四代目 豊臣秀勝

克全

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第一章

大手柄

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 池田恒興・元助父子部隊と加藤光泰部隊が淀川沿いを北上し、密かに円明寺川を渡河して津田信春を奇襲したのだ。
 斎藤利三と並ぶ二千の兵を率いる津田信春ではあったが、三方面から猛烈に責め立てられ、雑兵が逃げ出したのを契機に友崩れを起こしてしまった。
 池田隊と加藤隊が奇襲を始めたのに合わせて、丹羽隊と信孝隊も右翼から前進して攻撃を開始した。
 これが光秀本隊の側面を突く形となった。
 これに勇気づけられたように、苦戦していた中川隊と高山隊も斎藤隊と伊勢隊を押し返した。
 明智軍全体が総崩れとなってしまった。
「我が討ち死ににする間に落ち延びて下さい」
 御牧兼顕は、主君・明智光秀を逃すために、秀吉軍の前に出るも部隊は壊滅してしまった。
 明智光秀は、残った部隊を後方の勝竜寺城に退却させようとしたが、主力の斎藤隊が壊走し戦線離脱してしまった。
 黒田孝高らの隊と交戦していた松田政近が討ち取られてしまった。
 光秀を逃がすために殿を引き受けてくれた伊勢貞興たちも、乱戦の中で討ち取られてしまった。
 だが日没が近かったことと、合戦が激烈で前線部隊の消耗が激しかったため、秀吉軍の追撃は個別に散発的に行われることになった。
 敗軍となった明智軍からは、生き残った兵も逃げ出してしまった。
 撤退を決めた勝竜寺城が、防御能力の低い小さな平城だったことも影響したのかもしれない。
 それでも一万を越えていた軍が、七百にまで激減するのは哀れなものだ。
「将監義伯父上。光秀が落ち延びるとしたらどこでしょうか」
「近江の坂本城か、丹波の亀山城でしょう」
「夜を徹して間道を走れば、光秀の首を取ることは可能でしょうか」
「光秀の下に何人の兵が残っているか次第でしょう」
「私の手勢だけでは難しいと言われるのですか」
「小一郎殿の四千を加えれば、間違いなく討ち取れるでしょうが、与一郎殿の七百だけでは厳しいでしょう」
「そうですね。義伯父上の百五十を加えても八百五十では、手勢を二つに分けて坂本と亀山に向かうのは難しいですね」
「小一郎殿には亀山に向かってもらいましょう。但馬に戻り、毛利に備える必要が出るかもしれません」
「ならば私達が坂本に向かうのですね」
「そうと決まれば急いだ方がいいです。大将首を他の者に奪われてしまいます」
「分かりました。腰兵糧で腹を満たさせて、すぐさま追撃します」
 与一郎は父親の長秀に使者を送り、坂本に向けて追撃を始めた。
 長秀は急いで部隊を整えるとともに、与一郎の兵力不足を心配して、藤堂高虎に千の兵を預けて援軍に寄こしてくれた。
 だが合戦の勝利と生き延びたことに安堵した将兵に、再び戦意を起こさせるのは難しく、藤堂高虎は与一郎の出陣に間に合わず、後を追う形となった。
 与一郎の追撃は見事に成功し、明智光秀を討ち取り、首を取る事に成功した。
 主君・信長公と信忠公を裏切り、弑逆した大罪人を討ち取った功績は、織田家の中で燦然と輝くモノであった。
 しかも与一郎が秀吉の甥であったことで、秀吉の織田家での発言権を大きくし、主君・秀勝公の織田家当主就任を大きく後押しする可能性があった。
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