四代目 豊臣秀勝

克全

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第二章

敗走

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 突如柴田軍の後方に、細川藤孝軍四千兵と丹羽長秀軍七千兵が現れたのだ。
 柴田軍の驚きと恐怖は、絶望的なくらい大きかった。
 ここで羽柴秀長軍と木下与一郎軍が、同時に鬨の声をあげた。
 大きな、大きな勝利宣言とも言える鬨の声は、秀吉が事前に調略を仕掛けていた、前田利家・金森長近・不破勝光などの心を打ち砕いた。
 彼らは与一郎達が攻撃を仕掛ける前に、勝手に逃亡を始めた。
 これで柴田軍の士気が崩壊した。
 柴田勝家の本軍雑兵は勿論、敵中に孤立している佐久間盛政軍からも、雑兵が我先に逃げ出した。
 この状況に陥った軍は脆い。
 長篠の合戦で討ち取られた多くの武田将兵も、殆ど敗走が始まってから討ち取られている。
 どれほどの激戦でも、正面で戦っている間は、以外と死者は少ないのだ。
 だから敗走が始まってから討ち取った首は、追い首や逃げ首と言って、相手がどれほどの勇将や猛将であろうと、功名としての評価は低い。
 それほど敗走中の軍は弱いのだ。
 羽柴長秀軍と木下与一郎軍の追撃が始まった。
 多くの軍では、勝った軍の雑兵が、逃げ首を争うのはましな方で、病気や怪我で動けなくなった敵兵の首を取る「病首」や死体から切り取る「川流首・死首・冷首」などが横行する。
 下劣な奴は、評価が低いと他人が捨てた首に、適当な兜を付け、鉄漿(かね)を塗ってお歯黒の事にして、大将首に見せかける「作首」をする。
 名のある大将が、雑兵と間違えられて野ざらしにされるのは哀れである。
 だからある程度の身分を得て余裕が出来た武士は、お歯黒にするのだ。
 公家の憧れたわけではなく、負けて首を取られた後に、野に捨てられることなく敵に供養して貰うためには、身分を表す証拠が必要だったのだ。
 長秀と与一郎は、そういう不正を極度に嫌っていた。
 総大将の羽柴秀吉が多くの褒美を与えるだけに、本当に命懸けで戦った武士より、不正をした者が利益を得ないように、厳正に対処した。
 特に嫌ったのが、味方が討ち取った首を盗んだり、味方殺して首を奪ったりする「奪首」と、非戦闘員の女子供を殺して首にする行為だった。
 そんな行為が横行しないように、通常より多くの目付を各部隊に派遣している。
 特に勝ち戦の後は、逃げ首を争わないように、捕虜にすることを推奨していた。
 いや、非戦闘員が殺されることや、「奪首」をなくしたかったのだ。
 だから率先して奴隷制度を認めていた。
 捕虜にした敵兵を一時的に奴隷とするが、奴隷兵として功名をあげたら、奴隷から解放する方法を取っていた。
 だからこそ、長秀と与一郎の軍は強かった。
 奴隷兵の多くが、解放されることを願い、死に物狂いで柴田軍を追った。
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