2 / 15
第一章
1話
しおりを挟む
「義姉上、行ってまいります」
「すみませんね、銀次郎さん。
毎日助かります」
「いえ、いえ。
当然の事です」
銀次郎は夜が明ける前に、義姉に送られて屋敷を出た。
手に持つは家伝の槍。
背負うは大きな魚籠。
槍一筋の山岡家の部屋住みとして、若年で家督を継いだ甥のために、銀次郎ができる精一杯の事だった。
極貧の二百石旗本山岡家では、毎朝銀次郎が獲る魚が大切だった。
命の糧とまではいわないが、代々積み重なった札差への借金のため、多くの貧乏旗本が月に数度しか魚肉を食べられない時代に、毎食魚が食べられるのは、銀次郎が槍を振るって魚を獲っているからだった。
普通は旗本が生活のために魚を獲るなど恥でしかない。
幕府に知られれば、最悪お家取り潰しになるほどの恥だった。
だからどの家も、網で魚を獲る事はできなかった。
隠居や部屋住みの手慰みという体裁で、釣りをして魚を獲っていた。
一方銀次郎は、家伝の槍術、清心流槍術の鍛錬という体裁で獲っていた。
だがそのため、獲った魚を船宿や料亭に売る事はできなかった。
「大変だ、山岡の旦那!
殺しだ、殺し。
柳原の土手で辻斬りがでた!」
慌てて銀次郎を呼びに来たのは、岡っ引き房総の笹次郎だった。
笹次郎は南町奉行の定町廻り同心、柳川廉太郎寅正の小者という体裁で、御上の御用を勤めている。
だが岡っ引きは、時の幕閣によっては度々禁令が出される、使い方次第で善にも悪にもなる劇薬のような存在だった。
そして廉太郎は度々銀次郎の御用の手伝いを頼んできた。
銀次郎の知恵と槍術を頼みにしている事もあるが、部屋住みの銀次郎に、礼金という体裁で小遣いを渡そうという友情でもあった。
そう、廉太郎と銀次郎は幼馴染であり、同じ剣道場に通った剣友でもあった。
銀次郎は本当に難しい立場だった。
これからの将来の事を考えれば、直ぐにでも山岡家を出て、生活の道を探さなければいけない状態だった。
兄に何かあった時のために家に残されたが、兄に子供ができた。
だが幼くして亡くなる子供が多いので、直ぐに家を出るわけにはいかなかった。
兄に長女・孝子、次男・伊之助が生まれ、ようやく部屋住みの境遇から解放されるという時に、兄が労咳で寝込むようになり、家伝の槍術を兄の息子達に伝えるのは銀次郎しかいなかった。
兄が長く患った後に亡くなり、兄の長男・精一郎が跡を継いで妻を娶り、ようやく解放されるかに見えた時には、亡兄の治療に使った医薬代で借財が膨れ上がり、銀次郎が獲る魚がなければ、その日の食事に事欠く状態になっていた。
「分かった。
丁度魚が魚籠一杯になったところだ。
一度家に持ち帰って自身番に行こう」
「すみませんね、銀次郎さん。
毎日助かります」
「いえ、いえ。
当然の事です」
銀次郎は夜が明ける前に、義姉に送られて屋敷を出た。
手に持つは家伝の槍。
背負うは大きな魚籠。
槍一筋の山岡家の部屋住みとして、若年で家督を継いだ甥のために、銀次郎ができる精一杯の事だった。
極貧の二百石旗本山岡家では、毎朝銀次郎が獲る魚が大切だった。
命の糧とまではいわないが、代々積み重なった札差への借金のため、多くの貧乏旗本が月に数度しか魚肉を食べられない時代に、毎食魚が食べられるのは、銀次郎が槍を振るって魚を獲っているからだった。
普通は旗本が生活のために魚を獲るなど恥でしかない。
幕府に知られれば、最悪お家取り潰しになるほどの恥だった。
だからどの家も、網で魚を獲る事はできなかった。
隠居や部屋住みの手慰みという体裁で、釣りをして魚を獲っていた。
一方銀次郎は、家伝の槍術、清心流槍術の鍛錬という体裁で獲っていた。
だがそのため、獲った魚を船宿や料亭に売る事はできなかった。
「大変だ、山岡の旦那!
殺しだ、殺し。
柳原の土手で辻斬りがでた!」
慌てて銀次郎を呼びに来たのは、岡っ引き房総の笹次郎だった。
笹次郎は南町奉行の定町廻り同心、柳川廉太郎寅正の小者という体裁で、御上の御用を勤めている。
だが岡っ引きは、時の幕閣によっては度々禁令が出される、使い方次第で善にも悪にもなる劇薬のような存在だった。
そして廉太郎は度々銀次郎の御用の手伝いを頼んできた。
銀次郎の知恵と槍術を頼みにしている事もあるが、部屋住みの銀次郎に、礼金という体裁で小遣いを渡そうという友情でもあった。
そう、廉太郎と銀次郎は幼馴染であり、同じ剣道場に通った剣友でもあった。
銀次郎は本当に難しい立場だった。
これからの将来の事を考えれば、直ぐにでも山岡家を出て、生活の道を探さなければいけない状態だった。
兄に何かあった時のために家に残されたが、兄に子供ができた。
だが幼くして亡くなる子供が多いので、直ぐに家を出るわけにはいかなかった。
兄に長女・孝子、次男・伊之助が生まれ、ようやく部屋住みの境遇から解放されるという時に、兄が労咳で寝込むようになり、家伝の槍術を兄の息子達に伝えるのは銀次郎しかいなかった。
兄が長く患った後に亡くなり、兄の長男・精一郎が跡を継いで妻を娶り、ようやく解放されるかに見えた時には、亡兄の治療に使った医薬代で借財が膨れ上がり、銀次郎が獲る魚がなければ、その日の食事に事欠く状態になっていた。
「分かった。
丁度魚が魚籠一杯になったところだ。
一度家に持ち帰って自身番に行こう」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
湖に還る日
笠緒
歴史・時代
天正十年六月五日――。
三日前に、のちの世の云う本能寺の変が起こり、天下人である織田信長は、その重臣・惟任日向守光秀に討たれた。
光秀の女婿・津田信澄は大坂城・千貫櫓にあり、共謀しているのではないかと嫌疑をかけられ――?
人が最後に望んだものは、望んだ景色は、見えたものは、見たかったものは一体なんだったのか。
生まれてすぐに謀叛人の子供の烙印を押された織田信長の甥・津田信澄。
明智光秀の息女として生まれながら、見目麗しく賢い妹への劣等感から自信が持てない京(きょう)。
若いふたりが夫婦として出会い、そして手を取り合うに至るまでの物語。

四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
姫様、江戸を斬る 黒猫玉の御家騒動記
あこや(亜胡夜カイ)
歴史・時代
旧題:黒猫・玉、江戸を駆ける。~美弥姫初恋顛末~
つやつやの毛並みと緑の目がご自慢の黒猫・玉の飼い主は大名家の美弥姫様。この姫様、見目麗しいのにとんだはねかえりで新陰流・免許皆伝の腕前を誇る変わり者。その姫様が恋をしたらしい。もうすぐお輿入れだというのに。──男装の美弥姫が江戸の町を徘徊中、出会った二人の若侍、律と若。二人のお家騒動に自ら首を突っ込んだ姫の身に危険が迫る。そして初恋の行方は──
花のお江戸で美猫と姫様が大活躍!外題は~みやひめはつこいのてんまつ~
第6回歴史・時代小説大賞で大賞を頂きました!皆さまよりの応援、お励ましに心より御礼申し上げます。
有難うございました。
~お知らせ~現在、書籍化進行中でございます。21/9/16をもちまして、非公開とさせて頂きます。書籍化に関わる詳細は、以降近況ボードでご報告予定です。どうぞよろしくお願い致します。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる