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第10話:瞽女と瞽女屋敷
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「はい、ある程度の事は存じております」
「主殿頭殿、盲人の女性達は瞽女座を作っているのですよね」
「はい、その通りです」
「瞽女達は歌舞音曲で生活しているのですよね」
「はい、表向きはその通りです」
「表向きですか、本当は違うのですか」
「はい、元々は東照神君が岡崎におられた頃に、岡崎の瞽女に信長公を探らせた事に始まります。
東照神君が幕府を開かれた時に、その時の瞽女の働きに報いるべく、屋敷と扶持米を与えたのでございます。
その後の幕府も東照神君を御手本として、東海道筋の主な城下町や宿場に瞽女屋敷を設け、大名や公家の動きを探る役目を与えているのです」
なんと、武田信玄が白拍子や歩き巫女を密偵に使っていたのは知っていましたが、徳川家康も後の徳川幕府も同じ事をしていたのですね。
田沼意次が知っているという事は、一橋も松平定信も知っているという事でしょうから、今更私が瞽女達を密偵に使う事はできませんね。
まあ、私が最初に瞽女達にさせたいと考えたのは、そんな事ではありませんけど。
「私が知りたかったのは、瞽女達が鍼灸の技を会得しているかです。
会得しているのなら、瞽女の中から奥医師を選びたかったのです」
「残念ながら、私の知る限り鍼灸の技を使えるのは座頭だけです。
しかも座頭の中でも極一部の者だけです」
「では一度東海道筋の瞽女屋敷に人をやって、鍼灸の技を会得した瞽女がいないか確かめてみてください。
もし探してもいないのなら、主殿頭殿の力で、瞽女に奥医師に成れるだけの修行をさせて欲しいのです」
もしこの時期の幕府に盲人女性の奥医師がいれば、後の世が変わります。
明治維新の後で、男性しか医師に成れないという時期がありましたが、そのような悪しき決まりがなくなるでしょう。
それとも、明治維新という名目の武力テロを成功させた連中は、そんなことは御構い無しに、薩長の身勝手なやり方を導入してしまうのでしょうか。
まあ、そんな事はあの連中が勝手に決めることです。
いえ、ここで徳川家基を助けることができれば、歴史が激変します。
徳川家基を助けることができなくても、田沼意知だけでも助けることができて、田沼意次が権力の座から追われることがなければ、歴史が激変します。
何かとてもわくわくしてきました。
「承りました。
大納言様を御助けするためです。
無理だ出来ないと言っている場合ではありませんな。
この意次の力の及ぶ限りの事を、やってごらんに入れます」
おお、田沼意次の決意表明です。
これはとても面白くなってきました。
田沼親子と色々な話しをして、興奮してしまいました。
とても面白く興味深いことが沢山聞けました。
元の世界に戻った時、或いは夢から覚めた時に、小説を書く上でとても役に立つ内容だと思います。
翌日早朝に、昨日惣禄屋敷に案内してくれた同心が訪ねて来てくれました。
彼は南町奉行所の定町廻り同心、仲根藤太郎という名前でした。
私の事を神使だと信じている田沼意次は、町奉行所の同心程度に私を会わせようとはしませんでした。
ですがどうしても聞いておきたいことがあったので、私からお登勢さんに会いたいと言って、許可してもらったのです。
「御家老にも御詫びさせていただいたのですが、申し訳ない事に、昨日の襲撃者達には逃げられてしまいました」
表にでて仲根藤太郎の話を聞く事になりましたが、早々に平身低頭謝られました。
私より前に田沼家の重臣にも詫びていたのでしょうが、襲撃された当事者である私にも詫びて、田沼意次の勘気を解きたいと思っているのでしょう。
「いえ、気になさる事はありませんよ。
急な襲撃で、手配りもできなかったのでしょう。
それよりもこれからの事を考えてください。
何といっても、老中の名代が町方の支配地で襲われたのです。
町奉行所の威信にかけても、襲撃者達を捜しださなければいけないでしょう」
「御名代様の申される通りでございます。
某がその場にいながら手も足も出なかった事は、申し開きのしようがない失態でございます。
御奉行とも相談して、何としても探し出して御覧に入れます」
その後も色々と言い訳をしてきましたが、私に言い訳しても仕方がありません。
ただこれで私が知りたかったことが分かりました。
仲根藤太郎だけではなく、町奉行も今回の失態に慌てているという事です。
もし襲撃現場に仲根藤太郎がいなければ、町奉行もそれほど危機感を持たなかったでしょうが、今回は同心が案内していたのに、襲撃者達を取り逃がしたのです。
早々に捕まえられなければ、責任問題になると思っているのでしょうね。
「分かりました。
私からも主殿頭殿にとりなしておきましょう。
その代わりと言っては何ですが、こちらから調べ物を御願いした時には、協力してくださいね」
どれくらい本気で調べてくれるかは分かりませんが、これで町奉行所の協力を取り付けることができました。
田沼意次を通せば、ほとんどの事が可能だとは思いますが、別の手法も確保しておきたくなったのです。
時代小説のように、同心や岡っ引きを使って襲撃者達を追い詰めることができれば、これもまた小説の題材になります。
「神使様、昨日助太刀してくれた浪人が訪ねてきております。
私が話を聞く事になっているのですが、いかがなさいますか」
同心が帰って直ぐに、各務久左衛門殿が奥に報告に来てくれました。
田沼意次に言い聞かされているのか、それとも独自の判断なのかは分かりません。
神使である私に何も話さずに、独断で決めないようにしているようです。
御陰で間接的ではない情報を手に入れることができます。
私は一緒に話を聞くと答えました。
「武蔵浪人、当麻錬太郎と申します」
「昨日助太刀ありがとうございました。
御陰様で危機を脱することができました。
この通り御礼申し上げます」
「とんでもございません。
御老中の姫君に頭を下げていただくなど、畏れ多い事でございます」
思わずこの場で吹き出してしまいそうになりました。
田沼意次は私の事を娘扱いしているようです。
昨日は名代になっていましたし、神使に対して最大限の敬意を示してくれているのか、もしくは後々私が大奥に出入りすることを考えているのでしょう。
それにしても、田沼家の姫君と剣客の取り合わせですか。
読んだ事のある小説の設定を思い出してしまいます。
急な襲撃現場に出会って、助太刀に入ってくれるような浪人です。
普通に考えたら剣客だとしか思えません。
「当麻殿には色々と聞かせて頂きたい事があります。
だからもう堅苦しい御礼は止めさせていただきましょう。
今日はどういう用件で尋ねてくてくださったのですか」
「はい、まず最初にはっきりと言わせていただきます。
御礼が欲しくて助太刀したわけではありません。
だから御礼を貰いたくて訊ねたと思われるのは心外なのです。
本当ならば訊ねたくはなかったのですが、襲撃犯の根城を確かめることができましたので、御伝えしないのも気持ちが悪く、訊ねさせて頂きました」
「なんと、奉行所にも確かめられなかった根城を見つけられたのですか」
私の警護であると同時に、後で助太刀の御礼を渡すために同席してくれていた各、務久左衛門が思わず声を出して確かめています。
「はい、私は襲撃犯が逃げて直ぐに後を追うことができましたので、撒かれることなく後をつけることが出来ました」
余計な事は言わずに、端的に根城を突き止められた理由を説明してくれます。
「ただ私一人しかいませんでしたので、何時までも見張るのは難しいのです。
飲み食いせずに見張るにも限界があります。
襲撃犯が寝入ったのを確かめて道場に戻り、門弟に見張りを引き継いで報告に来させていただいたのですが、少々待つことになってしまいました」
非難するような雰囲気は全くありませんが、待たされた事を伝えてきます。
待たされたことによって、襲撃犯に逃げられているかもしれないと匂わせます。
老中の屋敷に訪れるのに、失礼にならない時間を選んできてくれたので、仲根藤太郎同心とはぼ同じ時間になってしまったのでしょう。
「一つ確かめさせて頂きたいのだが、何故町奉行所に届けられなかったのかな」
各務久左衛門が、非難するような雰囲気を出さないようにしながら質問しますが、そんな質問をすれば非難しているも同然です。
「御老中の女駕籠を襲撃するような、大胆不敵な者達です。
裏にどのような者達がいるか分かったものではありません。
手先が町奉行所にいる事も想定しておかなければなりません」
当麻錬太郎殿が胸を張って堂々と答えられます。
威風堂堂とは当麻錬太郎殿のような武士を例えるための言葉だと思えてきました。
膝行で部屋に入ってきた時の姿形から、偉丈夫だとは思っていましたが、見た目の大きさだけでなく、言動も老中の家老を前にして立派なものです。
並の浪人なら、これを機会に自分を売り込もうと躍起になる所を、全く媚びる所がありません。
「久左衛門殿、私の命の恩人に対して失礼が過ぎますよ。
もう貴男はこの部屋から出て行きなさい。
これ以上主殿頭殿の面目を穢すような言動をされては困ります」
「はっ、誠に申し訳ない事を致しました。
当麻殿、今の失礼な言動は私一人の不徳の致すところ。
我が主は、姫君の命の恩人を蔑ろにするような方ではありません。
くれぐれも誤解をなされないで頂きたい」
「よく分かっておりますよ、御家老殿。
御注進させていただいた襲撃者達が、逃げていた場合の理由を説明させていただけで、他意はありませんから、御安心下さい」
とは言っても、久左衛門殿は気にするのでしょうね。
万が一こんな事で切腹されたら、私の精神が持ちません。
ここは私が思いつく、汚名挽回の機会を与えておくべきですね。
「久左衛門殿、ここは一刻を争う大事ではありませんか。
主殿頭殿は、定刻を待たれずに早々に登城されているのでしょ。
今は久左衛門殿が手勢を率いて、襲撃者達の根城を逆撃すべきではありませんか」
「御気遣いありかとうございます、姫君。
直ぐに家中の者を率いて逆撃してまいります。
虎太郎、手隙の者を直ぐに集めよ」
「はっ」
「当麻錬太郎殿、また助太刀を御願いするのは厚かましいと分かっておりますが、逆撃に御力添え願えないでしょうか」
「御任せください姫君。
袖振り合うも多生の縁と申します。
某と姫君とは前世で縁があるのでしょう。
喜んで助太刀させていただきます」
「ありがとうございます、当麻殿。
先程の御話しから、道場を開いておられるようですが、門弟の方々にも助太刀を御願いできますでしょうか」
「残念ながら我が道場には、それほど多くの門弟がいるわけではありません。
斬り合いの場に連れて行けるような門弟は、三人ほどしかおりません」
「それで結構です、当麻先生。
先生が切り合いの場に連れていけると判断された御門弟にも、私の責任で正式に助太刀を御願い致します」
「承りました。
では早速御家老達と一緒に襲撃者達の根城に討ち込み、襲撃犯を一網打尽にして御覧に入れます」
当麻錬太郎殿は、気負うような態度を全く見せず、堂々と宣言します。
余程腕に自信があるのでしょう。
いえ、それだけではなく、聞く者に安心感を与えてくれます。
当麻錬太郎殿に任せておけば、大丈夫だと思わせてくれます。
「では、御免」
当麻錬太郎殿がひと言口にして、颯爽と部屋を出て行きました。
「神使様、挽回の機会を与えてくださり、感謝の言葉もございません。
私もこれにて失礼させて頂きます」
それに続いて久左衛門殿も出て行きました。
これで久左衛門殿が切腹するような事にはならないでしょう。
「神使様、若侍達が襲撃犯の根城に行くとなると、屋敷の警護が手薄になってしまいます」
お登勢さんに言われて初めて気がつきました。
もし襲撃が一橋や松平定信の仕掛けた物だったら、田沼家の屋敷は常に見張られている可能性があります。
仲根藤太郎同心や当麻錬太郎殿が屋敷を訊ねて来た事も、当麻錬太郎殿が若侍達を率いて屋敷を出た事も、全部知られてしまう可能性があります。
恐ろしい事に、この上屋敷のすぐ側には一橋家の屋敷があります。
見張ろうと思えば、簡単に見張れてしまうのです。
絶対に見張られているとは言えませんし、襲撃してくるとも言い切れません。
ですが最悪の可能性を考えておく必要がありますね。
どうすれば襲撃を未然に防がるでしょうか。
「お登勢さん、屋敷の周りにある辻番所に人をやってください。
昨日の事はもう噂が広まっているはずです。
屋敷を見張る者がいて、その者達を家中の者が追った事にしてください。
その隙に屋敷が襲われる可能性があるので、辻番所の方々にも気をつけて欲しいと伝えて貰えば、敵も手出しし難くなるでしょう」
私がそう言うと、全ての事情を聞いているお登勢さんは、一橋家の屋敷の事を察してくれたのでしょうか。
直ぐに使いを出してくれました。
情けない話ですが、自分が逆撃する事を提案したのに、屋敷の警護が手薄になった事が怖くて、がたがたと震えだしてしまいました。
「主殿頭殿、盲人の女性達は瞽女座を作っているのですよね」
「はい、その通りです」
「瞽女達は歌舞音曲で生活しているのですよね」
「はい、表向きはその通りです」
「表向きですか、本当は違うのですか」
「はい、元々は東照神君が岡崎におられた頃に、岡崎の瞽女に信長公を探らせた事に始まります。
東照神君が幕府を開かれた時に、その時の瞽女の働きに報いるべく、屋敷と扶持米を与えたのでございます。
その後の幕府も東照神君を御手本として、東海道筋の主な城下町や宿場に瞽女屋敷を設け、大名や公家の動きを探る役目を与えているのです」
なんと、武田信玄が白拍子や歩き巫女を密偵に使っていたのは知っていましたが、徳川家康も後の徳川幕府も同じ事をしていたのですね。
田沼意次が知っているという事は、一橋も松平定信も知っているという事でしょうから、今更私が瞽女達を密偵に使う事はできませんね。
まあ、私が最初に瞽女達にさせたいと考えたのは、そんな事ではありませんけど。
「私が知りたかったのは、瞽女達が鍼灸の技を会得しているかです。
会得しているのなら、瞽女の中から奥医師を選びたかったのです」
「残念ながら、私の知る限り鍼灸の技を使えるのは座頭だけです。
しかも座頭の中でも極一部の者だけです」
「では一度東海道筋の瞽女屋敷に人をやって、鍼灸の技を会得した瞽女がいないか確かめてみてください。
もし探してもいないのなら、主殿頭殿の力で、瞽女に奥医師に成れるだけの修行をさせて欲しいのです」
もしこの時期の幕府に盲人女性の奥医師がいれば、後の世が変わります。
明治維新の後で、男性しか医師に成れないという時期がありましたが、そのような悪しき決まりがなくなるでしょう。
それとも、明治維新という名目の武力テロを成功させた連中は、そんなことは御構い無しに、薩長の身勝手なやり方を導入してしまうのでしょうか。
まあ、そんな事はあの連中が勝手に決めることです。
いえ、ここで徳川家基を助けることができれば、歴史が激変します。
徳川家基を助けることができなくても、田沼意知だけでも助けることができて、田沼意次が権力の座から追われることがなければ、歴史が激変します。
何かとてもわくわくしてきました。
「承りました。
大納言様を御助けするためです。
無理だ出来ないと言っている場合ではありませんな。
この意次の力の及ぶ限りの事を、やってごらんに入れます」
おお、田沼意次の決意表明です。
これはとても面白くなってきました。
田沼親子と色々な話しをして、興奮してしまいました。
とても面白く興味深いことが沢山聞けました。
元の世界に戻った時、或いは夢から覚めた時に、小説を書く上でとても役に立つ内容だと思います。
翌日早朝に、昨日惣禄屋敷に案内してくれた同心が訪ねて来てくれました。
彼は南町奉行所の定町廻り同心、仲根藤太郎という名前でした。
私の事を神使だと信じている田沼意次は、町奉行所の同心程度に私を会わせようとはしませんでした。
ですがどうしても聞いておきたいことがあったので、私からお登勢さんに会いたいと言って、許可してもらったのです。
「御家老にも御詫びさせていただいたのですが、申し訳ない事に、昨日の襲撃者達には逃げられてしまいました」
表にでて仲根藤太郎の話を聞く事になりましたが、早々に平身低頭謝られました。
私より前に田沼家の重臣にも詫びていたのでしょうが、襲撃された当事者である私にも詫びて、田沼意次の勘気を解きたいと思っているのでしょう。
「いえ、気になさる事はありませんよ。
急な襲撃で、手配りもできなかったのでしょう。
それよりもこれからの事を考えてください。
何といっても、老中の名代が町方の支配地で襲われたのです。
町奉行所の威信にかけても、襲撃者達を捜しださなければいけないでしょう」
「御名代様の申される通りでございます。
某がその場にいながら手も足も出なかった事は、申し開きのしようがない失態でございます。
御奉行とも相談して、何としても探し出して御覧に入れます」
その後も色々と言い訳をしてきましたが、私に言い訳しても仕方がありません。
ただこれで私が知りたかったことが分かりました。
仲根藤太郎だけではなく、町奉行も今回の失態に慌てているという事です。
もし襲撃現場に仲根藤太郎がいなければ、町奉行もそれほど危機感を持たなかったでしょうが、今回は同心が案内していたのに、襲撃者達を取り逃がしたのです。
早々に捕まえられなければ、責任問題になると思っているのでしょうね。
「分かりました。
私からも主殿頭殿にとりなしておきましょう。
その代わりと言っては何ですが、こちらから調べ物を御願いした時には、協力してくださいね」
どれくらい本気で調べてくれるかは分かりませんが、これで町奉行所の協力を取り付けることができました。
田沼意次を通せば、ほとんどの事が可能だとは思いますが、別の手法も確保しておきたくなったのです。
時代小説のように、同心や岡っ引きを使って襲撃者達を追い詰めることができれば、これもまた小説の題材になります。
「神使様、昨日助太刀してくれた浪人が訪ねてきております。
私が話を聞く事になっているのですが、いかがなさいますか」
同心が帰って直ぐに、各務久左衛門殿が奥に報告に来てくれました。
田沼意次に言い聞かされているのか、それとも独自の判断なのかは分かりません。
神使である私に何も話さずに、独断で決めないようにしているようです。
御陰で間接的ではない情報を手に入れることができます。
私は一緒に話を聞くと答えました。
「武蔵浪人、当麻錬太郎と申します」
「昨日助太刀ありがとうございました。
御陰様で危機を脱することができました。
この通り御礼申し上げます」
「とんでもございません。
御老中の姫君に頭を下げていただくなど、畏れ多い事でございます」
思わずこの場で吹き出してしまいそうになりました。
田沼意次は私の事を娘扱いしているようです。
昨日は名代になっていましたし、神使に対して最大限の敬意を示してくれているのか、もしくは後々私が大奥に出入りすることを考えているのでしょう。
それにしても、田沼家の姫君と剣客の取り合わせですか。
読んだ事のある小説の設定を思い出してしまいます。
急な襲撃現場に出会って、助太刀に入ってくれるような浪人です。
普通に考えたら剣客だとしか思えません。
「当麻殿には色々と聞かせて頂きたい事があります。
だからもう堅苦しい御礼は止めさせていただきましょう。
今日はどういう用件で尋ねてくてくださったのですか」
「はい、まず最初にはっきりと言わせていただきます。
御礼が欲しくて助太刀したわけではありません。
だから御礼を貰いたくて訊ねたと思われるのは心外なのです。
本当ならば訊ねたくはなかったのですが、襲撃犯の根城を確かめることができましたので、御伝えしないのも気持ちが悪く、訊ねさせて頂きました」
「なんと、奉行所にも確かめられなかった根城を見つけられたのですか」
私の警護であると同時に、後で助太刀の御礼を渡すために同席してくれていた各、務久左衛門が思わず声を出して確かめています。
「はい、私は襲撃犯が逃げて直ぐに後を追うことができましたので、撒かれることなく後をつけることが出来ました」
余計な事は言わずに、端的に根城を突き止められた理由を説明してくれます。
「ただ私一人しかいませんでしたので、何時までも見張るのは難しいのです。
飲み食いせずに見張るにも限界があります。
襲撃犯が寝入ったのを確かめて道場に戻り、門弟に見張りを引き継いで報告に来させていただいたのですが、少々待つことになってしまいました」
非難するような雰囲気は全くありませんが、待たされた事を伝えてきます。
待たされたことによって、襲撃犯に逃げられているかもしれないと匂わせます。
老中の屋敷に訪れるのに、失礼にならない時間を選んできてくれたので、仲根藤太郎同心とはぼ同じ時間になってしまったのでしょう。
「一つ確かめさせて頂きたいのだが、何故町奉行所に届けられなかったのかな」
各務久左衛門が、非難するような雰囲気を出さないようにしながら質問しますが、そんな質問をすれば非難しているも同然です。
「御老中の女駕籠を襲撃するような、大胆不敵な者達です。
裏にどのような者達がいるか分かったものではありません。
手先が町奉行所にいる事も想定しておかなければなりません」
当麻錬太郎殿が胸を張って堂々と答えられます。
威風堂堂とは当麻錬太郎殿のような武士を例えるための言葉だと思えてきました。
膝行で部屋に入ってきた時の姿形から、偉丈夫だとは思っていましたが、見た目の大きさだけでなく、言動も老中の家老を前にして立派なものです。
並の浪人なら、これを機会に自分を売り込もうと躍起になる所を、全く媚びる所がありません。
「久左衛門殿、私の命の恩人に対して失礼が過ぎますよ。
もう貴男はこの部屋から出て行きなさい。
これ以上主殿頭殿の面目を穢すような言動をされては困ります」
「はっ、誠に申し訳ない事を致しました。
当麻殿、今の失礼な言動は私一人の不徳の致すところ。
我が主は、姫君の命の恩人を蔑ろにするような方ではありません。
くれぐれも誤解をなされないで頂きたい」
「よく分かっておりますよ、御家老殿。
御注進させていただいた襲撃者達が、逃げていた場合の理由を説明させていただけで、他意はありませんから、御安心下さい」
とは言っても、久左衛門殿は気にするのでしょうね。
万が一こんな事で切腹されたら、私の精神が持ちません。
ここは私が思いつく、汚名挽回の機会を与えておくべきですね。
「久左衛門殿、ここは一刻を争う大事ではありませんか。
主殿頭殿は、定刻を待たれずに早々に登城されているのでしょ。
今は久左衛門殿が手勢を率いて、襲撃者達の根城を逆撃すべきではありませんか」
「御気遣いありかとうございます、姫君。
直ぐに家中の者を率いて逆撃してまいります。
虎太郎、手隙の者を直ぐに集めよ」
「はっ」
「当麻錬太郎殿、また助太刀を御願いするのは厚かましいと分かっておりますが、逆撃に御力添え願えないでしょうか」
「御任せください姫君。
袖振り合うも多生の縁と申します。
某と姫君とは前世で縁があるのでしょう。
喜んで助太刀させていただきます」
「ありがとうございます、当麻殿。
先程の御話しから、道場を開いておられるようですが、門弟の方々にも助太刀を御願いできますでしょうか」
「残念ながら我が道場には、それほど多くの門弟がいるわけではありません。
斬り合いの場に連れて行けるような門弟は、三人ほどしかおりません」
「それで結構です、当麻先生。
先生が切り合いの場に連れていけると判断された御門弟にも、私の責任で正式に助太刀を御願い致します」
「承りました。
では早速御家老達と一緒に襲撃者達の根城に討ち込み、襲撃犯を一網打尽にして御覧に入れます」
当麻錬太郎殿は、気負うような態度を全く見せず、堂々と宣言します。
余程腕に自信があるのでしょう。
いえ、それだけではなく、聞く者に安心感を与えてくれます。
当麻錬太郎殿に任せておけば、大丈夫だと思わせてくれます。
「では、御免」
当麻錬太郎殿がひと言口にして、颯爽と部屋を出て行きました。
「神使様、挽回の機会を与えてくださり、感謝の言葉もございません。
私もこれにて失礼させて頂きます」
それに続いて久左衛門殿も出て行きました。
これで久左衛門殿が切腹するような事にはならないでしょう。
「神使様、若侍達が襲撃犯の根城に行くとなると、屋敷の警護が手薄になってしまいます」
お登勢さんに言われて初めて気がつきました。
もし襲撃が一橋や松平定信の仕掛けた物だったら、田沼家の屋敷は常に見張られている可能性があります。
仲根藤太郎同心や当麻錬太郎殿が屋敷を訊ねて来た事も、当麻錬太郎殿が若侍達を率いて屋敷を出た事も、全部知られてしまう可能性があります。
恐ろしい事に、この上屋敷のすぐ側には一橋家の屋敷があります。
見張ろうと思えば、簡単に見張れてしまうのです。
絶対に見張られているとは言えませんし、襲撃してくるとも言い切れません。
ですが最悪の可能性を考えておく必要がありますね。
どうすれば襲撃を未然に防がるでしょうか。
「お登勢さん、屋敷の周りにある辻番所に人をやってください。
昨日の事はもう噂が広まっているはずです。
屋敷を見張る者がいて、その者達を家中の者が追った事にしてください。
その隙に屋敷が襲われる可能性があるので、辻番所の方々にも気をつけて欲しいと伝えて貰えば、敵も手出しし難くなるでしょう」
私がそう言うと、全ての事情を聞いているお登勢さんは、一橋家の屋敷の事を察してくれたのでしょうか。
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