四代目 豊臣秀勝

克全

文字の大きさ
上 下
75 / 103
第二章

長宗我部征伐

しおりを挟む
 天正十二年(一五八四年)八月四日、秀吉は長宗我部征伐を命じた。
 北陸越後遠征、甲信制圧、徳川家康討伐、紀伊討滅と言う一連の合戦を終えた羽柴秀吉は、紀伊討滅戦を行いながらも、四国の長曾我部と交渉を行っていた。
 長宗我部は、何度も天下分け目の戦いの最中に、背後で兵を挙げて邪魔をしていた。
 徳川が破れ、根来寺が消失した事で、長宗我部も慌てて和平交渉を行おうとしたが、最早秀吉に妥協する必要はなかった。
 長宗我部は愚かにも、最初は進物を贈るって臣従の意志を示すだけで、和平締結をしようとしたが、秀吉にはその程度で済ます気はなく、着々と長宗我部征伐の準備を進めていた。
 滅亡の危機を感じた長宗我部は、慌てて伊予一国返還で和議を結ぼうとしたが、秀吉は阿波・伊予・讃岐の返還で譲らなかった。
 長宗我部は阿波・讃岐の返還と言う条件に代えたが、秀吉は頑として譲らなかった。
 交渉は決裂した。
 秀吉は黒田孝高に四国攻めの先鋒を任せ、淡路を出るよう命じた。
 一柳直末には、後詰として明石で待機するよう命じた。
 本軍が四国に討ち入る為に、与一郎に和泉と紀伊の船舶の数を調査するよう命じた。
 紀伊の国衆・白樫家と玉置家に対しては、四国攻めの準備と船の手配を命じた。
 これに従って与一郎は、船数調査を実施し、紀伊と和泉の船を出陣日までに紀ノ湊へ集結させることを命じた。
 当初は秀吉自身が総大将となって、長曾我部を滅ぼす心算だったが、後北条が関東で活発に活動し、駿河・遠江・甲斐にも調略を仕掛けており、与一郎に総大将を任せるか迷っていた。
 その迷いの所為なのか、秀吉は流行り病で寝込んでしまった。
 命に別状はないものの、大事を取って渡航を諦め、岸和田城で後方指揮を執ることにした。
 秀吉は、領地ではなく日当や報奨金を約束して、宇喜多と毛利にも出陣を命じた。
 その結果今回は三方面からの侵攻となった。
一:淡路から阿波:五万五千兵
二:備前から讃岐:二万二千兵
三:安芸から伊予:一万八千兵
 毛利は長門・周防・安芸・石見・備後の旗頭として、九州の大友に備えながらの出陣だった。
 木下将監は与一郎の陣代となって、但馬・因幡・伯耆・出雲・美作・備前・備中の旗頭として出陣した。
 そのうち宇喜多秀家は、家臣を陣代にして多くの兵を派遣した。
 与一郎自身は、従弟の三好秀次を副将として、播磨・紀伊・大和・伊賀・和泉・河内・摂津・山城・丹波・丹後・近江の兵を率いて出陣した。
 だが決して無理な兵力動員は行わず、各地の拠点は勿論、秀吉のいる岸和田城に十分な兵を残しての出陣だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

ソラノカケラ    ⦅Shattered Skies⦆

みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始 台湾側は地の利を生かし善戦するも 人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される 背に腹を変えられなくなった台湾政府は 傭兵を雇うことを決定 世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった これは、その中の1人 台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと 舞時景都と 台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと 佐世野榛名のコンビによる 台湾開放戦を描いた物語である ※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()

鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久
歴史・時代
対い鶴はどのように乱世の空を舞ったのか 乱世と共に世に出で、乱世と共に消えていった蒲生一族 定秀、賢秀、氏郷の三代記 六角定頼、織田信長、豊臣秀吉 三人の天下人に仕えた蒲生家三代の歴史を描く正統派歴史小説(のつもりです) 注)転生はしません。歴史は変わりません。一部フィクションを交えますが、ほぼ史実通りに進みます ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』『ノベルアップ+』で掲載します

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

処理中です...