四代目 豊臣秀勝

克全

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第二章

泉南攻防

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 紀伊の一揆勢は、毛利水軍の網を掻い潜り、土佐の長曾我部と連絡を取り合っていた。
 長曾我部元親は水軍を使い、淡路島を牽制しつつ、紀伊にも物資の支援を行った。
 だがそれは大勢に影響しなかった。
 秀吉は甥の羽柴秀次に先陣を命じ、浦手と山手の二手に分かれて二十三段に布陣した。
 更に小西行長を水軍大将に抜擢し、多数の軍船を指揮させ、水陸両面から根来と雑賀に攻め込んだ。
 これに対し根来衆と雑賀衆は、泉南の沢城・積善寺城・畠中城・千石堀城などに合計一万弱の兵を配置して迎え撃とうとした。
 秀吉は、一揆勢の防衛線東端にある千石堀城から攻撃を始めた。
 千石堀城には、根来衆の精鋭千五百兵に、その家族の女子供五千人が籠城していた。
 女子供とは言え根来衆の家族だから、鉄砲の弾込めには慣れたモノだし、石を投げたり食事を準備したり、十分戦闘の役に立っていた。
 羽柴秀次は、筒井定次や長谷川秀一など一万五千の兵を率い、一気呵成に攻め落とそうとした。
 しかし筒井定次率いる八千兵は、城を討って出た遊撃兵五百と城内の兵から、雨霰と鉄砲を撃たれて多数の死傷者を出し、城に取り付く事さえできなかった。
 秀吉は側面から攻撃しようと、田中吉政と渡瀬繁詮に旗本三千兵を預けたが、二人も城内の兵から雨霰と鉄砲を撃たれ、多数の死傷者を出してしまった。
 秀次は自軍の不甲斐なさに奮起し、馬廻りを二ノ丸に突入させた。
 何とか城兵三百を討ち取り、二の丸を攻め落とした。
 一気に本丸にまで攻めかかったが、又しても城兵から雨霰と鉄砲を撃たれ、本丸を落とすところまではいかなかった。
 秀次は一連の戦闘で、僅か一時間の間に、配下を千人以上死傷させてしまった。
 ここで与一郎が派遣した伊賀衆が大活躍した。
 千石堀城の煙硝蔵を探り出した伊賀衆は、棒火矢で煙硝蔵を狙い撃ちして大爆発させた。
 鉄砲が頼りの根来衆が、煙硝を失ってはどうにもならなかった。
 多くの城兵が焼け死に、討って出ていた兵も討ち取られ、降伏した者は女子供を問わず奴隷兵とされた。
 畠中城には、日根郡の地侍や農民が籠城していたが、中村一氏が攻め落とした。
 積善寺城は、一揆勢の防衛線中核をなしており、井出原右近や山田蓮池坊が、配下の根来衆を率いて籠城していた。
 そこを秀吉は、大名国衆から預かった人質で編成した旗本衆に攻めさせた。
 細川忠興・大谷吉継・蒲生賦秀・池田輝政・松井康之らは猛攻を仕掛けたが、一揆勢も鉄砲を撃ち、矢を射掛け、石を投げながら討って出てきた。
 双方に大きな犠牲を出したが、一旦戦闘は静まった。
 翌日、貝塚御坊の住職・卜半斎了珍が仲介して、積善寺城は降伏開城した。
 防衛戦の西橋にある沢城は、雑賀衆の精鋭が守っていた。
 中川清秀が自身の与力同心に加え、信濃衆と甲斐衆を率い、先頭に立って猛攻を仕掛けた。
 雑賀衆の鉄砲玉が雨霰と降り注ぐ中の攻撃は、中川軍に大きな損害を出したが、幸い中川清秀自身は被弾せず、二ノ丸を占領して本丸に迫った。
 本丸に追い詰められた雑賀衆は犬死を恐れ、投降を申し出てきた。
 中川清秀は秀吉に確認し、秀吉が認めたので降伏開城となった。
 これにより、一揆勢の泉南防衛線の城砦は全て陥落した。
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