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第二章:屍山血河
第86話:閑話・屍山血河3
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天文十六年(1548)4月20日:近江芹川北岸:磯野員宗視点
ここ数日の情勢の変化には、目が回る思いだった。
あの朝倉家が僅か一日で滅ぶなんて、実際に目にしても信じられなかった。
いや、信じる信じないなどと悠長な事は言っていられなかった。
朝倉家が滅んだと聞いたその日のうちに、長尾家の軍勢が北近江に襲来した。
国境を守るはずだった国人地侍達が一斉に裏切った。
朝倉家を滅ぼす事を前提に、浅井家の国人地侍も調略していたのだ。
裏切った国人地侍達を卑怯者と非難する事は出来ない。
我が磯野家も京極家を裏切って浅井家に味方したのだ。
生き残るために主家を裏切るのは当然の事だ。
ただ、六角家との国境を守る私は、誰に味方するか難しかった。
勢いは明らかに長尾家の方が上だが、長尾家がどこまで進む気があるかによって、降伏する相手が変わってくる。
坂田郡まで攻め取る気がない長尾家に下ってしまったら、守ってももらえず、六角家に攻め滅ぼされてしまうからだ。
それに、国人地侍の多くが裏切ったとしても、全員ではない。
最後まで浅井家に忠義を尽くす国人地侍もいる。
そんな者達が堅固な小谷城に籠ったら、そう簡単には落とせない、と思っていた。
だがそれは愚かな考えだった。
朝倉宗滴殿には、最初から小谷城を攻め落とす気がなかったのだ。
たった一日で付け城を築き、浅井勢を城に閉じ込めてしまった!
「味方するなら本貫地は安堵する。
浅井家に忠義を尽くされるなら攻め滅ぼす。
どちらでも好きな方を選ばれよ。
味方すると申されるなら、四貫当たり一人の兵を連れて参陣されよ。
軍役は重いが、その分の保証はする。
一人一日一升の麦か十文を与える。
この戦に参加して減った穀物の収穫も保証する」
領地四貫に一人の軍役は通常の倍近い。
兵糧が玄米ではなく麦なのも、長尾家の噂を聞けば信じられる話だった。
ただ、戦で減った今年の実りを保証すると言うのは、幾ら何でも……
疑念はあったが、朝倉宗滴殿が六角と戦うと言うのなら、降伏するしかなかった。
六角弾正少弼様も恐ろしいが、それ以上に朝倉宗滴殿の方が恐ろしい。
何より、圧倒的な大軍の朝倉勢の方が、先にここに来るのだ。
降伏しなければ六角勢が来る前に滅ぼされてしまう。
私の疑念は、次の日には払拭された。
朝倉宗滴殿は、その日のうちに山のような兵糧を持ってやってきた。
これまで見た事もない数の麦俵を、荷車の大行列に乗せてやってきた。
小谷城などを封鎖した朝倉宗滴殿が、四万の長尾勢と、浅井家に仕えていた北近江勢七千兵を率いてやってきて、あっという間に野戦陣地を築いた。
芹川の北側を掘って空壕とし、出た土で土塁を築いた。
雨が降っても大丈夫なように、土塁の上に屋根付きの小屋を建てた。
淡海乃海に注ぐ芹川の河口から、高室山まで続く延々とした土塁と長屋だ。
運んできた材木には切込みが入れてあり、直ぐに長屋を建てられた。
野戦陣地なのに、城の中で敵を待ち構えられるのに近い住み心地だ。
長屋を建てただけでなく、麦雑炊と味噌汁を作って味方に振舞いだした。
「兵だけでなく領民を集めて壕と土塁を築かせよ。
女子供関係なく、一人一日麦一升を与える。
銭を望む者には十文与える、集められるだけ領民を集めよ」
もう朝倉宗滴殿の言葉を疑う者は誰もいなかった。
目の前に麦俵が山のように積み上げられているだけではない。
今も越前から途切れることなく荷車が麦俵を運んでいる。
朝倉宗滴殿の軍勢は十万と聞いていたが、嘘だ。
十万なのは前軍だけで、兵糧を運ぶ荷駄衆が別に何万もいる。
そんな荷駄衆が、十万兵が戦に集中できるように支えているのだ。
朝倉家が滅んだと聞いてからたった四日で、長尾家に仕える事になり、六角家と戦う軍勢の一角を担う事になった。
本陣にするから佐和山城を明け渡せと言われるかと思っていたが、そのような事を言われる事もなく、長尾勢の一角を任され六角勢と対陣している。
六角家もこんな事になるとは思ってもいなかったのだろう。
思っていたら、浅井勢に朝倉家に味方するように言っている。
三日前には、越前との国境に兵を集めて長尾勢を迎え討ってと命じていた。
六角家が迷走しているのは誰の目にも明らかだった。
近江に逃げて来た将軍家を追い出したかと思ったら、叡山を焼き討ちした。
叡山や堅田を味方にする方が確実なのに、朝敵の汚名を晴らす事を優先した。
朝敵であろうとなかろうと、朝倉宗滴殿が六角家を滅ぼそうとしているのは明らかなのに、それが分かっていない。
追い込まれた者が、愚かな間違いを起こすのを数多く見て来た。
六角家ほどの大家が同じ間違いを犯すのかと思った。
案の定、朝倉宗滴殿が六角家を滅ぼすべく軍を進めた結果、私は芹川に築かれた土塁の上で六角勢を待ち受けている。
慌てて兵を集めたのだろうが、六角家とは思えない少数だった。
浅井勢が裏切っただけでなく、多くの国人地侍が裏切ったのだろう。
高島七頭の旗印が一つも見えないから、彼らも寝返ったのかもしれない。
「かかれ、帝の名を騙る朝倉宗滴を許すな!」
芹川の対岸に集まった六角勢が、少し休んだだけで攻め寄せて来た。
攻め寄せて来る六角勢の脚が重たげだ。
彼らの足が重いのは、芹川を渡って背水の陣で戦わなければいけないのだけが理由ではない。
一日で造ったとは思えない、深い壕と高い土塁も越えなければならないからだ。
野戦だと思っていたのに、城攻めと変わらない壕と土塁を越えなければならない。
しかも六角勢が一万しかいないのに対して、此方は五万近い兵がいる。
普通なら、少数の六角勢の方が芹川を濠に見立てて我らを迎え討つ戦いをする。
それなのに、少数の六角勢が堅固な壕と土塁を越える戦いを仕掛ける。
これほど不利な戦い方をしなければいけないくらい六角勢は追い込まれている。
可哀想なのは最前線で戦わされる百姓兵だ。
私も浅井家の家臣として六角勢に加わった事がある。
相手が足軽か百姓兵かなど、鎧や槍を見ればひと目で分かる。
一万ほどいる六角勢は、無理をして集めた百姓兵が半数近い。
銭で集める足軽は、不利な戦に成ったら直ぐに逃げ散る。
戦の絶えない京周辺は、足軽の奉公先など掃いて捨てるほどある。
悪い意味で戦い慣れた足軽達が、この戦いの前に逃げ散ってしまったのだろう。
「逃げるな、逃げる者は斬って捨てる。
殺されたくなければ長尾の陣を切り崩せ!」
石礫と矢の雨に恐れをなした百姓兵が、川向うにいる武将に斬られた。
自分は安全な川向こうで偉そうに言うだけの卑怯者。
六角家にはそう言う連中が数多くいる。
六宿老と言われる連中がその代表で、戦場に出る事なく陰で謀略を企む。
我ら浅井家の者だけでなく、六角家に直接仕える者も、何人も陥れられていた。
私利私欲で隣接する国人地侍を陥れる者を重臣としていた六角家だ。
力を失えば、多くの国人地侍に裏切られるのも当然だ。
浅井家も同じだ、新九郎の馬鹿が、親の代から忠義を尽くした者に厳しく接し、領地や権限を奪っていたから、こうも簡単に長尾勢に寝返られたのだ。
噂でしか知らないが、長尾晴龍殿は味方した者を絶対に裏切らない。
敵対した者は奴隷に落とすが、必ず立身出世の機会を与える。
奴隷に落とした者であっても武功を公平に認め、無駄に死なせる事もない。
この戦いの前にも、絶対に此方から討って出るなと命じられた。
六角勢は、出来るだけ生け捕りにしろと命じられた。
同時に、絶対に無駄死にするなとも命じられた。
六角勢が迂回して背後に回る事がないように、五千もの物見が山中に入っている。
美濃の斉藤勢に奇襲されないように、関ヶ原にも物見が放たれている。
そこまでやった上に、山側を守る翼軍が五千も配されている。
だから俺達は、芹川の対岸にいる六角勢にだけ集中できる。
六角勢で土塁の上まで辿り着いた者は一人もいない。
川を渡って壕に入った所を、石礫と矢の雨に襲われて根性が挫ける。
石礫と矢を掻い潜って急な土塁を越えるのが不可能な事など、実際に攻めかかっている者には明らかな事だ。
普通なら対岸に逃げ帰るのだが、逃げると負けを認めない連中に斬られる。
仕方がないので、傷つくのが分かっていて石礫と矢に耐えながら壕に残る。
石礫や矢に耐えている百姓兵が哀れでしかたがない。
「何をしている、憶病者共が、武士ならば命よりも名を惜しめ!
我に続いて天下に武名を轟かせよ!」
味方を叱咤激励した武将が芹川を渡ってきた。
見事な鎧の大将が、隅立て四つ目結の旗印を押し立て、先頭を駆けて来る。
負けじと丸に平井筒紋の軍勢と蒲生立鶴の軍勢が芹川を渡ってきた。
先に百姓兵を渡らせて、渡り易い場所を探っていたのだ。
川幅が狭く浅い場所で、石礫や矢の数が少ない場所を見極めていたのだ。
それが朝倉宗滴殿の罠だとも気がつかず、愚かな連中だ。
「ぎゃあああああ、ひけ、ひけ、一旦引くのだ!」
満を持して放たれる石礫と矢の量は天を覆うほどだった。
普段は最前線に立たない殿様に耐えられる数ではない。
臆病風に吹かれた殿様が背中を見せたとたん!
「六角の首を取る、我に続け!」
追撃を許可されていた武将だけが朝倉宗滴殿に続いた。
背中を見せて逃げる敵の首を取るのは簡単だが、今回は違う。
敵を殺さず捕らえると言う難しい命を受けている。
ただの足軽や百姓兵にはやらせられない。
「朝敵を許すな、挟み撃ちにして皆殺しにしろ!」
敵の背後に長尾家の九曜巴が立ち号令が響いた。
川向うで我らを迎え討とうとしていた六角勢が浮足立ったのがひと目で分かる。
六角勢の後方にいた百姓兵が逃げ出した。
独り逃げ出したら多くの百姓兵が臆病風に吹かれて逃げ出す。
六角勢の背後が崩れて陣形が完全に崩壊した。
ここ数日の情勢の変化には、目が回る思いだった。
あの朝倉家が僅か一日で滅ぶなんて、実際に目にしても信じられなかった。
いや、信じる信じないなどと悠長な事は言っていられなかった。
朝倉家が滅んだと聞いたその日のうちに、長尾家の軍勢が北近江に襲来した。
国境を守るはずだった国人地侍達が一斉に裏切った。
朝倉家を滅ぼす事を前提に、浅井家の国人地侍も調略していたのだ。
裏切った国人地侍達を卑怯者と非難する事は出来ない。
我が磯野家も京極家を裏切って浅井家に味方したのだ。
生き残るために主家を裏切るのは当然の事だ。
ただ、六角家との国境を守る私は、誰に味方するか難しかった。
勢いは明らかに長尾家の方が上だが、長尾家がどこまで進む気があるかによって、降伏する相手が変わってくる。
坂田郡まで攻め取る気がない長尾家に下ってしまったら、守ってももらえず、六角家に攻め滅ぼされてしまうからだ。
それに、国人地侍の多くが裏切ったとしても、全員ではない。
最後まで浅井家に忠義を尽くす国人地侍もいる。
そんな者達が堅固な小谷城に籠ったら、そう簡単には落とせない、と思っていた。
だがそれは愚かな考えだった。
朝倉宗滴殿には、最初から小谷城を攻め落とす気がなかったのだ。
たった一日で付け城を築き、浅井勢を城に閉じ込めてしまった!
「味方するなら本貫地は安堵する。
浅井家に忠義を尽くされるなら攻め滅ぼす。
どちらでも好きな方を選ばれよ。
味方すると申されるなら、四貫当たり一人の兵を連れて参陣されよ。
軍役は重いが、その分の保証はする。
一人一日一升の麦か十文を与える。
この戦に参加して減った穀物の収穫も保証する」
領地四貫に一人の軍役は通常の倍近い。
兵糧が玄米ではなく麦なのも、長尾家の噂を聞けば信じられる話だった。
ただ、戦で減った今年の実りを保証すると言うのは、幾ら何でも……
疑念はあったが、朝倉宗滴殿が六角と戦うと言うのなら、降伏するしかなかった。
六角弾正少弼様も恐ろしいが、それ以上に朝倉宗滴殿の方が恐ろしい。
何より、圧倒的な大軍の朝倉勢の方が、先にここに来るのだ。
降伏しなければ六角勢が来る前に滅ぼされてしまう。
私の疑念は、次の日には払拭された。
朝倉宗滴殿は、その日のうちに山のような兵糧を持ってやってきた。
これまで見た事もない数の麦俵を、荷車の大行列に乗せてやってきた。
小谷城などを封鎖した朝倉宗滴殿が、四万の長尾勢と、浅井家に仕えていた北近江勢七千兵を率いてやってきて、あっという間に野戦陣地を築いた。
芹川の北側を掘って空壕とし、出た土で土塁を築いた。
雨が降っても大丈夫なように、土塁の上に屋根付きの小屋を建てた。
淡海乃海に注ぐ芹川の河口から、高室山まで続く延々とした土塁と長屋だ。
運んできた材木には切込みが入れてあり、直ぐに長屋を建てられた。
野戦陣地なのに、城の中で敵を待ち構えられるのに近い住み心地だ。
長屋を建てただけでなく、麦雑炊と味噌汁を作って味方に振舞いだした。
「兵だけでなく領民を集めて壕と土塁を築かせよ。
女子供関係なく、一人一日麦一升を与える。
銭を望む者には十文与える、集められるだけ領民を集めよ」
もう朝倉宗滴殿の言葉を疑う者は誰もいなかった。
目の前に麦俵が山のように積み上げられているだけではない。
今も越前から途切れることなく荷車が麦俵を運んでいる。
朝倉宗滴殿の軍勢は十万と聞いていたが、嘘だ。
十万なのは前軍だけで、兵糧を運ぶ荷駄衆が別に何万もいる。
そんな荷駄衆が、十万兵が戦に集中できるように支えているのだ。
朝倉家が滅んだと聞いてからたった四日で、長尾家に仕える事になり、六角家と戦う軍勢の一角を担う事になった。
本陣にするから佐和山城を明け渡せと言われるかと思っていたが、そのような事を言われる事もなく、長尾勢の一角を任され六角勢と対陣している。
六角家もこんな事になるとは思ってもいなかったのだろう。
思っていたら、浅井勢に朝倉家に味方するように言っている。
三日前には、越前との国境に兵を集めて長尾勢を迎え討ってと命じていた。
六角家が迷走しているのは誰の目にも明らかだった。
近江に逃げて来た将軍家を追い出したかと思ったら、叡山を焼き討ちした。
叡山や堅田を味方にする方が確実なのに、朝敵の汚名を晴らす事を優先した。
朝敵であろうとなかろうと、朝倉宗滴殿が六角家を滅ぼそうとしているのは明らかなのに、それが分かっていない。
追い込まれた者が、愚かな間違いを起こすのを数多く見て来た。
六角家ほどの大家が同じ間違いを犯すのかと思った。
案の定、朝倉宗滴殿が六角家を滅ぼすべく軍を進めた結果、私は芹川に築かれた土塁の上で六角勢を待ち受けている。
慌てて兵を集めたのだろうが、六角家とは思えない少数だった。
浅井勢が裏切っただけでなく、多くの国人地侍が裏切ったのだろう。
高島七頭の旗印が一つも見えないから、彼らも寝返ったのかもしれない。
「かかれ、帝の名を騙る朝倉宗滴を許すな!」
芹川の対岸に集まった六角勢が、少し休んだだけで攻め寄せて来た。
攻め寄せて来る六角勢の脚が重たげだ。
彼らの足が重いのは、芹川を渡って背水の陣で戦わなければいけないのだけが理由ではない。
一日で造ったとは思えない、深い壕と高い土塁も越えなければならないからだ。
野戦だと思っていたのに、城攻めと変わらない壕と土塁を越えなければならない。
しかも六角勢が一万しかいないのに対して、此方は五万近い兵がいる。
普通なら、少数の六角勢の方が芹川を濠に見立てて我らを迎え討つ戦いをする。
それなのに、少数の六角勢が堅固な壕と土塁を越える戦いを仕掛ける。
これほど不利な戦い方をしなければいけないくらい六角勢は追い込まれている。
可哀想なのは最前線で戦わされる百姓兵だ。
私も浅井家の家臣として六角勢に加わった事がある。
相手が足軽か百姓兵かなど、鎧や槍を見ればひと目で分かる。
一万ほどいる六角勢は、無理をして集めた百姓兵が半数近い。
銭で集める足軽は、不利な戦に成ったら直ぐに逃げ散る。
戦の絶えない京周辺は、足軽の奉公先など掃いて捨てるほどある。
悪い意味で戦い慣れた足軽達が、この戦いの前に逃げ散ってしまったのだろう。
「逃げるな、逃げる者は斬って捨てる。
殺されたくなければ長尾の陣を切り崩せ!」
石礫と矢の雨に恐れをなした百姓兵が、川向うにいる武将に斬られた。
自分は安全な川向こうで偉そうに言うだけの卑怯者。
六角家にはそう言う連中が数多くいる。
六宿老と言われる連中がその代表で、戦場に出る事なく陰で謀略を企む。
我ら浅井家の者だけでなく、六角家に直接仕える者も、何人も陥れられていた。
私利私欲で隣接する国人地侍を陥れる者を重臣としていた六角家だ。
力を失えば、多くの国人地侍に裏切られるのも当然だ。
浅井家も同じだ、新九郎の馬鹿が、親の代から忠義を尽くした者に厳しく接し、領地や権限を奪っていたから、こうも簡単に長尾勢に寝返られたのだ。
噂でしか知らないが、長尾晴龍殿は味方した者を絶対に裏切らない。
敵対した者は奴隷に落とすが、必ず立身出世の機会を与える。
奴隷に落とした者であっても武功を公平に認め、無駄に死なせる事もない。
この戦いの前にも、絶対に此方から討って出るなと命じられた。
六角勢は、出来るだけ生け捕りにしろと命じられた。
同時に、絶対に無駄死にするなとも命じられた。
六角勢が迂回して背後に回る事がないように、五千もの物見が山中に入っている。
美濃の斉藤勢に奇襲されないように、関ヶ原にも物見が放たれている。
そこまでやった上に、山側を守る翼軍が五千も配されている。
だから俺達は、芹川の対岸にいる六角勢にだけ集中できる。
六角勢で土塁の上まで辿り着いた者は一人もいない。
川を渡って壕に入った所を、石礫と矢の雨に襲われて根性が挫ける。
石礫と矢を掻い潜って急な土塁を越えるのが不可能な事など、実際に攻めかかっている者には明らかな事だ。
普通なら対岸に逃げ帰るのだが、逃げると負けを認めない連中に斬られる。
仕方がないので、傷つくのが分かっていて石礫と矢に耐えながら壕に残る。
石礫や矢に耐えている百姓兵が哀れでしかたがない。
「何をしている、憶病者共が、武士ならば命よりも名を惜しめ!
我に続いて天下に武名を轟かせよ!」
味方を叱咤激励した武将が芹川を渡ってきた。
見事な鎧の大将が、隅立て四つ目結の旗印を押し立て、先頭を駆けて来る。
負けじと丸に平井筒紋の軍勢と蒲生立鶴の軍勢が芹川を渡ってきた。
先に百姓兵を渡らせて、渡り易い場所を探っていたのだ。
川幅が狭く浅い場所で、石礫や矢の数が少ない場所を見極めていたのだ。
それが朝倉宗滴殿の罠だとも気がつかず、愚かな連中だ。
「ぎゃあああああ、ひけ、ひけ、一旦引くのだ!」
満を持して放たれる石礫と矢の量は天を覆うほどだった。
普段は最前線に立たない殿様に耐えられる数ではない。
臆病風に吹かれた殿様が背中を見せたとたん!
「六角の首を取る、我に続け!」
追撃を許可されていた武将だけが朝倉宗滴殿に続いた。
背中を見せて逃げる敵の首を取るのは簡単だが、今回は違う。
敵を殺さず捕らえると言う難しい命を受けている。
ただの足軽や百姓兵にはやらせられない。
「朝敵を許すな、挟み撃ちにして皆殺しにしろ!」
敵の背後に長尾家の九曜巴が立ち号令が響いた。
川向うで我らを迎え討とうとしていた六角勢が浮足立ったのがひと目で分かる。
六角勢の後方にいた百姓兵が逃げ出した。
独り逃げ出したら多くの百姓兵が臆病風に吹かれて逃げ出す。
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