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第一章

第1話:優しい御姉様

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 私は異世界の記憶を持つ転生者です。
 赤子なのに、人生を全うした老婆の知識と記憶を持つ、気味の悪い存在でした。
 私自身が、自分がどう生きて行けばいいのか分からず、戸惑っていました。
 いえ、戸惑うどころか、全く違う環境と常識に馴染めず、病んでいました。
 その所為で両親にも乳母にも侍女にも、忌み嫌われていると思っていました。
 今思えば、私が転生者だから忌み嫌われていたのではなく、両親も両親に仕える者達も、情の薄い義務感だけで子育てする者達だったのです。

 そんな病んだ私に、救いの手を差し伸べてくださったのがユリアナ御姉様です。
 誰よりもお優しく、その分誰よりも繊細で傷つきやすいユリアナ御姉様。
 情の薄い、この世界の貴族らしい身勝手を体現した存在の両親。
 その存在に傷つき心が血を流しているのは御姉様も同じだったのに、私を庇って盾となってくださったのです。

「いや、いや、いや、もう無視しないで、もうやめて、もう許して」

「もう大丈夫です、ユリアナ御姉様、私がいます、ケイトがここにいます」

 私は愚か者だ、大馬鹿者だ、死んだ方がいい塵屑だ!
 ユリアナ御姉様が学園でここまで追い詰められているのに、全く気が付かなった。
 本当にお優しいユリアナ御姉様は、家族に心配をかけまいと、いえ、私に心配をかけまいと、心の中で泣き叫び血涙を流しながら、満面の笑みを浮かべておられた。
 死んで逃げたいくらい苦しかったのに、自殺したら私が哀しみ自分を責めると思われ、不登校になる事も自殺する事も選ばれなかった。
 そうして、完全に壊れてしまわれた!

「いや、いや、いや、もうやめて、もう許して、陰で悪口を言わないで」

「もう大丈夫です、ユリアナ御姉様、私だけです、私以外誰もいません。
 ユリアナ御姉様を陰で悪くいう者は、ここには一人もいません」

 ユリアナ御姉様が話しかけても完全に無視するのに、近づこうとすると遠くに避けるのに、独りでいる御姉様には聞えよがしに根も葉もない悪口を言う。
 学園中に全く嘘の悪口を広め、最後は社交界にまで嘘を広めた。
 誰よりも優しく繊細な御姉様、どれほどお辛かったでしょう。
 本来なら死んでお詫びしなければいけないのでしょうが、それでは御姉様を御独りにしてしまいますから、絶対に死にません!
 未来永劫、私がお姉様の側にいます!

「いや、いや、いや、もうやめて、もう許して、もうぶたないで!」

「もう大丈夫ぶです、ユリアナ御姉様、御姉様をぶつ者はここにはいません。
 ユリアナ御姉様をぶとうとする者は、私がぶち殺してやります!」

 ユリアナ御姉様がブルブルと震えておられます。
 本当に怖かったのでしょうが、実際に暴力をふるわれてはいません。
 もし暴力を振るわれていたら、どれほどわずかな傷であろうと、それを理由に裁判に持ち込んで、全てを奪い地獄を見せてやりましたが、奴らはしたたかです。
 剣や木刀、拳や平手で御姉様に攻撃するように見せかけて、直前で止めるのです。
 それを何日何十日と繰り返して、計画的に御姉様を壊したのです!

「いや、いや、いや、もう無視しないで、もうやめて、もう許して」

 ようやく眠られた御姉様ですが、夢の中でまで苦しまれます。
 それくらい御姉様の心に負担をかけて壊した相手、それは元婚約者のガゼフ王太子と、その寵愛を手に入れたエリル侯爵家令嬢ルレリア。
 二人は賠償金を払わずに御姉様との婚約を解消するために、御姉様が壊れるまで責め続けた極悪人です。
 両親が薄情で御姉様の事を気にかけていない事、私が自分の趣味に熱中していて御姉様の事を気にかけていない事、全部調べ上げていたのです!

「いや、いや、いや、もうやめて、もう許して、陰で悪口を言わないで」

 繰り返し悪夢に苛まれる御姉様は、満足に眠る事もできないのです。
 起きている時も恐怖の幻覚に悩まされて泣き叫び、精魂尽き果てて倒れて眠ったと思ったら、眠りの中でも悪夢に苛まれて苦しんで、わずかに体力と気力が回復されたら、悪夢から逃れるために跳び起きられる。
 このままでは心身を消耗されて死んでしまわれます。
 魔術で眠らせて差し上げても、悪夢から逃れることができません。
 御姉様の異変に気が付かないほど、のめり込んで研究していた魔術は、全く役立たずの無用の長物でしかありません!

 私はどうすればいいのでしょうか?
 二度目の人生など、一生を御姉様に捧げても惜しくありません。
 ですが、寝ても覚めても泣き叫ぶほど苦しまれる御姉様に、長く生きていただくのが幸せだと、言い切ることができないのです。
 このまま何もしなければ、直ぐに消耗死されるのは明らかです。
 その気になれば、魔術で強制的に体力を回復させる事も、無理矢理食べさせて消化吸収させる事もできます。
 ですが、そのようにして生きていただくことが、御姉様の幸せになるのか?!

「キャアアアアアあああ!」

 絶叫をあげて御姉様が跳び起きられました。
 余りにも酷い悪夢に、寝ていられなくなったのでしょう。
 でも起きても苦しみからは逃れられません。
 今度は幻覚が御姉様を苦しめるのです。
 私には御姉様から幻覚も悪夢も取り払って差し上げられないのです。
 あいつらに復讐したくても、御姉様の側を離れることができません。

「「「「「くぅううううん、くぅううううん、きゅうぅううん」」」」」
「「「「「みゃあああああん、みゃあああああん、みゃあああああん」」」」」

「あっああああああああん、あっああああああああん、あっああああああああん」

 シロ、クロ、ナナ、ハチ、キュウ、サンタ……
 サクラ、タゴサク、ゴンベイ、チュウスケ、チョウサン……
 御姉様が助けられた捨犬と捨猫達です。
 私がお姉様を護るために、厳重に誰も入れないようにしたはずなのに、身体中傷だらけにして、血を流しながらここまでやってきました。
 彼らは御姉様の魂の叫びに気が付いたのかもしれません。
 助けを求めて泣き叫ぶ御姉様の哀しい声に。

 御姉様が、今までとは違う、私がお慰めしていたのとは違う、安らぎの滲む泣き声をあげながら、滂沱されています。
 私の心には哀しみと諦めが満ちていますが、仕方ありません。
 私が御姉様を助けたいと思うのは、復讐して差し上げたいと思うのは、前世で培われた常識と道徳と理性の賜物でしょう。
 ですが動物達が示す愛情は、本能の賜物で、私とは比較になりません。

 少し悔しくて残念でもありますが、大きな安心もあります。
 獣達といる時の御姉様は、幻覚から逃れられています。
 腐れ外道共が放つ呪いや魔術は、私が張った結界で弾いて、怨念石に蓄えていますから、時期が来たら放った相手に叩き返すことができます。
 とは言っても、相手は雇われた魔術師か呪術師でしょう。
 そんな連中は今殺さなくても、腐れ外道共を殺してからで十分です。
 いえ、ある程度追い詰めてから、恐怖を与えたいときに殺すべきでしょうね。

「クスクスクスクス、そんなに舐めたらくすぐったいわ、シロ。
 サクラもそんなに足に身体をまとわりつけなくても、ちゃんと抱いてあげるわよ。
 タゴサクとゴンベイも抱いてあげるから、順番よ順番」

 壊れた御姉様の心が回復したわけではありません。
 狂気に侵されているのが明らかな、甲高い歌うような話し方ですから。
 でも、この一カ月でようやく聞けた御姉様の嘆き哀しみ以外の言葉です。
 恐怖の泣き叫びではない、笑い声も一カ月ぶりです。
 それが狂気の滲む痛々しい笑い声であっても、回復を希望させる光明です。
 私がもたらしたモノでないのは少々残念ですが、私ごときがそのような大役を果たせると思う方がおこがましいのです。

「みんな、御姉様の事は頼んだわよ、私はあいつらに復讐しに行くからね!」

「「「「「ウォオオオオオンンン!」」」」」
「「「「「ミャアアアアアアアア!」」」」」
「「「「「ウォオオオオオンンン!」」」」」
「「「「「ミャアアアアアアアア!」」」」」

 獣達が雄叫びをあげています!
 復讐するは我にあり、そう言っているのが伝わってきます。
 私は彼らの代表でもあるのです!
 彼らも自分であいつらに復讐したいと思っているのです。
 でも御姉様の事を護り癒す事も大切だと分かっているのです。
 私と役割分担してくれるのです。
 ごめんなさい、今まで貴方達の真心に気がつけませんでした。
 もっと早く御姉様と貴方達を会わせていれば、御姉様はもっと早く楽になれたのに、私は本当に愚か者です。
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