四代目 豊臣秀勝

克全

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第二章

関東

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 だが秀吉もやられてばかりではなかった。
 目先の戦略だけでなく、後々のことまで考えた、大きな戦略を練っていた。
 毛利家への手当は特に重要で、四国九州切り取り勝手の自由を与えた上で、石見と備後の国衆や地侍に、日当を与えるので出稼ぎに来ないかと誘いをかけていたのだ。
 毛利家としても、両属を認めた以上、恩賞を目的に戦いに赴くことを止めることは出来ない。
 普通では考えられないような高額日当は、多くの地侍の心を動かした。
 これで毛利家が自由に動かせる兵力は、安芸・周防・長門の三カ国だけになっていた。
 秀吉が仕掛けた戦略はこれだけではなかった。
 後北条家を抑えるために、北関東の大名・国衆・地侍に同盟を持ちかけたのだ。
 後北条家が上野を占領し、甲斐信濃まで斬り従えるのを見た北関東諸将は、秀吉の斡旋を受け入れた。
 佐竹義重・宇都宮国綱・結城晴朝・佐野宗綱・皆川広照・多賀谷重経などの北関東の諸将が、連合して後北条家に対抗した。
 最初に後北条家に属していた大名や国衆に調略を仕掛け、由良国繁と長尾顕長を寝返らすことに成功した。
 由良国繁と長尾顕長は、後北条家に留まる富岡秀高の小泉城を攻めた。
 だが富岡秀高も必死で籠城し、なかなか降伏させることが出来なかった。
 そこで佐野宗綱も城攻めに加わったが、後北条家も座して見ていたわけではない。
 味方に加わってくれている大名国衆を見殺しにすれば、彼らは一斉に後北条家を見限り寝返るのだ。
 だから北条家は援軍を出したのだが、甲斐信濃に大軍を派遣しているため、満足な兵数を送る頃が出来なかった。
 小泉城だけなら兵力を集められたのだが、後北条家に降伏臣従した小山秀綱の小山城を奪還する為に、佐竹義重と宇都宮国綱が連合して出陣していたのだ。
 いや、それだけではなく、上野と下野の両国南端部に東西に細長く戦線が広がり、後北条家は兵力不足に陥っていた。
 両陣営ともに調略戦を繰り広げていたが、どちらの陣営も決め手を欠いていたので、調略受けた大名や国衆も、なかなか寝返る決断が出来ないでいた。
 和泉・河内・摂津では、一時根来寺が優勢であったが、但馬衆と備後衆が毛利水軍に運ばれてきたことで戦況が一変していた。
 負け戦続きで経済的に行き詰っていた毛利家にとっては、遠征費用を全て負担してもらえ、高額な日当まで支払われる合戦は、得難い機会だったのだ。
 毛利水軍に根来寺水軍を始めとする紀伊の水軍は圧倒され、後方上陸作戦が取れなくなった。
 いや、自分達が南和泉と紀伊の間を分断された。
 大和では根来寺軍と筒井軍が一進一退を繰り返し、決定的な結果が出ていなかった。
 美濃と尾張の戦線でも、羽柴家と徳川家は小競り合いを続けるだけだった。
 だが遂に、近江で決定的な動きがあった。
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