24 / 32
第24話:松平定信の処分
しおりを挟む
頭がとても重くて痛いです。
頭だけでなく、喉も痛ければ身体中がとても重いです。
殆ど全ての関節がずきずきと痛みます。
こんなに苦しく痛いのは、両親の言う事を聞かずに手洗いと嗽をさぼって、インフルエンザに罹ってしまった子供の頃以来です。
あれ以来、手洗いも嗽もちゃんとしていますし、毎年予防接種も欠かさずに受けているのに、まさかインフルエンザに罹ってしまったのでしょうか。
ちゃんと予防接種をしていますから、罹ったとしても軽い症状で済むはずなのですが、これはいったいどういう事なのでしょうか。
それに、何故私は着物を着て寝ているのですか。
こんな広い座敷など、家にはないはずです。
誰ですか貴女は!
何故私の部屋に、見も知らに和服を着た女性がいるのですか。
私は、伏見稲荷大社を参詣していて……
「うげっえええええ」
ようやく全て思い出すことが出来ました。
ですが思い出した途端に、また激しい嘔吐感に襲われてしまいました。
これは私の罪悪感から来るものなので、死ぬか気を失うかしなければ、絶対に逃れられないのでしょうね。
「神使様、どうか御安心されてくださいませ。
神使様の願いが叶いましたから、もう苦しまれなくても大丈夫でございます。
白河藩と薩摩藩への討伐が決まりました。
当麻殿達には名誉の先陣が許されました。
ですから、どうか、どうかもう御苦しみにならないでください」
そう、ですか、決まりましたか。
当麻殿達の願いが叶ったのですね。
ですが、それは本当によい事なのでしょうか。
当麻殿達は、あの凄まじい薩摩示現流と戦わなければいけないくなるのです。
今度こそ全員死んでしまわれるかもしれないのです。
「うげっえええええ」
ああ、駄目ですね。
どう話が決まっても、私の言動で多くの人が死ぬことになってしまったのです。
私が何もしなければ、死ぬのは徳川家基だけだったのです。
あの身勝手な徳川家基を助けるために、何十何百という人が死んでしまうのです。
いえ、もしかしたら、何千何万という人が死んでしまうかもしれないのです。
これではもう、絶対にこの苦しみからは逃れられないですね。
「御前は早く御医師を呼んできてください。
いえ、当麻様を呼んできてください。
当麻様に、もう一度神使様を眠らせて頂くのです。
眠られている時だけ、神使様が苦しまれずにすむのです。
急いでください、早く」
「はい」
百合さんが指図するという事は、今は夜なのでしょうか。
深夜遅くに当麻殿に来ていただくなど、申し訳ない事です。
ですが絞め落としてもらえると、楽になるのは間違いありません。
罪の意識に苛まれずにすむのなら、ずっと気を失っていたいくらいです。
申し訳ない事ですが、どうか早く来てください、当麻殿。
永劫の生き地獄にいるような苦しみでした。
最初は嘔吐の苦しみだけでしたが、それに食道の痛みが加わり、今ではあまりに激しい嘔吐感に、呼吸困難を伴うようになってしまいました。
ずっと限界まで潜水している時のような、窒息死寸前の酸欠の苦しみが続くので「殺して」という言葉が口から出てきそうになります。
ですが、はるさんを知ったからには、その言葉を口にする事はできません。
はるさんに恥ずかしくない生き方をしたいのなら、飲み込むしかありません。
ありませんが、苦しくて苦してたまりません。
どうか早く来てください、当麻殿。
いえ、当麻殿でなくてもいいから、誰か私を絞め落としてください。
「神使様、御免」
私が畳の上を這いずって苦しんでいると、背後から当麻殿の声が聞こえました。
聞こえたかと思うと、寝巻の襟に手がかかりました。
これでようやく楽になれる、そう思っているうちに意識がなくなりました。
★★★★★★
頭と喉と関節が痛いです。
起き上がるのが億劫なくらい、体が重いです。
このまま寝ていたいのに、痛みの所為で二度寝ができません。
何故こんなに苦しいのでしょうか。
わたしは、私は、私の所為で……
「うげっえええええ」
何も飲み食いしていないはずなのに、血の混じった吐瀉物が畳を汚します。
未消化の粥のように見えます。
思い出せませんが、何か食べたのでしょうか。
気絶している間に、誰かが食べさせてくれたのでしょうか。
吐く物がない時よりは、少し楽に嘔吐できます。
「神使様、どうか御安心されてくださいませ。
御優しい神使様は、人が殺し合うのが嫌だったのですよね。
白河討伐も薩摩討伐も中止になりました。
ですからどうか、もう御苦しみにならないで下さい。
もう誰も殺されることはありません」
百合さんが私の背をさすりながら、大きな声で聞かせてくれました。
完全に嘔吐感がなくなったわけではありませんが、堪えられる程度の嘔吐感に軽減された事で、百合さんに話しかけることが出来ました。
「それは、ほんとうですか」
「はい、本当でございます。
白河藩と薩摩藩が、平身低頭幕府に詫びを入れたそうでございます。
詳しい事は、夜が明けてから、殿が御話しくださると思います。
今は何も考えずに御休みください。
御飲みになれるようでしたら、薬湯を御持ちさせていただきます。
重湯や五分粥も、御用意させて頂いております」
まだ粥を食べるのは無理そうです。
「薬湯を用意してくれますか。
それと、梅干しがあるのなら、手炙りで梅干を焼いて、梅湯を作ってください」
嘔吐感が軽くなったので、何とか話すことが出来るようになりました。
粥の事を思い浮かべると嘔吐感が激しくなりましたが、重湯や梅湯なら思い出しても嘔吐感が激しくなることはありませんでした。
重湯や梅湯を飲むことが出来たら、直ぐに死ぬような事はないでしょう。
「私はどれくらい気を失っていたのですか」
「半日くらいでございます」
「たった半日で、白河藩と薩摩藩は幕府の処罰を受け入れたのですか」
「その半日の間に、殿が上様に直談判されて、内々に白河藩と薩摩藩に使者を送り、家老の方々に善処するように命じられたそうでございます。
詳しい事は、殿が参られてから御話ししてい頂きます」
田沼意次は、私の身体を心配して方針を変えてくれたのでしょうか。
信心深い田沼意次ならあり得る話ではありますが、信仰心以上に徳川家への忠誠心が厚いのが田沼意次だと思うのです。
私の健康を心配したというよりは、私を死なせてしまった事による祟りが将軍家に及ぶのを、防ぎたかった可能性の方が高いですね。
「分かりました、ではそれまでゆっくりさせていただきましょう」
今が何時なのかは分かりませんが、田沼意次が身嗜みを整えるまで、多少は時間がかかるはずです。
その間に私も所用を住ませて、身嗜みを整えてもらいましょう。
今の吐き気なら、剃刀を使ってもらっても大丈夫だと思います。
いえ、剃刀を顔に当てている時に激しい嘔吐感に襲われたら、取り返しがつきませんから、それだけは止めておきましょう。
「神使様、御部屋に入らせていただいて宜しいでしょうか」
私が思っていた以上に、田沼意次が部屋に来るまでに時間がかかりました。
御陰て身嗜みを整えるだけでなく、苦い薬湯も酸っぱい梅湯も、頃合いに冷まして飲むことができました。
「ええ、入ってください」
まだ夜が明けていないので、田沼意次達は手燭台の灯を頼りに廊下を歩いてきてくれましたが、思っていた以上に人数が多いです。
「失礼させていただきます」
田沼意次、田沼意知、久左衛門殿、お登勢さん、警護の若侍達に加えて、当麻殿まで一緒に来てくれています。
あまりの仰々しさに、何事かと身構えてしまいます。
「よく来てくれましたね。
随分と心配をかけてしまいましたが、百合さんから話しを聞いて多少楽になりましたので、安心してくださいね」
「御自身が御苦しい時に、我々の事を気遣って頂き、感謝の言葉もございません。
我々ごときでは何も御返しする事はできませんが、出来る限りの事をさせて頂く心算でいますので、何なりと御申し付けください」
田沼意次が皆を代表しているのでしょう。
田沼意次の言葉と同時に、全員が畳に両手をついて深々と頭を下げてくれます。
そんな事をされると、小心な私は居たたまれなくなってしまいます。
「最初に無礼を詫びさせて頂きます。
もしまた神使様が御苦しみになられるようでしたら、私が気絶させて頂くことになっておりますので、御覚悟願います」
ああ、なるほど、それで当麻殿も一緒に来てくれているのですね。
幕政の秘事を明かすかもしれないのに、当麻殿を同行させている事が不思議でしたが、これでようやく理由が分かりました。
「ありがとうございます。
もうこれ以上あのような苦しみは嫌なので、御願いしますね」
これで何を聞かされても大丈夫かもしれません。
そう言う安心感があれば、精神的な嘔吐感は防げるかもしれません。
「御任せ下さい。
恐れ多い事ではありますが、神使様が苦しまれることがないように、我に出来る限りの事をさせて頂きます」
当麻殿が太鼓判を押してくれました。
これで嘔吐感を恐れる事無く、話を聞くことが出来ます。
「それで、白河藩と薩摩藩が幕府の処罰を受け入れると百合さんから聞きましたが、どういう処分に決まったのですか。
大納言殿は不服を言わなかったのですか」
私がそう言うと、田沼意次が苦しそうな表情をしました。
矢張り徳川家基は文句を言ったのですね。
家基が文句を言う程度の、軽い処分で許したという事ですね。
「臣が神使様の御告げに従い、改めて評定所の判例に従って上様に申し上げさせて頂いたのは、白河公と薩摩殿の切腹と、白河藩と薩摩藩の取り潰しでございました」
白河藩と薩摩藩は無関係を言い張ろうとするでしょうが、田沼家上屋敷を襲った黒装束が全員薩摩示現流の使い手だったことは、多くの旗本御家人が証言していますから、少なくとも薩摩藩が言い逃れをする事など不可能でしょう。
ですが親藩である白河藩が素直に従ったとは思えません。
「白河藩は色々と言い訳したのではありませんか」
「はい、確かに色々と言い訳いたしましたが、白河藩は過去幾度も養嗣子を迎えておりますから、家を存続するためならば、新たに養嗣子を迎える事にそれほどの抵抗はありません。
そもそも上総介殿を養子に迎えたのも、家格を上げるためでございます。
幸い交代寄合表御礼衆横田溝口家に、三代目の男系男子の血統が残っております。
そこから養嗣子を迎える事で話しがまとまりました」
「それは、現当主の上総介殿が大納言殿襲撃の加担していた事を認めて、責任を取って隠居するという事ですか」
あの偏執的な松平定信が、素直に処分に従うとは思えないのですが。
「先代当主の越中守殿が、家老達と図っての決断でございます」
嫌な想像が浮かんできてしまいますね。
ですが出来ればそうでない決定であって欲しいですね。
「それは閉門や蟄居ということですか」
「いずれ耳に入る事でございますから、正直に申し上げさせて頂きます」
田沼意次が厳しい表情になりました。
もの凄く嫌な予感がします。
また吐き気が強くなってきました。
当麻殿の表情も厳しくなっている気がします。
「上総介殿が全ての責任を負って切腹されます。
大納言様襲撃に加担したという事ではなく、疑われるような行動をとった事を恥じて、潔白を証明するために切腹するという形になっております。
伊予松山藩の養嗣子に決まっていた兄の中務大輔殿も、弟の言動を恥じて、自ら養嗣子を辞退して僧籍に入ることになります。
家督は久松系松平家から相応しい者を選ぶことになっております。
白河藩は石高を減らされませんから、藩士が路頭に迷う事はありません。
神使様が責任を感じられる事は何一つございません」
田沼意次が一気に話しかけてきます。
私の顔色が悪くなっているからでしょうか。
治まっていた嘔吐が再び始まらないように、急いで処分されるのが松平定信だけだと言い切ったのでしょう。
厳しい処分が、以前から嫌いだった松平定信だけだと分かったからでしょうか。
覚悟していたほどは吐き気がしません。
私はとても身勝手なのでしょうね。
自分の好悪だけで判断してしまっていますね。
「神使様、世子の大納言様の御命を狙ったのでございます。
上総介様一人の御命で済むのなら、とても温情ある処置だと思います」
黙っている私を心配してくれたのでしょう。
当麻殿が礼儀などかなぐり捨てて、田沼意次の言葉に継いで話しかけてくれます。
確かに温情と言えなくもないでしょうね。
ですが殆ど証拠と言える物のなかった白河藩が、これだけの責任を取ったのです。
薩摩藩は生半可の処分ではすまないでしょうね。
「白河藩の事は理解出来ました。
ですが一番の問題は、薩摩藩と逃げ出した一橋公です。
薩摩藩の処分も決まったのですか。
一橋公の行方は分かったのですか」
頭だけでなく、喉も痛ければ身体中がとても重いです。
殆ど全ての関節がずきずきと痛みます。
こんなに苦しく痛いのは、両親の言う事を聞かずに手洗いと嗽をさぼって、インフルエンザに罹ってしまった子供の頃以来です。
あれ以来、手洗いも嗽もちゃんとしていますし、毎年予防接種も欠かさずに受けているのに、まさかインフルエンザに罹ってしまったのでしょうか。
ちゃんと予防接種をしていますから、罹ったとしても軽い症状で済むはずなのですが、これはいったいどういう事なのでしょうか。
それに、何故私は着物を着て寝ているのですか。
こんな広い座敷など、家にはないはずです。
誰ですか貴女は!
何故私の部屋に、見も知らに和服を着た女性がいるのですか。
私は、伏見稲荷大社を参詣していて……
「うげっえええええ」
ようやく全て思い出すことが出来ました。
ですが思い出した途端に、また激しい嘔吐感に襲われてしまいました。
これは私の罪悪感から来るものなので、死ぬか気を失うかしなければ、絶対に逃れられないのでしょうね。
「神使様、どうか御安心されてくださいませ。
神使様の願いが叶いましたから、もう苦しまれなくても大丈夫でございます。
白河藩と薩摩藩への討伐が決まりました。
当麻殿達には名誉の先陣が許されました。
ですから、どうか、どうかもう御苦しみにならないでください」
そう、ですか、決まりましたか。
当麻殿達の願いが叶ったのですね。
ですが、それは本当によい事なのでしょうか。
当麻殿達は、あの凄まじい薩摩示現流と戦わなければいけないくなるのです。
今度こそ全員死んでしまわれるかもしれないのです。
「うげっえええええ」
ああ、駄目ですね。
どう話が決まっても、私の言動で多くの人が死ぬことになってしまったのです。
私が何もしなければ、死ぬのは徳川家基だけだったのです。
あの身勝手な徳川家基を助けるために、何十何百という人が死んでしまうのです。
いえ、もしかしたら、何千何万という人が死んでしまうかもしれないのです。
これではもう、絶対にこの苦しみからは逃れられないですね。
「御前は早く御医師を呼んできてください。
いえ、当麻様を呼んできてください。
当麻様に、もう一度神使様を眠らせて頂くのです。
眠られている時だけ、神使様が苦しまれずにすむのです。
急いでください、早く」
「はい」
百合さんが指図するという事は、今は夜なのでしょうか。
深夜遅くに当麻殿に来ていただくなど、申し訳ない事です。
ですが絞め落としてもらえると、楽になるのは間違いありません。
罪の意識に苛まれずにすむのなら、ずっと気を失っていたいくらいです。
申し訳ない事ですが、どうか早く来てください、当麻殿。
永劫の生き地獄にいるような苦しみでした。
最初は嘔吐の苦しみだけでしたが、それに食道の痛みが加わり、今ではあまりに激しい嘔吐感に、呼吸困難を伴うようになってしまいました。
ずっと限界まで潜水している時のような、窒息死寸前の酸欠の苦しみが続くので「殺して」という言葉が口から出てきそうになります。
ですが、はるさんを知ったからには、その言葉を口にする事はできません。
はるさんに恥ずかしくない生き方をしたいのなら、飲み込むしかありません。
ありませんが、苦しくて苦してたまりません。
どうか早く来てください、当麻殿。
いえ、当麻殿でなくてもいいから、誰か私を絞め落としてください。
「神使様、御免」
私が畳の上を這いずって苦しんでいると、背後から当麻殿の声が聞こえました。
聞こえたかと思うと、寝巻の襟に手がかかりました。
これでようやく楽になれる、そう思っているうちに意識がなくなりました。
★★★★★★
頭と喉と関節が痛いです。
起き上がるのが億劫なくらい、体が重いです。
このまま寝ていたいのに、痛みの所為で二度寝ができません。
何故こんなに苦しいのでしょうか。
わたしは、私は、私の所為で……
「うげっえええええ」
何も飲み食いしていないはずなのに、血の混じった吐瀉物が畳を汚します。
未消化の粥のように見えます。
思い出せませんが、何か食べたのでしょうか。
気絶している間に、誰かが食べさせてくれたのでしょうか。
吐く物がない時よりは、少し楽に嘔吐できます。
「神使様、どうか御安心されてくださいませ。
御優しい神使様は、人が殺し合うのが嫌だったのですよね。
白河討伐も薩摩討伐も中止になりました。
ですからどうか、もう御苦しみにならないで下さい。
もう誰も殺されることはありません」
百合さんが私の背をさすりながら、大きな声で聞かせてくれました。
完全に嘔吐感がなくなったわけではありませんが、堪えられる程度の嘔吐感に軽減された事で、百合さんに話しかけることが出来ました。
「それは、ほんとうですか」
「はい、本当でございます。
白河藩と薩摩藩が、平身低頭幕府に詫びを入れたそうでございます。
詳しい事は、夜が明けてから、殿が御話しくださると思います。
今は何も考えずに御休みください。
御飲みになれるようでしたら、薬湯を御持ちさせていただきます。
重湯や五分粥も、御用意させて頂いております」
まだ粥を食べるのは無理そうです。
「薬湯を用意してくれますか。
それと、梅干しがあるのなら、手炙りで梅干を焼いて、梅湯を作ってください」
嘔吐感が軽くなったので、何とか話すことが出来るようになりました。
粥の事を思い浮かべると嘔吐感が激しくなりましたが、重湯や梅湯なら思い出しても嘔吐感が激しくなることはありませんでした。
重湯や梅湯を飲むことが出来たら、直ぐに死ぬような事はないでしょう。
「私はどれくらい気を失っていたのですか」
「半日くらいでございます」
「たった半日で、白河藩と薩摩藩は幕府の処罰を受け入れたのですか」
「その半日の間に、殿が上様に直談判されて、内々に白河藩と薩摩藩に使者を送り、家老の方々に善処するように命じられたそうでございます。
詳しい事は、殿が参られてから御話ししてい頂きます」
田沼意次は、私の身体を心配して方針を変えてくれたのでしょうか。
信心深い田沼意次ならあり得る話ではありますが、信仰心以上に徳川家への忠誠心が厚いのが田沼意次だと思うのです。
私の健康を心配したというよりは、私を死なせてしまった事による祟りが将軍家に及ぶのを、防ぎたかった可能性の方が高いですね。
「分かりました、ではそれまでゆっくりさせていただきましょう」
今が何時なのかは分かりませんが、田沼意次が身嗜みを整えるまで、多少は時間がかかるはずです。
その間に私も所用を住ませて、身嗜みを整えてもらいましょう。
今の吐き気なら、剃刀を使ってもらっても大丈夫だと思います。
いえ、剃刀を顔に当てている時に激しい嘔吐感に襲われたら、取り返しがつきませんから、それだけは止めておきましょう。
「神使様、御部屋に入らせていただいて宜しいでしょうか」
私が思っていた以上に、田沼意次が部屋に来るまでに時間がかかりました。
御陰て身嗜みを整えるだけでなく、苦い薬湯も酸っぱい梅湯も、頃合いに冷まして飲むことができました。
「ええ、入ってください」
まだ夜が明けていないので、田沼意次達は手燭台の灯を頼りに廊下を歩いてきてくれましたが、思っていた以上に人数が多いです。
「失礼させていただきます」
田沼意次、田沼意知、久左衛門殿、お登勢さん、警護の若侍達に加えて、当麻殿まで一緒に来てくれています。
あまりの仰々しさに、何事かと身構えてしまいます。
「よく来てくれましたね。
随分と心配をかけてしまいましたが、百合さんから話しを聞いて多少楽になりましたので、安心してくださいね」
「御自身が御苦しい時に、我々の事を気遣って頂き、感謝の言葉もございません。
我々ごときでは何も御返しする事はできませんが、出来る限りの事をさせて頂く心算でいますので、何なりと御申し付けください」
田沼意次が皆を代表しているのでしょう。
田沼意次の言葉と同時に、全員が畳に両手をついて深々と頭を下げてくれます。
そんな事をされると、小心な私は居たたまれなくなってしまいます。
「最初に無礼を詫びさせて頂きます。
もしまた神使様が御苦しみになられるようでしたら、私が気絶させて頂くことになっておりますので、御覚悟願います」
ああ、なるほど、それで当麻殿も一緒に来てくれているのですね。
幕政の秘事を明かすかもしれないのに、当麻殿を同行させている事が不思議でしたが、これでようやく理由が分かりました。
「ありがとうございます。
もうこれ以上あのような苦しみは嫌なので、御願いしますね」
これで何を聞かされても大丈夫かもしれません。
そう言う安心感があれば、精神的な嘔吐感は防げるかもしれません。
「御任せ下さい。
恐れ多い事ではありますが、神使様が苦しまれることがないように、我に出来る限りの事をさせて頂きます」
当麻殿が太鼓判を押してくれました。
これで嘔吐感を恐れる事無く、話を聞くことが出来ます。
「それで、白河藩と薩摩藩が幕府の処罰を受け入れると百合さんから聞きましたが、どういう処分に決まったのですか。
大納言殿は不服を言わなかったのですか」
私がそう言うと、田沼意次が苦しそうな表情をしました。
矢張り徳川家基は文句を言ったのですね。
家基が文句を言う程度の、軽い処分で許したという事ですね。
「臣が神使様の御告げに従い、改めて評定所の判例に従って上様に申し上げさせて頂いたのは、白河公と薩摩殿の切腹と、白河藩と薩摩藩の取り潰しでございました」
白河藩と薩摩藩は無関係を言い張ろうとするでしょうが、田沼家上屋敷を襲った黒装束が全員薩摩示現流の使い手だったことは、多くの旗本御家人が証言していますから、少なくとも薩摩藩が言い逃れをする事など不可能でしょう。
ですが親藩である白河藩が素直に従ったとは思えません。
「白河藩は色々と言い訳したのではありませんか」
「はい、確かに色々と言い訳いたしましたが、白河藩は過去幾度も養嗣子を迎えておりますから、家を存続するためならば、新たに養嗣子を迎える事にそれほどの抵抗はありません。
そもそも上総介殿を養子に迎えたのも、家格を上げるためでございます。
幸い交代寄合表御礼衆横田溝口家に、三代目の男系男子の血統が残っております。
そこから養嗣子を迎える事で話しがまとまりました」
「それは、現当主の上総介殿が大納言殿襲撃の加担していた事を認めて、責任を取って隠居するという事ですか」
あの偏執的な松平定信が、素直に処分に従うとは思えないのですが。
「先代当主の越中守殿が、家老達と図っての決断でございます」
嫌な想像が浮かんできてしまいますね。
ですが出来ればそうでない決定であって欲しいですね。
「それは閉門や蟄居ということですか」
「いずれ耳に入る事でございますから、正直に申し上げさせて頂きます」
田沼意次が厳しい表情になりました。
もの凄く嫌な予感がします。
また吐き気が強くなってきました。
当麻殿の表情も厳しくなっている気がします。
「上総介殿が全ての責任を負って切腹されます。
大納言様襲撃に加担したという事ではなく、疑われるような行動をとった事を恥じて、潔白を証明するために切腹するという形になっております。
伊予松山藩の養嗣子に決まっていた兄の中務大輔殿も、弟の言動を恥じて、自ら養嗣子を辞退して僧籍に入ることになります。
家督は久松系松平家から相応しい者を選ぶことになっております。
白河藩は石高を減らされませんから、藩士が路頭に迷う事はありません。
神使様が責任を感じられる事は何一つございません」
田沼意次が一気に話しかけてきます。
私の顔色が悪くなっているからでしょうか。
治まっていた嘔吐が再び始まらないように、急いで処分されるのが松平定信だけだと言い切ったのでしょう。
厳しい処分が、以前から嫌いだった松平定信だけだと分かったからでしょうか。
覚悟していたほどは吐き気がしません。
私はとても身勝手なのでしょうね。
自分の好悪だけで判断してしまっていますね。
「神使様、世子の大納言様の御命を狙ったのでございます。
上総介様一人の御命で済むのなら、とても温情ある処置だと思います」
黙っている私を心配してくれたのでしょう。
当麻殿が礼儀などかなぐり捨てて、田沼意次の言葉に継いで話しかけてくれます。
確かに温情と言えなくもないでしょうね。
ですが殆ど証拠と言える物のなかった白河藩が、これだけの責任を取ったのです。
薩摩藩は生半可の処分ではすまないでしょうね。
「白河藩の事は理解出来ました。
ですが一番の問題は、薩摩藩と逃げ出した一橋公です。
薩摩藩の処分も決まったのですか。
一橋公の行方は分かったのですか」
0
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
御稜威の光 =天地に響け、無辜の咆吼=
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
そこにある列強は、もはや列強ではなかった。大日本帝国という王道国家のみが覇権国など鼻で笑う王道を敷く形で存在し、多くの白人種はその罪を問われ、この世から放逐された。
いわゆる、「日月神判」である。
結果的にドイツ第三帝国やイタリア王国といった諸同盟国家――すなわち枢軸国欧州本部――の全てが、大日本帝国が戦勝国となる前に降伏してしまったから起きたことであるが、それは結果的に大日本帝国による平和――それはすなわち読者世界における偽りの差別撤廃ではなく、人種等の差別が本当に存在しない世界といえた――へ、すなわち白人種を断罪して世界を作り直す、否、世界を作り始める作業を完遂するために必須の条件であったと言える。
そして、大日本帝国はその作業を、決して覇権国などという驕慢な概念ではなく、王道を敷き、楽園を作り、五族協和の理念の元、本当に金城湯池をこの世に出現させるための、すなわち義務として行った。無論、その最大の障害は白人種と、それを支援していた亜細亜の裏切り者共であったが、それはもはや亡い。
人類史最大の総決算が終結した今、大日本帝国を筆頭国家とした金城湯池の遊星は遂に、その端緒に立った。
本日は、その「総決算」を大日本帝国が如何にして完遂し、諸民族に平和を振る舞ったかを記述したいと思う。
城闕崇華研究所所長
日は沈まず
ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。
また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる