四代目 豊臣秀勝

克全

文字の大きさ
上 下
70 / 103
第二章

徳川家康の苦難

しおりを挟む
 天正十二年(一五八四年)五月一日、田植えの時期に合わせて、尾張の国衆が三河に侵攻する構えを見せた。
 自分達は農民を動員せず、専業武士や雑兵だけを使って、乱暴狼藉だけを目当てに、徳川方の領地に侵入した。
 刈谷城の水野忠重が、甥の徳川家康を見限り、羽柴方に加わって、尾張の国衆に加わって乱暴狼藉を始めた。
 家名と血統を残し、領民を護るために仕方がない選択だったのだろう。
 だがこれが勝敗の行方を決めた。
 尾張と三河の国境の国衆地侍が、一斉に羽柴家の調略に応じたのだ。
 家康は急ぎ三河・遠江・駿河の国衆地侍を動員し、尾張衆を叩こうとした。
 だがそれは、駿河と遠江の国衆地侍には無理難題でしかなかった。
 与一郎の放った夜盗組や伊賀衆によって、領内を荒らされている国衆地侍には、尾張に兵を出す余裕などなかった。
 しかも田植えの大切な時期に出兵を強要すれば、国衆地侍は領民に背かれ、一揆で殺されてしまう。
 国衆地侍は、そんな無理難題を命じる家康を増悪するようになった。
 だが妻子などの大切な血族を人質に取られているので、逆らうには余程の覚悟が必要だった。
 いや、何が言い訳を作ってやる必要があった。
 与一郎はそこを巧みに突いた。
「おのれ小僧、儂を舐めておるのか」
「やりますな」
「やかましい。敵を褒める前に、対応策を考えんか」
「家を残すのなら、御受けするしかありません」
「駿河と遠江を手放した上に、儂に隠居して人質になれと言うのか」
「家を残す御心算なら、そうするしかありません」
「役立たずが」
「ならば名を残すために、城を枕に討ち死になされますか」
「そんな事はせん。討って出て、死中に活を求める」
「三方ヶ原の時のようにですか」
「おのれ、弥八郎、その口閉じさせてくれる」
 家康は思わず刀に手をかけたが、泰然自若とする本多正信を見て、刀を抜くに抜けなくなったしまった。
「与一郎殿は、殿の助命条件に、三河、遠江、駿河の国衆地侍の人質の解放を求めております」
「うぬぬぬ」
「これを断れば、国衆地侍の心は離れてしまいます。いえ、既に多くの国衆地侍の心は、殿から離れてしまっておりますぞ」
「うぬぬぬ」
 家康が決断出来ないでいる間に、さらに事態を大きく動かす事が起こった。
 松平家の分家、十四松平家の内、家康と反目していたり、家康に冷遇されていたりした家が、田植えが忙しいので軍役を減らして欲しいと、使者を送って来たのだ。
 そして何より、松平家の宗家である松平太郎左衛門家が、大給松平家を離反して、羽柴家に味方すると宣言した。
 これに対して大給松平家の当主・松平家乗は対応を誤った。
 いや、僅か七歳で父を失い、弱冠九歳で当主を務めているのだから、家老や傅役の失策だろう。
 ここは使者を送って慰撫し、徳川家に戻るように説得すべきところを、見せしめに人質を殺してしまったのだ。
 殺してしまったら、もう人質に意味がなくなってしまう。
 家康が離反した国衆地侍を再調略しようと、殺さずにいる事の意味がなくなってしまった。
 これが決定打となり、国衆地侍が雪崩を打って離反した。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

夢占

水無月麻葉
歴史・時代
時は平安時代の終わり。 伊豆国の小豪族の家に生まれた四歳の夜叉王姫は、高熱に浮かされて、無数の人間の顔が蠢く闇の中、家族みんなが黄金の龍の背中に乗ってどこかへ向かう不思議な夢を見た。 目が覚めて、夢の話をすると、父は吉夢だと喜び、江ノ島神社に行って夢解きをした。 夢解きの内容は、夜叉王の一族が「七代に渡り権力を握り、国を動かす」というものだった。 父は、夜叉王の吉夢にちなんで新しい家紋を「三鱗」とし、家中の者に披露した。 ほどなくして、夜叉王の家族は、夢解きのとおり、鎌倉時代に向けて、歴史の表舞台へと駆け上がる。 夜叉王自身は若くして、政略結婚により武蔵国の大豪族に嫁ぐことになったが、思わぬ幸せをそこで手に入れる。 しかし、運命の奔流は容赦なく彼女をのみこんでゆくのだった。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

1333

干支ピリカ
歴史・時代
 鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。 (現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)  鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。  主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。  ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

処理中です...