徳川家基、不本意!

克全

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第1章

第26話:千石船

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 心から信頼する柳生親子に守られ、田沼意次を味方につけ、鷹狩も遠乗りも我慢している家基は、運命の安永八年二月二四日を無事に過ごした。

 婚約者の孝宮が江戸城に入るのも無難にやり過ごし、正室との結婚までに、二年の余裕を手に入れた。

 竹千代という嫡男を得た家基には、父親としての自覚が生まれていた。
 心から愛する深雪と竹千代を何としてでも幸せにすると決意していた。

 その為には、田沼意次から聞かされた幕府の苦しい勝手向きを、自分の代で何とかしなければいけないと思っていた。

 東照神君の次に尊敬している、惇信院殿が行われた享保の改革によって色々な弊害が起きている事も、今では理解していた。

 幕府の勝手向きを劇的に改善させた享保の改革も、今ではもう同じ方法が使えなくなっている事も理解していた。

 幕府が札差に代わって、勝手向きの苦しい幕臣に金を貸す事になった、猿屋町御貸付金会所の報告では、百万両貸せば八万両の利子が幕府に入る。

 だが、勝手向きの苦しい幕臣に借りた金を返す余裕などない。
 いずれ貸した金を帳消しにしなければいけなくなる。
 それを考えれば、幕臣に貸した金の利息では、幕府の財政を運用できない。

 年貢や運上金以外に、幕府勝手向きの柱となる新しい財源が必要だった。
 家治将軍、家基、本丸幕閣と西之丸若年寄が集まって、幕府の勝手向きを良くする方法を何度も話し合った。

 新たな金山銀山が見つかれば良いが、そんな運任せで幕府の勝手向きが良くなるはずもなく、そもそも幕府が開かれてからずっと必死で探しているのに、新しい鉱山が見つからないのだ。

 これから新たに鉱山が見つかる可能性は極めて低い。
 見つかるとすれば、これまで誰も探した事のない未開の地、蝦夷地だけだと言う決論になった。

 新田開拓も、効率的にできる場所は既に行った後だ。
 今から行える場所は、新田開発にお金や労力が必要な割に、天災が起きれば元の荒地に戻るような場所ばかりだ。

 平民から開拓願いが出ている場所は、既に試して失敗している場所ばかり。
 また失敗するかもしれない手賀沼と印旛沼ですら、再度干拓するか何度も話し合われていた。

 しかし手賀沼と印旛沼は、大雨が降れば簡単に荒地に戻ると言う意見が多かった。
 比較的簡単に開拓できるのは、これまで誰も手を付けていない地、蝦夷地だけという結論になったが、蝦夷地では米が作れないと言う反対派が多かった。

 何時も議論は堂々巡り、簡単に幕府の勝手向きを良くする方法は出てこない。
 一番可能性があるのが、蝦夷地しかないと言う流れになっていた。

 そんな時、長谷川平蔵が新潟湊の商家を闕所にした時に手に入れた、弁財船二〇隻が二万両もの利益を上げたとの報告があったのだ。

 武士が直接商売をする事を禁じたのは東照神君だ。
 表むき将軍や幕府がその禁を破る訳にはいかないが、実際には破っている。

 吉宗は、幕府の蔵米を出来るだけ高く売ろうと、全国の米相場を諳んじていた。
 長崎出島での交易は、幕府が独占している商売とも言える。

 幕府が幕臣を使って商売をする事ができなくても、札差事件の時には大身旗本や寺社が金主になって稼いでいたので、金主になる事はできる。

 弁財船の船主なって、実際の運用は船頭に任せる事で、将軍家と幕府は何もせずに何万両もの利益を手に入れられるかもしれない。

 長谷川平蔵が浅草仙右衛門を捕らようとした過程で手に入れた弁財船の利益で、そのような方法がある事を、将軍家と幕閣は知ったのだ。

「何も調べずに多くの弁財船を造った後で、何か問題があると分かってはいけません。ここは実際に弁財船を使って二万両もの利益を手に入れた、船頭達を呼んで話を聞きましょう」

 最も権力を持っている田沼意次が慎重を期したので、二〇人の船頭を西之丸に呼んで話を聞く事になった。

 最初は身分にかかわると言う理由で、田沼意次だけが御逢日に自分の屋敷で会って話を聞こうとした。

 だが、家基がどうしても自ら話が聞きたいと言ったので、二〇人の船頭と会う場所が西之丸になったのだ。

「はん?一年一往復で千両稼げるかだって?馬鹿言ってんじゃねぇぜ!俺様に全部任せてくれるなら、松前藩が制限しないなら、年に二往復も三往復もして、二千両も三千両も稼いでやるぜ!」

 二〇人呼び出した船頭の一人が、絵にかいたような荒々しい海の漢だった。
 田沼意次は平気でニコニコと笑いながら話を聞いていたが、他の幕閣の中には、思わず殿中用の小刀に手を添える者がいたくらいだ。

 だが、そのような脅しに怯むような船頭ではなかった。
 鼻を鳴らして老中の一人を睨みつけるほど太々しい海の漢だった。

 そんな男から出来るだけ正確な情報を引き出そうと、笑って問いかける田沼意次を、御簾の奥のいる家基は驚きながら見つめていた。

「ほう、ほう、だがどうやって二往復も三往復もするのだ。簡単にできないからこそ、誰もやっていないのであろう?」

「へん、できないのは、松前藩が俺たちを松前、江差、函館にしか入らせないからだ。自由にどこにでも入れるなら、三往復して三千両稼いで見せてやる」

「ふむ、だが私の聞いた話では、帆が弱すぎて、良い風が吹いても利用できないという事だったが、違うのか?」

「へん、確かに帆が弱くて風を上手くつかめない。だが、弱い帆で風は掴めなくても、いちいち湊に入らなくても、大金が稼げる商品があるんだよ」

「ほう、それは何だ?」

「へん、俺様の大切な飯の種を教えられるかよ!」

「もし教えてくれるのなら、幕府から松前藩に命じて、どこの湊にも自由に入れるようにしてやろうではないか」

「本当か?」

「ああ、本当だとも、何なら幕府御用達の看板をくれてやる」

「分かった、教える、教えるから西蝦夷や東蝦夷に入る許可をくれ」

 船頭の話した方法、秘策は、至極単純明快だった。
 これまでの船は、日本海側の湊のほとんどに立ち寄り、その湊で高く売れる物を売り、安く買えるものを買う、一年かけて船で行商をしているような状態だった。

 だが、その方法で儲けるには、船を預かる船頭が優秀でなければならない。
 読み書き算盤は勿論、人に抜きんでた商才が必要だった。

 大阪まで運べば必ず五倍以上の値がつく鰊粕を、何処の湊にも寄らず直接大阪に運べば、商才がいらない、それだけで一往復千両になり、二往復は確実にできるのだ。

「主殿頭、船が大きければ大きいほど利が多いのか?」

 御簾の奥で黙って聞いている心算だった家基が、思わず声を出して聞いた。
 それほど家基には興味深い話しだった。

「おうよ、多くの物を積んで商いをするのなら、小さな港にも入れる五〇〇石船や一〇〇〇石船の方が小回りは効くが、江戸と大阪を行き来するだけなら、大きいほど儲かるぜ!」

 海の漢が直接無礼な言葉を返すが、家基は全く気にしなかった。

「ならば余が最大の船を造ってやる、お前はそれを率いて蝦夷と大阪を結ぶのだ!」

 家基がやる気を出したので、話は早々に決まった。
 松前藩が加えている湊の制限など、幕府が命じれば簡単に変えられる。

 逆らうなら領地替えすれば良いだけだった。
 松前藩が領地替えに応じないのなら、改易してしまえば良い。

 これまでの話で、蝦夷地なら新しい鉱山が有るかもしれないという結論になっていたのだ、蝦夷地を松前藩から取り上げる正当な理由が得られるなら万々歳だった。

 米が作れなくても、麦や蕎麦なら作れるかもしれないという結論にもなっていた。
 ほとんどの幕閣は、松前藩など歯牙にもかけていなかった。

 松前藩が逆らったら、改易すると言う話がその場で決められようとしていた。
 それを聞いていた船頭のほとんどが恐怖で顔を引きつらせていた。

「待て、幾ら松前藩が一万石の小藩とはいえ、簡単に潰しては浪人が生まれる。松前が幕府の勝手向き改善に必要なのなら、替地を用意して転封してやれ」

「おお、流石大納言様でございます、家臣や民の事を大切になされる」

 田沼意次が手放しに褒めた、他の幕閣も西之丸若年寄もすぐさま褒める。
 誰よりも嬉しそうにしていたのが、御簾の奥で並んでいる家治将軍だった。
 たった一人残った我が子の成長が何よりもうれしかったのだ。

 大筋が決まれば細かな話し合いになる。
 これまでにない大きな弁財船を造るのなら、船頭と船大工に話を聞かなければならない。

 この日は船を操る船頭からしか話を聞けなかったが、船を建造する船大工にも話を聞いておかないと、建造費が安ければ良いとも言い切れない。

 腕の良い船大工に造らせたら、丈夫で長持ちすると言う。
 定期的に手入れが必要だが、三〇年も使い続ける事ができると言う。
 標準的な一〇〇〇石積の弁財船は、一〇人の船大工が四〇日で建造すると言う。

 その代金は、仙台藩で建造させた場合は銭五〇貫だと言う。
 実際に航海するには、艤装と道具類で更に銭一七貫必要だと言う。
 仙台藩の銭相場では、銭一貫は九六〇文だった。

 合計六七貫(六万四三二〇文・一〇両)で千石船を建造して運用できるのだ。
 人件費が高い江戸や大阪で建造させれば、一〇〇〇両は下らないのにだ。

 実際に仙台藩の船大工に問い合わせなければ分からないが、本当に一〇両程度で新造の千石船が造れるのなら、家基は千でも二千でも造る気になった。

 例え傍若無人な船頭の話が大噓で、やはり千両必要だったとしても、家基は一〇〇隻の千石船を、十万両を使って建造する気だった。

「ではこうなされませ」

 その話を聞いた田沼意次が提案したのは、一〇〇〇石の弁財船が一〇両で建造できるのなら、時間がかかっても全て仙台で建造させる事だった。

 一〇両の話が大噓なら、実績のある大阪、長崎、伊勢山田などの船大工に大型船を建造させるという、至極真っ当な提案だった。
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