徳川家基、不本意!

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解説・人物紹介

登場人物

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「安永7年1778年当時」

徳川大納言家基  :正義感が強く生真面目で融通が利かない天才剣士
  :甘呂友吉と宇津国久の脇差
  :「江戸買物独案内」「衣食住記」「事物根源記」「続飛鳥川」
  :麹町四丁目鱧御蒲焼・丹波屋忠兵衛
  :麹町六丁目鱧御蒲焼・伊勢屋権兵衛
  :麹町四丁目御用御麵類所・蕎麦屋佐右衛門「蕎麦切り」
  :札差を滅ぼした際に422万両もてにはいった。

柘植松之丞正房  :48歳・13年前に大阪城守衛なのに逐電
         :柘植忍者の棟梁で大盗賊
美濃部五右衛門茂安:43歳・兄の忠実な手足
         :200俵大番格の旗本
         :小納戸として500石高となった。

柘植丹波守英成  :35歳500石・徳川家治小姓

柘植豊之助盈孝  :27歳450俵西之丸小姓組番番士

柘植五郎左衛門守清:66歳540石明和3年11月2日西之丸徒士頭
         :明和7年5月12日西之丸御先手鉄砲組頭

柘植三蔵正寔   :44歳1500石・長崎奉行

柘植平八郎兄典  :44歳500石・小普請組頭

長谷川平蔵宣以  :33歳400石・西之丸書院番番士進物番
         :御先手鉄砲組の頭
         :戸村品左衛門の娘・於妙
         :千葉県成東町寺崎の220石
         :九十九里町片貝
         :御先手鉄砲組
         :火付け盗賊改め方・1500石
         :御側御用取次・5000石
         :鹿児島城代・五万石
         :

長谷川正蔵正鳳  :39歳1450石・安永5年に小姓組番番士

長谷川久正正清  :27歳500石・西之丸書院番番士

柳生玄馬久通:安永7年(1778)4月15日西之丸小十人頭(8番組)に異動。
  :将軍世継徳川家基の剣術指南役を命ぜられる。
  :
  :正徳2年(1712年)祖父柳生播磨守久寿が剣術の師匠に当たる
  :大和国柳生藩主柳生俊方より柳生姓を名乗ることを許される
  :10代将軍徳川家治の剣術指南を務めた。
  :柳生播磨守久寿は存命中

父親:柳生久隆(1724-1757)
叔父:高尾孫兵衛信喜 - 旗本800石
叔父:美濃部内膳茂孫 - 旗本510石

山田浅右衛門吉寛:42歳・御様御用・死刑執行人
  :首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門
  :3万石から4万石の大名に匹敵する収入
  :幕府や大名家からお試し御用の礼金・刀剣購入の世話
  :試し切りのために死体売買・試し切り後の刀剣鑑定手数料
  :酒井雅楽頭家や立花家といった大名家から毎年歳暮として米や鰹節を拝領
  :人間の肝臓や脳、胆嚢、胆汁などを原料の労咳に効くといわれる丸薬を製造
  :「山田丸」「浅右衛門丸」「人胆丸」「仁胆」「浅山丸」

日吉権十郎:星野山日吉山王大権現社の山王門前町を縄張り
熊五郎  :巨人症で七尺三寸の大男
浅草仙右衛門:江戸で一二の大親分
虎三郎  :六尺五寸の大男で大長刀を振り回す。

「南北町奉行」
牧野大隅守成賢:南町奉行
曲淵甲斐守景漸:北町奉行

「寺社奉行」
属僚に寺社奉行吟味物調役(ぎんみものしらべやく)、神道方(しんとうがた)、紅葉山(もみじやま)火之番、紅葉山御宮御霊屋付坊主(おみやみたまやつきぼうず)、紅葉山御高盛(おたかもり)坊主、紅葉山御宮付御縁頬(ごえんづら)坊主、紅葉山御霊屋付御縁頬坊主、紅葉山御掃除之者組頭、紅葉山御高盛六尺があり、また家臣のなかから手留役、寺社役、取次、大検使、小検使などの役人が任命されて、その職務を分掌した。ちなみに与力、同心は置かれなかった。

土岐美濃守定経(1764年 - 1781年)上野国沼田藩の第3代藩主三万五千石
太田摂津守資愛(1775年 - 1781年)遠江国掛川藩2代藩主五万石
戸田因幡守忠寛(1776年 - 1782年)宇都宮藩初代藩主7万7850石
牧野豊前守惟成(1777年 - 1783年)丹後国田辺藩の第5代藩主3万5千石

「火付け盗賊改め方」
土屋帯刀守直
贄市之丞正寿:江戸町民に留任を願われるほどの人格者
建部大和守広般:1775年:寛政重修諸家譜7巻・コンテンツ72・123P

「徳川幕府田沼派」
田沼意次
正室:一橋家家老 伊丹直賢の娘(子供なし)

継室:黒沢木工之助定紀の娘(長男)
長男:意知
  :西之丸御側御用取次となる
  :西之丸大目付を兼帯する
  :西之丸若年寄

側室:某氏
長女:夭折

側室:田代高近の養女
次男:勇次郎
三女:千賀(遠江横須賀藩四代藩主 西尾忠移室)
四女:宝池院(越後与板藩六代藩主 井伊直朗室)
四男:意正
六男:土方雄貞(土方氏へ)

側室:某氏
次女:夭折
三男:勝助
五女:夭折
六女:夭折
五男:松三郎

側室:陽炎・片桐市太夫に次女で倉見金太夫の正室の妹
七女:深雪:倉見金太夫の養女となる
  :柳生播磨守に弟子入りしてかなりの腕
  :家基の姉弟子にあたる

側室:某氏
七男:九鬼隆棋(九鬼氏へ)

側室:千賀道有の養女

  :(養子)娘(父:新見正則、武蔵岩槻藩二代藩主 大岡忠喜および伊勢菰野藩七代藩主 土方雄年室)


おまさの方:徳川家光の側室。
     :尾張藩付家老・成瀬氏の娘として生まれたとされる
     :犬山城3万5000石

倉見金太夫:田沼家の家老
早霧   :正室
美月   :長女

「徳川幕府田沼派」
徳川家重:九代将軍
徳川家治:十代将軍
三女  :(1775:9/5)
三郎太丸:(1775:9/12)
四女  :(1775:9/18)
徳川家基:家治の世子
竹千代 :家基の長男(1779:) 
長福丸 :家基の次男(1780:)



津田宇右衛門信成の娘:家基の母親

津田日向守信之:38歳・家基叔父・西之丸御小姓組頭
  :知行5000石
  :西之丸大目付を兼帯する
  :琉球所司代・5万石

津田能登守信久:16歳・信之の長男・西之丸小姓・家基従弟
       :西之丸目付を兼帯する
       :御先手鉄砲組兼帯
土井豊前守利國:14歳・信之の次男・西之丸小姓・家基従弟
       :土井利峯の養嗣子
       :西之丸目付を兼帯する
       :御先手鉄砲組兼帯

田沼意次:老中
田沼意知:田沼意次嫡男・従五位下、大和守
田沼意誠:田沼意次の四男
九鬼隆棋:田沼意次の七男・丹波綾部藩1万9,500石六代藩主
水野忠友:側用人・田沼意次の四男と養子縁組し、その娘の夫にする。
松平康福:老中
松平輝高:老中
土山宗次郎:勘定組頭
松本秀持:勘定奉行
赤井豊前守忠皛:48歳1400石御先手組弓頭から京都東町奉行
       :柘植三蔵正寔の次男を養子に迎える話
島津重豪:島津氏第25代当主で、薩摩藩の第8代藩主
    :第11代将軍徳川家斉の正室(御台所)・広大院の父
広大院 :第11代将軍徳川家斉の正室(御台所)
山田吉寛:人間の肝臓や脳や胆嚢や胆汁等を原料に労咳に効くといわれる丸薬を製造。
    :山田丸・浅右衛門丸・人胆丸・仁胆・浅山丸の名で販売された。
    :山田浅右衛門家は莫大な収入を得ていた。
長谷川宣以:鬼平犯科帳の主人公・進物番から小姓
柳生玄馬久通:1900石
中井清太夫:
宝暦10年(1760年)評定所に出仕し、日光山御霊修復御用、関東郡代伊奈忠宥の差添役などを務め、明和4年(1767年)支配勘定となり、同8年(1771年)勘定に移る。この間、清太夫は京都・大坂にのぼり、禁裏口向役人の不正事件の摘発に深く関与した[5]ほか、京都での青物取引をめぐる京都町奉行での裁判において、原告となっていた伊藤若冲のアドバイザーを務め、若冲の勝訴を勝ち取っている
会田安明:和算家(鈴木彦助)利根川の水利普請
大田南畝:御家人・文人・狂歌師
会田安明:和算家・御普請役・藤田貞資と和算論で争う
    :小貝川、鬼怒川、手賀沼などの土木、水利、治水工事の現場監督
神谷定令:和算家・御普請役・
細川重賢:宝暦の改革「肥後の鳳凰」
上杉治憲:米沢藩9代藩主・上杉鷹山
井上伊織:田沼家永代家老・田沼意次庶子・美幸の養父・田沼意次と義兄弟
井上美幸:田沼意次の庶娘・井上伊織の養女となる。
多紀元徳:奥医師
今大路右近:典薬頭
千賀道隆:奥医師

小納戸御膳番

長谷川太郎兵衛正直:まさなお・59歳・1450石・先手・弓の7番手組頭・本家
長谷川久三郎正脩:まさひろ・58歳・4070石・持筒頭
長谷川平蔵宣雄:のぶお・50歳・先手・弓の8番手組頭
長谷川銕三郎:てつさぶろう 23歳)
用人・松浦与助(よすけ 52歳 先代)
長谷川内膳正珍:まさよし・59歳・500石・小姓組番士
大橋与惣兵衛親英:ちかふさ 55歳 200俵 新番与(くみ)頭 )
久栄(ひさえ 16歳)

長谷川太郎兵衛正直:まさなお 72歳 1450石(享保三年九歳)
長谷川正蔵正鳳  :まさたか 41歳 1450石
長谷川栄三郎正満:まさみつ 37歳・4070石・
長谷川平蔵:へいぞう 36歳)

「1774年」
長谷川太郎兵衛正直:63歳1450石御先手弓頭進物役
         :火付け盗賊改め
長谷川正蔵正鳳  :39歳1450石御小姓組番士
長谷川内膳正珍  :65歳500石御小姓組
長谷川勇之介正賢 :36歳500石無役
長谷川久三郎正脩 :63歳4070石無役
長谷川栄三郎正満 :29歳4070石無役
長谷川平蔵宣以  :36歳400石西之丸書院番番士
         :小姓頭取としたが足高百石+三百俵役料
         :1700石
         :小姓頭取のまま側衆見習
         :側衆、御側御用取次見習
長谷川久太夫正榮 :71歳500石病む
長谷川久正正清  :23歳500石西之丸書院番番士

柳生玄馬久通:1900石小姓頭取のまま西之丸目付
加納久通:
有馬氏倫:
大岡忠相:

「柘植一族」
柘植丹波守英成  :31歳500石徳川家治小姓

柘植左門正勝   :69歳200石無役
柘植鐵次郎致清  :21歳200石無役
         :1300石小姓頭取のまま西之丸目付

柘植豊之助盈孝  :23歳450俵無役
         :1550石小姓頭取のまま西之丸目付

柘植五郎左衛門守清:62歳540石明和3年11月2日西之丸徒士頭
         :御先手鉄砲組頭火付け盗賊改め
柘植乙五郎泰清  :24歳540石
         :家基の小姓

「遠縁」
柘植三蔵正寔   :40歳1500石佐渡奉行
柘植豊三郎正陽  :10歳

赤井豊前守忠皛  :48歳1400石御先手組弓頭から京都東町奉行
         :柘植三蔵正寔の次男を養子に迎える話
火付け盗賊改:安永2年(1773年)7月9日 - 安永3年(1774年)3月20日

吉良義勝     :32歳500石書院番

柘植平八郎兄典  :40歳500石大番
柘植平五郎兄致  :13歳

織田越山芳正   :63歳2000石隠居
織田幸次郎正甫  :19歳無役・西之丸書院番予定

織田権大夫正邦  :46歳500石書院番

織田兵七郎正慶  :31歳500石書院番

柘植甚左衛門正英 :40歳150俵大番
柘植平四郎正勝  :20歳

花盛重蔵信勝   :44歳70俵
花盛市太郎勝武  :18歳
花盛佐次郎敦盛  :16歳
美幸       :15歳
花盛右三郎公毅  :4歳


「徳川幕府反田沼派」
一橋治済:一橋家当主で息子を将軍にするため、徳川家基に毒を盛る
松平定信:徳川宗武の七男・田安家から陸奥白河藩に養子に出された事で田沼意次を恨む
佐野善三郎政言:田沼意知を殺した新番士・500石
徳川治保:水戸藩の第6代藩主。水戸藩中興の祖といわれる
徳川治貞:西条藩の第5代藩主、のち紀州藩の第9代藩主「紀州の麒麟」
徳川宗睦:尾張藩の第9代藩主
半井出雲守:典薬頭
篠崎長瑞:小児科医
小宮山乙十郎昌則 
朝比奈采女盛連
田沼意致:田沼意誠の子・田沼意次の甥
    :徳川家基について西丸目付(1774)
    :一橋家家老に就任する(1779)

「学者技術者」
平賀源内:本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家
1728:戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家
杉田玄白:蘭学医・私塾天真楼『解体新書』
前野良沢:中津藩の藩医で蘭学者『解体新書』
中川淳庵:医者・本草学者・蘭学者『解体新書』
本多利明:数学者、経世家
    :蝦夷地の開発や海外領土の獲得
    :幕府主導の交易、開国論、重商主義などを説く
最上徳内:本多利明の下僕
工藤平助:仙台藩江戸詰の藩医で経世論家・『赤蝦夷風説考』刊行
桂川甫周国端:医師及び蘭学者
司馬江漢:絵師、蘭学者
安島直円:財政家・和算家
藤田貞資:和算家
志筑忠雄(中野柳圃):蘭学者、病弱
吉田秀升:暦算家
麻田剛立:天文学者・医師
工楽松右衛門:発明家、実業家、帆布(松右衛門帆)を発明
下原重仲:鉱山師、祖父の代からの鉄鉱山を経営
鈴木晴信:浮世絵師
細川頼直:からくり技術者、発明家・天文方暦作助手
山路徳風:江戸幕府天文方
中井竹山:儒学者・大坂の学問所 懐徳堂の四代目学主
緒方春朔:医学者・人痘法を確立・『種痘必順弁』
後藤桂乗:名門後藤家の14代
林子平:経世論家「寛政の三奇人」
高山彦九郎:尊皇思想家「寛政の三奇人」
蒲生君平:儒学者、尊王論者、海防論者「寛政の三奇人」

「剣客」
中西忠蔵:中西派一刀流
櫛淵宣根:微塵流剣術・神道一心流の創始者
小林庄松:真之真石川流四代目・本庄宿と小島村との境付近・旗本駒井氏の財政を支える。
近藤内蔵之助:初代天然理心流剣術
丹羽信英:兵法二天一流第7代師範


「商人」
蔦屋重三郎:版元(出版人)
三谷三九郎:両替商・勘定所御用達10人の頭取
須原屋市兵衛
1:江戸時代の版元
2:江戸出版業界の最大手須原屋茂兵衛の暖簾分け店の一つ
3:号は申淑堂
4:平賀源内・森島中良・杉田玄白等蘭学者の版元

長谷川新吾郎:江戸浅草の商人・印旛沼開拓
天王寺屋藤八郎:大阪商人・両替商・印旛沼干拓
4000ヘクタール(4万反・4000町)
30万両
1反当たりの収穫高
上田:1・4石
中田:1・21石
下田:1・03石

「芸能人」
平秩東作
1:戯作者、狂歌師、漢詩人、文人
2:幼名は八十郎、後に八右衛門
3:姓は立松。名は懐之(かねゆき)。字は子玉、嘉穂、東鞠。
4:平秩東作は戯号。号は東蒙山人。
5:父は元尾州藩士で屋号は稲毛屋金右衛門。後に東作が父の屋号を引き継いだ。
6:平秩東作は内藤新宿の馬宿に生まれた。東作10歳のときに父道佐死去。14歳のとき、父の後を継ぎ煙草商になった。漢文学や和歌の教養があり、平賀源内と親交を持った。伊藤蘭嵎が師であったという説もある[1]。天明3年(1783年)から4年まで松前と江差に滞在し、アイヌの風俗や蝦夷地の風土について見聞したところを記した『東遊記』を著した。狂歌人としても有名で内山賀邸・四方赤良(大田南畝の狂歌の号)などとも交友を持った。失脚した土山宗次郎が追いつめられて逃走した際、所沢の山口観音に匿ったことが発覚して捕縛された。

平賀源内が獄死したのち、罪人である遺体の引き取り手のなかった中、公儀に目をつけられるのを覚悟の上で東作が引き取った、とされる。

ニコライ・ペトロヴィッチ・レザノフ
 1764年4月8日(ユリウス暦3月28日) - 1807年3月13日)は、ロシア帝国の外交官。極東及びアメリカ大陸への進出に関わり、ロシアによるアラスカおよびカリフォルニアの植民地化を推進した。
露米会社(ロシア領アメリカ毛皮会社)を設立したほか、クルーゼンシュテルンによるロシア初の世界一周航海(1803年)を後援し、自ら隊長として日本まで同行した。

鷹司輔平
明台院 房君 福子(婚約者:左近衛権中将 徳川治興、有栖川宮 織仁親王妃)

閑院宮典仁親王
女房:紫雲院
第二皇女:孝宮 のちに宗恭女王(1769-1821)
4観山宗恭女王(1769-1821)<1789->:閑院宮典仁親王第二王女。後桃園天皇養女。1769年(明和6年)12月18日生(17日生とも)。孝宮。1789年(寛政1年)4月1日就任。1821年(文政4年)11月19日死去。53歳。墓所は霊鑑寺宮墓地。寿山宗泰。成等覚院宮。(「尼門跡の言語生活」ほか)
徳川家治の長男 徳川家基(1762-1779)婚約者

オランダの百科事典「厚生新編」

ニコライ・ペトロヴィッチ・レザノフ
1:ロシア帝国の外交官
2:露米会社(ロシア領アメリカ毛皮会社)を設立
3:クルーゼンシュテルンによるロシア初の世界一周航海(1803年)を後援し、自ら隊長として日本まで同行した。

安永三年(一七七四年)九月一四日:御前武芸大会の開始
日に四千両、年に百四十二万両の軍資金
日に二千両、年に七十一万両の軍資金(幕府取り分)


「エタの蝦夷地開拓」
 百五万石の蔵入り地、四人で一家と計算すれば、七万人で一万七千五百家だ。
 一万七千五百家が玄米六十石分の価値がある雑穀を作り、四割の年貢を治めれば、幕府は玄米四十二万石分の価値がある雑穀を手に入れられる。

八千人四千家が、それぞれ一町の畑の開拓に成功して、合計三万四百石分の雑穀が収穫できたの


「黒鍬之者達が」
一家で十人もの成人を連れて蝦夷に渡ったとしても、二百二十一家で二千二百十人に過ぎない。



谷田部藩細川家一万六千二百石と小見川藩内田家一万石だった。

福井藩松平家と福岡藩黒田家

「参考図書」
田沼意次:深谷克己
開国前後(田沼時代の輝き):鈴木由紀子
天明蝦夷探検始末記(田沼意次と悲運の探検家たち):照井壮助
江戸幕府最後の改革:高任和夫
主殿の税:佐藤雅美
栄花物語:山本周五郎
田沼意次その虚実:後藤一朗・大石慎三郎
悪名の論理:江上照彦
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歴史・時代
日本の潜水艦の歴史を変えた軌跡をたどるお話。

【第十回 歴史・時代小説大賞投稿】帝国の海 外伝~風翔搭乗員戦記

山本 双六
歴史・時代
1942年1月完成した、ニ式艦上戦闘機『風翔』この戦闘機に乗り、国のため、そして、愛する人たちのために戦った男たちの戦いが幕を開ける 帝国の海にでてくる、二式艦上戦闘機『風翔』風翔搭乗員の、物語である...

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

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