回そうと思ったのです。

 秋が深まって本格的な冬になる頃には、町医者達も予防接種に慣れて、使う膿や瘡蓋の最適量が分かりだして、副作用が激減するようになりました。
 穢多と非人の予防接種と並行して、江戸で病の温床になりそうな人達への予防接種もはじまりました。

 それは不特定多数の人と濃厚な接触をする女性達の事です。
 吉原の女郎衆や四宿で公に認められた女郎衆も、私が強く提案した事で、強制的に予防接種させることになったのです。
 年季奉公という名目の、実質的には奴隷売買を認めたわけではありません。
 ですが、最善を目指して何もしないよりは、確実な次善三善を行った方がいい。
 そう決意しただけです。

 自分に出来る事を一生懸命やるうちに、何時の間にが年が変わっていました。
 もう町医者達に予防接種を完全に任せられるようになっていました。
 もう元の世界に戻ってもいいと思えるようになっていました。
 疱瘡の事があって田沼家上屋敷に行くことが出来なくなってしまったので、伝令を使って伏見稲荷大社に行く許可を田沼意次にもらっていました。
 ですが、とんでもない事が起こってしまったのです。

「神使様、大変でございます。
 大納言様が御亡くなりになられてしまわれました」
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