上 下
72 / 106
蝦夷地開拓

叛意

しおりを挟む
「大納言様、仙台藩で飢饉が起こる恐れがございます」
「どう言う事だ」
「仙台藩は幕府の命に叛き、領民の備蓄米まで強制的に買い上げ、江戸に運び込んでおります」
「おのれ、左中将、幕府の命に従わぬか」
「先ずは本人を呼び出し、厳しく問い質さねばなりません」
「それは当然だが、今飢えている者達を救わねばならぬ」
「では、近隣諸藩に救済米の供出を命じましょう」
「だがそれでは、近隣諸藩に餓死者が出てしまうのではないか」
「急ぎ江戸から御助け米を送ります。特に救済米を供出してくれた諸藩には、倍にして返せばいいのです」
「うむ。だがそれでは、幕府が損をするのではないか」
「仙台藩を減封といたしましょう」
「ほう。仙台藩に厳しく接するのだな」
「事前に改易にすると厳命してあったのです。何もせねば、御公儀の威信に係ります」
「うむ」
 徳川家基とその重臣達は、丁度江戸に在府していた伊達重村と江戸家老を西ノ丸に呼び出し、幕命に反した事を厳しく詮議した。
 そこで分かったのは、伊達重村や重臣達は幕命に従おうとしたが、役人が商人と結託して不正を行っていた事だった。
 その事を知って徳川家基は更に激怒し、暗君は隠居すべしと即座に隠居蟄居を命じ、重臣達は改易処分とし、火付け盗賊改め方二組・徒士組二組・小十人組二組・中間組二組を国目付に付けて仙台藩に送り込んだ。
 各組は海路と陸路に別れ、莫大な御助け米を運びながら北上した。
 数の減った各組は、小普請組から急遽人数が集められ、欠員を補うことになった。
 白川藩には、幕府から救済米の貸し付けが行われていたが、それは藩主・松平定信が徳川吉宗の孫であり、家治将軍の従弟でもあったからだ。
 だがその性格には狭量な所が有り、御助け米の転送を行っていなかった。
 陸路を急いだ火付け盗賊改め方は、中間組が運ぶ御助け米を後方に残し、米沢藩に入った。
 米沢藩では、騎馬で急行した幕府の使番の命に従い、幕府が貸し与えた御助け米以上の米を仙台藩に送っていた。
 だが他の東国諸藩は、幕府から借り受けた御助け米を、仙台藩に転送するのが精一杯だった。
 だが直ぐに江戸から御助け米が送られて来ただけではなく、長崎から蝦夷に送られるはずだった輸入米が、東国諸藩に届けられた。
 幕府の御助け米と共に、完全武装の幕臣が次々と仙台領に入り、仙台藩では幕府による藩政指導が行われた。
 特に幕命反して不正を働いた役人と商人の逮捕と拷問が、火付け盗賊改め方によって厳重に行われた。
 その結果、江戸や大阪の大商人が裏で暗躍していることが分かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

徳川家基、不本意!

克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

仇討浪人と座頭梅一

克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。 旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。

三賢人の日本史

高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。 その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。 なぜそうなったのだろうか。 ※小説家になろうで掲載した作品です。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~

花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。 この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。 長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。 ~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。 船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。 輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。 その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。 それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。 ~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。 この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。 桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。

処理中です...