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第四章
第七十一話:忠義
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「恐れながら御下問を受け直接お答えさせていただきます。
某がお側近くで見聞きさせていただいた範囲では、亡き大納言様と田沼侍従は、先年の鶴御成りの際に和解されておられます。
親しく話し合われた事で、長年の誤解が氷解されておられます。
それでもうかつに田沼侍従を信じる事をせず、ずっと探索しておりましたが、田沼侍従が大納言様を殺めさせた証拠は出てきませんでした」
大道寺長十郎は一気に話した。
それを聞いていた徳川家治は安堵した表情となった。
心から信頼する田沼意次が息子を殺した疑いがほぼなくなったからだ。
だが、それでも、完全に悩みがなくなったわけではなかった。
しかしそこに大道寺長十郎が言葉を続けた。
「しかしながら、一方の一橋中将は疑わしい限りでございます。
まず家老の水谷殿の命令で池原雲伯は大納言様に毒を盛っております。
水谷殿が切腹されてからは、用人の立石殿が密談をしております。
しかもその場所は一橋家の上屋敷でございます。
それに昨日池原雲伯の屋敷を襲撃したのは薩摩の山くぐり衆でございます。
一橋家の豊千代様は島津家の姫と婚約しております。
ここまでの証拠があれば、一橋中将と島津薩摩守殿が黒幕なのは明らか。
どうか厳しい処分をお願い申し上げます。
いえ、某の手で二人を討たせてください。
伏してお願い申し上げます」
徳川家治は長十郎の言葉に思わず涙してしまった。
今は亡き家基の為に、長十郎が全てを捨てる気なのは明らかだった。
証拠や証人を手に入れても、一橋中将と島津薩摩守と田沼侍従に賢丸まで家基殺しに加担していたとしたら、握り潰されるのは明らかだった。
その時には、長十郎が一番の仇を狙って単騎で斬り込む気でいたのが、徳川家治には分かったのだ。
「直賢の忠義には心打たれた。
だが余には将軍としての責務がある。
ひとりの父親として思うままに振舞うことができないのだ。
だからその方の願いを聞き入れるわけにはいかぬ。
誰を処分し、誰を見逃すか、父としてではなく将軍として決めなければならぬ」
「恐れながら諫言させていただきます。
それでは御公儀の威信を損ねてしまいます。
主殺しは天下の大逆でございます。
それに加担した者を見逃すなど、天下の御政道を歪める事でございます。
ましてそのような輩を次期将軍に据えるなど、絶対にあってはならない事。
忠孝の心が失われ、天下大乱の原因となってしまいます。
そのような事をなされれば、亡き大納言様が成仏できません。
どうかお考え直し願います。
この通りでございます」
長十郎が畳に額をすりつけて土下座する。
今は亡き愛息にここまで殉じてくれる長十郎の願いにこたえられない事に、徳川家治の心は激しく痛んだ。
いや、息子の仇を討てない自分が悔しくて情けなくて喚き散らしたい思いだった。
煩悶する徳川家治だったが、やはり最後に頼るのは田沼意次だった。
某がお側近くで見聞きさせていただいた範囲では、亡き大納言様と田沼侍従は、先年の鶴御成りの際に和解されておられます。
親しく話し合われた事で、長年の誤解が氷解されておられます。
それでもうかつに田沼侍従を信じる事をせず、ずっと探索しておりましたが、田沼侍従が大納言様を殺めさせた証拠は出てきませんでした」
大道寺長十郎は一気に話した。
それを聞いていた徳川家治は安堵した表情となった。
心から信頼する田沼意次が息子を殺した疑いがほぼなくなったからだ。
だが、それでも、完全に悩みがなくなったわけではなかった。
しかしそこに大道寺長十郎が言葉を続けた。
「しかしながら、一方の一橋中将は疑わしい限りでございます。
まず家老の水谷殿の命令で池原雲伯は大納言様に毒を盛っております。
水谷殿が切腹されてからは、用人の立石殿が密談をしております。
しかもその場所は一橋家の上屋敷でございます。
それに昨日池原雲伯の屋敷を襲撃したのは薩摩の山くぐり衆でございます。
一橋家の豊千代様は島津家の姫と婚約しております。
ここまでの証拠があれば、一橋中将と島津薩摩守殿が黒幕なのは明らか。
どうか厳しい処分をお願い申し上げます。
いえ、某の手で二人を討たせてください。
伏してお願い申し上げます」
徳川家治は長十郎の言葉に思わず涙してしまった。
今は亡き家基の為に、長十郎が全てを捨てる気なのは明らかだった。
証拠や証人を手に入れても、一橋中将と島津薩摩守と田沼侍従に賢丸まで家基殺しに加担していたとしたら、握り潰されるのは明らかだった。
その時には、長十郎が一番の仇を狙って単騎で斬り込む気でいたのが、徳川家治には分かったのだ。
「直賢の忠義には心打たれた。
だが余には将軍としての責務がある。
ひとりの父親として思うままに振舞うことができないのだ。
だからその方の願いを聞き入れるわけにはいかぬ。
誰を処分し、誰を見逃すか、父としてではなく将軍として決めなければならぬ」
「恐れながら諫言させていただきます。
それでは御公儀の威信を損ねてしまいます。
主殺しは天下の大逆でございます。
それに加担した者を見逃すなど、天下の御政道を歪める事でございます。
ましてそのような輩を次期将軍に据えるなど、絶対にあってはならない事。
忠孝の心が失われ、天下大乱の原因となってしまいます。
そのような事をなされれば、亡き大納言様が成仏できません。
どうかお考え直し願います。
この通りでございます」
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今は亡き愛息にここまで殉じてくれる長十郎の願いにこたえられない事に、徳川家治の心は激しく痛んだ。
いや、息子の仇を討てない自分が悔しくて情けなくて喚き散らしたい思いだった。
煩悶する徳川家治だったが、やはり最後に頼るのは田沼意次だった。
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